今日は1日インプラントのセミナーを受講して来ました。
そこで、知人の先生に言われたことが気に掛かったので、本来でしたら昨日で今年のブログ更新は止めるつもりだったのですが、これはチョットもう少し書いておかないといけないな、と思いPCに再び向かってます。
その先生は、私の為を思いご忠告して下さいました。
All-onを純粋に信じ、それを頑張ってしている先生方がいるから・・・先生の意見も私は分かるけど・・・余り過激な発言は控えた方が良いのでは・・・と言うこと、でした。
確かに、この数日のブログのアクセス数は非常に高く、あれ?と私も思っておりましたが、コメント欄で書き込みするのをブロックしている訳でもないのにどなたも書かれていないので、なんだろう?と言う感じでしか受け止めておりませんでした。
でも、その先生曰く、ここではない他の所で相当に大きな問題になっていて、私のことを目の敵にしているらしき書き込み等が相当に為されているそうなのです。
何なのでしょう、何処なのでしょう?
私はいつも宣言しておりますが、逃げも隠せもしませんし、自分が叩かれる場にでも平気で顔をだし、失笑を買われてもその場に留まり、議論がどう行きつくのか?と見定める人間です。
そうして、自分が至らぬ点、まだ磨かなければならない所、を見出して、更に前に進もう、と決めている者、です。
そうしないと、人は誰でも支援者、仲間内だけ、のぬるま湯に浸かっていればだんだん腐って来る、と知っているからです。
敢えて、自分を攻撃する、敵と思っている所に行って、そこでどう見られ、受け止められているのかを知る、それが私のやり方です。
勿論、御大船越先生始めとする、私が心から信頼する先生方のセミナーに出ることもし続けますが、居心地の良い所だけに居続けることは成長の妨げにしかならない、特に技術屋の世界では、と信じております。
だからこそ、敢えて自分の本心で思う所はキチンとした分かり易い文章で表現し、それでも何処を変えて行かなければならないのか?と自分が知りたいのです。
そして、本論ですが、All-onに対しての私の意見は、私自身の感じた感覚、知り得た事実を自分なりにまとめたモノ、であると言うことを以下に書かせていただきます。
一番最初にマロのAll-onの方法を聴いた時に、私は相当に即時荷重インプラント治療を手掛けており、その時点で200症例以上はやっていた、と思います。
正確には何時だったか?
即時荷重?即時負荷?と言う言葉論争が巻き起こっていて、ターナーが講演で毎回そのことを熱弁していた時期、だと覚えています。
多分2005年頃、です。
私自身、部分欠損即時荷重から始め、フルのケースも2000年から始めており、2005年は恩師ラム先生の直接の薫陶もいただいていて、自分自身のインプラント治療の手技自体も超低侵襲への強烈にシフト、改善改良している真っ最中の時期、です。
ついでに言えば、PRD2004で1回目のポスタープレゼンを何のコネも、偉い大学出た訳でもない、博士号すら持っていない、日本の下町の市井の一開業医のレポートで軽く100倍以上の競争率を乗り越えて発表する、と言う栄冠も得ていた頃です。
正直にハッキリ言えば、世界中で即時荷重のこと語らせたら、やらせたら、自分の右に出る者はいない、と自信に溢れていました。
もうその当時で、200は軽く超える種々の即時荷重インプラント治療を成功させていましたし、何よりももう超低侵襲外科手術に目覚めていて、その成果の凄さに自分自身もこれは凄い世界が始まる、と確信していたからです。
そんな時に、All-onの方法を何処で初めて聞いたのかすら忘れましたが、私自身は直感的に危ない方法だな、とビンビン感じたのです。
そして、具体的に色々なことを聞くにつけ、これは本当にヤバい、自分は絶対に関わらないようにしよう、即時荷重インプラント治療の法灯を厳守し、世界中吹き荒れる大流行、気分の嵐に決して飲み込まれることなく、たった一人でも本当に正しい安全安心な即時荷重インプラント治療のプロトコールを確立しよう、と心に決めたのです。
何故、私は危ないと感じたのか?その理屈、理由も以下に書きます。
1、植立の仕方に無理がある、と感じました。 あの使われているインプラントは、インプラントボディサイズで言えば通常サイズの太さしかありません。しかも、アバットメント留めるネジがあって、そのアバットメントと上部冠をネジで留める、と言う構造が危ない、と感じました。インプラント自体が4㎜程度の細さしかないです。それと留めるアバットメントのネジは、当然もっと細くなります。インプラントの強度、アバットメントの強度考えれば、アバットメントスクリューの細さが気になります。その上で、そのアバットメントに元々インプラントと留めているネジ以上に太い上部冠留めるネジが使える筈がない。そうなれば、咬合力負担には耐えられないだろう、と即感じました。
これは、私自身は2005年時点で200以上即時荷重手掛けて来ていて、経験上患者さんコントロールが本当に一番難しい、特に咬合力をコントロールさせるのがとても難しい、とヒシヒシと感じていたからに他なりません。
2、上部構造の強度に無理がある、と感じました。最初の頃のマロの説明では、この治療方法で治す時、上部構造にはハイブリッドレジンで十分である旨の説明がされていました。そんな馬鹿な、奥歯になればなる程強く患者さんは噛み締めたいもので、そんな材質では脆弱過ぎて壊れてしまうだろう、と即感じ、又、それと供に多分インプラントロストと言う最悪の結果が待っていて、あのように無理くり植立の仕方してロストしたら、失われる骨、歯茎の運命は?と寒気が走りました。しかも、マロは残っている骨を歯の根尖部レベルまで横なぎに取り除くように、と言っていたんです。
そんな馬鹿な、残っている骨、横なぎにして削り取って、それで危惧しているインプラントロストが力によって起きたら?ただでさえ失われた骨と歯茎がもっとなくなる、と私は、本当にこの方法は悪魔だ、と感じました。リカバリーがとてつもなく難しくなって、大変なことになる、枕高くして眠れない、と。
3、清掃性に無理がある、しかも後方インプラントの歯茎・骨がどうなるんだろう?と正直思いました。私自身意図的に骨のある所目指して傾斜埋入、植立推進しているDRです。でも、マロのやり方は無理過ぎる、と、あれでは一切ハイジーンコントロール出来ない、意図的に相当に隙間作らないと無理だし、そんなことしたら患者さんは空気漏れで気持ちが悪い、食べ物が挟まる、とクレームが来るだろう、と思いました。
意図的に、インプラントの埋まる先端部を前の方に、骨から突き出る頭の部分を後ろの方に強く傾ける、と言う状態で、しかも上部構造が入ってしまって最後方の面はどう清掃するんでしょう?出来るんでしょうか?
私は、失礼ですが、患者さんが後ろの歯から磨けないが故に駄目になって治療になるのを、ずっと体験させられています。多分、どの歯科医も皆同じ経験をしていて、後ろが磨けないんだな、と骨身に沁みて知っている筈です。なのに、何故、わざわざ磨き難く植立するのか?と感じます。しかも、上でも書きましたが、顎堤をわざわざまっ平らに削り取ってしまうので、磨き難さは益々増して大変になるでしょう。
4、口腔容積を全く理解していない上部構造の作り方になっているのではないか?と凄く心配になりました。私は何時も書いていますが、総義歯のマスターの一人です。それも免許皆伝いただいたのが28歳で、その道の第一線で15年以上、それも普通のDRが歩まないだろう険しい道をわざわざ選んで腕も磨き続けて来た者です。その秘伝の中身の一つに、口腔容積を見抜く眼力、能力があります。一人一人の患者さんには固有の口腔容積、歯列の納まるべき位置、舌の位置、顎の上下関係の立体的位置、顎関節の位置、首の姿勢、脊椎の状態、座ったり立ったりのその患者さん固有の生体の状態の把握、と言う最重要な、総義歯を取得すべき時に超えなければならない壁、レベルがほぼ一瞬で分かる能力を獲得出来るか否か?に総義歯マスターに成れるかどうかが掛かって来ます。そして、酷なことを書きますが、これは才能ある一握りの者しか到達出来ない、超えられないモノ、です。これは真実です、何故なら、総義歯マスターは無から有を創造出来る力を与えられた者、だからです。
しかし、失礼ですが多分マロは総義歯マスターではない。正直な感想書くと、歯科学生レベルでしょう。基本の基本、イロハのイの斜め線途中書く程度、と私は感じました。彼は外科医でしかない、と言うのが私の見解です。固定式で歯が留められるなら、患者さんは使いこなせて、満足するだろう、程度の顎口腔系への理解しかしていない、と思います。全く根本から間違っています。マロの上顎へのアプローチ、顎堤歯根尖まで骨平らにし捲って、そこの骨の頂上部にインプラントの接合部が来る設計概念が、私にはハ―――???でした。そんなことしたら、歯列弓滅茶苦茶狭くなるじゃん!!!と即私には見えました。そして、それに合わせて上下の被蓋関係作って下顎造ったら?当然もっと歯列弓は狭く収まる羽目に陥るでしょう。なんじゃーこりゃー!!!???が素直な私の感想でした。
顎口腔系、機能解剖知らなさ過ぎる。私はマロと言うDRを心底から忌避するようになりました。何故なら、総義歯マスターの眼から見たら、あの歯列、噛み合わせ有り得ん、と直感で感じたからです。しかも、大事な舌根部は歯列がないんです。All-onでは治せても6番、第一大臼歯の手前半分程度。後ろは舌をサポートするものが何もありません。これでは嚥下し難いし、食べ物とかが凄く残るだろう、そうなったら、高齢者が患者さんだろうから、年取ればとるほど危なくなる、誤嚥性肺炎とかの危険性が増す、と考えました。実はこの4で書いていることが、私がAll-onを最も忌避する理由です。大事なことなのでもう一度書きます。患者さんには一人一人その方の口腔容積があり、歯列弓、舌の位置、顎関節、姿勢が3次元的に決まっているんです。後学の為に書き加えるなら、3次元的に決まる頭蓋、下顎関係は左右の許容度は恐ろしく狭いくせに上下の許容度は5㎜でも平気です。そして、下手な総義歯は必ず低い、と言うことも明言します。
5、マイナス情報が殆ど漏れない情報統制が引かれている、としか思えない会社の姿勢が嫌い。All-onが世界で始まった時のマーケッティングの凄さ、それはそれは凄いモノでした。そして、ポルトガルのマロクリに行った日本人は殆どマロに洗脳されて帰って来ました。マロの方法なら俺達でも即時荷重、否即時負荷と言う言葉に会社の方針で変わりましたが即時負荷出来る、と言う熱に浮かされてしまったのです。この辺の事情は、知る人ぞ知る、と言う感じでしょうが、2005年当時即時荷重は、総義歯マスター同様、特殊能力を持つ、それこそフォースを持つ者が目覚めてしか出来ない、と言う憧れの眼で見られる、と言う何とも言えない気持ち悪い雰囲気があったのです。悪しきジェダイマスターマロに、皆心を乗っ取られた、そして、誤ったフォースを授けられ、その力を振うことに、患者さんから崇敬の眼差しを集め、同業者からも一目も二目も置かれる存在として認められると言う、診療レベルを高められるに違いないと言う夢に、あの会社に嵌められたのです。97%以上の成功率、と大々的に宣伝していましたが、その大本の論文の年数は僅か3年、と言う所は決して強調されませんでした。私はヒネクレ者なので、おいおいデータ3年しか追わないでかよ、と思いましたし、そのまま下がり続けたら毎年1%下がるってことで10年経ったら90%切るじゃないか、20年経ったら80%未満?と感じました。そして、事実データでは10年経過ではもっと悲惨で80%以上トラブル発生と言うモノ、でした。これらの情報は全部公平な場である海外の学会で、私自身で聴いて、知った情報で、あの会社は一切こう言う公平な情報は流していませんでした。そう言う会社なので、私は用心してお付き合いするようにしております。
以上、上げ出したらもっと書けると思いますが、主要な5大理由を私の見解として書き記して置きます。
勿論、DR一人一人独立の存在であり、その信念、お考えに基づいて診療為されれば良いと思います。
しかし、最期のこのことは書き残して置きます。
大ヒットドラマ下町ロケットの最終回での主人公と敵役の直接対決での台詞ですが、敵役が6:4の例え話をしました。
あの理論こそ、私はAll-onだ、と感じました。
6人救えるなら、4人救えなくても仕方がない、それが理論として正しい、と押し通す。
それに対して主人公は、そう言うモノじゃない、技術者は一人でも多く救おうと思って必死で積み重ねて来ている、数字で理論で計る、押し通すモノではない、救えなかった患者さんへの無念を胸に抱いて改善改良をし続けて、もっと良いモノを患者さんを救えるものを生み出すのが、そう言うことを生涯し続ける技術者だ、と正しい台詞ではないと思いますが、そう言う趣旨のことを涙を流しながら言い切っていた、と思います。
全く同感、です。
即時荷重の道は険しく、辛く、本当にそれはそれは大変な道程でした。
2000年当時次々と成功させ、有頂天になって報告とかしたら、褒めていただけるかと思っていたら、出て来たのは殆ど批判、非難、中傷、攻撃、反対の嵐、でした。
エ――――、何故?と言うのが私自身の気持ちであり、どうして認めてくれないんだ、ととても悔しい思いをしました。
そんな時、たった一人認めて下さったのが熊本の故添島義和先生でした。
それで良い、人に攻撃される位のことを男ならしなけりゃならん、と直接励まして下さいました。
そのたった一つの励ましだけが、私の心の支えであり、やり続けられた挫けずに済んだ心の支え、でした。
何故なら、当時はラム先生とも直接の関係はなく、世の中に味方してくれるのは、スタッフと友人達だけ、ゲンちゃん凄いねー、と言う感じだけ、だったからです。
そして、熊本の故添島義和先生の夢の一つが即時荷重インプラント治療であると知り、その法灯を継ぐ一人として頑張ろう、と誓ったのです。
故添島義和先生こそ、一番最初の私のジェダイマスターだった、と言えるでしょう。
その道を行くことで、サンフランシスコのラム先生と言う即時荷重と超低侵襲外科手術のジェダイマスターと出会うことも出来、今私は法灯を継ぐ者として頑張っています。
2005年頃から、日本でも林揚春先生と言う即時植立即時荷重、低侵襲のジェダイマスターがご活躍為されるようになって、業界はかなり塗り替わりました。
私も、林先生のセミナーは受け続け、勉強し続けています。
何が正しのか、間違っていたのか、は時間が経たないと分かりません。
でも、私は2005年当時を思い起こしながら、そうそうそうだったと出来る限り正確に書きました。
2015年がもう直ぐ終わる現在、残念ながら私の直感、考えが正しかった、と次々と証明されていると思います。
それはあくまで事実、です。
そして、事実は事実として素直に受け止められないなら、前進はない、と蛇足として下町ロケットの主人公の気持ちに被せて思うのです。
数々の生意気な意見を好き放題に書きました。
しかし、素直な私の気持ちです。
おかしい、と思われる方はどうぞ、何処ででも何とでも批判下さい。
失礼致しました。