goo blog サービス終了のお知らせ 

大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

松元教貢歯科医院は骨が不足で骨造りしても腫れ痛みのとても少なく早く治せる方法をしてる即時荷重インプラントパイオニアです。

3月24日(土)のつぶやき

2018年03月25日 | Weblog

腫らさない痛がらせない、身体に優しい低侵襲手術の抜歯即時荷重インプラント

2018年03月24日 | 日々のインプラント臨床の話

昨日の抜歯即時荷重インプラントの予後報告です。

術後経過が本当にどうなのか?私は本当のことを出してます。

私の手術では、腫らさない痛がらせない、を徹底しています。

そして、手術直後からチャンと歯があること、も可能な限り実践しています。

歯が抜けたまま、の気持ち悪い感じを患者さんにさせたくないから、です。

あるべき場所にあるべきものがあること、ってとても大事です。

その当たり前ができないのが、業界の一般常識なんです。

私はそれが嫌だと言う患者さんに背中押されて、2000年から直ぐに歯を装着する即時荷重インプラントをし始めました。

絶対にできない、と言われ続けた上顎大臼歯部にもです。


私はこれからも常識に縛られず、患者さんの真の幸せを実現するために創意工夫して頑張ります!


3月23日(金)のつぶやき

2018年03月24日 | Weblog

不可能と言われる上顎大臼歯部への抜歯即時荷重インプラント実例 本当にできてます!

2018年03月23日 | 日々のインプラント臨床の話


本日も、今でもまず不可能と言われる上顎大臼歯部への抜歯即時荷重インプラント手術を成功させました。

このような部位では、抜歯即時荷重インプラントを否定するのが一般的です。

しかし、歯が抜けたままで放置、が私は良いとは思いません。

歯を失ったことのある方なら、誰もがあの嫌な感じを覚えていて、もう歯を失いたくない、と強く思ったはずです。

それを解決して差し上げたい。

それが、私が業界の常識を破ろう、超えようと決めた本当の気持ちです。

常識に捉われていたら患者さんを救えない。

常識を超える、塗り替えるしかない。

そして、私は誰にもできないことをやりました。

上顎大臼歯部への抜歯即時荷重インプラント。

果てのない探究の末に確立したものです。

歯がなくなっても、直ぐにインプラントで回復させて上げたい。

私は、これからも常識を超えて患者さんを救うことに使命を賭けます!

3月22日(木)のつぶやき

2018年03月23日 | Weblog

3月21日(水)のつぶやき

2018年03月22日 | Weblog

ヤン・リンデ教授熊本復興支援講演会

2018年03月21日 | 日々のインプラント臨床の話




本日一日勉強させていただきました。

改めて基礎を学ばせていただき、とても良かったです。

ちょっと残念なのは、インプラント周囲炎の話が聴きたかったこと、ですね。

3月20日(火)のつぶやき

2018年03月21日 | Weblog

恩師今間司先生の思い出

2018年03月20日 | 日々のインプラント臨床の話
今間司先生は、本当の凄腕DRでした。

余り饒舌ではありませんでしたが、語りが上手く、染み入る言葉を話されました。

初めてお会いしたのは、法人の合同勉強会でした。

私はその当時市川の診療所の所属で、先生は西台に入られてて、他に赤坂、東大島のメンバーも加わり、医療法人の代表の肝入りで、法人始まって以来の大きな勉強会を開催したのです。

そこで初めてお会いしました。

前歴が勝鬨で診療所されていた、と言うことで、そこでかなりのインプラント症例をやられてた凄いDRだったのです。

それが、体調崩されたこともあり、診療所は他の方に譲り、私がいた法人に来られたのです。

私は、元々日本橋のお師匠様の所で修行させていただいてました。

それから、ご縁があって医療法人赤坂会に入りました。

実は、日本橋時代に勝鬨に凄いインプラントしてる先生がいる、と言う噂は聴いていたのです。

なので、その時ピンと来ました。

あの先生だ、例の噂の方だ、と思いました。

そして、そこで初めて今間先生のプレゼンをお聴きしたのです。

ビックリでした。

こんな凄いことできるの?これって本当に?と感じました。

正直半信半疑でした。

当時の常識を遥かに超えたインプラント臨床。

本当なら凄い、と思いました。


そして、法人の代表のお願いで、私が西台に移動になり、先生と組むことになったのです。

今でも良く覚えています。

私が、先生に教えて貰えれば、先生のしてることを修得すれば、自分にもインプラントできるようになりますか?と質問したのです。

そうしたら、先生はあの独特のニヤッとした笑い方をして、オウ、できるよ、やるか?と返されました。

私は、即座に、はい、やります、教えて下さい、とその場で弟子入りしたのです。

先生はとても、嬉しそうでした。


そこから、私の本格的な外科医の道が始まったのです。


あの独特の笑い方。

とにかく格好良い2枚目で。

腕が立つ。


あんな凄い方は、もう出会えないかも知れません。

素晴らしいご縁に、心から感謝です。



どんなに楽に感じるオペでも、術後安静は必須です。

2018年03月20日 | 患者さんの知らないンプラント業界の話

身体に優しい低侵襲手術を本当にできてしまうと、患者さんは何ともないモノだ、と思い込んで、安心し切って術後安静を守れない方がいます。


良く考えて下さい。


内視鏡の外科手術出来ると、従来の手術に比べれば飛躍的に楽に過ごせるように治せます。


しかし、お腹の中は手術されているんです。


それで安静にしないで動き回ったら?


多分、傷口が開いてしまって、命を落とすことになるでしょう。


身体に優しい手術をしてしまったことが仇になって、患者さんが安静にすることを怠ってしまったら、その結果は取り返しのつかないことになるんです。


さすがに、私のしている手術では命の問題にまではなりませんが、例えばインプラント手術で、術後安静を怠って、インプラントが動揺してしまったら?


患者さんは、然程痛まないので、大丈夫だろう、とたかを括ります。


しかし、痛くはなくても、術後安静を守れなくて動揺が始まったら、インプラント周囲の骨が溶けてなくなるのは勿論、歯茎が多大なダメージを受けてしまうんです。


痛まなければ大丈夫、と言うのは間違いです。


特にインプラントの場合、上手く行かなくて揺れていたら、然程痛まなくても周囲の骨が溶けてなくなり、歯茎がなくなってしまうんです。


インプラント治療の場合、手術後は患者さんは日常生活に戻ってしまいます。


だから、患者さんが何処まで頑張れるか、が鍵を握るんです。


患者さんの中には、手術したからもう大丈夫、と医療に対して過剰に信頼している方がいます。


それも大きな間違いです。


手術と言うモノは一歩間違ったら、取り返しのつかないとんでもないことになりかねないんです。


即時荷重インプラントが普及するにあたって、そのことを患者さんが甘く考えて、舐めていると、良い治療方法が最悪の結果になりかねません。


このことは、即時荷重インプラントを2000年からし続けて来た日本のパイオニアとして、声を大にして明言します!




3月19日(月)のつぶやき

2018年03月20日 | Weblog

恩師故今間司先生の思い出 あんな凄腕の先生は、まず他にはいませんでした。

2018年03月19日 | 患者さんの知らないンプラント業界の話

サリン事件から23年にもなるのか…

早いな。


東大島の赤坂会の診療所にこの日はいましたね。

とても良く覚えています、あの頃何をしてたのか?34歳の私。


恩師今間司先生もご存命で、確か赤坂で働いてたかな。

今間先生にお見せして、オッ凄えなマッちゃん、でも俺も負けねえぜ、なんて感じで仕事してた頃ですね。


この前に法人のお願いで西台にも行って、そこで待ってたのが今間先生。

で、確か組んで1年半程濃厚に学ばせていただきました。


で、市川に戻ったり、東大島に又お願いされて行ったり、更には自分からお願いして横山先生の元、特老ホームとかの往診者に乗ったり、まあ私らしくあれこれと忙しく動き回ってました。

で、仕事では今間先生の薫陶のお陰で、骨造成GBRしまくるわ、抜歯即時やるわ、であの時代で良くやってたな、と自分で呆れます。


でも、それと言うのも、今間先生が凄かったから、です。

それはそれは鮮やかなオペで、色々なことに挑まれてました。


で、端の弟子の私も真似してやる、更にはその先を自分でも創意工してやる、と言う…

本当に良くやってました。


今間先生が亡くなる少し前なので、サリン事件の頃にはもう骨造成GBR、抜歯即時もやってましたね。

当時の抜歯即時インプラントは同時に骨造成GBRをゴアのメンブレン使わなければならなくて、今間先生が考案されてヒーリングキャップで止める、と言うやり方してました。


とても難しくて大変でした。

でも、めげずにしてましたね。


当時の骨造成GBRは完全閉鎖が一番大事、と言われてたのに、今間先生はヒーリングキャップでなされて成果出されてました。

凄かったです。


習ったのが西台時代。

東大島の前。


あの時代あの頃にあんな凄い仕事なされてた今間司先生は、本当にそれはそれは凄いDRでした。


今でも心から尊敬しています。

41歳の若さで早逝なされなければ、もっともっと凄い仕事なされてたに違いありません。


末席汚す弟子ですが、教えのままに色々創意工夫して、ほぼほぼ平行して同じような仕事させていただいてました。

今間先生驚かしてやろう、誉めて貰おう、とかなり狙ってましたから。


サリン事件の頃はまだ生きておられたなー、とネットのニュースを見て思い出し、あの頃のことを思い出してしまいました。

辛かったけど楽しかった、あの頃。


とても懐かしい。

もう一度、今間先生にお会いして、今の仕事とか色んな話しを聴いて欲しいです。


そうしたら、あの独特のニヤッとした笑い方して、やるなマッちゃん、でも俺も負けねえぜ、こんな凄えことしてるぜ、と言って下されるのでは、と思います。


PS:エピソード1

で、私が術者の初めてのストローマンインプラントオペ。

私全然駄目で、今間先生がアシストに付いて下さったんだけど、骨孔形成がダルマさんみたいになってしまって、で初期固定ユルユルで。

それで、先生が代われって言って下さって、仕方ねえな、と言いながら更に2㎜形成したら、さすが今間先生ビシッと初期固定だして、骨孔の甘い所にそのまま小さい骨造成GBRしてくれて、無事に成功したんです。

指導者、リーダーとしても凄い方でした。

 
 

学ぶと言うこと、純朴さ、筋を守る、と言うことがとても大切です。提灯持ちになってはいけない!

2018年03月19日 | 日々のインプラント臨床の話

失礼ですが、日本人の先生方の学び方は、時に良くないことをしてしまう愚か者がいる、と警告を発して置きます。

生半可な状態で、こっちの先生、あっちの先生、そして又別の先生、と言う阿呆なことをしでかすのが、一番良くない学び方です。

師と思ったなら、その道をできる限りキチンと修得する。

そして、同じようにできるようになって、生半可じゃないレベルに到ってから、その師を本筋として守りながら、自分で知りたい分野、不足しているかな、と思われる分野の勉強をしていくべきです。

あっちこっちと浮気を繰り返し、細君に呆れ果てられて、惨めな老後を送った、と知られている俳優山城新吾のようになってしまう、と警告します。



そんな行動している人物を、誰が信用して良い情報を授けてくれるでしょうか?

誰にでも良い顔をして、自分は上手く渡り歩いているつもりでしょうが、分かる人が見れば分かり、そのような人物は提灯持ち、と江戸時代に蔑まれた者と見做され、決して良い関係お付き合いをしていただけるようにはならないでしょう。

筋を違えないこと、です。

私はこれに関しては、純朴でした。総義歯の一番最初のお師匠様松平先生、インプラント、歯周病治療に導いて下さった今間先生、そして、添島先生、船越先生、内藤先生、ラム先生、筒井先生、山道先生、水上先生、福西先生、月星先生、秋本先生。

私はその先生に学ぶ時には、筋違いはしませんでした。振り返ると、まるで綺麗な線を描くかのような、筋を守る学び方をして来ました。


今もなおその専門分野では師と仰ぎ、尊重し続けておりますので、良き関係を保てています。

こうして、私は良き師匠に恵まれ、素晴らしい情報を与えていただけ、現在の実力を築くことができたのです。


提灯持ちになってはいけません。



もし、先生方が私に学びたい、と言うことなら、私は筋を守っていただくことを厳命します。

そうでなければ、私の情報を100%吸収することは叶わないでしょうから。


と言うよりも、私のライブオペを見れば、かなり生意気なことを書きますが、粗い他の先生の手術は見ても学びにならないでしょう。

と言うよりも、提灯持ちをしてしまう愚か者とは決して関わりたくない、と言うのが本音ですね。

即時荷重インプラントこれだけこなせて、

下顎の親知らずの抜歯でこれだけの成果を出せて、

難しいとされる歯茎の再生治療もチャンとできてます。

術前はこんなに歯根が出てたんです。

歯周再生治療でも、これだけで来て、

10年超える審美抜歯即時荷重インプラントの成果を上げてて、

総義歯でも一流の成果を出し続けている。

そんなDR、世界中探してもまず見付けることはできないでしょう。


本気で学びたい方には、ちゃんとお伝えします。

ちゃんとお伝えしているから、教え子たちは、特に手術の分野では指折りの凄い成果を出せるように育ってます。


私は凝り性なので、どの分野でも凝ったら、それなりの成果を上げるまで筋違いしませんので。


これでも全部を出してません。

もっともっと引き出しはあります。


その引き出しを寺子屋2018で、できる限り包み隠さずお話し、お伝えしています。


有志の先生、是非学びにお越し下さい。




3月18日(日)のつぶやき

2018年03月19日 | Weblog