移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
カウアイコーヒーを出た後、
遠回りをしてしまったらしく
おかげで再び2日前の並木道
ここはツリートンネルという
カウムアリイ・ハイウェイか
らマルヒア・ロードに入った
樹齢150年のユーカリ並木。
ここならコアラが住める
オノ・ファミリーレストラン
にも写真がかかっていました。
マルヒア・ロードでコロアま
で行き、さらに南下して海に
出たところがポイプビーチ
ホテルや飲食店がズラりとあ
り、島内で観光客が最も集ま
る場所ということに、帰る日
前日になって気づく私たち💦
いつも裏街道を行く旅行者
素晴らしいビーチでみんな寛ぎ
ヒトも寝てれば
アザラシも寝てました
ちゃんとロープが張ってあり
誰にも邪魔されずに爆睡中💤
忙しく動き回っているのは

ニワトリばかりなり
ポイプにあるザ・ショップス
・アット・ククイウラという
ショッピングセンター到着
緑あふれる開放的なショッピ
ングセンターでブランド店な
ど観光客向け高級路線の場所。

ルルレモンの上は有名シェフ
ロイ・ヤマグチの店でした
画廊の前にはツリートンネル
やっぱり地元のアイコン
カパアで行けなかった
ブッバ
バーガー
もありました

もう1店はここだったのか
カウアイの最高級リゾート
ポイㇷ゚を知らないままここ
に来たのには目的があって
ハワイの「農園から食卓へ」

のコンセプトの第一人者である
ピーター・メリマンの店です。
前年にハワイ島で初めて行き
カウアイ最後の夜はぜひ
メリ
マンズでと思っていました。
暮れなずむトワイライト
カトラリーに箸が加わるとか
1日の最後の残光が輝く頃に
ディナーが始まりました

夫のローストビートサラダ
私はどこでもシーザーですが
メリマンズのは看板メニュー
エビ好きは迷わずロブスター

🦞
夫もエビパスタでエビ尽くし
サイドのフレンチビーンズ

切らずにドンと来た
デザートは夫のクレームブ
リュレと私はリリコイムー
スだったんじゃないかな

(👆メニューを見ながら復習)

リリコイはパッションフルーツ
いつかまたこの階段を上る日
が来ることを夢見て帰路へ
2018年10~11月のカウアイ島
もいよいよ佳境に入りました。
ハナぺぺを名残惜しく後にし、
少し東に行ったところにある
カウアイコーヒーへ
この辺をクルマで走っている
とよく看板を目にし、コナと
一緒で園内ツアーは無料です。

プランテーション時代の建物
が試飲やショップコーナーに。
ツアーの時間までいろいろな
ローストのコーヒーを試飲
ここではコーヒーもニワトリ
ツアーが始まってガイドの後
をみんなでゾロゾロ行きます。
中に入れる写真スポット

インスタ時代にリバイバル
ガイドさんがカッコいい

彼女がはいていた
サルサのジー
ンズが超お似合い。私も持って
いるのですが腰の位置が違う

『1年に1回、1本の木から1ポンド
のコーヒー豆が採れる』とあり
1年に1回でたった450gかと思う
と急に貴重に思えてきます
ここはアメリカで一番大きな
コーヒー農園なんだそうです。
コーヒー豆は絶対に冷蔵庫や冷
凍庫に入れてはいけないそう

湿気で風味を殺してしまうから。
豆の選定場。小規模経営中心の
コナコーヒーよりすべて大きい
興味深かったのが、ここは元サト
ウキビプランテーションだった事

(※残してあったサトウキビ)
元はマクブライド社の農園で世界
中から集まった移民がここで働き
約100年にわたったハワイの砂糖
生産の黄金時代を支えました。
1899年にマクブライド社から広大
な農場を購入した経営者は1987年
にコーヒー生産を開始し、現在は
400万本の木を育てているそう。

You are hereなんだそうです
2011年にイタリア資本のコーヒー
大手マッシモザネッティ社の傘下
に入ったそうですが、ファミリー
経営っぽさは変わらずなのか
注文して飲むコーヒーも激安

少量精鋭に向かった
コナコーヒー
との路線の違いが明確で興味が深
く見て回りました。ごちそうさま
2018年10~11月のカウアイ島
6日目を迎えワイメアも3日目。
「じゃ、行ってくるね

」

「・・・・」
3日目にしてワイメア散策へ

いきなり
前夜のフードトラック
に遭遇。土曜日だったので青空
マーケットをやっていました。
ここは青空なのか常設なのか?
これだけ真っ青なバナナは何日
ぐらいで食べ頃

になるのか。

バナナ好きとして気になる
シュリンプステーションという
有名なエビ料理の専門店

今回は機会がありませんでした。
1920、30年代のものと思われる
アールデコな映画館
干してあるのか売ってるのか?

オレンジ色のTシャツ
土で染めたダートシャツ

究極のアースカラー
ワイメアランディング
という州立桟橋公園
1915年

1778年にキャプテン・クック
が訪れ、ハワイの存在が西洋
社会に知れ渡ったことで交易
が始まり1865年に桟橋完成。
現在
「こんな浅そうなところに?」
と思ったら1920年代にはより
深海のポートアレンなど他の港
に取って代わられたそうです。
大量の土砂を含んで海水が茶色
まるで大雨の後のようです

突端で釣りをしていた女性は
「今晩のおかずを釣ってるの」
と気さくに話してくれました。
かき氷屋

かき氷も派手なら店も派手(笑)
ワイメア高校
明るい緑で目立つ大きな木造建
築は教会の教育施設

でした。
マスダ・ビル

1919年
現在
ヤマセ・ビル

1919年
現在
日本人は1885年よりワイメア
に移住し始め、1900年代前半
には有力な勢力になり、宮大
工によってモアナ・ストリー
トの入口の両脇に建てられた
建物はその象徴だったそう。
2軒とも店や銀行、ガソリン
スタンドなど時代ともに様々
なビジネスを展開しました。
今のサブウェイもまた時代
その後は前夜のハナぺぺ再訪
ぜひ行ってみたかったココへ

(※前夜の混み合う写真)
ミッドナイトベア・ベーカリー
アルチザンブレッドの専門店

店名のセンスに心打たれる
食は創造の一環だと信じてお
り、際立ったセンスはその創
造性をある程度反映して保証
するものだと思っています。

(※ロゴの美しさも格別)
なかなか出会えないこんな
センスはぜひ試してみたい。
「絶対美味しいに決まってる」
と勇んで舞い戻りました。

(※小麦粉が積んである店内)
食器からパンからフィリング
まで余裕で期待を超えました。
カウアイに来たら絶対再訪
ほぼ1日がかりだった
ワイメア
キャニオン巡りを終え、コケエ
州立公園内のカフェで休憩
ここは小さな山小屋のような
コケエ・ロッジという場所。

カフェ・レストラン、みやげ屋
小さな博物館が併設されていて
州立公園内では唯一の飲食店。
それを知っていたので朝から
お稲荷さんとなったのです
博物館には一帯の動植物の展示。

マス釣りだの、
鹿や野豚のハンティングだの

NZとまったく一緒でした
ハワイやオーストラリアでよく
見る頭が赤いコウカンチョウは
南米からの外来種でした
ワイメアキャニオンでよく見え
た滝が帰り道でもっと近くに。

ワイポオ滝という名前でした。
やはり盛んにヘリが飛行中。
周囲はガードレールぎりぎり
まで土砂崩れが起きていて

この次崩れたらどうなる

山を下りてホテルに帰ります。
ハワイ島のベルトロード東側
を彷彿とさせる光景でした。
キャニオンもこの辺で見納め。

またいつか
ホテルのコテージに戻ると

ニャンが昼寝中💤
出かけようとするとこの通り。

ドアの前で通せんぼ(笑)

滞在中ずーっと一緒でした。
やって来たのはクルマで15分
ほどのハナぺぺという場所。

金曜日はナイトマーケットの
アートナイト
があるから
「絶対行ったほうがいい
」
と朝コーヒーを買ったカフェ
アロハNパラダイスのオーナー
に強力に勧められました。
クラフトマーケットなのかと
思ったら、飲食あるある
ハワイ名物フリフリチキンも
フードバンもいろいろある~
非常に気になったスープ専門店
「そうか、ここで食べられた💦」
とプチ後悔先に立たず

キッチンのピース星人


ジャパニーズグランマカフェ
日系おばあちゃんカフェ(笑)
満席の大盛況でした

お袋の味強し

画廊だけでなく
おみやげ屋
ブティック
本屋までどこも大盛況で
カウアイに来る時は必ず金曜日
を挟もうと誓うほどでした。
地元の人の話は聞かなきゃ

(※ニワトリもここではアート

)
でも長居できない事情があり
急いでホテルに戻って
コレでした

オールブラックスvs日本戦ライブ
イシハラで買っておいたラウラウ

をつまみながら1杯やりつつ観戦
またまたポケボウルの夕べ

(※外のニャンとシェアしました)
2018年10~11月のカウアイ島も
5日目。
お稲荷さんで腹ごしらえ
の後はホテルからひたすら北上
ワイメアキャニオン州立公園
の展望台へやってきました。
ワイメアキャニオンは
ナパリコー
ストと並ぶカウアイ観光の中心
『太平洋のグランド・キャニオン』
と呼ばれるのがわかる絶景です。
(👆グランド・キャニオンには行
ったことがないけれど💦)
一帯は約500万年前の噴火により
隆起した後、400万年前から一部
が崩落、その後も長い年月の雨と
風で浸食が続き、現在のような大
自然の造形美となったそうです。
地層の筋が地球の年輪のよう。
谷の深いところは1000m以上あり

のぞきこむだけで絶壁がわかり
滝もまっすぐに落ちていきます。
風雨にさらされて絶え間なく崩
れ落ちるせいか、赤土が剥き出
しの場所が広範囲に無数にあり
植物もろとも滑り落ち、地形は
今も日々険しくなっています。
フェンスがあったりなかったり
崩れ続けているような場所まで
行こうと思えば行けます

観光ヘリが盛んに飛んでいます。
その後もクルマで展望台巡り

プウヒナヒナ展望台
ここも山高ければ谷深しな渓谷
谷底近くの植物はせせらぎの傍
で水と日向を貪るかのよう
カララウ展望台

コケエ州立公園に位置し展望台
の中で最も高い海抜1,200m超
眼下には息をのむような景色

1919年までは人が住んでいたと
いうカララウ谷を見下ろす場所
ナパリコーストのクルーズ船か
ら見た、ジェラシックパークや
初代キングコングの撮影場所は
ココのことでした
人工的なものがまったくなく、
撮影

にはもってこいかも
海から見たらナパリコースト、
陸からならワイメアキャニオン

どちらから見るかで名前が変
わる1粒で2度おいしい名所
自然三原色のような
青緑茶

見飽きることのない美しさ
高地の地形を活かしたコケエ
地球物理観測所だそうです。
プウオキラ展望台

ここもコケエ州立公園でクルマ
で行ける道はここまででした。
あとは老若男女みな歩いて
先程のカララウ谷を正面から。

谷の全容がよく見えて、
切り立った絶壁が迫ります。
天気に恵まれ最高のキャニオン
巡り

の1日になりました
ワイメア初日の夕食はホテル
にするつもりだったのですが
ハワイ料理はマーケットで
とランチで学習した私たちが
いそいそ出かけて行ったのは
ホテル近くのマーケット

イシハラ・マーケット
創業1934年とあります
やっぱりあった

ハワイアン総菜の数々
これをご飯にのっければ
ポケボウルのできあがり(笑)
昼のポノに比べてスゴい種類

でも夜にこの量は売れ残る
とまれビールも種類があって
NZワインまでありました
でもカルフォルニアワインが
たくさんあってアメリカです。
これはなくていいと思った

NZのマオリの絵はがき

なんでこうなる?
ニャンもホテルで待ってるし
部屋食でこうなりました。
キュウリキムチ
ハマチ

(※猫とシェア)
タコ
サラダも新鮮
翌朝、カウアイ5日目の朝も
まさかのイシハラ(笑)
ぱんぱんのお稲荷さん

朝食にご飯なんて何年ぶり?

長い1日になりそうでがっつり。
コーヒーだけは近くのカフェ
アロハNパラダイスでげっと。
気さくなオーナーでした
ベンチのあった小さな公園には
キャプテン・クックが立ってる
レイなんか掛けてもらって(笑)

NZ英領化のきっかけになった
人ですからメチャクチャ親近感
ここにあったワイメアの略史
500~1200年の間に先住民到達
1778年キャプテン・クック到達
略史すぎる~

クックが
ハワイ島で没したのは翌年でした。
2018年10~11月のハワイの
カウアイ旅行記も11本目に
コロアを出ると大きな虹

ハワイでしっかり虹を見たのは
4回目のこの時がお初だったか。
この日からホテルが変わり、西の
ワイメアへ。まっすぐ行けば1時
間ちょっとの距離ですが、寄り道
したり、景色を写真に収めたり

かなりのんびり行きました
だんだん地形が変ってきて地層
が剥き出しになった場所も増え
赤土と緑のコントラストが非常
に美しく瑞々しく感じます。
星条旗とハワイ州旗を掲げた
コロニアル調のホテルに到着
ワイメア・プランテーション
コテージ。いにしえの農園の
住居をホテルに改装した場所
道路を挟んだ反対側が旧農園
鶏がのし歩いています
部屋に着いたらポーチに猫
まるで待っていてくれたよう。
(👆猫バカ夫婦の発想


)

部屋に入る前からナデナデ
猫付き滞在だなんて最高
キッチン付きでまさに家です。
バス・トイレにも居住性があり
自宅同様のラタンの家具に和み

夫婦ですっかり気に入りました。
さっそくホテル内の散策へ。
広い敷地にコテージが点在し、
農園時代の姿そのままのよう。
ゴルフ場のようにキレイな芝
正面がホテルのメインの建物
ロビーやレストランなど。
どこのコテージも素敵で1軒
ずつ色や造りが違います。
2人の短期滞在にはもったい
ないかな?(←貧乏性💦)
私たちの部屋は2棟からなる
やや小さいテラスハウス。
敷地には驚くほどの数の鶏
ホテルの目の前は海

ですが
プライベートビーチではなく
犬の散歩中の地元の人や、
馬

で通りすぎる人も
水平線に沈む夕日は見られな
かったものの美しい黄昏時
振り向けばホテルに灯りが灯り
楽しそうな笑い声がします。

鶏たちは夜はどこにいるのか
シダの洞窟から戻った後は、
またまた何かと便利なカパア。
ぜひ行っておきたかったのが

緑の建物の手前、山小屋風の
ブッババーガー
1936年創業の老舗バーガー屋

地元民に愛される昔ながらの
バーガーを提供する店だそう。
しかし、店舗の補修で休業中💦
急きょ予定を変えてやって来た

ポノ・マーケット
マーケットだから食料品店
でもハワイアンフードとあり
レストランかテイクアウトか。
朝コーヒーを飲んでいたイム
アで客と店員の話を小耳に
客「この辺で一番美味しい
ポケボウルといったらどこ?」
店員「ボクらはポノに行くね」
すぐ隣にいた別の店員も仕事を
しながら深くうなずいていて、
「ポノ?」
前を通ったときに食料品店だと
思っていたのに、ポケボウル

小さいスーパーのようですが
その奥にあるお惣菜コーナー

そうか

これがメインなのか。
さっそくご飯とトッピングげっと。

みんな持ち帰りでしたが私たち
は外席でランチにしました
山菜があるのはありがたい
豚肉をタロの葉で包んで蒸した
ラウラウ

ホッロホロな蒸し具合
マーケットで手軽にハワイアン
料理が楽しめるとはビックリ
これはいい事を知りました
いよいよカパアを離れて、途中
ワイルア滝を道から上から目線

迫力ある2本の太い流れでした。
夫好みの並木道(←並木道フェチ)
を抜けやって来たのはコロア
コーヒーロースタリーがある
のを知ってここでひと休み
アロハ・ロースタリー

古いたたずまいのステキな店
外の鮮やかな緑を見ながら1杯
ググってみたら現在はもう閉店
これもコロナの影響なのか

(※リフエの店は営業中)
ヘミングウェイといい、
オノ・
ファミリーレストランといい
閉店した店のなんと多いこと。
隣の赤い屋根にヤマモトストア

この一帯は再訪したので後日
また改めて記事にします
2018年10~11月のカウアイ島
も4日目の朝

を迎えました。
ホテルをチェックアウトして
再び隣のホテルのカフェへ

@
イムア
その後クルマですぐのワイルア
リバークルーズへ。前日上から
見ただけのワイルア川をボート
で行く

1時間20分のツアー。
いくつも船着き場があり団体客
にも対応しているんでしょうね。
これはウォルター&エミリー・
スミスという夫婦が1946年に家
族経営として始めたツアーで現
在は4代目が継承しているそう。

この
スミススのロゴが、
前日に見た光景とそっくり
ワイルア川流域は先住民が最初に
定住した場所といわれています。
川を遡上しながら先住民が目にし
た同じ光景を見ているのかと思う
となんとも不思議な気がします。
ハワイ唯一のリバークルーズだ
そうで、熟練の船長兼ガイド。
カヤックツアーの人たち
これは地質調査中なのかな?
小屋がある南の島らしい光景
船着き場に到着しここで下船
ワイルア川州立公園
シダの洞窟

恋人同士で訪れると永遠の愛が
約束されるそうで夫婦はどう
辺り一面はレインフォレスト
湿気が半端なくミストではなく
雨のように水が降っています
小さな滝や清流もあります。
湿気に日陰で陰性植物の楽園。
目の前はたゆたう川で湿気が
こもらないことが絶好の風水
を生んでいるのでしょうか。

ここはシダ類が上から下へと
逆さまに生えるんだそう。
かつてはハワイの王族のみが
入れる聖地だったそうです。

今は展望デッキが設けられ、
ボートで一緒だったクルーが
歌ったり踊ったり多芸です
帰りはすっかりパーティー船

この女性は確か祖母がマオリで
マオリ語の歌を披露してくれ
思わず後から声をかけました

自分で出てきた女の子が可愛い
フラもあってみんなノリノリ

ゆったりとした朝となりました。
2018年10~11月のカウアイ島
3日目の午後は、島の南西部に
ある港、ポートアレンに行き
ナパリ・サンセットディナー
クルーズ

に乗船しました。
ブルードルフィン・チャーター
ズという会社なのでイルカ
レインボーフラッグが目印
ナパリコーストは島北西部
の約20kmの海岸線で、長い
年月をかけて地層が複雑に
切り立った断崖が自然の造
形美を醸す場所なんだそう。
乗船後すぐに見えてきた煙
突のある工場のような建物

シュガーミルと呼ばれるかつ
ての製糖工場で、オロケレ・
シュガーミルという場所。
サトウキビプランテーション
にはなくてはならない施設
で、ここは1889~2009年ま
で120年間操業し、島では最
後に操業を停止した製糖所。
取り壊すでもなくそのまま。
陸地は雲が厚く垂れこめて
遠目にも雨

がわかります。
でも海は晴れている

ので
船も降られることなく(笑)
こういう天気が同時進行
というのはNZでもあるある。

そのうち止むよ、と鷹揚です。
またまた高い煙突と廃工場。

2000年に操業を停止した、
ケカハ・シュガーミル
先程のオロケレよりも規模が
大きく、海上からだと製糖所
城下町のように見えました
なんと執筆時でも売りに出て
いて広告によれば約4億円也

ハワイ投資にいかが(笑)
だんだん地層が剥き出しにな
ってきて、雄大な眺めに。
それが長い年月の水で削られ
深い谷ができ、谷深ければ
山高しで切り立ってきます。
崖崩れの跡や滝も多数あり
海からも波が迫ります。
そして驟雨も降り続け
独特の景観になっています。
「ここは映画ジェラシック
パークの舞台」「ここでは
キングコングが撮影され」

といろいろ説明があります。
みんな忘れちゃいました(笑)
地層の色が鮮やかになり
屏風のような岩山が続き、

人を寄せ付けない絶壁に多く
の人が惹かれて魅せられる。
雲の流れが早くまた雨かな?
写真はこの辺まででした
ヨットならもっと近づけます。
夕焼けは雲に沈みました。
ビュッフェディナーはなか
なかどうして美味しかった
港に戻った時は真っ暗

で
4時間のクルーズ観光でした。
ナパリコーストは陸地からの
アクセスがなく海か空からし
か見られないのでいい半日に。

カウアイの大自然を満喫
2018年10~11月カウアイ島
3日目のランチは、
滝見学後
カパアに戻り気になる店へ。

オノ・ファミリーレストラン
ONOはハワイ語で「おいしい」
こんな古風な名前が付いている
からには老舗に違いなく、長く
地元民に愛されているはず
オアフ島にあった似たような名
前で2017年に57年の歴史に幕
を閉じた
オノ・ハワイアン・
フーズも思い出されました。
網戸のはまった年季の入った
ドアを押し開けてみると・・
そこはあっと驚くいにしえの
佇まい。日本で言えば突然、
昭和が目の前に広がる感じ。
アメリカンダイナーへの憧憬
を島で入手できるものだけで
再現したような空間でした。
パイナップルモチーフがこんな
にあるということは1960年代?
本当にオノ・ハワイアンと変わ
らない頃の店なんでしょうか?
ブラックボードもメニューも

びっしり書き込んであり、
アドボモコとは、フィリピン
風酢醤油ポークモコかな?
絶対おいしいに決まってる

と確信して期待して待つと・・
スゴいものが来てしまった

マニュアル化されたファミレス
の対局のファミリーレストラン
家庭料理を供するという原点に
戻ったような豪快で美しい料理
パパイヤとレモンがどんなに合
うかは食べてみないと判らず、
一度知ったらやめられないはず。
それがどちらにも付いてきて、
美味しさだけでなく気前の良さ
素朴ながら気持ちのこもった
まさにお袋の味のような一皿
隣はオノオノシェイブアイス
という系列のかき氷屋があり
後日再訪してげっとしました。

これもかき氷の原点のようで、
夏祭りの記憶が蘇りそうな色
しかし、オノ・ファミリーレ
ストランは2020年にコロナに
より閉店してしまいました。
フェイスブックによればケニー
・イシイという日系人オーナー
の40年の歴史ある老舗でした。
古くても店やメニューのすみず
みにまで目配り、気配りがいき
とどいた素晴らしい店でした。
カウアイに行ったら必ず再訪
と思っていたので大変残念です。
オノ・ハワイアンといい、オノ
ファミリーレストランといい、
ハワイ料理の老舗の閉店が続き
たまたま1度でも行くことがで
きてこれでも幸いだったのか。
2018年10~11月のカウアイ
3日目の朝は
前夜に続いて隣の
ホテル、アストン内のカフェ
イムア・コーヒーロースターズ
名前どおりロースタリーで
こんなに近くてラッキー
私たちは朝の1杯がとても重要
この時期からハロウィーンの飾り
を見かけアメリカでの重要さをみ
ました。NZでは大人は基本スルー
その後はホテルからやや南下して
内陸に入ったところにある滝へ。
幾筋かに分かれるオパエカア滝
『飛び跳ねるエビ』という意味
だそうでザリガニでもいた
滝自体はオパエカア川の一部で
ものすごい水量に見えますが、
南側に平行するように流れる
のが地名でもあるワイルア川

ワイルアはハワイ語で「2本の
水」という意味なのですが、
これはマオリ語も一緒
ワイ=水、ルア=2
なのでNZにもワイルアという
地名があるので親近感~
ハウスボートのような観光船
がやって来るのが見えます。
一帯は肥沃な土地と豊かな水で
早くから開け、政治的にも宗教
的にも重要な地だったそう

17世紀はタロイモ生産が盛ん
19世紀は中国人や日本人の移
住で稲作が盛んになったそう。
川の内側に開墾された水田
すでになくても地形は一緒
20世紀には牧場として牛

や馬

が放牧される場所に
牧場でなくなってからでも
かつての畑の区画がかすか
に残っているのが判る

現在はワイルア川州立公園
として緑豊かな自然の姿に。
ポリアフ・ヘイアウ

ヘイアウはハワイ古代宗教
の祭祀場でどこも立入禁止。
ここは島最大の規模でした。

伝説の小人族メネフネが一夜
で造り上げたとされるそう。
そうなの?

(※空港のポスターにあった
メネフネ

)
2018年10~11月のハワイは
カウアイ島の
ハナレイという
美しい名前の町を訪ねて、
ビーチに出たら大波小波
見つめているのは家族かな?
こちらはチャリに乗った

小学生のようなオヤジたち

波乗りできるか見に来たの
町の雰囲気や古さがやっぱり
NZのノースランドに似ていて
(※ハワイ島でも
こんな話が)
どちらも太平洋圏なのを実感
帰る途中で道路から見た、昔
ながらの伝統的なタロイモ畑
畑の区分けが棚田のようです。

瑞々しくて鮮やかな緑
確か高低差を設けて水が畑を
通過していくようにしてある
のではなかったでしたっけ?
収穫したところは更地に

合理的ですが、これだけの畑
を維持する労力は相当なもの?
いつまでもこのままで
帰る途中にホテルのあるカパ
アの中心地に来てみました。
カウアイに来てから一番賑やか
な所で店もたくさんあります。
ここは「とにかく寄っとけ」
というべき老舗カフェらしい。
オリンピックカフェ
カフェというよりバーでした

風が吹き抜ける開放的な店
ベランダから外がよく見え
アウトドア並みのインドア
地元民にも観光客にも

いつでもハッピーアワー
ちょっとしたショッピング
センターがあり飲食店多数

地元の人も多そうな場所。
鮮やかなターコイズの店も
カフェ

でした。
夕焼けがキレイな時間に
夜は隣のホテル、
アストン
アイランダー・オン・ザ・
ビーチ内に飲食店があり、
そっちに行ってみました。

ハワイでよく見るおてもと
スリーピングジャイアント
グリル

タコスからブリトーまで
何でもアリの店でしたが
焼き魚

と
ポケボウルにしました。

コロナで長らく休業していた
ようですが、今は営業再開

ハワイはどこも大変でした。
灯台の帰りに立ち寄ったのは
一風変ったテーマパークの
ようなキラウエアの商店街。
コンルン・ヒストリック・
マーケットセンターという
のでコンルン史跡市場か

(※
公式サイトより)
ここは1913年に灯台ができ
るまでのランドマークで、
サトウキビプランテーショ
ンの中心をなす場所だった
そうで、歴史的意義を尊重
しつつ商業施設にした場所。
①は農園時代から雑貨屋で
1943年に農園に落ちている
石で再建された施設の中心。
キラウエアの近代史は1877
年にサトウキビプランテー
ションを開始したことから
始まり、鉄道や学校もでき
子どもたちは8年生を終える
と農園で働き始めたそう。
1912年には農場の一部を国に
1ドル

で譲渡し灯台の建設
が始まり、翌1913年に完成。

農園にとっても輸送に欠かせ
ないものだったのでしょう。
その間、世界各地から労働者
がやってきて、日本人は1885
年から移住し始めたそうです。
この地の主要な移住者たち
右から中国系、フィリピン系
日系、ポルトガル系
上の⑦は現在はパンとピザ屋
かつては農園管理者の海辺の
別荘クイ―ニーズ・コテージ

ここに移設したよう。
⑨はビストロというビストロ
⑩はかつてのキラウエア劇場
現在は教会の大きな木造建築

1950年完成
施設内にはあちこちに白黒写
真と歴史解説が掲示してあり

サトウキビで栄えたキラウエ
アの来し方が語られています。
それは1902年に店子としてこ
こで雑貨屋を開業し、その後
家族で施設を所有するルン家
の家族史でもありそうです。
キラウエアのサトウキビ生産
は1966年に過去最高を記録、
1971年をもって100年近い栄
光の歴史に幕を閉じました。
その後も海岸線を、右手に海
左手に山を見ながら20分ほど
着いたのはハナレイという街
店が建ち並びキラウエアより

かなり街らしい街でした。
いろいろな店がありオアフ島
の
ハレイワのような雰囲気

¥
一坪ショップのチョコレート屋
どこも手作り感満載です
コーヒーでひと休み
ここにも古くから中華系移民が
来ていたのかチンヨンビレッジ
ショッピングセンター

これのことでした
ローカル色豊かな長閑な場所
その中でひと際立派だったのが

ハナレイ教会
AMAという大きなレストラン
バックヤードからの眺めが最高

食事にはホテルから遠く残念💦
カウアイ島2日目はカパアを
出た後一路北上して、ほぼ島
の北端に当たるキラウエア。

クルマで30分ほどの距離です。
いきなり左ハンドルでも特に
困らない夫を尊敬。クルマが
少なく道が単純なのも幸い。
キラウエアポイント国立野生
生物保護区と灯台があります。
クルマを降りたら、いきなり
首がシマシマの鳥が登場
どこかで見た気がしますが、
こんなに間近なのは初めて
これはネネと呼ばれるハワイ
固有種のガチョウで、州鳥。
名前はその鳴き声に由来して
いるそうでNZのキウイと一緒。
1950年代には30羽まで減少し
絶滅寸前にまで追い込まれま
したが、強力な保護活動の結
果、現在は3,000羽以上に回
復し、うち1,300羽超がカウ
アイ島に生息し、864羽がここ
と近くのハナレイの2ヵ所の野
生生物保護区にいるそうです。
(※訪問時2018年の表示より)
区内のネネには足に番号が付
いていて、1羽1羽大切されて
いるのがよくわかります。
ブッシュの巣穴にいたヒナ

安全だからなのか1羽でいて
親鳥は近くにいませんでした。
『この先野鳥のみ』の看板

立入禁止と言われるより
しかし、間近に見られたのは
ネネだけで、後は遠い~(笑)

山肌に白ゴマをまぶしたよう
なのが、地形の絵から見て、
アカアシカツオドリ(アー)
足が赤くて嘴が青いそう。
※注:( )内はハワイ語名

カツオドリは人が行けない所
に営巣するものなのか、NZで
も辺鄙な所でコロニーを形成。
望遠で撮ってもやっぱり遠い。
これが精一杯で、薄茶が幼鳥
だそうで、カモメと同じです。
オナガミズナギドリ(ウアウカニ)

尾の形に特徴があるそうですが
双眼鏡でもないと見えな~い💦
コアホウドリ(モリ)

という名でもアホウドリなの
で羽を広げると約2mと巨大。
99.7%がハワイ諸島に生息。
巨体同士で豪快に踊る求愛
ダンスが有名なんだそうで

YouTubeで見ました~

嘴をバチバチ打ち合ってる。
ヒナは色の濃いまだら模様で
写真もありました。可愛い
オオグンカンドリ(イバ)

オスは風船のような赤い喉袋
を膨らませてディスプレイ

繁殖期しか見られない姿です。
ネッタイチョウ(コアエ)

これが一番見てみたく目を凝
らしましたが、わからず~
赤尾と白尾がいるそうです。

リボンのような尾が優美
割と近くをそれはそれは気持
ち良さそうに滑空していた1羽

検索してみたらこれこそが
カツオドリ(同じ名前でアー)
嘴とお腹が白いのが判ります。
NZのカツオドリも白いので、
白い鳥だと思っていました💦
保護区の先、突端にあるのが

ダニエル・イノウエ・キラウエア
ポイント灯台。1913年完成。
建設資材は海から船で運ばれ
海抜30mの位置まで吊り上げ
られて運び込まれたそうです。

工事関係者がスーツにハット
ダニエル・イノウエは日系ア
メリカ人初の上院議員で1962
年に初当選してから2012年に
亡くなるまで現職だったハワ
イの発展に尽くした人でした。
灯台がその灯りで船を導くよ
うに、ハワイの声を照らし続
けた功績で2013年にその名
がこの灯台に冠されたそう。

移民同士、身近に感じます。