山口県周防大島物語

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『屋代島の史跡』による龍心寺

2022年07月24日 14時04分27秒 | 村上海賊家の墓と寺
直近の資料ながらも、「屋代村の史跡」に於ける竜心寺(大龍寺)、
【明治18年8月発行、山口県大島郡屋代村役場発行(非売品)】には

『村上家菩提寺竜心寺』 【屋代村の史跡】

風土記によると、龍心寺は能島城主村上家の菩提所と
して能島に建立されたものであるが、村上武吉能島を、
引き上げし時、同時に本郡に移傳初内入(和田村)
元正寺屋敷にあり、寺號も能島其まま海印寺と称し
武吉より弐拾石の寺領を寄附されていた。
(当時住職は長穂村龍文寺十世の海翁玄臣和尚を
請待したものである)
元亀年中武吉の曽祖父村上山城守隆勝死去に際し、
戒名を大竜寺殿智山榮大居士と號したので、同寺を
海印山大龍寺と改めたのである。その後同寺は本村
片山の極楽寺屋敷に移傳されたが不幸にして火災に
罹り現在の地に再建、寺號を現在の龍心寺と改めたの
は明治になってからである。
本村徳神にある浄福寺は正徳六年村上一学祖先の
法名をもって芳心院となし明治三年大龍寺に合併
大龍寺はこの二寺の名を一字宛取って龍心寺とした
ものである。


と書かれてある。同書は屋代村役場が非売品で発行しているので、発行部数も
少なければ、配布者も限られていたと思われる。当時は屋代村長は今元直助で
あったようである。直助の子孫は、現在、町議とし
て先祖と同じく地域社会に奉仕していると聞く。
この時の村上家当主は柳井の「三角(帝・みかど)餅」の名付親である
村上兼助(惟庸)公であったようである。


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