ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ドイツ村のクラフトマーケット

2023年08月31日 | オーストラリア:アデレード

2022年11月のオーストラリア
7日目。南オーストラリア州
にあるドイツ村ハーンドルフ



アデレードに来るたびに立ち
寄っているので今回で3回目

ドイツ国旗が掲揚されていて


なんでもかんでもドイツです。

ジャーマンスプーンという店


ド派手なドイツ国旗色の階段



ここはドイツ食材店でしたが
フランスやイタリアの物など
いろいろあったのは内緒(笑)

パケ買い需要に弱そうな独製


1839年の創村時からあるの

素朴な『1839』に説得力が。
ここも半切妻屋根ですね
見慣れない屋根が気になる。


前回来た時に食事をした店。
名前が変わりジャーマンイン



以前はアシエット(皿)というフ
ランス語名が目立っていた店

今はスペイン、イタリア、イ
ンド等いろいろな店もあり。


以前からあるインド料理店



ここも変わらない老舗パン屋



でも村は確実に大きくなって
おり、この宿泊施設も新築か
拡張か、とにかく新しそう。

週末の小旅にはもってこい


大通りのありとあらゆる場所
が商業施設になっている感じ
で、奥まった場所にも店が。



それがいかにも自然な感じで
コロナ禍中に村を挙げて練り
に練ったかのような、気づか
れにくいアップグレード



コロナのようなピンチのとき
に攻められるのが正しい経営
では。多くのビジネスはキャ
ッシュフローが止まって四苦
八苦。そこを内部留保を使っ
て攻めれば、四苦八苦な他の
地元企業の助けにもなるかと

しっかり宿題をやっていた


こんな消防署があったっけ

インフラも追いついている


ふと目に止まったマーケット

ポップマーケット


地元クラフターのハンドメイ
ドクラフトマーケット。洗練
されたセンスや精緻な造りに
驚き。ギフトやおみやげが必
ず見つかりそうな場所です。


目移りしたシュシュ専門店

生地選びのセンスがすべて
けっこう買っちゃいました(笑)


そして出会った美しいボード



この手の嵌め木は珍しくない
ものの、ここまで美しいのは
初めて見た気がします。どれ
もオイルで丁寧に磨かれてい
るばかりか、今や伐採禁止の
樹も多く、貴重な組み合わせ

じっくり話を聞き何点か購入
息子と友人のプレゼントにも


我が家にも2点買いましたが、
もったいなくて使えません

(※一番手前を購入。クスノ
キ、クルミ、ユーカリの1種
レッドガム、ラジアータマツ)


チラリと映っているのが制作
者のエロール・クラウチ氏。
見事なクラフツマンシップ

自宅の工房には膨大な数の木
材コレクションがあるそう。


私もクラフターの端くれ。材
料はいつも、いくらでもほし
くなるものなんですよね


ぜひまたお目にかかれますよ
うに🙏エロール、ありがとう


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:古くて新しいドイツ村ハーンドルフ

2023年08月30日 | オーストラリア:アデレード

2022年11月のオーストラリア
7日目。前夜に南オーストラ
リア州州都のアデレード入り


この旅行記も40本になりまし
た。どこまで続くんだろう


この日もこんな天気でしたが

こういう天気こそクルマでし
か行けない場所に行くに限る


やって来たのは1839年から始
まったドイツ村ハーンドルフ



なぜオーストラリアの片田舎
にドイツ村ができたのかは、
記事にしているのでコチラ


そこに新しくできたスペイン
料理の店コミダ。ここは以前
人気カフェだったはずですが
コロナ禍中に変わったよう。

半切妻屋根がオーストラリア
では珍しくドイツ風なのか


昔の写真でも半切妻です。



広々とした店内。カフェとい
うよりは完全にレストラン



巨大なパエリアパン。大のパ
エリア好きの夫は目がハート



シンプルな内装は配色の勝利



このコップもありそうでない

コロンとして手頃な大きさ


サワードウ好きの夫は再び



で、こうなる。バターも秀逸

これで2ドル(200円以下)って
ありえないお値打ちさです


さらに驚きの食材を発見



まさかのタコ🐙しかも地元産

さすが地中海料理。獲る人も
食べる人もいるんですね。NZ
はそこまで普及してないかな


私も迷わず大好物で。ベビー
コスレタスのシーザーサラダ

エシャロットたっぷりで非常
に丁寧な作り。味もピカイチ
これでオーストラリア標準サ
イズ(この2倍以上)あれば(笑)


ハーンドルフは市内から30
分もかからない距離なので

ぜひ次回は夕食で


雨も上がっていざ村歩きへ

かつての製粉所。今はホテル
オールドミル


なんだか一段と小ぎれいにな
ってアップグレードされた

インスタ映えが強化されて、
これは乗ってもいいらしい


アデレードもならハーンドル
フも3年7ヵ月ぶり。なんだか
村が広くきれいになっている



コロナ禍で閉店した店もある
反面、残った店や新しい店は
あの手この手でコロナの反動
を享受しているようでした。

(※ここはイタリア料理)


どこがどう変わったのかは以
前の写真とでも見比べないと
判りませんが、雰囲気をその
ままに、確実に村が拡張して
いるのを感じました。その高
度な再発手腕の見事さたるや



変わらないことに価値がある
ことを知り尽くし、自分たち
もその価値観を愛する人たち
の完璧な規律と調和の結実か

(※ずっと変わらない刃物屋)


ここも変わらないドイツバー

みんなめちゃ飲みそう~🍺🍺


ここは前回はなくコロナ直前
にできたビスケットカフェ

(※ビーン&ビッキー)


前からあるキャンドル専門店



古くて新しい村を歩こう



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ライムストーンコーストに別れを告げて

2023年08月29日 | オーストラリア:ライムストーンコースト

2022年11月のオーストラリア
6日目。南オーストラリア州
第2の都市マウントガンビア
を出てアデレードへ一路北上



ただただ平地。ただただ直線
退屈を紛らわす美しい農村が
延々と続いていくのには感動



商業施設でもないのに沿道に
は数キロにわたって花が植え
られ、芝も刈られそれは見事



一帯はブドウ畑だったり、



果樹園や小麦畑だったり。



観光名所でもない普通の田園
風景なのにすべてが端正で、

グレートオーシャンロードと
はまったく異なる光景です。


NZでは見ない木の杭と水道管
でできた整然と並ぶ簡単な塀

動物除けなんだろうか?リサ
イクルが容易そうな地産地消
素材が自然な風景になじむ


温室効果ガスを大量に出すセ
メントを使わない努力が始め
られる以前から、こうして暮
らしてきたように感じます。


道端の遊休地もキレイに芝刈
りされ風力発電のタービンも

人工的なものは最小限です。


ここはまだライムストーンコ
ースト(石灰岩海岸)で.小さな
町や村が点在しているはずで
すが、高速道路沿道ではなさ
そうで、店はほとんどなし。

(※https://alchetron.com/Limestone-Coast)


通過するドライバー以外は目
にする者もいないのに、ここ
まで愛情と美意識をかけ流し
た農村風景に心打たれます。
暮らしぶりのゆとりなのか。

ロードトリップにはいい道


ライムストーンコースト北端
の町キースでひと休み。マウ
ントガンビアからアデレード
までのちょうど中間地点。写
真を撮ったり休んだりゆっく
り来て、ここまでで3時間半。

ヘンリー+ローズ


コロナ禍を脱しかけたばかり
の頃ゆえ、ネットで営業が確
認できた数少ない店でした。

確認して行っても閉まってい
ることがまだあった頃です。


カフェ+花屋+雑貨屋のワン
ストップサービスでクルマが
停まっては出ていくような店



ひと息つけてありがたかった。

手作りスイーツも美味しい


さーて、一路アデレードへ


と思ったら、この大雨

ワイパー最速が追いつかない
南極からの暴風雨にたじたじ


しかし、雨雲の絨毯攻撃が終
わればあっけらか~んと青空



この辺は降った形跡さえなく
麦穂が風にそよいでいます。



しかし、再び南西から黒雲が



山の向こうは降ってるよね



で、こっちもすぐこうなると

ここまで来ればもう市内です。


ただいま~ 所有するホテル
の1室『アデレードの子』(と
呼んでいる)にチェックイン。
2019年4月以来で感無量です。

ホテルの方針でオーナーでも
自室に泊まれるとは限らず、
別の部屋でしたがそれもよし


悪天候にも阻まれ7時間の運
転でヘトヘトなはずなのに夫
は元気にベトナム料理ご所望

クルマがないと行けない郊外
メイキッチン
2018年以来2回目でした。


とにかく混み合う店で大繁盛



コロナの反動が爆発してる(笑)

夫はビーフフォーでご満悦


私はチキンフォーでHappy



さぁ、いよいよアデレード


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:タイム@ザレイクスの夜

2023年08月28日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア
5日目。南オーストラリア州
第2の都市マウントガンビア


暮れなずんでいくまっ平な街
夫婦して非常に気に入った街

どうも私たちは南オーストラ
リア州と相性がいいらしい。


今回は陸路でビクトリア州か
ら入って来たせいか、空気の
違いを如実に感じ、極端に言
えば同じヨーロッパ内でもイ
ギリスから大陸側に渡ったよ
うなそんな違いに感じます。


マウントガンビア2日目にし
て最後の夕食にやって来た、
タイム@ザレイクス

ロゴがセンテナリータワー


ファインダイニングの店で円
卓2卓の大きな誕生パーティ
ー🎂が開かれていました。

ボケボケですがアミューズ


ギリシャ料理をベースにした
地中海風オーストラリア料理

フラットブレッド


ホタテ貝



テイスト・オブ・ジ・オーシ
ャンというシーフード尽くし

ソフトシェルクラブ+蝦+イ
カ+ホタテ貝の盛り合わせ


なんと夫のメインはほぼ同じ
量が多くなって再登場(笑)



シーフードメニューは大小あ
り前菜にもメインにもできた
ので私は蝦のカタイフィ巻き

ここの看板料理のようです。


付け合わせのインゲン



デザートはチーズケーキで。



コーヒー☕



誕生日パーティーでフロアも
多分キッチンもてんてこ舞い
の中、テーブルについてくれ
たウエイトスタッフが冷静沈
着だったのが好印象でした。

眺めもいいしまた行こう


6日目の朝はまさかの大雨に

ホテル周りの写真も断念して


そのまま出発することに💦



2泊だったので中1日しかな
くほとんど出かけていてホテ
ル周辺の写真はごくわずか。
前日に撮っていた数枚のみ


1911年完成の旧バーコー鋳
物工場のファサード。珍しい
黄色のドロマイト(白雲石)製



ここでは風車やウサギ獲り器
が製造されていたそうです。



1903年完成のマウントガンビ
アクラブ。現在も2階で活動中



1975年まで稼働していた製粉
工場。今は改装されて外食や
娯楽施設に。今回は行けずに
写真のみですが、ぜひ次回に



最後の朝も再びベイブルー

3回目。どれだけ気にいった


しっかり食べてここからアデ
レードまで435km。まっすぐ
行っても5時間の長旅です



再訪したいマウントガンビア

ぜひ、またいつか



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:巨大陥没穴アンファーストン・シンクホール

2023年08月27日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア
5日目。ポートマクドネル
らマウントガンビアに戻って
この日最後の目的地だった、

アンファーストン・シンクホール
日が長い時期で助かります


「シンクホール、陥没穴って

クルマを停めてから細長い道
を通って地表に開いた穴へ


「穴を見に来たの」百聞は一
見にしかずで行くっきゃない


ホントに穴



かなりの深さに大きさです。

直径約50ⅿ、深さ約20ⅿ


かつて海水に浸食された洞窟
だったものが、どこかの段階
で天井部分が落ち、現在の陥
没穴になったといわれます。

経緯を知らなければ、旧石切
り場だと思うことでしょう。


今は見事な庭園。底だけでな
く垂直の壁にまで緑の緞帳が

どこにも似ていない驚きの光景


穴は1864年にこの地を購入し
たジェームス・アンファース
トンによって「発見」され、
一家は穴の淵に家を建て1866
年以降は庭園となりました。

(※庭園で寛ぐアンファースト
夫妻と友人たち。1900年)


しかし、その後庭は荒れ果て
第2次大戦後、州林野庁職員
ケン・ノートン
が並々ならぬ
情熱を傾け、33年をかけて
現在の姿に造り変えたそう。


いろいろな植物を植えてみて
もアジサイしか残らず不思議
に思っていたら、その理由は

ポッサムだった
アジサイ以外の植物を食い散
らかしてしまう犯人でした。
(※今は果物で餌付け中のよう)


これはツタ。ノートン自身が
植えた樹も残っているそう。



地形を上手く利用した遊歩道



内側は水分が多く湿気ており
ポッサムの格好の棲家らしい



見るからにボロボロで脆そう
な岩。グレートオーシャンロ
ードで見てきた石灰岩と違う
と感じたこの地の石灰岩は、



ギャンビアライムストーン(石
灰岩)と呼ばれ、ライムストー
ンコースト一帯を構成してい
るそう。4000~1500万年以前
この地が海底だった頃に形成
され厚みは300mにもなるとか



岩は約半分が気孔で形成され
るため水を通しやすく、地下
水貯蔵にはもってこいです。

だから植物も根付くのか~


周囲から地下水が集まるブル
ーレイク
はその恩恵でした。



ボロボロには訳があったのね

@ノーサンバーランド岬


ちょっとギョッとした蜂の巣



シダの裏にも遊歩道があり、



見事な木漏れ日が差し込んで

自然の日除けで夏は涼しそう


今は地元のガーデン愛好家た
ちに手厚く守られ、結婚式か
らピクニックまでさまざまな
形で利用されている憩いの場

(※出入口。このツタが紅葉し
たらそれは見事だろうなと)


自然のアート



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ノーサンバーランド岬の物語

2023年08月26日 | オーストラリア:ライムストーンコースト

2022年11月のオーストラリア
5日目の午後はマウントガン
ビアからポートマクドネルへ


ここもまた『船の墓場』と呼
ばれた海域の一部でしたが、
1860年にポートマクドネル港
が開港するや、ヨーロッパへ
の小麦や羊毛の輸出基地とし
て、アデレード港に次ぐ南オ
ーストラリア州第2位の取扱
高を誇るまでに発展します。

(※ロブスターだけじゃない)


しかし、華やかな経済成長の
陰で船の航行の安全を確保す
るための地道で弛まぬ努力が
続けられ、それは時として大
きな危険を伴うものでした。


開港に先駆け1856年に最初の
灯台建設計画が始動します。


1857年には建物が完成しまし
たがイギリスに特注した照明
設備を待ち、1859年1月マク
ドネル灯台が点灯しました。



灯台が建設されたノーサンバ
ーランド岬は海に突き出た崖
の上で、暴風雨は元より崖の
浸食により灯台守の安全が危
ぶまれたことから、1881年
に転移し、解体されました。

ノーサンバーランド灯台とも
呼ばれた灯台は役目を終えて
(※当時の灯台と灯台守官舎)


灯台跡は展望台になりました。



移転後は陸地に再建。規模も
設備もより拡張されました。

(※1882年移転。写真は1906
年。灯台守とその子どもか?)


現在も同じ場所で稼働中



ノーサンバーランド岬での
歴代の主任灯台守と任期。

厳しい任務だったでしょう。


初代主任灯台守となったベン
・ジャーメインは『マクドネ
ル港の父』ともいうべき人物



灯台操業から7ヵ月後にポー
トマクドネルから40kmほど
北上した地点でオーストラリ
アの蒸気客船アドメラ号が難
破し、89人が犠牲になる痛ま
しい海難事故が起きました。



ジャーメインは荒海の中を小
舟を操ってアドメラ号に近づ
くことに成功し船長をはじめ
数人を救助し、この栄誉で数
数の勲章を授与されました。

(※ポートマクドネル周辺の海
難事故とアドメラ号沈没場所)


ジャーメインはまた、マクド
ネル港建設に向け、建設地の
調査と選択を任されました。


周辺の岩や岩礁を調べ上げ、

(※克明な記録)


こうしたひとつひとつを記録
していったのでしょうか



建設地を最終決定し、開港後
は初代港長に就任しました。

(※1862年完成の旧税関。港
長事務所もここにありました)


1861年には灯台近くで転覆し
た船の乗組員救助の際、ジャ
ーメインは手の指を数本失う
という大けがを負いました。


灯台跡があるノーサンバーラ
ンド岬に行ってみました。岸
はどこもかしこも岩だらけ。



陸も崩れやすく立ち入り禁止



浸食された石灰岩はボロボロ
でいつ崩れても不思議はなく



グレートオーシャンロードで
見てきたよりももっと脆そう



草木も生えない厳しい環境



ラクダ岩



ここは古の寺院の遺跡のよう



大きくひび割れて浸食が進む



オットセイが昼寝中でした



まるで海上修道院モンサンミ
ッシュエル石柱を十二使徒
と呼んで観光誘致に成功して
いる商売上手なビクトリア州
を真似てあれこれ呼べそう。

でもそれをしない南オースト
ラリア州の奥ゆかしさもいい


岬は州最南端でもあります。



晩年のジャーマインはうつ病
となり、1893年7月に失踪。
9月に自分の船の中で亡くな
っているのが発見されたそう。



ほぼ還暦だったそうです。



ポートマクドネル港は陸路の
発達もあり1914年の貨物船
カジノ号の寄港を最後に、漁
港としての道を歩みました。


カジノ号はあのグレートオー
シャンロード建設労働者の
大飲み会
の契機になったあの
貨物船🚢1924年の座礁も含
め数々の事故を乗り越えて、
1932年にアポロベイで沈没。


バス海峡の荒波の中、満身創
痍で2,500航海したそうです。


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:ロブスター漁の中心ポートマクドネル

2023年08月25日 | オーストラリア:ライムストーンコースト

2022年11月のオーストラリア
5日目。午後はマウントガン
ビアからクルマで30分ほどの

ポートマクドネル


『ポートマック』の愛称で親
しまれ、内陸のマウントガン
ビアの海の玄関口として発展


マウントガンビアを含む一帯
ライムストーンコースト(石
灰岩海岸)と総称され、その中
でもポートマクドネルは南オ
ーストラリア州最南端の町。
南極まで5,700kmだとか🐧

(※https://alchetron.com/Limestone-Coast)


港らしく旧税関。しかし、そ
れは名前だけで警察署と留置
所、郵便局、裁判所、港長事
務所まで入居していたそう。

(※今は宿泊施設カスタムズハウス)


NZ最南端の町ブラフを彷彿と
させ、危険な海域の港として
同じような苦労をしたよう。



ブラフと言えばオイスター。
でもポートマックといえば、

(※壁画で有名らしいポートマ
クドネル&地方海洋博物館)


ロブスター🦞

1950年代の典型的なロブスタ
ー漁師と漁具。ライムストー
ンコーストは州内随一のロブ
スターやシーフードの産地。
その中でもポートマクドネル
は最大の漁船数を誇るそう。


前夜のロブスターもこの辺で
水揚げされたものだろうか?



2018年に国と自治体が共同で
整備したウォーターフロント



町の歴史の丁寧で詳細な展示



それによると、ポートマクド
ネルは1780年代からオースト
ラリアの東海岸に向かう貨物
船により存在を知られていま
したが、正式な測量を経て18
00年に「発見」されました。


1840年代にマウントガンビア
への農業移民が本格化すると

(※農地が続くマウントガンビア)


旅客と貨物輸送への必要性か
ら、最寄りの港としてポート
マクドネル港建設に白羽の矢
が立ち開発が始まりました。


しかし、石灰岩に覆われ南極
からの暴風雨がたびたび襲う
この地もまたシップレックコ
ースト(難破海岸)
同様に『船
の墓場』で、ポートマクドネ
ルでは21艘が沈没したそう。


1859年に初めてこの地に灯台
が建設されたものの、同年に
40kmほど北で蒸気船アドメ
ラ号が難破し89人が犠牲に。

(※アドメラ号)


潮の干満によって見えたり見
えなくなったりしそうな岩。



小さな小舟で操業するロブス
ター漁も危険な仕事でした。

(※停泊中の漁船。1890年)


現在のマクドネル灯台



今は港を抱くように長い長い
防波堤が建設されています。

1970年代建設。全長1.5km


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:行くなら旗のある日に

2023年08月23日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア
5日目。南オーストラリア州
第2の都市マウントガンビア


ブルーレイクから徒歩でホテ
ルに戻り、今度はクルマで
ベイブルーエスプレッソバー



1日に2回、しかも数時間後に
舞い戻ったので驚かれながら
「これからセンテナリータワ
ーに行って中を見学するの」
という話になると、意外にも


「今日って開館日だっけ?中に
入れる日は旗が出るんだけど」


(※控えないバターの量に夫の
目がハートになりました)


は、旗
というなんともマニュアルな


こちらは彼らのHPで調べて
時間も調整して来たのですが


マニュアルvsデジタル勝負
結果はいかに


クルマで行けるところまで行
き、後は緩い坂道を徒歩で。



右手に見えてきたのは、もう
1つの火口湖バレーレイク。



ブルーレイクの半分以下の広
さで色もブルーではなく、コ
バルトブルーに変わる前のブ
ルーレイクはこんな色なのか



左手は緑が続き農場だったり



ゴルフ場だったり。夫ガン見



1番高い所はマウントガンビ
ア、ガンビア山の頂上。地名
として有名でも元は山の名前
標高たった75ⅿだそうです。


頂上に立つセンテナリータワ
ー。高さ9ⅿ。1904年完成。



なんのセンテナリー(100周年)
なのかと思ったら、1800年に
この地をマウントガンビアと
命名したことを記念して、19
00年に山頂の塔建設計画が持
ち上がり、募金募って実現。



1919年着工1932年完成の
レートオーシャンロード
とは
比較できない規模ながら、時
代としては20年ぐらいの差。

(※1904年の開幕式典)


グレートオーシャンロード信
託は民間からの出資と借入で
8万1,000ポンドを調達し、完
成した区間を有料化すること
で資金を回収し道路を無料化

(※初期の料金所)


道路建設は復員軍人の社会復
帰と恒久的な観光資源の建設
という大義を果たしました。



一方で塔の建設は民間企業が
請け負って総工費434ポンド



経済的価値には置き換えられ
ない市の象徴と市民の誇り。

足元に立ちそう感じました。


誰もおらず開館もしておらず



旗もなく、マニュアルの勝ち



やはりこれは植樹のようです。



でも立ち入り禁止⛔で残念💦



あの岩壁の内側はブルーレイ
クですが、残念ながら水が見
えず。水面が今より2ⅿ高か
った昔は見えたのでしょう。

色の違う湖2つが同時に見え
たら、さぞや綺麗でしょう。


降りて来た時に気づいた標識

旗が掲揚されている時に開館
地元民はいつも正しい


いつか中に入れますように。



見納めのブルーレイク。ここ
はいつか必ず戻って来たい🙏



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:南オーストラリア州第2の街

2023年08月22日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア
5日目。南オーストラリア州
第2の都市マウントガンビア


「こ、これが第2の都市
と思わずググってしまったら

(※1882年完成の旧タウンホール)


人口で見ると州都アデレード
が100万人超、マウントガン
ビアが約2万3,000人と40分
の1以下ながら確かに第2位


隣はインスティテュートと略
称される旧図書館や市議会。

タウンホールより古く1869
年完成。市議会として現役。


都市というより可愛い街です。


やや離れた高台に古い塔が。



塔の後に1列になった樹。町
に入るときの道からも見えて
気になっていた場所でした。



給水塔でしょう。現在は電波
塔も兼ねていてまるで王冠



一帯は緑多い行楽地になって
おり古い塔センテナリータワ
ーも、ここから行くのか~



ブルーレイクホリデーパーク

由緒ありそうなキャンプ場⛺


ゲートにはクイーンエリザベ
スパークとあり、公園も兼ね
ていそうで、誰でも入れる?



ホリデーパークなのでキャン
プだけでなくキャビンもあり

ブルーレイクが目の前で宿泊
には絶好のロケーションかも


湖畔で給水スタンドを発見



目の前のブルーレイクからの
水かと思うと感慨深いものが



ぜひぜひ再訪しましょう

書きながら誓い新たに、今に
なってカテゴリーも新設(笑)


あれっこの電柱って?



コンクリートをかつての線路
で挟んで補強してあります。

廃線後の再利用と街の歴史が
ぎゅっと挟まっているよう。


ため息が出るような素敵な庭



そして家。これだけの美しさ
の維持はどれほどの作業か。



自分でするにしろ業者を頼む
にしろ大変な労力でしょう。



それを弛まなく続けていく街



古い家の増改築に慣れた業者
もたくさんいるのでしょう。

この家は改装中のようでした。
今どきの新建材とは大違い


庭の水やりも



植え替えも



剪定も。どれも手を抜かずに



その結果がこの街並みです。



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:コバルトブルーに魅入られて

2023年08月21日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア
も5日目。南オーストラリア
州のサザンオーシャンドライ
ブの最初の要所マウントガン
ビア2日目はブルーレイクへ


言葉にならないような美しさ

なんとも深いコバルトブルー


まるで着色されているかのよ
うで、グラスにすくったら透
明になるのが信じられない。


ブルーレイクは数千年前の噴
火でできた火口湖。雨水や周
辺の石灰岩帯水層からの地下
水が流れ込んでできたそう。



それは今も続いています。

水深は最長で77m。水面は地
上から30m下になり地下水が
流れ込む構造になっている


1846年のブルーレイク



誰もが思う、
この青はどこから来るのか



しかも、この色になるのは毎
年11月から3月の夏場だけ。
それ以外はグレーなんだとか

なんとも神秘的な湖です。


色が変わる理由は、気温が上
がって表面水温が20度以上に
なると、水中の炭酸カルシウ
ムの溶解度が下がって微結晶
を形成し、それが青色光を撒
き散らすからだそうです。(私
の理解ではこれが精一杯)


湖岸近くで水中の石が透ける
場所ではアクアブルーです。

自然の色見本を見ているよう


ブルーレイクの水量はおよそ
3,600万トンで、今もマウン
トガンビア市の水がめです。

浄水処理場や汲み上げるため
のポンプなどの設備が緑に隠
れるように造られています。


年間の使用量は360万トンと
全体の10分の1ですが、水量
の減少で過去25年間で水面が
2m低下しているそうです。



水源のため周囲は厳重に管理
されていて、ツアー以外では
湖畔までは降りられません。



でも湖が一周できる道が整備
されていて全長3.6kmです。



たいした距離でもないので周
ればよかったのですが、歩か
なかったのはナゼなんだろう



美しさに魅入られ「ここはま
た必ず戻ってくる」という想
いが先立ち、あえてやり残し
を作ろうとしたのだろうか。



旅のやり残しは作っておきた
い方なので。またいつか

(※道端の古い見晴台)


かつてのポンプハウスの写真



今も赤い屋根のまま健在🏡



毎年11月の数日で灰色から吸
い込まれるような青に変わる
そうで、11月に長逗留して色
が変わるのをこの目で見られ
たらどんなに感動することか

バケツリストに入れておこう


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:キーワードはブルー

2023年08月19日 | オーストラリア:マウントガンビア

6月から始まったこの旅行記
もとうとう31本目です。ハワ
イのマウイ島の大火で楽しか
った旅を振り返ることさえ憚
れるほど衝撃を受けていまし
たが、悲劇から10日以上が経
ち、だいぶ落ち着きました。


話を続けたいと思います


=============


2022年11月のオーストラリア
も5日目。ビクトリア州の
レートオーシャンロードの旅

を終え、南オーストラリア州
入り。最初の街マウントガン
ビア2日目の散策が続きます。


廃駅マウントガンビア駅を出
て「さて、どこに行こうか?」

公園に温水プール、ネットボ
ール場に児童公園、BBQコー
ナーにテニスコートとどれも
観光客には関係なさそうな所


でも最後の濃い青は『旧監獄
宿泊施設』とありオールドマ
ウントガンビアジェイル
(監獄)
として絶賛営業中でした(笑)


「週末はムショ暮らしだよ~」
とかジョークが言えそうかも


こういう場所なので今でも、

警察署


裁判所

マウントガンビア地方裁判所


そしてかつての裁判所も

嵌め殺し窓という名称が似合
うレンガで埋め込まれた窓。


1864年に完成し1974年まで
100年以上使われたというこ
とはこの街の犯罪率の低さを
物語っているのではないかと



流刑地だったパースなどでは
流刑囚の受け入れ+地元民用
であちこちに刑務所ができ、
裁判所も拡張の一途でした。


完成は1864年でも最初の裁判
は1865年1月だったそうです。

1877年に両脇のウイング、19
50年には留置所が増設されて


今は集会場や結婚式場👰に

永遠の愛と正義を誓う場所か


急に風景が変わり住宅街に。

場所柄代々法曹界関係者が多
いのか、お屋敷ばかりです。


坂をさらに上る前にひと休み



ベイブルーエスプレッソバー

アールデコの小さな青い建物


サクっとググっておきました
が、思った以上にステキな店



コーヒーも美味しく、滞在中
何度も通ったカフェでした。

カップもブルーで。


坂の上には小高い丘が広がり



火口湖。LAKESと複数形なの
でいくつもあるってことか

(👆いつもながら下調べゼロ)


ブルーレイク。青湖というそ
のままの名前が目的の場所



右でも左でもブルーレイク



他の名前が思い浮かばないほど

ブルーレイクは青かった。


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夢見:ハワイの被災者

2023年08月18日 | 浅き夢見し

「私」と夫は空き家になって
いた2階部分を急に貸し出す
ことにしました。家は古い木
造の洋館で、板壁はペンキを
塗った方が良さそうですが、
急ぐのでそのまま貸すことに


すぐに家族連れがやって来て
一番大きい部屋に入り、次に
母親と子どもがやって来まし
た。一番小さい部屋に案内す
ると「ここでは小さすぎる」
と言われ、真ん中の大きさの
部屋に入ってもらいました。


「小さい子がいる母子家庭」
と聞いていましたが、小学生
の子どもが2人いて確かに小
さい部屋では狭すぎました。


私たちの会話は淡々としたも
ので、入居者は疲れた顔で部
屋に入りドアを閉めました。


「3家族目は何人だったっけ」
3部屋の一番小さい部屋しか
残っていないのが心配になり
この人数でバス・トイレ、台
所が1つなのも不憫でした。


最後の家族がやって来る前に
夢から覚めてしまいました。


=============


「2階ってこんなだったっけ」
久々に自宅の2階に上がった
時にそう感じたぐらい、その
家はNZの木造家屋とは違っ
て見えたものです。なぜなら
その家はハワイだったから


8月8日に発生したマウイ島の
山火事はハワイ王朝の古都ラ
ハイナを焼き尽くしました。

(※カメハメハ3世時代の首都)


執筆時現在の犠牲者は111人
ですが人口1万3,000人のラ
ハイナでいまだ1,300人の安
否が判らないと言われます。


ラハイナはコロナ前の2019年
に初めて訪れ、夫婦で大いに
気に入り、今年2月にも再訪
していました。何度も何度も
行くつもりだった町が焼失し

来る日も来る日もラハイナの
ことを考えているときの夢。


「募金するならぜひここに
という募金先(詳細はコチラ)
を見つけた夜の夢でした。



ハワイに家があり、空き部屋
に被災者を受け入れるという
まさに夢のような設定です。


心身ともに疲労困憊して言葉
も出ない人たちがリアルで、
「私」もまた言葉少なでした。


犠牲者のご冥福と町の復興を
心からお祈りいたします



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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:歴史の幕を閉じたマウントガンビア駅

2023年08月11日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア
も5日目。ビクトリア州を抜け
南オーストラリア州最初の街
マウントガンビアの散策へ


ホテルが街の中心だったせい
か周囲は古い建物ばかりで、
歴史的建造物好きには最高

かつての郵便局。電信局とし
て1865年完成。1887年に郵
便局も兼ね、今はカフェ


1900年完成のノリス・エージ
ェンシー事務所。イタリア式
ファサードの個人事務所で、



今もオフィスのままだそう。

ほとんど変わっていません


ロートアイアンの門や塀がな
んともヨーロッパな雰囲気。



宿泊しているホテルにそっく
りな外観の、マクス・ホテル



1864年の創業でマウントガン
ビア・ホテル
から2年遅れ。



どうりでそっくり。不思議な
ことにこちらは州の歴史的建
造物に指定されていません。

これだけの建物を行政支援な
しに修繕補修していくのは、
大変だろうな~と思います。


1866年完成のイギリス国教会



門は後付けで1927年の寄進

それでも100年近い古さです。


急に開けた場所に出ました。



錆びた線路のオブジェでした。



かつての線路が石畳になり、



周辺は市民の憩いの場らしい



ここはマウントガンビア駅

北に100kmのナラクートと西
に90kmのネルソンに近いヘ
イウッドまでを結んだ主要駅


1879年完成の旧駅舎を建て替
え1918年にできた駅舎。ペン
キが塗ってありますが石造り

メルボルン郊外のブライトン
を思い出しましたが、あち
らは観光目的で1861年に完成


鉄道は1995年に業務を停止。
2006年まで観光列車が運行し
ていましたがそれも運休し、
以来周囲は公共スペースに。



駅の周辺には古い建物がその
まま取り残されていました。

立派な石造りの3階建てで、
かつての倉庫だったのか


屋上は伝書バトの巣だった



建物にはたくさんのハトが



キミたちここに住んでるの



『1886』の文字が見え、歴史
的建造物指定でもないので放
置状態。今は巨大なハト屋敷



この建物だけに集まっていて
代々ここに住んでいるのか



これはトタン造りでかなり後
世の建物か。でも古いです



今まで訪れたオーストラリア
のどこにも似ていない町で、
それは内陸部ゆえだからか


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:海から山へマウントガンビア

2023年08月10日 | オーストラリア:マウントガンビア

2022年11月のオーストラリア


グレートオーシャンロードを
走破
し、4日目は南オースト
ラリア州へ。ここから州都ア
デレードまではサザンオーシ
ャンドライブ
という観光コー
スがありますが、カーフェリ
ーで渡るカンガルー島まで含
む全長940kmなので途中端
折りつつ州都を目指します。



州境を超えたとたん、つなが
っている風景がガラッと変わ
ったのには驚きました。漠然
とした牧草地のような遊休地
のような荒れた風景が、丹精
された農地や牧場に変わり、
道もグッとよくなり制限速度
も時速100kmから110kmに


まるで国境を越えたかのよう
な違いでしたが、なぜか違い
を写真に残しておかず残念


4日目の宿泊は、マウントガ
ンビア。南オーストラリア州
南東の市。ビクトリア州最後
の町ネルソンから40km足ら
ずですが名前のとおり山


海岸線から30km近く入った
この旅行で初の内陸部です。


マウントガンビア・ホテル

明治維新前の1862年の創業
まさに街の中心という立地


一大改装を経て部屋は完全に
リメイクされていました



褪めたミッドナイトブルーが
なんとも美しい部屋でした。



古のホテルは部屋にバス・ト
イレがなかったので、何室か
を繋げてL字型にし、Lの内側
にバスルームを付けたのか。



レトロモダンなバスルーム🚿

曇りガラスのシャワーボック
スと間接照明が秀逸でした。


部屋の雰囲気に合った調度品



『家畜給餌の基本と実践』
という本の赤が効果的です。



廊下やレストランにはいい絵
がふんだんに展示してあり、
まるで画廊のような雰囲気。



古い建物が持つ魅力を最大限
活かしているのが判ります。

新建材ではこうはいかない


いろいろな一角があり狭い館
内とは思えないほどの広がり



アールヌーボーなドアの中は

18禁の本格ゲーミングルーム


かつてのフロント。今は使わ
れておらず残念。長旅後こん
な場所で迎えられチェックイ
ンできたらと思う旅人の感傷



今のチェックインはバーで(笑)

最近こういうホテルが増えて
いるような。人件費を鑑みる
とこうなっていくんでしょう


チェックインで言葉を交わし
感じがよければ即舞い戻って

ハッピーアワー🍺
(👆単純すぎ?)


地元の人の愛され空間である
のがよくわかる立地と客層

バーだけでなくファミレスや
テイクアウトとしての利用も


素朴なバラ窓がなんともイイ

この時代の凝ったものはヨー
ロッパからの輸入品だったの
で地元の工芸家作でしょう。


この看板に目が釘付けせっ
かくイセエビ🦞で有名な海岸
線を走ってきたのに、見かけ
ることなく山中に来て初遭遇

キロ130ドルは安くないけど


2人でちょうど良さげな小ぶ
りなのがいて、これに決定



スタッフに「キロ130ドルで
オーブンで調理するから40分
かかるけど本当にいいのか」
と再確認されました。大丈夫
食い逃げなんかしないから


夫は🍺と🍟でかなりHAPPY



安く抑えてくれ家計に貢献



キター💛

この充実セットならお値打ち


グリル野菜も美味しかった(笑)

さすがにスゴい量になってし
まい2人で真剣に食べました


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グレートオーシャンロード+アデレード3回目行:とうとう州境越え

2023年08月09日 | オーストラリア:シップレックコースト

2022年11月のオーストラリア
ビクトリア州のグレートオー
シャンロード走破後の4日目


ポートフェアリーを出て西へ
ここからは厳密にはシップレ
ックコーストではありません


70km走って着いた大きな港



深水港なのがわかる規模で、
停泊している船の数も種類も
ジーロング港以西では最大か



ポートランド



メルボルンからアデレードの
間で唯一の深水港だそうで、
天然の良港というわけです。



木材の積出港なんですね。

NZの港でもよく見る光景


あの黄金色の山はなんだろう



木くずのような色に見える



鉱物資源じゃないよねぇ

でも大陸オーストラリアだか
ら何が採れるかわからない


ポートランド港のHPによる
と、港は植樹から生産した再
生可能広葉樹チップの世界最
大の輸出港だそうでウッドチ
ップでした。園芸用かと思っ
たら生ごみの消臭・分解にも
使われるそうでエコ産品か


天気のいいこの時期なら絵に
なる風景ですが、冬の寒さと
厳しさは想像もつきません。



港に面した一等地には教会が
(※オールセインツ教会)

宗派ごとにいくつも教会があ
り宣教師の影響が強かった植
民地初期の面影が残ります。


ポートランドを出て西の町ネ
ルソンまではディスカバリー
ベイ海岸公園
と名付けられて
いますが、州の観光誘致目的
のためのようで、ディスカバ
リーベイ自体は南オーストラ
リア州まで延びているよう。

(※この辺がややこしい💦)


約70kmで到着したネルソン



唯一見かけた観光関連のもの



しかし、がっつり閉まってる



ビジターセンターがあっても
寂しそうな場所で町の中心で
はなさそう。明るい時間でし
たが仕事終わりの長靴の男女
がバーの前にズラッと外向き
に並んでビールをラッパ飲み
朝が早い漁業関係者なのか。

(※この辺の建物のどこか)


突然入ってきたアジア人のク
ルマにみな怪訝そうな視線。
怪しい者ではないのですが
外部の人が少なそうな場所。



岩に座っていたペリカンまで
遠ざかっていきました。あま
り人慣れしていないのかな



街中のペリカンとは大違い



ネルソンから3、4kmで突然
牧草地の中の道路脇にコレが

南オーストラリアへようこそ


振り返れば、道の反対側には

ビクトリアへようこそ


でも、ただの道路標識で背後
もネルソンそのままに殺風景



なんかこう温かみを感じる
南オーストラリアアデレー
ドLOVEですから贔屓目です。

ここからは南オーストラリア


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