山口県周防大島物語

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能島村上家最高の機密文書はいづこへ?

2022年11月08日 10時38分39秒 | 村上海賊あれこれ
先だって、能島村上家の直系末裔(村上一学家)のS氏と村上海賊談義を一献傾け乍らしました。

話の中で、三島村上(能島・来島・因島)の中で能島村上家が他の二家を統率できたのは瀬戸内海の潮流を日別、時間別、地域別にすべて把握していた機密文書を有していたとされます。

村上海賊秘蔵の海戦の戦い方の書ではないのですかと問うと、それも秘蔵でしたが、瀬戸内海での戦いは潮の流れをきちんと把握したうえで戦術を考えないと勝利は覚束ないのですと。

それはそうだ、源平合戦の最終章は壇ノ浦の戦いであるが、潮の流れが一日二回変わりことを
計算できなかった、平家軍が全滅したのは「潮に乗る」ことを知らなかったからである。
義経は瀬戸内の海賊衆を味方につけて平家に攻め込んだので陸戦重視の平家は戦う前から弱い、
熊野の海賊や河野海賊軍、柳井海賊、等が義経の元にはせ参じたので海戦は有利となりました。

S氏の話によると、終戦直後に岩国に進駐した米軍が、岩国から直接ランチで大島郡和田に乗り付け村上家に来訪するや、瀬戸内海の海図(チャート)や季節別潮の流れを記録した書があると事前調査で分かっているので是非とも拝見したいと申し入れたそうな。
この時、見せたのか貸したのか不明であるが、現在は行方不明となっています。

当時、進駐軍と呼ばれた、米軍他四か国が岩国に進駐していました。
米軍の目的は多分、戦時中に投入した瀬戸内の機雷を掃海する必要があって潮の流れの正確な
資料が欲しかったのでしょう。しかし村上家にこの文書があることをスパイしていた米国の諜報力は恐るべしです。

江戸期にこの機密文書を盗み出そうとした同族の者がいましたが、発覚して、その一家は妻も子も全員、屋代島の離島に連れていかれて処刑されたそうです。

この文書は今はないとしますので、果たしてどこにあるのでしょうか?

アメリカかもしれません。


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