移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2019年10月のコロマンデル
2日目の夜はググっておいた
タイルアの初めての場所へ
店の前に立ったとたん強烈に
アタリの予感
店でも不動産でも、この第一
印象は私にとり非常に重要
タイルアビーチクラブ
センスの良さが際立っていて
このセンスが料理につながる
という期待が一気に急上昇
資金力のある都会の一等地に
ある店だと、センスを外部か
らカネで調達
できるせいか
箱物は立派で食事はガッカリ
というミスマッチはあるある
それでも自分はイケてる店で
イケてる食事をしている
と信じられればいいのですが
その手のブームは続かない
早かったので外でハッピーアワー
店の敷地はすみずみまで自分
の庭のように自然素材で整備
されていて、夏の繁忙期対応
らしく驚くほどの席数です。
でも庭の一部になっているせ
いか、空いていても寂しさが
なく、適度にスタンバイ状態
クッションが全部ペリエジュエ
夏には別荘地の人たちが押し寄
せシャンペンがパンパン開く
一貫したゆるぎない個性と
こんな辺鄙な場所ゆえの手作り
オイスターも氷を惜しまず
素の味を愉しみました。
目の前は穏やかなタイルア川
夕陽を受け鈍色に輝くひと時
店内はさらに洗練されたレト
ロシックで、これだけのもの
をセンスよくまとめる手腕に
唸り、居心地の良さを実感
¥
レス・イズ・モアを蹴散らす
モア・イズ・モアの実現
店内全体が見渡せる角に着席
私たちが一番乗りでした
メニューには材料のサプライ
ヤーの名前がスラりと並んで
「素材あっての料理」を謙虚
に敬意をもって静かに主張。
余裕しゃくしゃくのオリジナ
ルメニューで、2人だと量が
限られるので、迷う迷う💦
エビもプリっプリの火加減
カニコロッケだったのでは?
「今日のお魚」
確かまさかのパンナコッタ
間違えたのかと思うトッピング
コーヒーまであるのでホテル
で飲み直さなくてもOKです。
(👆これができない店多し)
アタリの鐘が鳴り響き
この時以来、熱烈再訪中です。
コロマンデルに来る理由が、
確実にひとつ増えました
2019年10月のコロマンデル
カセドラルコーブからハヘイ
に戻る途中で見かけた一帯の
略史を示した色褪せた掲示板
その中にあった古い写真には
「岬からテパレ・パを望む」
まさにこの眺めでした
昔も今も変わらない美しさ
そしてもう1枚の写真の解説が
「テパレ・パからカセドラル
コーブ方面を望む」とあり、
テパレ・パってどこだろう
と思っていたら、すぐに発見
写真の場所は黄緑の突端部分
パ通りというのもあります。
NZでパ(PA)とは、マオリのか
つての集落のことで、先住民
族が自由に選んだ最高の立地
パという地名を見つけたら、
「国内どこでもとりあえず行
っとけ」と言ってもいいほど
景色のいい場所のはずです。
テパレ岬史跡公園
テパレ・パとヘレヘレタウラ
パと、2つのパがあるよう
雑草の中、遊歩道が確保され
歩きやすいです。西洋式の芝
にしないであえて草地なのか
この眺めは写真にあったカセ
ドラルコーブ方面の眺めで、
望遠で引いてみるとコーブの
奥に見えた島が見えるので、
コーブは岩陰の向こうらしい
(※コーブから見た同じ島)
眼下に広がる息をのむ景色
パは飛び切りの一等地の上、
天然の要塞でもありました。
高台で視界が開けていて、
沖の舟の動きが確認でき、
(※ニャン子島もよく見える)
垂直の断崖絶壁に囲まれ、
海からではまず攻め入れず。
こんな場所にまさかのキジ
NZでキジを見たのは初めて
天敵がいなくて安全なのかな
白砂が続くハヘイビーチ
パのお手本のような場所
2019年10月のコロマンデル
カセドラルコーブを出た後は
山側からハヘイに戻ることに
しテクテク登り始めました。
遊歩道の中央に1本の木🌳
人のために切り倒すのではな
く、木のために人が避ける。
共存とはこういうことかと
山中なのにNZパインの並木
第一次大戦の戦没者慰霊林
下から見ると並木がよく判り
いつまでも生き続ける慰霊
ここに差し掛かった時はハっ
とし、家族4人で一緒に来た
8年前の光景が蘇りました。
子どもたちが一段高い通路を
歩き、親は下を歩きながら、
「獣道だろうから、獣と一緒」
とたわいもない話をしながら
4人で笑って歩いた道でした。
我々一家は2004年の移住後
2005年にロトルア、2006年
にウェリントンに行って以来
重い糖尿病の飼い猫がいたた
め、家族旅行は断念し、だい
たい私が猫と居残りました。
(※高台から見たニャン子島)
そのチャチャが2010年12月に
虹の橋に行ってしまったので
(※享年18歳)
2011年1月の4人揃った夏休み
家族旅行が急に実現しました。
コロマンデルを選んだのは、
当時13歳だった次男でした。
(※泳いでいる男3人衆
)
私は横浜生まれの横浜育ちで
親の両親も横浜にいたので、
田舎というものがなく、家族
旅行も年に1回、2泊3日の駆
け足で、子どもながらに毎年
退屈な夏休みを送りました。
「自分の子には楽しい思い出
をたくさん作ってあげよう」
と思っていたのに、大切な家
族である猫の看病優先で、子
どもには長い5年もの間、家
族旅行ができなかったことが
ずっと申し訳なく、この道を
歩きつつ切なく思いました。
コロマンデル旅行以降、立て
続けに旅行に行きましたが、
翌年には長男が大学進学で日
本へ行ってしまいました
いつか、いつかと思っても、
そのいつかは来ないかもしれ
ないと思うと、年齢とともに
今できることは今のうちに
という思いが強くなります。
(※ハヘイビーチの2人)
林の中放し飼いのヤギに遭遇
番でメスに食事させてるの
と思ったら母子。子を守る母
オスはこっちだった
みんな角があって難しい
珍しい鳥
絶滅危惧種の
ニュージーランドチドリ💦
いやいや違う
ズアオアトリ
山で見るスズメに似た赤い鳥
さらに歩いていたら出てきた
カンムリウズラ
ヒトをまったく恐れず踏んじ
ゃいそうな近さまで来ます💦
思わずこっちがあとずさり
なんて可愛いのぉ
クルマを停めていたハヘイに
戻り、唯一開いていたここで
(※現在はすでに閉店)
コーヒーをげっと
貴重で美味しかったです。
ニャン子島はモトゥエカ島
ごはんボウル島はポイケケ島
というマオリ語の名前でした。
2019年10月のコロマンデル
コロマンデルの名所カセドラ
ルコーブにやって来ました。
映画「ナルニア国物語」の舞
台にもなったことで知られる
聖堂のような神聖さ漂う場所
天井部分も教会を思わせる高
く尖った形になっています。
ここは2011年に家族4人で一
緒に来た思い出の場所です。
あの時は天井からの落石の直
後で中に入れませんでした。
(※海側にも柵がありました)
夏休み中だったので大勢の人
出で賑わっていましたが、
10月では人影も疎らです。
沖には舞台のような岩とニャ
ン子島とごはんボウル島
泳ぎが得意の長男はとっとと
舞台のような島まで泳いで、
次男は浜辺で波遊び
落石注意の標示があっても
こうなるのは当時も今も一緒
小さく静かな入り江なのに
さまざまな地形に囲まれ、人が
ここを目指すのが判ります。
鳥のような形の島のてっぺん
には少し草が生え、この時も
8年前にもカモメがいました。
自然の情景は変わらないので
家族4人だった頃が急に蘇り
懐かしく切なくなりました。
2019年10月のコロマンデル
は5回目でも4年ぶりだったの
で、コロマンデルらしい場所
へ行こうということになり、
海岸線を北上してハヘイ着。
パウアヌイからは小1時間
殺風景な外海に沖合の小島が
表情を添えているようです。
取りつく島があるとい光景
一帯はNZ固有種ニュージーラ
ンドチドリの営巣地でした。
絶滅危惧種で北島に約2000羽
生息しているのみで、コロマ
ンデルには450羽がいるそう。
8~3月が産卵期なので、その
辺にいるのかな?遭えるかな?
と思ったら、巣材をくわえた
スズメのお母さんが登場
みんな産卵・子育てがんばれ
ハヘイに来たのはコロマンデ
ルの名所カセドラルコーブへ
行くためでした。ここにクル
マを停め海岸線を歩きます。
ハヘイビーチ・ウォーク
2.8km、1時間15分の距離
どこまでも続く白砂と島影
コロマンデルが北島の永遠の
ディズニーランドなのが判る
伏せをした猫🐈のような島
勝手に『ニャン子島』と呼ぶ
海岸沿いは別荘風の家が点在
どこも人影がありません。
高台まで来たら息をのむ絶景
海岸線を来て正解でした。
ずっと道が整備されていて、
(※NZは大概どこもそうです)
歩きやすかったです
見晴らし台まで来たら、
ニャン子島が目の前で、その
前にはゴハンボウルもある
さらに歩いて目的地に到着
2019年10月のコロマンデル
2日目はまずホテルからすぐ
近くのウォーターウェイズへ
ここはラグジュアリーなリゾ
ート開発に強い、家族経営の
デベロッパー、
ホッパースが
開発した、一大別荘地です。
(※ホッパー家。初代と2代目
たち。公式ウェブサイトより)
元はオークランドの一家です
が、2代目は1967年よりパウ
アヌイ開発に本腰を入れ始め
(※公式ウェブサイトより)
1990年代に分譲を始めた人工
水路のあるウォーターウェイ
ズ開発で、この地での名声を
不動のものにしたようです。
こここそがパウアヌイをして
有名な別荘地たらしめる場所
人工水路のある光景はオース
トラリアではよく見かけます
が分譲開始当時NZではお初
各家に桟橋があり、スパがあ
ったり、造園されていたり。
水路の建設で水辺の物件の大
量供給を可能にしたのです。
自家用ボートを自宅に係留し
ておけるので、いちいちマリ
ーナに出向かなくてもいいと
いう究極のラグジュアリー
クルマも置きっ放しの家も
キャンパーバンも留め置きか
水辺に面していない家は庭に
ボートを停めておき、すぐ近
くの桟橋までクルマで引っ張
って遊びに行くのでしょう。
これはNZではよくある光景
人っ子1人、犬の1匹もおら
ず動いているのは作業車のみ
そしてキミもかな
カオジロサギ
10月はオフシーズンなので、
美しいゴーストタウンのよう
夏になったら人で溢れる光景
がなかなか想像できません。
分譲は段階的に続いていて、
820平米で105万ドルなので
250坪で約9000万円也~
(※しかもこれ2年半前の価格)
こちらはちょっと狭くて同額
マップで見ると両方水辺物件
水路に面しているのはテッパ
ンなんでしょうが、上物を建
てたら、さてハウマッチ
赤は家が建ちSOLDは分譲済
白い未区画の場所は今後の分
譲地で今の何倍もありそう
別荘ごとの売買も盛んです。
土地だけ買って上物は建てず
キャンピングカーで来たり、
ここのようにキャンピングカ
ーを置きっ放しにしていたり
子どもが大きくなって不要に
なったら転売するという手も
この手の小さな小屋を建て、
水道と電気を通せばトイレと
シャワーぐらいはできそう。
まわりはズラっと豪邸でも。
な~んとなく定点観測に来て
しまう、不思議な無人の町
(👆オフシーズンに来るので)
朝食付きだったので
ミハで朝
ごはん。簡単なビュッフェが
ありメニューからも選択可。
ストーブがついていました。
普段から朝は食べない私は、
パティスリーとコーヒー
夫はここぞとばかりに(笑)
オムレツ
チャンスは逃さない男
滞在するたびに「いつ、誰が
ここを開発したんだろう」と
疑問に思った、プカパーク。
相当の初期投資が必要だった
と思われる開発と、NZらしか
らぬリゾートホテルというコ
ンセプトは、南島のクイーン
ズタウン以外、目にすること
がなくずっと不思議でした。
それが2019年10月の4回目の
滞在でやっとわかりました。
大改装を経て、バーラウンジ
にホテル開発の逸話が写真付
きで展示されていました
驚いたことに、開発は1980
年代にドイツ人の若い夫婦レ
イナーとアンジー・ヘーンが
個人で実現したものでした。
(※これはホテル完成後5年の
1992年。すでに離婚後の2人
ファッションが1990年頃すぎ
てウケる~
エスカーダかな)
ルフトハンザのパイロットと
スッチーだった2人は、1981
年に初めてパウアヌイを訪れ
ここに高級ロッジを建て、ヨ
ーロッパ市場に売り出そう
という壮大な夢を描きます。
スゴかったのは思い描くだけ
でなく、実現したことです。
アパートメントだけは現地で
建設し、それ以外のコテージ
は完成したものをヘリで運び
環境保全最優先だったそう。
本館、プール、ヘリポート建設
2人が移動に使ったセスナ機
と米軍ジープ。今でもあるガ
ソリンスタンドで給油中
取材に来たドイツテレビ
ホテルは1987年4月開業
世界のリッチ&フェイマスに
向けフェラーリやポルシェが
ホテルに高級車を貸し出して
マーケティングを図ったとか
リッチ&フェイマスというコン
セプトが80年代
(同名の映画
もあり。邦題ベストフレンズ)
そして完成した1987年は10月
のブラックマンデーの年とし
て永遠に記憶される年です。
開業から半年でバブル崩壊
この手のバブリーなものって
どうしてバブルの頂点で完成
するものなのでしょうか
NZではシャトートンガリロも
世界大恐慌直前1929年に開業
トンガリロ山麓に城を建てる
という、超バブリーな発想(笑)
しかし、どちらも資金を投入
し浮ついた箱物ではなく、後
の時代の要求に応えられるコ
ンセプトという息吹を吹き込
んだせいか、経年劣化するこ
となく、今に活きています。
コンセプトの一部だった環境
保全に関しては、開業から30
年以上経った今になって、
環
境配慮の開発で最優秀ホテル
に選ばれるなど、やっと時代
が追いついてきたようです。
ホテルはすでに売却され、今
は
アコーホテルズ傘下です。
創業者の名を冠したラウンジ
ヘーン・ラウンジ
そして、創業者バー
2人への最大のオマージュ
夢の実現と言えばありきたり
ですが、「夢からできた」と
言われると、当時の2人の情
熱が伝わってくるようです。
NZに素晴らしいホテルを残
してくれて、ありがとう
これから何度も再訪します。
レイナーは今も現地で不動産
エージェントとして活躍中。
アンジーは仲間とコロマンデ
ルFMを立ち上げたそうです。
2019年10月のコロマンデル
まだそれほど日が長くはなく
ホテルに戻りハッピーアワー
確か宿泊にウェルカムドリン
ク
🍷が付いていました。
プカパークリゾートは山の中
腹に隠れるように建っている
のでちょっと離れると遠目で
は場所が確認しずらいほど。
その分、眺めは最高で木立の
向こうにはタイルアの町が。
中のバーでも外のデッキでも
みんな思い思いのコーナーで
ゆったり1杯やっています。
中はL字型になっていて、大き
な暖炉のあるバーエリアと、
新しい大型ストーブが付いた
レストランエリアがあります。
陽が落ちると気温が下がり、
あっという間に夕闇が迫り、
タイルアの町が闇に沈んで、
ホテルのガーデンのライトア
ップが一段と輝き始めます
デッキには松明が焚かれて、
ホテル全体が幻想的になる時
NZでは希少なリゾートホテル
ミハ・レストランに移動して
前菜は私のマッスルに
大のイカ男🦑の夫はカラマリ
サラダ
も追加しました。
2011年に初めて来た時、食事
の質の高さに驚きました。交
通至便とは言いがたい他に何
もない場所なので、アコーと
いうホテル力でシェフを配備
できるのかなと思いました。
ところが、2015年に再訪した
時は明らかにシェフが変り、
メニューもほぼ別物でした。
3度目の正直の今回は、また
またシェフが変ってインド系
「これは素直にカレーでしょ」
という夫の読みは正解で、す
ごく美味しかったそうですが
私はラムが食べられない💦
迷った挙句パスタにしたら、
オリーブどっさりで酸っぱい
しかも、運ばれてくるやすぐ
にシェフとスーシェフと思し
き清潔そうな真っ白いユニホ
ーム姿の2人がやってきて、
「パスタはいかがですか」
真剣な表情で聞いてきます。
(※夫には聞かないの
)
シェフ曰く、このパスタのオ
ーダーが入ったのは初めてで
これでいいのかどうか、客の
私に聞いてきたという次第
う~ん、マンダム(笑)
と思わず昭和になっちゃう
コーヒーもご覧のとおりかと
4回目の滞在にして初めて2泊
したのですが、翌日の夕食で
は思わぬ展開になりました
これもじきに記事にします
2019年10月のコロマンデル
パウアヌイに行くと言うと、
「別荘があるの?」
と、よく聞かれます
コロマンデルのパウアヌイは
ノースランドのマンガファイ
オークランドのオマハなどと
並んで、有名な別荘地です。
山の中腹のホテルを出て歩き
出すや、無人の別荘ばかり。
がっつりカーテンやブライン
ドが下がっているのでわかり
庭の手入れの簡単さやこんな
趣味の物が多いのでも判る
別荘管理会社に委託して、管
理や芝刈りをしているはず。
なのでどこもキレイなもの
こうした大きな敷地の小さな
家という古い別荘に加えて、
近年は住宅と見まごうような
4部屋はありそうな2階建て
の大型物件が増えています。
地価が上がってどんどん高級
化していくのを実感します。
雨上がりのパウアヌイビーチ
沖合の島には陽が差している。
左手に見えるパク山(標高387m)
簡単に登れる山です。
海岸沿いはさらに大きな別荘
昔ながらのも一等地で踏ん張っ
ていますが固定資産税高そ~
4、5部屋ぐらいありそうです。
貸別荘やエアビーに出したと
しても1年に何日使うのか?
、
全国的な住宅不足
の中で
「住まない家はもったいない」
という考えもあり私たちはホ
テルの1室を購入するという
投資方法を選択しました。
こうしてみるとホテルは元祖
シェアリングエコノミーかも
夜になってもどこにも電気が
点かず真っ暗なんでしょう。
人影がまったくない道
たまに別荘管理会社や警備会
社のクルマを見かけるぐらい
花が満開でも見る人もない。
やっぱりもったいな~い💦
2019年最後の国内旅行
コロマンデル半島の根元近い
テムズを出て、山越えをして
東側のパウアヌイに出ます。
雨も小降り
になりました。
やって来たのは
グランドメル
キュール・プカパークリゾート
細かいことながら日本語表記
では英語読みのグランドにな
っていたんですね
以前は
フランス語読みのままグラン
じゃなかったでしたっけ
そうか表記そのものがフラン
ス語から英語に変ってるのか
(※メルキュールグランだった
2011年の写真)
じゃ、同じアコーのこっちは❓
と思ったら、こちらはフランス
語読みのイビスのまま。英語だ
とアイビスなので海外ではまず
アイビスで、NZもそうです
プカパーク泊は4回目でした。
2011年(2回)
2015年
そして、2019年とラグビーワ
ールドカップの年になると来
ているという思わぬ発見
2011年は子どもたちがいて
2015年は次男だけ
になり
2019年はもう2人ともいない
ロビーの家具が変ってる
2015年
2011年
レザーのソファーは変わらず
木立の中に小さなコテージが
建ち並んでいて「いつ、誰が
ここを開発したんだろう」と
NZらしからぬリゾートホテル
というコンセプトと、初期投
資の規模がずっと不思議でし
たが、今回謎が解けました。
その話はまた別の記事で
部屋は大改装を終えた後で、
リネン類も変わっています。
明るくプライバシーのある寛
ぎの空間は相変わらずです。
緑に抱(いだ)かれるベランダ
あの辺はまだ降っていそう。
さて、出かけますか
コロナ前2019年最後の国内旅
行は、コロマンデルでした。
コロマンデルは半島でハウラ
キ湾を挟んでオークランドと
東西に対峙している景勝の地
(※
ウィキペディアより)
旅行としては家族4人で初め
て行ったのが2011年。何ヵ所
かある観光地のうち、その後
パウアヌイのホテルを気に入
ったことで、以来コロマンデ
ルといえば必ずパウアヌイ泊
今回は移住以来通算5回目の
コロマンデルで、パウアヌイ
泊も数えてみたら4回目に。
このブログでは初登場のコロ
マンデル。2019年10月の2泊
3日の旅行記の始まりです
=============
コロマンデルの玄関口といえ
ばテムズ。ここから半島の西
側をまっすぐ北上するか、半
島を横切って東側に出るか。
どちらにとっても中継地で、
オークランドから1時間半と
いう休憩にもってこいな場所
5回目とはいえ4年ぶりなので
サクっとググっておいた店へ
カフェ・メルボルン・グラハムスタウン
黒板にはテムズ・ガイがメル
ボルン・ギャルと出会ってオ
ーストラリアで結婚。子ども
が生まれてテムズに落ち着き
ホームシックになった奥さん
のためにメルボルン風カフェ
をオープンしたという経緯が
レンガそのままの壁は確かに
オーストラリアっぽいかも
@フリーマントルの
ハッシュ
メルボルンの地名や通りの名
そしてブライトンビーチ
2年前に行ったので懐かしい
まずは1杯
挟んでありゃ満足な夫はいつ
も挟みモノ系かハンバーガー
私はパン付きのサラダに
街並みはほとんど変わらず、
前からあるオーガニックの店
ここは大通りにある葬儀社
今回初めて気がついた、1906
年にあった兵士ノーマン・ピ
カリングの軍葬。享年18歳。
演習や戦争で亡くなったので
はなく、職場での転倒が原因
でしたが、ライフル分隊所属
の若者の死を悼み軍葬に。第
1次大戦前の長閑な頃の葬儀
歩道のこのコはぬいぐるみで
荷台で待ってるこのコは本物
車中で待つのが正解かな
この時はかなりの大雨でした。
雨に洗われて建物が鮮やか
さて、ここから山越え
です。
光にあふれた輝く場所には必
ず影があり、明るい分その影
は濃く、深く、印象的です。
4日目の夜、私は1人の男性に
会っていました。夕食に行く
時に気づき、食事中もずっと
気になり、食後にホテルへ戻
る途中に、声をかけました。
「大丈夫?」
彼はこの非常口の隙間に座る
ような寝転ぶような、長身を
折り曲げながら、不自由そう
に、隠れるようにいました。
突然声をかけてきたアジア人
女性にちょっと驚いたようで
したが、すぐに海の底のよう
に沈んだ顔にホッとした表情
が浮かび上がってきました。
「ホームレスです。
どんな支援でも助かります」
彼の脇の段ボールに丁寧に書
いたメッセージがあります。
食事に行く前に気づき、メッ
セージ
を受け取りました。
彼は白人の40代と思しき中年
男性で、胸に社名の入ったポ
ロシャツを着ていて、つい最
近まで働いていたのに、何か
の事情で思いがけず急にホー
ムレスになったのでしょう。
身綺麗さ、態度のぎこちなさ
に、事に直面して日が浅いこ
とがわかり目を引きました。
周囲にはアルコールかドラッ
クか、両方かでハイになった
若い連中が奇声を発しながら
数人でウロウロしています。
まだ明るく早い時間で店も開
いており人通りもあるので、
物騒ではありませんでしたが
店が閉まって人気(ひとけ)が
なくなれば危険そうでした。
私の「大丈夫?」という問い
かけの意味を察してか、彼は
「大丈夫。夜はここにはいな
い。もっと安全な所にいるよ」
と、周囲に目配りしながら小
声で言い、声をかけられたの
が明らかに嬉しそうでした。
彼の精神的負担が軽くなるの
であればと思い、NZからの
旅行者で街の人間ではない、
ただの通りすがりと伝えると
「僕はクレイグだ。」
と名乗りました。地元の男同
士だったら、このまま一緒に
飲みにでも行けそうでした。
私が手持ちの10ドル札をサッ
と渡すと、パッと受け取り、
「助かるよ。これだけあれば
明日ここに来なくていい。」
と、小さく安堵しました。
1000円ほどの少額とはいえ、
受け渡しを誰かが見ていたか
もしれないのをお互い察し、
「気をつけてね」
「ありがとう」
と短く挨拶して別れました。
「1日10ドル必要なら」と、5
日目の最終日の夜は70ドルを
手に同じ場所を訪ねました。
どうでもいいおみやげを買う
ぐらいなら、彼に託して役立
ててもらおうと思いました。
1週間あればなんとかなる
強く念じてやって来ました。
クレイグはいませんでした。
(※写真はその時撮りました)
「明日ここに来なくていい」
という、言葉どおりでした。
その後、彼がどうなったのか
知る由もありませんが、コロ
ナ前の景気がいい間に仕事を
見つけるなり、国の支援を受
けるなりして、とっくに立ち
直っていたと信じましょう。
「どんな支援でも助かります」
という彼の素直なメッセージ
は、真摯で潔いものでした。
正直者はバカを見ない
私はそう信じています。
2019年9月のケアンズ5日目
最後の夜は近くのスーパーに
おみやげを見に行ったのです
が、売っているものがNZと
同じすぎてウケました
同系列のスーパーがNZにも
あり陳列の仕方も同じかも
外国人観光客、特におみやげ
をたくさん買う習慣があるア
ジア人を意識した品揃えとデ
ィスプレー。観光地ではない
スーパーはここまでしない
歯が浮く甘さのティムタム
最終6日目も
ぬかるみカフェ
相変わらず親子連れが多く、
店全体に活気があるような
パパが建設業関係者なのかな
ハイビズと呼ばれる蛍光色の
シャツがおソロなのでは
コーヒー
とサンドイッチで
最後も最高の朝ごはん
スズメが来ることはあっても
ハトまで来るのは珍しい
ヒトと自然が近い、近い
市内からすぐの空港へ
いいところでした、ケアンズ
南国の光にあふれた輝く場所
いつかまた再訪します
2019年9月のケアンズ5日目
も、とうとう最後の場所へ
旅の終わりはココでした
グラナイト渓谷自然公園
HPもない素朴な民間施設
カンガルー科の中でも小さな
ワラビー。その中でも特に小
さく、シェルター代わりの岩
場に好んで住んでいるのが、
名前どおりのロックワラビー
ロックワラビーが放し飼いに
なっている自然公園だそうで
動物好きには外せない場所
特に夕方にかけてはワラビー
たちが活発に動き出す時間帯
えっ
敷地内にクルマを停めたら、
もうその辺にいるんですけど
餌付けされているので人を恐
れずどんどん近づいて来る
小さいけれど大人は大きい
大きくても小さくても可愛い
クジャクもぞろぞろお出まし
こちらもゴハンが目的
このコはさすがに檻の中
歓迎の舞いだったのか、全開
になったら強風でおちょこに
よろよろよろよろ、ウェルカム
ワラビーとは完全に共存中
突然、人生最大のモテ期到来
エサの袋を誰が持っているか
よく見ていて、みんな賢い
エサを撒くと、こういう強者
が独り占めするのがわかり
子ども、特に小さいコ優先に
完全にお母さん目線です
後は子育て中のママも応援
母親同士、種を超えて通ずる
ママ袋から出たてのようなコ
もうちょっと大きい子ども
添える手が可愛い、可愛い
’
袋を持てば、夫も大人気
エサ以外にも葉っぱを食べて
いて、自然に生きる一面も。
園内には小川も緑もあって
自慢の跳躍でピョンピョン飛
べば、先は果てしない緑です
が、そうなると天敵もいる
園内はペンキで印がつけてあ
るなど、最小限の手の入れ方
観光地化しすぎないのはいい
みんな元気に過ごしてね
ここはまたいつか来よう
出てきたら、オーストラリア
らしいマンゴー色の夕焼け
ケアンズ最後の日が暮れます。