移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2回目のタウポ旅行に行って
いた2020年8月は、オースト
ラリアのメルボルンでコロナ
の感染が急拡大中で、対岸N
Zにいつ飛び火してもおかし
くなく、緊張が続きました。
NZのコロナのロックダウン
は通勤通学どころか、スーパ
ーか薬局での買い物、軽いエ
クササイズ以外は、家から出
られないという厳しいもの。

(※Covid-19はコロナのこと)
ロックダウン再開となれば滞
在途中でも、飛んで帰って来
なくてはなりませんでした。
実際、タウポから帰って4日
目に感染経路不明の感染者が
見つかり、翌日からオークラ
ンドのみ3週間のロックダウ
ンに突入したという間一髪
仕事も学校もなく、エクササ
イズに繰り出す大勢の人々。
私もその1人でしたが、あま
りの混雑ぶりに驚きました。
天気が良ければ春先のようで
早咲きのサクラも咲いていて
何もできないオークランダー
は歩いたり、走ったり、サイ
クリング🚴をしたりの日々。
驚いたことに、ロックダウン
のきっかけとなった一家の数
人は、ロトルアやタウポに行
っていて私たちも乗った
遊覧
ヨットに乗船していました。
私たちが乗ってから4日後の
ことで、天気が悪い日だった
らみんなが狭い船内にいたの
かと思いヒヤっとしました。
幸いクルー他誰も感染者が出
なかったことが報じられホッ
としつつも、際どいタイミン
グでオークランドに戻って来
たのだと、後から知った次第
今できることは今のうちに
今行ける場所は今のうちに
この1件で、その思いをます
ます強くした私たちでした。
しかし、当時のコロナ感染者
は40人未満。今は1日の感染
者が約8,000人という状況な
がら、オークランドにもNZ
にも、日常が戻っています。
まだまだコロナに怯えていた
2020年。いつロックダウン再
開となるかわからない中、ク
ルマなら何があっても帰れる
はず、とタウポ2泊3日旅行へ
直前に次男とガールフレンド
が行っており、いろいろ勧め
られたのもきっかけでした。
若い2人は行動範囲が違う
今回は計5本の備忘録です。
行けるうちにタウポ

前回同様にワイラケイ泊
ソウルフードの予感

それを楽しみに旅ができる店
マオリ石刻ナトロイランギ

目が入ったら再訪したい
外れ続きの果てに

苦い経験を経て出会う本物
キンロック

心が解き放たれるような場所
閉塞感の強いコロナ禍では、
それが特にありがたかった。
タウポはこれから何回も登場
します。まだまだ行きたい
2020年8月のタウポ3日目。
温泉なので湯気がモクモク

なかなかこっちに入る機会が
なくもっぱらインドアを利用
雨も上がり、オークランドま
でロングドライブで帰るので
助かります。緑が瑞々しい
2回目のワイラケイリゾート
も満喫し、タウポの他のホテ
ルを知らないながらも、定宿
として何度も戻って来そう。
チェックアウト後は、友人に
勧められていたキンロックへ
タウポ湖北端の小さな集落で
キンロックビーチと呼ばれる
のもわかるほど、浜辺です
粗いながらも砂浜なのです。
でもそこは湖。静かなもの。

私たち夫婦はこの穏やかさや
淡水と相性がいいのか湖とい
うものを特に好んでいます。
中心部からクルマで20分ほど
で出会えるこんな光景と静寂
ホテルからはさらに近かった
アートのような遊具も無人で
山肌の家は大半が別荘らしく
カーテンが閉っています。
立派なマリーナがあり湖にし
か出られないのにボート多数
夏は活気づくのでしょうが、
冬は静かなもので地元民の姿
もなく、いるのは水鳥ばかり
心が解き放たれるような場所
戻る途中の郵便ポストがズラ
リと並んでいる新興住宅地
かなりアバウトでポストもバ
ラバラなら、家の番号もバラ
バラで配達する人は大変~💦

細かいことは気にしない国
チラっと立ち寄りましたが、
住宅と別荘が混在してそう。
土地も分譲中
道の反対側の高台にそびえる
キンロック・マナー&ビラ
1泊食事付きで約20万円ほど
一生縁がない場所です(笑)
さて帰りますか
また寄り道をしてケンブリッ
ジの
レッドチェリーでランチ
ブログでは1週間前に登場し
たばかりですが

実際は1ヵ
月半ほど空けての再訪です。

コーヒーロースタリーの1杯
夫は旅先の定番バーガーで
私はチキンパイにしました。

このサラダの量と鮮度が神的
虹に見送られつつ北上です
タウポ2回目行旅行記終了
2020年8月のタウポ2日目は
電動ヨットセイリング⛵か
ら戻って、まず軽くランチ
ここも次男お勧めのカフェ
しかし、食べたいものがなく

消去法でパイと
店の人がインド系だったので
外れはないだろうと思って、
カレー

にしたら、まさかの
カレーチップス
再訪はありませんが、ここに
来たおかげでアクセサリーの
寄付先となるチャリティーシ
ョップに出会え、2年経った
今でも寄付を続けています。

(※その時の話は
コチラでも)
縁はどこにあるかわからない

次男は何を食べたんだろう
夜は事前に予約しておいた初
めての店へ。中心部からやや
離れた元民家の隠れ家的な店
暗かったのでよくわかりませ
んが多分住宅街の一角です。

雨が降り止みませんでした。
案内された席は入口近くの通
路のような場所で、ザワザワ
人の声がする客席がある部屋
は、いかにもその先でした。
雨で気温も低く、ドアが開く
たびに風を感じるような場所
で他のテーブルを希望すると
「予約が入っています。」
「私たちも予約してますが。」
かつて
ネルソンでゾッとする
思いをしたのと同じ展開に。
せめて通路でももう少し奥の
風が届かなそうな位置にある
もうひとつの空席に変えるよ
う頼んでみましたが、そこも
「お馴染さんの予約がある。」
と断られ、オーナー姉妹の1
人らしい女性の目は明らかに
「言われた席に座りなさいよ
」
と無言で訴えていました。も
しもケイト・スミスとか違う
名前で予約を入れていたら、
どういう展開だったのか
そんな状態で始まる食事が楽
しい訳がなく、後から入って
来る客が次々に奥に案内され
ていく横で後悔先に立たず。
それでも気を取り直して味わ
おうと思った食事はごく普通
観光地の隠れ家的な雰囲気が
食事の内容より重要そうで、
選択肢も少ない効率重視の店

使っている食材の少なさ、サ
ーモンのように養殖でいつで
もいくらでも手に入る魚

と
「今日のお魚」の違いも明白
サラっと食べて早く帰りたい
食事の内容からも再訪はなし
通路のもう1つの席にはサイ
クリング姿の男性が1人来て
サッと食べて行ってしまい、
自転車で通りすがりに簡単に
食事したように見えました。

大雨の中、馴染み客がわざわ
ざサイクリングで来たとでも
この苦い経験を通じて、タウ
ポに
ビストロがあることのあ
りがたみが身にしみました。
2020年8月のタウポ2日目は
次男に勧められた電動ヨット
セール・バーバリー⛵に乗船
真っ白な帆で、確かにヨット

でも海と違い風が弱いかも
今にも降りそうな中、出航
視界が悪くても判る山肌の豪
邸はほとんどが別荘なのでは
お屋敷🏰だらけです(笑)
レトロな観光船に抜かれる
雲か霧が垂れこめる中を行き
電動なので本当にゆっくり。
そのせいか航跡波も幅が広く
すべてが静かで穏やかです。
船長のこなれたガイドが続き
山の中腹の全面窓ガラスの家
はNZのスーパーモデル、レイ
チェル・ハンターがロッド・
スチュワートと結婚していた
頃の別荘だったらしいです。
湖畔の緑がやがて岩場となり
雪解け水独特の色らしいミル
キーブルーが濃くなってきて
突然、姿を現したのがマオリ
石刻として有名な
ナトロイラ
ンギ・マインベイ・マオリロ
ックカービング(石刻)です。
高さ14mの岩面彫刻はマオリ
芸術家マタヒ・ブライトウェ
ル氏率いる4人が手彫りし19
80年に完成した現代マオリア
ートの代表作といわれます。
ナトロイランギとはマオリの
伝説のホームランド、ハワイ
キ(現在のタヒチとされる)か
ら民をNZに導いた指導者の1
人とされ、ブライトウェル氏
はその27代目に当たるそう。
氏は偉大な先祖の石刻を仕上
げるや、タヒチで全長22m、
8トンの双胴カヌー建造に着
手し、1985年には完成したカ
ヌー「ハワイキヌイ」で、5
人のクルーとともにクック諸
島経由でNZまでの航行を成し
遂げ、14世紀のマオリによる
ポリネシア東部からNZへの大
移動の軌跡をたどりました。
有名な石刻でも陸上のアクセ
スがなく、水上か上空から見
るしかないため、来たことが
なかったのですが、次男の勧
めであっさり実現しました。
周りに他の人が思い思いに彫
った祖先や守護神の小さな彫
刻がいくつもあるのを、ここ
まで来て初めて知りました。
モチーフも作風もばらばらで
それがなんとなく一緒に調和
しているのがマオリっぽい
ブライトウェル氏は完成から
約40年経過した2019年2月か
ら石刻の修復を開始しており

ナトロイランギにいよいよ目
が入るのかどうかが注目され
まるで達磨の目入れのよう。
なんとも神秘的な場所と地形
目が入ったらまた来よう
帰りは雨が降り出してほとん
ど船内にいましたが、これは
見逃せないらしいカモの余興

キタ、キタ、キタ、キタ・・
キター
パクっ

毎日やっていて上手なもの
ギャラ

は薄いビスケット

定期観光船はどこもやってい
るようで、どの舟にも専属の
番アルバイトがいるのかな
マリーナに戻ってきました。
ボートで休んでいるカモの番
この舟専属なのかしら(笑)
いっぱい飛ぶから休まないと
2020年8月のタウポ。コロナ
でのロックダウンが再び起き
ることを意識しながら、静か
に駆け足で回ってきました
=============
初日の夜は
前回知り、事前に
予約もしておいた
ビストロへ
真冬のオフシーズンの平日。
さすがに空いていましたが、
不思議と寂しさがない場所。
予約のあるなしにかかわらず
どのテーブルも完璧なセッテ
ィングがなされていることに
店の折り目正しさ、いつでも
客人を迎えられる余裕のよう
な温かさが感じられました。
どうせ予約がないからと、剥
き出しのテーブルのままだっ
たら、どんなに殺伐としたこ
とか。おかげで寛げました
ビストロという名のとおり、
シンプルでいながら手を抜か
ないところにやはり余裕とい
うか客への想いを感じます。
自家製サワードウ

輝くオリーブオイルと
「今日のお魚」ハプカ(ミナミ
オオスズキ)で私はこれに決定
美味しいオリーブを摘みつつ
美味しいお料理を待ちます。

なんと安らぐ食事

と時間
前菜は夫のイカに
私の冬野菜のテンコ盛り
夫のポークベリー

ここのポークベリーは絶品
私のハプカ。根菜など冬野菜
たっぷりで彩も美しいです。
ボリュームがあってなかなか
デザートまでたどり着けない
のが残念ながらコーヒーで〆
落ち着いた雰囲気、美味しい
食事、過不足ないもてなし。

2回来てタウポのソウルフー
ドになるだろうという予感
ホテルに戻ると濃い霧の中、
すべての輪郭がぼやけ幻想的
このホテルは夜になると驚く
ほどクルマが増え、昼間はわ
からないほど宿泊客がいるの
を感じます。日中はみんな遊
びに、仕事に出払っている

(かなり出張利用もありそう)

(👆広いので駐車場も使いた
い放題でこうなる、とか

)
2020年8月はタウポに行って
いました。まだまだコロナで
世界も世間もピリピリしてい
た頃で、いつロックダウンが
再開して家から出られなくな
るのか、まったく先が読めず
今できることは今のうちに
今行ける場所は今のうちに
と2泊3日の駆け足でオークラ
ンドを脱出して戻りました。
2周回遅れだったこのブログ
も久しぶりに2年未満に突入
=============
タウポに行くきっかけは、当
時コロナのせいでイギリスか
ら退避して同居していた次男
とガールフレンドが行き、盛
んに写真を送ってきたので👇
「親も行こう
」となったから
何度通ってもワクワクする、
オークランドから南下する高
速道路ワイカトエクスプレス
コロナで交通量が少ないせい
か拡張整備工事が急ピッチ

冬らしく霧が垂れこめていま
したが、天気は上々でした
やって来たのは毎度おなじみ
のハミルトンの神カフェ
スコッツ・エピキュリアン
ここに来たくてハミルトンに
来るようなものですから(笑)

看板のアーリー
美味しいコーヒーを飲みつつ
画廊のような空間でひと休み
毎月変わるアートは購入可
これは食い入るように見入っ
てしまうほど惹かれました。
なぜだろう
夫が何より楽しみにしている

スコッツのスイーツ
私は一番小さいフリアンで。
総選挙の年で選挙ポスター
「この2人じゃ勝てないよね」
と思ったら勝てなかった(笑)
途中ティラウで停まったら、
アイスクリームで有名な店が
ロックダウン明けで営業再開

しかしコロナの痛手には耐え
きれず現在は閉店しました

今となっては貴重な1枚です。
到着したのは
前回気に入った
ワイラケイリゾート・タウポ
2回目とはいえ勝手がわかる
と「ただいま感」があって
一段と落ち着く気がします。
この時以来ここでの宿泊は、
プールが見えるのこの建物に
温泉なので冬でも入れますが
まずは温泉スパにGO
コロナのロックダウン後、行
動規制解除後2回目の国内ド
ライブ旅行でロトルア

へ
1回目の
パウアヌイはオーク
ランドから出られない頃から
「まずはあそこへ」と決めて
いた場所でしたが、ロトルア
は「どこでもいいから」と飛
び出して来た場所でした(素)
それぐらい日々の緊張感は高
く、いつなんどき「今夜から
ロックダウン突入」となると
も限らず、飛行機利用での遠
出は考えられない頃でした。
だからこそ、クルマで行ける
近場の息抜きが貴重でした
今回は2泊3日が旅行記6本に
冬の温泉へ

和洋マオリ折衷な湯

(笑)
夜のイタリアン、朝のフレンチ

ここまでコテコテだと楽しい
伝説のあるクイラウパーク

温泉に入るのは猿だけじゃない
赤い森レッドウッズ

赤い幻想的な森が街の中心に
出会いもあれば別れもある

ロトルアで中華という選択肢
ケンブリッジのレッドチェリー

ちょっと遠回しての新発見
今回はロトルア再発見の機会
にもなり、10回目にしてやっ
と楽しみ方がわかってきた
コロナの移動規制明けの20
20年6~7月のロトルア旅行
ロトルアに行きたかったとい
うよりも、とにかくどこでも
いいからオークランドを出て
閉塞感を脱したかった、とい
うのが正直なところでした。
それが思いがけず楽しくて、

(※
間欠泉も上から目線で)
この時点で早々の再訪を2人
で話し合っていたほどです。
最後にやって来たロトルア湖
群れてプカプカ浮いているの
はニュージーランドスズカモ

寒くて嘴を閉まっているのか
色が黄色かったらお風呂に浮
いているアレなんだけど(笑)

かなりの潜水士らしく強力に
水をはじきそうな艶々の羽毛
ロトルア湖の観光名物だった
レイクランドクイーン

この時も今もコロナで休業中
他の水上アクティビティーも
みんな休業中で静かなもの。
そのタイミングで湖畔は一大
工事中。コロナによる失業対
策としての公共事業のよう。
ノボテルとイビスの両ホテル
はともに政府がコロナ対策の
ために入国者用に借り上げた
隔離施設になっていました。

ここでロトルアに別れを告げ
地味に並木道フェチの夫が好
きなフィッツジェラルドグレ
ード(グレード:湿地)を抜け、
ワイカトのケンブリッジにあ
るコーヒーロースタリー
レッドチェリーロースターズ
レッドチェリーとは赤く熟れ
てサクランボ

のようになっ
たコーヒーの実のことです。
香り高い、フレッシュな1杯

ロースタリーを探してでもつ
い行ってしまうのはこのため
ここは周囲に何もない農村地
帯で、農村のオアシス的存在
らしく混み合っていました。
倉庫のような造りが周囲にな
じんで気軽に立ち寄れそう。
迷ってしまうほどの量と種類
地方ではすべてボリューミー
けっきょくチャウダースープ
チキンフィロ。サラダ山盛り
駐車場にはNZ最大の輸出業者
である酪農協フォンテラの車

各農家を担当する農場管理の
専門家たちが集まってランチ
ミーティングの最中でした。
一大酪農地帯ワイカト

の一
面を見るような光景でした。
ここからは一路オークランド
へ帰りました

ちょっと間
延びしましたが、お付き合い
ありがとうございました
2020年6~7月のロトルアの
ドライブ旅行2日目の夜は、
ちょっと意外な中華料理
年味水餃
(スプリングフェスティバル
ダンプリング)
目抜き通りフェントン通りの
路面店でかなり目立っており

ランチで下見していました。
看板の水餃子と
白身魚と漬物のスープ麺

(👆キウイが頼まなそうな1品)
なかなか美味しかったので、
夕食に舞い戻ってもう1回🥢

家庭の味を謳っていますが、
それ以上だと思いました
予想外のサンラータンです。

マイルドで玉子入り

北方の
家庭料理だとこうなるのか?
意外に辛くないのが北方中華
初めての店では夫が必ず頼む
麻婆豆腐

紅焼の照り感が美味しそう

白米に載せるとピッタリ
ここはぜひ再訪しましょう
3日目朝も
カフェ・ド・パリ
オークランドのコロナ感染者
が多かったせいなのか(なに
せ全国の人口の3分の1が集
中する大都市)、
顔見知りの
オーナーが、オークランダー
の私たちを疎んでいたのが明
白で、ロックダウン明けの再
訪を喜んでくれた
ハミルトン
の神カフェ、スコッツと好対
照。これを最後にしました。

人それぞれ。店もそれぞれ。
出会いもあれば別れもある
夢日記関連で間延びしました
が、旅行記


に戻ります。
2020年6~7月のロトルアの
ドライブ旅行

2日目午後は
赤い森こと、
レッドウッズへ
ホントに赤い
正式名称はファカレワレワ森
これは北米西部の湿度の高い
山地を原産とするスギ科の常
緑高木。世界で最も大きくな
る樹種で、英語ではコースト
レッドウッドやカリフォルニ
アレッドウッドと呼ばれ、セ
コイアとも総称されるそう。

日本でアカマツと呼ばれる種
類にも近いものだそうです。
NZにとっては完全な外来種で
1901年にこの地に植樹され、
雨の多い気候と肥沃な土壌が
合い見事な森となり今の姿に

落ち葉のせいもあって本当に
視界が赤くなり驚きました。
ひと際高いこの木は記念樹
メアリー・サザーランド記念樹

彼女は1916年にウェールズ
の大学で女性として世界で初
めて林業の学位を取得。NZ
初の女性森林管理責任者とな
り、ここをはじめ1923~33
年に各地で森を育てたそう。
それから100年近く経ち、こ
れからもずっとこのままで
ここはウォーキング、マウン
テンバイク、乗馬が楽しめる
場所でなんの知識も用意もな
い私たちはただ歩くだけ(笑)

よく整備された遊歩道です。
靴底が地面に触れないので外
部からの雑菌が入りにくく樹
木を守ることにもなります。
1年中、水が枯れなそうな川

この水量がまたレッドウッズ
を大きく豊かに育んでいる
いくつかコースがありますが

7.5kmのポハトゥロアトラッ
クにしました。私がスニーカ
ーですらなかったので、一番
簡単そうなコースをチョイス
(※もっと短いコースもあり)
えっ

あれはもしかして
ファカレワレワ

移住後2005年に家族で行っ
たマオリの観光地。ウリは彼
らがそこで生活していること
で、マオリのリアルな暮らし
ぶり、カルチャーショー、間
欠泉が見られるという場所。
マオリの生活よりも湯煙の中
で暮らすことの方が新鮮で、
恐くも危なくもないのかな

と思った所ですが、こうして
上から眺められるという事は
時間さえ合えば間欠泉が噴き
出るのをココから見られる

と言っているうちに・・・
えぇぇぇえ

なんだか急に湯気が出てきて
もしかして始まったのかも

間欠泉は時間を決め1日何度
か観光目的で開けています

(※ガス抜きでもあるのか

)
キター
轟音とともに間欠泉全開
何も知らずに単なる偶然で、
これが見れちゃいました
ロトルア湖までこの距離で、
ロトルア100%な眺めです
熱湯、圧力

これで地熱発電
ができるのがなんとなく納得
間欠泉の轟音のせいか周囲の
静かさが逆に引き立つよう。

穏やかなロトルア湖
街中のゴルフ場⛳
こんなに美しい街だったのか
街の反対側は一面の植林
伐採前の木がマッチ棒のよう
グルっと周り戻って来ました。
森の入口付近にはツリーウォ
ークという、樹の間に掛けた
吊り橋状の遊歩道を歩くアト
ラクションがありましたが、
時間が時間だったので次回に
10回目にして初めて知った、
レッドウッズ。ここはこれか
ら何度も来て森林浴しそう
「またホテルか
」
前編、
後編と書いてきた新館
と旧館のあるホテルの夢から
覚めて最初に思ったのはソコ
夢日記をつけるようになって
気づいた、夢でのホテルの登
場回数の多さは驚異的です。
「自分が旅行好きでホテル好
きだから」では説明できない
頻度ではないかと考えるうち
「私にとり夢の中のホテルは
宇宙ステーションのような、
幽体離脱後の中継地なのか」
と、思うようになりました。
夢を見ている自覚はなくても
目覚めている、いつもの状態
とも違うことを漠然と理解し
ている中で、ホテルは幽体離
脱中の身の(?)安全を確保で
きる場所として位置づけられ
ているのではないだろうか。
だから夢の中で混乱するとホ
テルに帰ろうとするのでは
今回の夢で興味深かったのは
「私」がブーツ

とクロッス
という頓珍漢であっても、履
き物を履いていたことです。
「あの世」は現実世界から90
cmほど上に重なるようにあ
るという「あの世」が見える
サイキックの話を何年も前に
知り目から鱗の思いでした。
「だから日本のお化けは足が
なく人魂は浮いて見える
」
夢日記をつけているうちに、
自分の身長から1、2mほどの
高さでなにかを目撃している
ポジショニングを何度か経験
し納得しました。(
最近の例)
そのせいか履き物に注意が払
われることはまれなのですが
新館と旧館の境目を密かに靴
底で確認していることに意味
があり、履き物を履いていた
ことはその伏線だったよう。
「私」は夢の中でさえ、新館
と旧館が異次元であることに
気がついており、新館で声を
かけられた日本人マネージャ
ーが旧館に入れないこともな
んとなくわかっていました。
なので、その境目に非常に興
味を持ったのだと思います。
宇宙ステーションのホテルの
中でも次元が異なる場所があ
り、簡単には行き来ができな
いのは不思議な気づきです。
「旧館のお客様だったんです
ね」というマネージャーの口
ぶりは、5つ星ホテルにある
まじきバスローブ姿の「私」
への蔑みではなく、本来そこ
にいるべきではない者がそこ
にいたことへの驚きであった
ことを、夢でも感じました。
その時点では自分の妙な格好
以外、『なぜココにいてはい
けないのか』はわかりません
でしたが、どうも煌びやかで
絢爛豪華な新館の方が、より
「あの世」に近かったらしく
「私」が足を踏み入れる場所
ではなかったようなのです。
旧館ですら「私」は居場所を
見つけられず迷子になり、う
っかり異次元へのドアを開け
てしまい、現世のメキシコら
しい場所に転がり落ちます。
「上とつながっているのは、
アレだけだ。乗ってみるか」
と自動車修理工はエレベータ
ーを指差し、「私」はそれ以
上の冒険を諦めて「この世」
に帰ってきたよう。やはりエ
レベーターが「あの世」に通
じるものとして登場します。
エレベーターは幽体離脱の
「あの世」から戻る新兵器
と
疑い始めてすでに6年経過
これまた驚異的な登場頻度で
「この世」「宇宙ステーショ
ン」「あの世」の移動手段
いろいろなものが即物的でわ
かりやすいのが重要なのか
間延びしましたが、次回はロ
トルア旅行記に戻ります
滞在先の5つ星ホテルで部屋
がわからなくなり、マネージ
ャーの後をついて新館から旧
館に戻ったところまでが
前編
気づくとマネージャーの姿は
なく、目の前には長い廊下が
縦横に走っています。天井は
低く、照明も落としてあり、
古い建物に戻ったのが視覚的
にもわかります。しかし、人
の姿はなく、廊下の両側には
ずらりとドアが並ぶばかり。
そもそも「私」は自分の部屋
の番号も知らなければ、鍵も
持っていませんでした。部屋
で寝ているはずのテナント氏
に、申し訳ないけれど起きて
もらうしかなかったのですが
ずらりと並ぶドアが客室のも
のなのかそれさえわからず、
その辺のドアノブをそっと回
しても鍵がかかっています。
「私」はだんだん焦り出し、
廊下をあてどもなく歩きなが
らドアノブを回してみますが
開かないか自分の部屋ではな
いかで、無人のホテルで完全
に迷子になってしまいます。
最後に回したドアノブは軽く
周り、ドアが開くとそこはい
きなり外で「私」は1mほど下
の草地に落ちてしまいます。
伸びた雑草の間にゴミが放置
されていて、見るからにホテ
ルとは無関係の場所で、突然
転がり落ちて来た見知らぬア
ジア人を、褐色の子ども2人
が不思議そうに見ています。
「私」は転がり出て来たドア
の方を振り向いてみましたが
グレーの塀があるだけで、ド
アらしいものはありません。
「ホテルに帰りたいんだけど」
と言ってみましたが、英語が
通じないうようで、子どもが
視線を移した先に大人の姿が
あり、どうやら父親のよう。
行ってみると、そこは小さな
自動車修理工場のようでダッ
トサン風の古い深緑のトラッ
クが1台停まっていました。
中年の小太りの男性は油まみ
れのランニングを着ていて、
1人で修理をしていました。
「ホテルに帰りたいんだけど」
と再び言うと男性は理解し、
トラックの陰で見えなかった
工場奥の油で黒光りした貨物
用エレベーターを指差して、
「上とつながっているのは、
アレだけだ。乗ってみるか」
と片言の英語で聞きました。
それはレストランで食事や下
げた食器を別の階に運ぶよう
な小さなエレベーターで、と
ても人が入り込める大きさで
はなく、ドアが閉まったらど
こに行くのかもわからず、恐
ろしくて乗れませんでした。
「私」は強制終了ボタンを押
して目を開き、生還します。
=============
前編は
「ホテル」、おなじみ
の
「ハイアット」、
「バスロ
ーブ」ときて、後編は「迷子」
と
「エレベーター」という私
の夢の定石がテンコ盛りの夢
最後に転がり落ちたのは、メ
キシコのようでした。草むら
に放置されたゴミの中に人骨
の上半身が右肩が埋まった状
態で捨てられており、一瞬ヒ
ヤっとしたものの、メキシコ
の「死者の日」(いわゆるお盆)
の装飾だ

とわかりました。

(👆人骨が身近なカルチャー)
褐色の人たちもNZで普段見
慣れたポリネシアンやメラネ
シアンではなく、いかにも外
国人でした。夢の中とはいえ
なにしに行ったんでしょう
これまた長い夢でした。思い
出せる部分から最後まで書こ
うと思い、前後編にします。
=============
「私」と夫はホテルに滞在し
ており、2部屋のもう片方に
は店子がいまた。その人は実
際の自宅の階下の借家で暮ら
すテナント氏。3人でホテル
暮らしをしているようです。
まだ薄暗い時間にドアが開き
ドヤドヤと人が入って来て叩
き起こされます。私たちの部
屋の天井に修理の必要があり
すぐに部屋を出てほしいと言
われ、「私」はろくに身支度
もしないまま部屋を出ます。
夫はそのまま仕事に行ってし
まいました。テナント氏は自
分の部屋に残ったようです。
「私」は所在なげにふらふら
ホテルの中を歩いています。
広さ、天井の高さ、磨き込ま
れた床、調度品、スタッフの
多さや制服にここが5つ星ホ
テルだとわかります。「私」
の中ではハイアットでした。
大きな宴会の準備の最中で、
大勢のスタッフがテーブルセ
ッティングに動き回り、一抱
えもあるような花が次々に届
いています。「結婚式かな」
と立ち止まって見ていると、
「なにかお探しですか?」
と日本語で声をかけられ驚く
と、黒いスーツを着た小柄の
中年日本人男性がいてホテル
マネージャーの1人でした。
その時初めて気づいた自分の
姿とは、ブラウンのモコモコ
のバスローブに、片足はロン
グブーツ、もう片足はクロッ
クスで、起き抜けの髪に顔す
ら洗っていない状態でした。

(※ブーツは約10年前に愛用
していたマイケルコース。夢
での色は今一番好きな色のミ
ッドナイトブルーでした

)
5つ星ホテルにあるまじき姿
に、「私」を排除しに来たの
は明らかです。しかし、そこ
は年季の入ったホテルマン。
慇懃無礼ではなく、言葉遣い
や物腰は毅然とし優美です。
尋ねられて初めて、部屋への
帰り方がわからないことに気
づき、自分が宿泊客であるこ
とと部屋の様子を伝えると、
「旧館のお客様だったんです
ね。ご案内しますよ」と言わ
れ、「私」は初めてこのホテ
ルが新館と旧館からなること
を知り後をついて行きます。
すぐに床の大理石の種類が切
り替わる部分に出くわして、
「そうか、ここが新館と旧館
の境目だったのか


」
「私」は妙に納得し、誰も気
づかないようなわずかな段差
を、大理石を削ることで滑ら
かにつなぎ合わせた部分に靴
底を滑らせ、境目を確かめつ
つ旧館に入っていきました。
(つづく)
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「ホテル」、しかもおなじみ
の「ハイアット」、「
バスロ
ーブ」と、私の夢の定石が散
りばめられ笑ってしまう前編
ですが定石は後編にも登場。
前編のハイライトは新館と旧
館の境目を知り、それを靴裏
とはいえ実感することです
解説は後編の後にしま~す
自分の家が実は2棟からなり
裏にもう1軒あった上に、そ
こに水道修理のために穴が開
いていたという
衝撃的な夢
夢はいつも大なり小なり荒唐
無稽ですが、今回のように設
定が実際に近い普段の状況だ
と、そこで起きる異変の衝撃
度が増幅

されるようです。
さて、この夢で目覚めた私は
そのままベッドにいました。
ぢっとしていると興味深いこ
とに、テストの答え合わせの
ように、夢の意味するところ
が次から次へと、頭の中に降
りて

来るではないですか
それらは頭の中で考えたり思
いついたりしたものではなく
外から入ってきたものです。
長い長い解説だったように思
いますが簡潔にまとめると、
「家」は自分自身であること。
玄関がある家の正面が「現在
の自分」。壁に穴が開いた裏
の家は「過去の自分」で、ど
ちらも自分を形成している
という深淵なレクチャーに続
き、過去の穴は埋められない
と言明されます。正面からは
見えなくても、人はみな過去
を背負って生きており、完璧
な人も、完璧な人生もない。
だからあるがままでいいのだ
という結論だったようです。
思い出したくないような経験
や失敗は誰にでもあるはず。
本人は忘れたつもりでもそれ
は背中にくっついていて、そ
れでいい、というお墨付き
そう思うだけで、浄化作用が
あるような気になりました。
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しかし、実際の今の家は裏で
はなく階下が借家になってお
り、そこの水周りがよろしく
ないというリアルな問題もあ
って夢の意味は奥深いです。
こればかりは、「あるがまま
でいい」とはいかないので💦
引っ越し早々に2階からの
水
漏れというハプニングもあり
壁や天井に穴を開けて修理
前の家主が知らなかったとは
到底信じられないパイプの穴
を見つけ、家主や不動産屋へ
の不信感と後味の悪さはしば
し続きました。それも過去