今間司先生は、41歳の若さで肝臓癌に倒れました。
私とは5歳違いで、その時私は36歳でした。
入院していた事は知っていましたが、又元気に帰って来てくれる、と信じていてお見舞いにも一度も行きませんでした。
しかし、奥様に元気な姿のまま記憶に焼き付いている方があの人も喜ぶでしょう、と言って下さったので私はその事では後悔はありません。
あの日の事は、今での鮮烈に覚えています。
特別養護老人ホームに往診車で歯科治療に伺う仕事をしていた日で、記憶が合っていれば金曜日だったと思います。
往診車に備え付けられている携帯電話に仕事が終了した時に、本部から急に電話があり、いつもの事だろうと思っていたら、電話に出た衛生士が青褪めた顔をして私に訃報を告げたのです。
先生、今間先生が今朝亡くなられたそうです、と。
私には信じられませんでした。
そんな馬鹿な、と言う感じで、私も血の気が引いて目の前が白くなってしまったのを覚えています。
それから、普段勤務している市川診療所に問い合わせて、本当だと言う事実を知り愕然としました。
目標、何時までも憧れる凄い存在が急に目の前から消えてしまったのです。
小田原で行われた告別式には、法人のDR全員で参加しました。
患者さんも駆け付けて来て、涙ながらに思い出話をしました。
その患者さんは、西台の診療所更には先生の移動に伴って赤坂の診療所へと移動して見事に治療を終了していた方でした。
西台にいた頃、私のその方の治療を拝見していましたので、その方の難しさは良く知っていました。
その当時のレベルでは計り知れないようなハイレベルの治療で、GBR骨造成、歯肉の治療をして審美的解決を見事に成し遂げている治療でした。
今間先生は、その方の治療は終了されていたのです。
凄い事されるなー、と患者さんの治療部位を見せていただいて、改めて凄い方を亡くしてしまった、と思い知らされました。
今間先生の成し遂げられて来た仕事の凄さは、今でも語り草と成っています。
今でも法人当時から付き合いの深い先生と話して、凄か先生やったねーと言い合っています。
あそこまでの先生は私自身は空前絶後だと信じています。
時代を超越して存在した、夢物語を聞かせてくれて、誰よりもその実現に野心を燃やされていました。
ご存命であったなら、今の私の仕事を褒めてくれるのか、叱られるのか・・・
やるじゃねえか、でもまだまだ甘いな、と評される気がしてなりません。
言うの日にか、完全に降参した、松チャンの勝ちだと言っていただけるように、後を安心して任せられる弟子と言っていただけるように、これからも頑張りたいと思います。
いつまでも、空の上から見ていて叱っていただきたい、それが本音です。
届くか届かないか、生涯賭けての道なのです。
合掌
私とは5歳違いで、その時私は36歳でした。
入院していた事は知っていましたが、又元気に帰って来てくれる、と信じていてお見舞いにも一度も行きませんでした。
しかし、奥様に元気な姿のまま記憶に焼き付いている方があの人も喜ぶでしょう、と言って下さったので私はその事では後悔はありません。
あの日の事は、今での鮮烈に覚えています。
特別養護老人ホームに往診車で歯科治療に伺う仕事をしていた日で、記憶が合っていれば金曜日だったと思います。
往診車に備え付けられている携帯電話に仕事が終了した時に、本部から急に電話があり、いつもの事だろうと思っていたら、電話に出た衛生士が青褪めた顔をして私に訃報を告げたのです。
先生、今間先生が今朝亡くなられたそうです、と。
私には信じられませんでした。
そんな馬鹿な、と言う感じで、私も血の気が引いて目の前が白くなってしまったのを覚えています。
それから、普段勤務している市川診療所に問い合わせて、本当だと言う事実を知り愕然としました。
目標、何時までも憧れる凄い存在が急に目の前から消えてしまったのです。
小田原で行われた告別式には、法人のDR全員で参加しました。
患者さんも駆け付けて来て、涙ながらに思い出話をしました。
その患者さんは、西台の診療所更には先生の移動に伴って赤坂の診療所へと移動して見事に治療を終了していた方でした。
西台にいた頃、私のその方の治療を拝見していましたので、その方の難しさは良く知っていました。
その当時のレベルでは計り知れないようなハイレベルの治療で、GBR骨造成、歯肉の治療をして審美的解決を見事に成し遂げている治療でした。
今間先生は、その方の治療は終了されていたのです。
凄い事されるなー、と患者さんの治療部位を見せていただいて、改めて凄い方を亡くしてしまった、と思い知らされました。
今間先生の成し遂げられて来た仕事の凄さは、今でも語り草と成っています。
今でも法人当時から付き合いの深い先生と話して、凄か先生やったねーと言い合っています。
あそこまでの先生は私自身は空前絶後だと信じています。
時代を超越して存在した、夢物語を聞かせてくれて、誰よりもその実現に野心を燃やされていました。
ご存命であったなら、今の私の仕事を褒めてくれるのか、叱られるのか・・・
やるじゃねえか、でもまだまだ甘いな、と評される気がしてなりません。
言うの日にか、完全に降参した、松チャンの勝ちだと言っていただけるように、後を安心して任せられる弟子と言っていただけるように、これからも頑張りたいと思います。
いつまでも、空の上から見ていて叱っていただきたい、それが本音です。
届くか届かないか、生涯賭けての道なのです。
合掌