山口県周防大島物語

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武吉とその妻の墓

2022年07月24日 13時52分06秒 | 村上海賊家の墓と寺
武吉の墓の後ろにある、妻とされる人の俗名や戒名が知りたかったのですが
レスポンスがないのが残念です。

屋代島には正覚寺の住職の言う「村上研究会」や郷土史家がたくさんいるとうわさでは聞いていますが、このブログは見られてないようですね。屋代島発信のブログは沢山ありますが、島内での連携は無い様ですね。

旧四町を越えた広がりもあまり感じられませんね。他の平成の大合併もそうですが、20年以上たって世代交代しないと一体感は生まれないのでしょうね。

さて武吉の妻の墓に話を戻すと、やはりこの妻は朝鮮征伐の折に連れて帰った朝鮮美人と思われます。村上系図は彼女のことを書きませんので正妻の扱いではなかったようです。武吉の墓所外に葬られているのが根拠ですが、正誤は分りません。

大竜寺文書によると、武吉は慶長9年に卒去したが、菩提寺がなく、無住であった良禅院を元正寺と改め、翌慶長10年に葬ったとされます。
ここでまたゴタゴタが起こり無住なので住職選びをしようとし、村上宗家家老大野宗如(直政)の弟、大野周高(峯雲周高座元禅師)を宛てようとしたが本人が最初承服せず、周りを総動員して住持としたとあります。

この時、住持への懇願した中に「宝様」と称する方がいますので、この人が武吉
の妻格であったのかも知れません。

武吉の妻とされる人の墓が、武吉の墓所内に無いのは、土塀が作られた後に死んだから土塀を壊してまで一緒に葬ることを良しとしなかったからかも知れません。同じ朝鮮妻と思われる、景親の妻「おたけ様」が正妻の平岡の娘と隣合わせ
に葬られているのをみるとそうも判断できますね。

ご存じな郷土史家はいないのでしょうか?


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