衆院選惨敗の責任を取って野田代表が辞任する。責任を取らないのが民主党の連中だった。自ら責任に言及したのは初めてだ。原発事故の収拾にしゃしゃり出て被害を拡大したのに関わらず、己の責任を認めず、逆に手腕を発揮したような誇大な宣伝をして、責任回避に現を抜かして、何時までも総理の座にしがみ付いていたのが空きカンだった。その無能と醜態に愛想を尽かされて今回の衆院選では小選挙区で土屋氏に1万票以上の差を付けられて敗北、比例で復活した、みっともないゾンビ議員だ。辻立ち演説しても人は集まらない、いるのはSPだけ、握手を求めれば相手が嫌って逃げる。おまけにカンの選挙カーが運転を誤って交差点内のポールに衝突、カンが頭を切って十数針縫ったという(これを缶切という)。事故の翌日には傷口に絆創膏を貼って選挙運動「ご心配掛けました。中身の方は何とか大丈夫です」と頭の絆創膏を指差して言うと聴衆から「中身は前からダメだよ。空きカン、すっからカンだ」とヤジられる始末。泣き面に蜂とはこの事だ。野田の後任を選ぶ民主党代表選を25日に行うことに決めたが我こそはと出馬する者がいない。現執行部は今回した大敗の責任者だから資格がないと公然と排除される。誰も手を上げないので執行部は思案投げ首状態だった、そこへ泣き虫、海江田が名告を上げた記者会見で「民主党の創始者の一人として、党を立て直す責任がある。敢えて火中の栗を拾う覚悟で代表選に臨む決意をした」と述べた。野党時代予算委で高速道路を無料にしたなら30兆円の経済効果を生み出すと言っていたのに、いざ政権を執って、本人が国土交通相になったのにも関わらず無料に出来なく、経済効果もなかった、その大法螺吹きの馬渕が立候補するそうだ。泣き虫と法螺吹きが立候補するから代表選は25日両院議員総会を開き、国会議員計145人(衆院57人、参院88人)の投票で新代表を選出する。話がガラッと変わるが、先日家内が小豆島に行きたいというので尋ねた。小豆島と言うとオリーブだが壺井栄の小説『二十四の瞳』を木下恵介監督、高峰秀子で映画化され一躍有名になった。小生の恩師宮沢康造氏が休暇を利用して北海道から沖縄まで尋ねて『作家・文学碑の旅』(現在文学碑をもつ作家の数、百七十名余、計六百余基に及ぶ。紙幅の関係でその中から123名を選んだ)を平成2年に上梓した。碑の撮影もしている(碑の寸法と碑面の縦横も記載)この中に壺井栄を取り上げているので引用させて頂く。 ”壺井栄は、香川県小豆郡坂手村の生まれ、同郷の詩人壺井繁治と結婚、アナキストの夫を助けて苦労を重ねるが、やがて女流作家として活躍した。壺井栄の名作『二十四の瞳』は小豆島、岬の分教場に取材した平和と愛の物語である。・・・壺井栄が幼少のころよく遊んだ坂手の向かいの丘には、昭和45年「ふるさとの碑」が建立された。洞雲山観音寺のわきを登ると墓地があり、その上の広場寒霞渓を背後に、眼下に瀬戸内海や『二十四の瞳』の舞台を見渡す絶好の場所に文学碑がある。 桃栗三年 柿八年 柚子の大馬鹿 十八年 壺井栄 このことばは、壺井栄が愛したこの地の俗謡で生前よく色紙などに書いたものである。碑の近くには、作家好みの石臼や阿波藍染用の甕がいくつも配置されている。・・・” 何故壺井栄かと不思議に思うだろうがこの碑文を見て民主党が頭に浮かんだ。桃栗3年柿8年はまともだ。しかし柚子の大馬鹿18年がどうも民主党の今後にピッタリだと変な所を感心した訳だ。今の民主党は何年経っても成長しない小学校低学年程度の有様だ。人間の教育さえ6・3・3・4制だから16年だ。民主党は柚子並みに18年掛かるのではないかと思ったからである。写真は『平和の群像』で映画の高峰秀子と子役達、下は壺井栄の文学碑、この写真は『作家・文学碑の旅』から引用した。