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バニラエアでの車椅子の方の事件について感じたこと

2017年06月29日 | 日々のインプラント臨床の話

私の中学生時代の恩師は、儀俄伸先生と言う脊髄損傷で車椅子の方でした。

初めて出会ったのは中1の時、確か秋も相当に更けていた頃、でした。

 

何度か書いていることですが、私は整形外科の息子として生まれ、病院の宿舎で育った人間です。

 

その為に、健常ではない方が日常に沢山おられる、と言う特殊な環境で育ちました。

 

その中でも、個人的に深く関わったのが、精髄損傷で車椅子の儀俄先生です。

 

出会った時はまだ30になられたばかりだった、と思います。

 

出来の悪い息子だった私のことを案じて、数学と英語の個人教授を父がお願いして、私は日々病院に通うようになりました。

 

本当にとんでもない、規格外の、悪がき、ガキンチョだった私は、儀俄先生と直ぐに仲良くなって、儀俄先生の求めるまま病院外に車椅子で連れ出して、大森第4小学校の裏にある道産子ラーメンとかを食べに行っていました。

 

本当に悪がきだったので、ふざけて結構なスピード出して車椅子を押して出掛けたりしてました。

 

そんな時、儀俄先生はこらっ!ノリツグ!と叱ってくれました。

 

でも、儀俄先生の方も、車椅子だからと言って特別扱いせず、普通にふざける、大人をからかう、遊ぶと言う悪がきの私のことが気にいって下さってたようです。

 

本当に息子のように、弟のように可愛がって下さって、勉強の時には厳しく、外に行きたい時なんかは,ノリツグ、ラーメン行こう、とニヤッとされて下さってました。

 

私がラーメン好きになったのは、儀俄先生のせいなんです。

 

それまでは、ラーメンとか殆ど食べなかったのがです。

 

学校が終わると、儀俄先生の所に行く、が日課になっていました。

 

そのお蔭で、入院されている多くの患者さんから、松元先生の息子さん、と言うよりも、儀俄先生の所の教え子、悪がきと言う感じで接していただけるようになりました。

 

なので、車椅子の方、障碍者の方、に関しては、私はとてもお世話になった、恩義を受けた、と感じています。

 

一番最初の恩師、とも言える儀俄先生とは、その後も色々と何かとお付き合いさせていただいていて、結局松元家が非常にお世話になって、と言う親戚付き合いにまで成りました。

 

そして、2005年私がAOに旅立つ直前に膀胱癌で天に召され、出国直前にお別れに行きました。

 

私が個人的に車椅子の方始め障碍者の方々に、思い入れがあるのは、以上のような理由があるのです。

 

 

確かに、日本は海外に比べると、障碍者の方とか車椅子の方を見掛けることが少ない、と感じます。

 

社会自体が、適応が全く出来ていない、不充分であること、は本当にそう思います。

 

ですから、今回の事件で、車椅子の方が主張していることにも一理はある、と理解することは出来ます。

 

 

しかし、幼い頃からそう言う方がと接して来た、育った来た私の感じることは、この方はちょっとやり過ぎなのではないか、と言うことです。

 

システムが追い付いてないこと、それへの問題提議、と考えての行動、確信犯的なもの、と頭では理解出来る面があっても、そこまでされてしまうと、日本では逆に車椅子の方が遠慮してしまいかねない、周りに気を付けわせてしまうこと、に気後れしてしまうんじゃないだろうか、と感じて仕方がないんです。

 

儀俄先生がそうでしたが、車椅子になってしまったことで、やはり世間のお荷物になってしまった、と言うような引け目を感じてしまうような感覚、が心の底にある、と思うのです。

 

だからこそ、私のようなガキンチョ、全くそう言うことを意に介さない、普通に大人、先生としてじゃれる、極普通にからかったり、時には車椅子スピード上げて押したりしてしまう、と言う付き合い方、を先生は喜んで下っていた、と私は今分かるのです。

 

その当時は、お馬鹿なガキンチョなだけで、深い考えとか何もなく、人格者であり、頭も凄く良く、某建設会社の若き出世頭であった先生の魅力に触れ、それで親しくなっただけ、の私でした。

 

それは間違いないです。

 

ノリツグ!と優しく、厳しく、時にからかわれ、いたずらされ、それに私も仕返しして、と言う仲の良い兄弟のように付き合って下さって、兄が欲しかった私にとっては、本当に兄のような存在でした。

 

分け隔てなく付き合う、極普通に人と人として付き合う、それが、本当に付き合い方、だと、私は思うんです。

 

 

そのように考える時、今回の方は、やはり礼を失しているのではないか、と感じて、悲しくなってしまうのです。

 

人対人、で考える時、隠し事して車椅子の客なのに、いきなり行ってしまう、と言うのは如何なものなんだろう、と。

 

確信犯的に、その会社は対応出来てないと知っててらしいと読むに付け、尚更なら何故ストレートのちゃんと要望を出さないのだろう、と嫌な気持ちになってしまいました。

 

そう言う方々への普通にいつものように対処出来るのが正しい、と言う主張は正しいモノでしょう。

 

でも、礼儀、相手に配慮する、と言う気遣いは、しても良かったんじゃないだろうか?と感じて仕方がないんです。

 

そのことをネタにして、講演家として活躍している、と言う事実なのか確かめてないですが、そう言うのは何かが違う、と感じ、悲しくて仕方がないです。

 

儀俄先生なら何と言ったんだろう、と今回のニュースを見てて思いました。

 

儀俄先生はこの方より深刻な障害持たれてますので、這いずって搭乗する何てことも出来なかった、飛行機に乗るなら、必ず誰かに運んでいただくしかなかった方です。

 

這いずって搭乗して見せる、と言うパフォーマンスが、辛く感じてられてしまいます。

 

先生も、ベット上とか部屋の床とかでは這いずって移動されてましたが、とても階段状のモノでは出来なかっただろうし、自身の腕の力で搭乗するなん無理だった。

 

正直に申し上げて、あなたは儀俄先生よりも全然まだ良い状態じゃないですか、と怒りにも似た感情を抱いてしまうんです。

 

この方への、私の持つ違和感は、自分が障碍者であることを見せ付ける、と言う行為へのモノと、もっと世の中には大変な方々がいるんですよ、そう言う方々への世間への意識過剰を招きかねないのではないですか?と言うモノです。

 

真のノーマライゼーションの精神に反してはいないですか?と感じてしまった、悲しくて悲しくて仕方がないんです。

 

 

だから、私は必ずこのことはブログに書きます、と書きました・・・

 

 

恩義ある人々へ、思いを込めて、このような事件が頻発するようなことはない社会に、と心から願っています・・・

 


6月28日(水)のつぶやき

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