今の私のピアノの練習の目標の一つに
間違えないように弾けるようになりたい
というのがあります。ものすごくゆっくりでもいいのです。とにかく間違えずに弾けるようになりたいのです。
(もちろん、音色や曲の雰囲気を出すことなどほかにも気になることはあるのですが)
実はかつての私は、間違えてもいいんだ、と思うところがありました。大体音が出せて感じがつかめたら、そして感情を出して弾けたらいいじゃん、って。
しかしそういう意気込みだから、曲が自分のものにならないのだと分かってきました。
そして現在このようなことを思う理由は個人的な曲の例で恐縮なのですが、ベートーヴェンのソナタ第5番第2楽章の28小節目というとっても間違えやすいところがあるからです。そこだけ取り出して部分練習しているうちに、その部分だけはなんとか弾けるようになりました。しかし、前の小節から続けると必ずつっかえます。こうなったらしつこく粘るしかなさそうです。
しかし、この28小節目の例は除くとして、個人的にここは特に間違えたくない、という箇所があることに気づきました。
それはハーモニーに直接関わるところ。和音も含まれます。この音を間違えると全く雰囲気が変わる、というところを間違えると、曲の雰囲気も変わってしまうから。譜読みの段階で間違って読んでいたりしたら恥ずかしい、と思います。雰囲気を違うように捉えてしまっていることだから。(じつはやっていたのですよ、ある曲でそういう間違いを)作曲家にしてみれば、その音を選んだ必然性があるはずなのに。
神経質にはなりたくないものの、練習の段階では間違えないように弾けるようになりたい、という思いを持ち続けていたいこのごろです。
間違えないように弾けるようになりたい
というのがあります。ものすごくゆっくりでもいいのです。とにかく間違えずに弾けるようになりたいのです。
(もちろん、音色や曲の雰囲気を出すことなどほかにも気になることはあるのですが)
実はかつての私は、間違えてもいいんだ、と思うところがありました。大体音が出せて感じがつかめたら、そして感情を出して弾けたらいいじゃん、って。
しかしそういう意気込みだから、曲が自分のものにならないのだと分かってきました。
そして現在このようなことを思う理由は個人的な曲の例で恐縮なのですが、ベートーヴェンのソナタ第5番第2楽章の28小節目というとっても間違えやすいところがあるからです。そこだけ取り出して部分練習しているうちに、その部分だけはなんとか弾けるようになりました。しかし、前の小節から続けると必ずつっかえます。こうなったらしつこく粘るしかなさそうです。
しかし、この28小節目の例は除くとして、個人的にここは特に間違えたくない、という箇所があることに気づきました。
それはハーモニーに直接関わるところ。和音も含まれます。この音を間違えると全く雰囲気が変わる、というところを間違えると、曲の雰囲気も変わってしまうから。譜読みの段階で間違って読んでいたりしたら恥ずかしい、と思います。雰囲気を違うように捉えてしまっていることだから。(じつはやっていたのですよ、ある曲でそういう間違いを)作曲家にしてみれば、その音を選んだ必然性があるはずなのに。
神経質にはなりたくないものの、練習の段階では間違えないように弾けるようになりたい、という思いを持ち続けていたいこのごろです。