2004年 103分
原作:ロビン西
監督:湯浅政明
製作:STUDIO 4℃
生への強すぎるほどの執着。悲しみと苦しみに満ちた世の中で、ゴミクズのように扱われ、欲しいものも手に入らず、無様に惨めに生きるしかないならば、本当にそこまでして生きなければならないものだろうか。とは思うものの、さまざまな困難にぶつかったときにも我々を滅亡させずにここまで連れてきたのはやっぱりこういう執着心なのかもしれない。
電車の中に飛び込んできたのは、久しぶりに会う初恋の相手・みょんだった。婚約したばかりという彼女に連れられて彼女の姉が経営する焼き鳥屋へ向かう西くん。ところがそこにはみょんの父を追う借金取りのヤクザもやってきて、事態は急激に悪化、西くんは拳銃で撃たれて死んでしまう。
というところから物語は始まります。実に胸糞の悪くなる冒頭でした。まるでゴミクズのような人間模様です。世の中ってのは、まったくクソったれですね。
西くんは、みょんちゃんが焼き鳥屋の床で裸に剥かれてヤクザにやられそうになってるのをどうすることもできずブルブル震えているだけで、怒りだけはあってもそれが爆発する前にケツの穴から弾丸をぶちこまれ脳天を破裂させて死んでしまいます。無様な死です。天に召された西くんはしかし、それが惨めすぎると言って、天国で神さまが教えてくれる「消滅への道」を逆走して地上へと戻ってきてしまう。ここから西くんの生に向かっての疾走が始まるわけです。
西くんはまず拳銃で撃たれて肉体的な死を経験し、生き返ってからはヤクザにやられる前に殺ることで逃亡を余儀なくされて今度は社会的な死を経験することになります。自動車ごと橋からダイブしたところを、巨大なクジラに飲み込まれ、西くんとみょん、姉のヤンの3人は、クジラの腹の中で出会った器用な老人とともに、この閉ざされて日の光も届かない場所で暮らすことになるのでした。
さまざまな物が流れ着き、ときどき嵐のような大波に見舞われるというクジラの腹の中の生活の様子はなかなか面白かったです。老人が孤独な30年間で作り上げた住居は素晴らしいものですが、その裏側には30年の孤独と後悔とが深く刻まれているところにズシリとくるものを感じます。他人をすべて踏みつけにしてのし上がりたかった男の末路が、ひとりっきりの暗闇の中の30年間という恐るべき皮肉。私が登場人物の中で好きになったのはこの老人でしたね。だって、この人は耐えたんだもの。
この場所で西くんたちが自分の内面を見つめ直して、かつて抱いて知らぬ間に潰えた夢を、子供の頃に置き去りにしていたり気づかなかった感情を取り戻すところには、ついしみじみとさせられます。4人の人物は、このクジラの腹の中でそれなりに充実した楽しい生活を手に入れるわけですが、そんな平穏もやはり長くは続かず崩壊の日が刻々と近づいて、ついには脱出計画に乗り出すのです。
本当なら、西くんは最初で惨めな死を遂げていたはず。本当なら、その死を受け入れるよりほかになかったはず。でも、そんなのは嫌だと思うとき、そんな惨めに死ぬのは嫌だと思うとき、彼が本当に求めるのは「別の死に方」であると同時に「別の生き方」でもありました。
誰も彼もが、ほんのささいな選択の違いで、良くもなり悪くもなる人生を生きている。すべてはこの心次第。すっかり思い通りにはならなくても、他人から踏みつけにされるばかりでも、ヒーローを夢見た子供がすっかり薄汚れた大人になってしまっても、人間がこの社会でそれぞれに生き延びようとするとき、それには多分価値はある。ただ青空を見上げられるというそのことだけにも得がたいものがある。まだ生きているということには、多分意味があるはずなんだ。
そうまでして生きなくてはならないのか?
どうだろう、私には分からない。私は西くんのようには走らない。けど、彼らと同様に、生きられるところまでは生きようと思う。誰かに踏みつぶされたり、うっかり誰かを踏みつぶしたりしながら、嘆きながら、喜びながら、怯えながら、ときどき楽しんで、通り過ぎるだけの人生をただ通り過ぎるままに生きよう、くらいには思う。たとえ望むものがひとつとして私のものにならなくても、たとえわずかばかりの成果を残すことも生み出すことすらできなくても、ただこの先になにがあるのかを見てみたい。それが何か分からなくたって構わない。ただそれだけのために生きたって構わないでしょう? どうかな、やっぱり分からないけれど……
とにかく、最初から最後まで過剰な作品だったと思います。色といい形といいスピードといい、常軌を逸した過剰さでした。へとへとになりました。結局どういう作品だったのかは理解しきれませんでしたが、この過剰さに激しく圧倒されたのはたしかです。こんなの、よく作ったもんだなあ!