移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
少し前に
夢は旅という記事を
書いていました。私の夢には
「駅」「電車」「ホテル」と
いった非日常のシンボルが繰
り返し出てきます。夢の中で
も「いつもと違う」いう意識
を漠然と持っているらしい
では非日常そのものである、
旅行中の夢はどうなるのか
夢は見続けていますが、どう
もスケールが小さく感動が薄
い泡沫的なものが多いよう。
夢が、私が思うように幽体離
脱だとしたら、すでに自分の
身体の代替でも家を出ている
旅先は、離脱が始まった状態
に近く、さらに身体を残して
繰り出す必要がないのかも。
さらに、戻るべき自分の身体
が家のベッドではない別の場
所、宿泊先のホテルにあるた
め思い切った離脱ができない
のではないかとも思います。
心に余裕がないと夢は見ない
という記事も以前に書きまし
たが、旅行中は顕在意識では
楽しんでいても、潜在意識で
はある程度の緊張感を保ち続
けているのだと思われます。
楽しみと緊張ーーそれこそが
非日常なのだと気づきます。
20年ぶりにタイに行っていま
した。思い出せるような夢は
何ひとつ見ませんでした(笑)
私の夢の中にときどき出てく
る色に、海の底のような青、
濃く、深い青色があります。
先月見たオーストラリアのタ
スマニアが舞台だった
インカ
の人は、夢日記を上げた後に
気づいたことに、どうやらほ
ぼ白黒の夢だったようです。
色がないので白い衣服の印象
と、最後に出てきたペンキ塗
りたてのような触ったらベタ
ベタしそうな濃くウェットな
青テーブルが印象的でした。
その後、ペンキの青さと塗り
たてのような濡れた印象を思
い出してググってみたところ
マオリの子
ではまさに天井から壁までそ
の色で塗られた、海の底のよ
うな部屋が登場しています。
57歳の誕生日に見た
誕生日夢
でも塗りたての真っ青なペン
キの下地が、今にも流れ出し
そうな部屋が出てきます。こ
こでも「まるで海の底にでも
いるよう」と記しています。
これらに共通しているのは、
①群青から濃紺に近い濃い青
②ペンキ(または下地)の色
③塗りたてのウェット感
④ヌルヌル感とマット感
インカの人だけはテーブルと
して出てくるので、部屋や海
の底のような立体感はないも
のの色感は共通しています。
色やウェット感の意味は解り
ませんが、濡れた印象ゆえに
中に入れない、触れないとい
うとっさの判断があるよう
色にメッセージ性がある気が
してなりませんが、何を伝え
ているのか、今は不明です。
2017年以来6年も登場してい
る色なのだと気づけたのも夢
日記をつけているからです
いつか色やヌルヌル感の意味
が判るかも
と期待しつつ、
夢の記録を続けていきます。
2晩続けての2本立ての夢の共
通点は「電車」でした。2日
目の朝目覚めたとき「続きを
見た?」のかと思ったほど。
1晩目には駅にたどり着くの
が精一杯だったのに、2晩目
には行き先の判らない電車に
乗っているという、進歩
電車の夢を見たのは初めてで
はありませんが、夢の中でも
「移動しようとしている」の
を強く感じるシンボルです。
ただし、乗ろうとしていたり
乗ったという実感があったり
するだけで、車中の記憶はな
くそれ以上に駅が重要です。
そして私の夢では定石である
「ホテル」に帰ろうとする設定
(※電車とホテルの
こんな夢も)
「私にとり夢の中のホテルは
宇宙ステーションのような、
幽体離脱後の中継地なのか」
というのをほぼ確信しており
寝ている間に身体を離れる大
冒険を旅行に例えれば、その
間に身の安全(幽体なのに?)
を確保できる場所として、た
びたびホテルが出てきます。
今回は夫を部屋に残し、外で
は子どもたちとお手伝いさん
までいて、非常に安心して出
かけて行くという設定です。
(※21年前のお2人さん)
だからか、1晩目の夢で引っ
越先(ホテルの代替か?)の住
所や、2晩目にホテルへ戻る
電車が判らなくて困ってはい
ても、落ち着いていました。
自分の身体を抜け出して旅行
している状態に漠然とながら
慣れてきたように感じます。
「いざとなったら夫も、お手
伝いさんもいるから大丈夫」
と、心のどこかで思っていた
かのように感じるから不思議
後顧の憂いがなければ、混乱
の中でも少しは心穏やかでい
られるものなのかもしれず、
現実への執着が薄らいでいる
のかもしれないと思います。
(※息子たちも成人してるし)
駅の場所を教えてもらっても
「お金って持ってたっけ
」
と、漠然とそこには行かれな
いと感じた緩い坂道の上は、
「天国」だったと思います。
坂道は天国に通じる道として
私の夢の中でたびたび登場し
ます。小学生は巫女さんに思
え、仕事を終えてアイスをな
めなめ下界に帰って来るとこ
ろなんだと感じていました。
電車賃は三途の川を渡る六文
銭だったのでしょうか(笑)
それがない「私」は渡れない
「駅」「電車」「ホテル」
夢はやっぱり旅なんだなぁと
今月12~14日にNZの北島を
襲ったサイクロン・ガブリエ
ル。東海岸の広範に壊滅的な
被害をもたらし、道路の寸断
や堤防の決壊、土砂崩れや橋
の崩壊などインフラへの被害
は深刻で、多くの人が家や農
場を失い、同じ地で同じ暮ら
しが再開できるのかどうかが
危ぶまれる場合もあります。
数日経って被害の大きさが判
って来るにつけ、毎晩のよう
に、被災地の夢を見ました。
今回もまた
水泳の息継ぎのよ
うに何度も目が覚める瞬間が
あり、その度に「夢だった」
と思っては、すぐに泥土が広
がる光景に戻って行き、それ
を繰り返していたようです。
しかし、覚えている限り目に
した光景はドローンにでもな
ったかのような、地上から離
れたものでした。ぬかるみを
歩いたり、人と話した記憶は
なく、報道で見たように泥水
の中に冠水した家々の屋根が
規則正しく並んでいました。
そこにいたという感覚は残っ
ても「自分がその地に立って
いた」感覚がないのは、
東日
本大震災の後に見た夢に、よ
く似ている
と思いました。
あの時も歩いていた感覚がな
く、漂いながら現場に居たよ
うです。ただし、臭いや息苦
しさの強い印象がありました
が今回はありませんでした。
この12年でドローンが普及し
幽体離脱中の「私」もテクノ
ロジーを真似て、浮遊テクの
腕を上げたのか?いずれにし
ても衝撃を受けた大規模災害
の被災地には飛ぶようです。
衝撃の強さゆえに寝ても覚め
ても被災地のことが頭から離
れず、夢も鮮明に残るのか
今思い返しても東日本大震災
は夢日記を本気で始める契機
の一つになったと思います。
1月以降の雨はオークランドに
も大きな爪痕を残しました。
昨日の夢日記の解釈です。
み
やげ屋の店主は実在します。
みやげ店ではありませんが
若き企業経営者で、昨年見た
夢
膝枕に登場した人と同一人
物です。後日、彼の奥さんの
夢
社員寮も見ており、私はど
うやら自分が思う以上に、ご
夫婦を案じているようです。
リアルの知り合いとはいえ、
立て続けに3回も夢を見てい
たというのは、夢日記をつけ
ていたからこそ気づけた点。
記憶だけに頼っていたら思い
出せなかったことでしょう。
昨年11月の膝枕では不遇をか
こっていた彼も、今は別の道
で「なんとかやっている」の
をこの目で見た
「私」もリ
アルな私もホッとしました。
(※何であっても商売繁盛
)
実際の彼の事業の経営状態は
いざ知らず、こうして誰かが
誰かを夢の中でも思いやって
いる
ということに気づけた
のには、感動を覚えました。
覚えていない泡沫の夢の中に
は、さらに多くの知り合いが
登場し、私自身も誰かの夢に
出てきているのかもしれない
と思うと、奥深く感じます。
まるで守護霊、ガーディアン
エンジェル、ご先祖など(私は
同じものだと思っています)
目には見えない誰かが見守っ
てくれていると言われるよう
に、想いは夢の中にまで通じ
見守っているかのようです。
膝枕や社員寮の夢の中では、
「私」は彼らには見えない存
在でただその場に居合わせ状
況を把握しているだけです。
しかし、見えない存在ながら
状況にかかわる場合もあり、
それに気づいた最初の夢が、
東日本大震災の直後に見た赤
いリュックを背負ったアジア
系男性を助ける夢でした。見
えない存在でも彼を安全な場
所へと誘導していたのです。
(※この夢に関しては
コチラで)
今回の夢では肉体を持った見
える存在として登場し、店主
と話し買い物もし、見守る以
上にしゃしゃり出ています
夢見ストとしての進化なのか
夢でもオバサン化してるのか
昨年の暮れ、私は3年ぶりに
日本を訪れていました。コロ
ナの渦中に亡くなった父の墓
参りと、特養にいる母の面会
のためでした。しかし、母自
身がちょうどコロナに感染し
面会はかないませんでした。
父方のいわば本家である父の
妹が住む家を訪ねているとき
「みこちゃんはNZでアパート
経営なんかしていて、なかな
かしっかりしてるんだ、って
お兄さんが言ってたわよ。」
滅多に人を評価しない父にし
ては珍しいなと思っていると
「あれで男だったら頼もしか
ったのにって言ってたわ。」
=============
初夢の
ガム売りの少女と同じ
6、7歳頃の私は母から執拗に
「出て行け出て行け」
と追い詰められていました。
それが私の存在を消そうとし
ている言葉であることを感覚
的に理解していた私は、母本
人よりも、家という居場所を
奪われ、消されようとするこ
とを本気で恐れていました。
そんなときでも父は見て見ぬ
ふりで何も言わず、父の沈黙
もまた恐ろしいものでした。
母が私の存在を否定し続けた
のは、長男の嫁でありながら
跡継ぎの男子を生めなかった
からだと確信したのは、自分
が50歳に近づいた頃でした。
では、沈黙を押し通した父は
どう考えていたのでしょう。
長年の疑問の答えは、本人が
鬼籍に入った後に叔母の言葉
を通じてもたらされました。
=============
愛のない寒々とした家庭どこ
ろか、見た目には何の問題も
親の落ち度もなく見える状況
こそが、子どもにとっては辛
く、救いのないものでした。
救いのなかった7歳の自分を
還暦の自分が夢で癒している
と、同じ少女が出て来た夢、
競馬場の盗人で思いましたが
親がいなくても
他人から愛を
注がれ逞しく生きている夢の
中の7歳の自分こそが、実は
還暦の自分を癒しているのだ
と気づきました。私の還暦は
あと1ヵ月で終わります
2023年は豪華
3本立初夢
カステラ
ガム売りの少女
半貴石のスイーツ
(※ナゼ正月早々コレなのか
)
その中でも特に印象的だった
のは夢の中の「私」が6、7歳
の自分自身を見ていることを
知っていた、ガム売りの少女
それこそ食い入るように見て
いたものです(笑)見ている位
置も
夢によくあるポジショニ
ング、地上から2ⅿぐらいの
全体を睥睨するような位置で
はなく、地べたに座る少女と
同じ目線で「私」は椅子の下
に潜んでいる気がしました。
なので見えるものは通り過ぎ
る人の脚や自転車のタイヤ、
舗装されていない埃っぽい道
の表面などで、少女と限りな
く同じものを見ていました。
「私」の目は自分の笑顔に釘
付けでした。1人で薄汚い格
好で物乞いのような生活をし
ていても笑顔は本物でした。
時折りひらりひらりと落とさ
れる、少女の位置からでは降
って来る小さな、湿った、薄
汚れた紙幣。硬貨というもの
はその価値よりも製造コスト
の方が高いので、途上国では
少額でも紙幣が使われること
が多く、施しは無音でした。
少女が手を揺らしながら上を
向いてニコニコしているのは
おカネが降って来るからでは
なく、赤の他人が無言で自分
を気遣ってくれるからです。
「ここにいればなんとかなる」
という現実は、少女にとり大
きな安らぎと安心でした。そ
の場を追われない限り6、7歳
にも生きる術がありました。
汗と涙と屋台の食べ物の汁が
しみ込んだ、ふにゃふにゃで
臭うような紙幣は愛でした。
見返りを求めずに注がれる、
世界中のすべての子どもたち
が受けとるべき、愛でした。
私を見ているだけあり「私」
は少女が感じていることが手
に取るように判りました。還
暦まで生きた者として、少女
の感情を解き明かすこともで
き笑顔の意味を理解します。
そして、座っているだけでお
カネがもらえるのは子どもだ
からで、その時間が限られて
いることを少女が判っている
ことも、「私」は気づいてい
ました。小さな渡世人です。
それでも今は、見知らぬ人た
ちから注がれる愛に甘んじて
いてもいい。それは、
競馬場
の盗人が水浴の水のようにた
っぷりと愛を注がれていたの
より、さらに感動的でした。
お互いどこの誰でもいい。い
たいけない子どもは誰であっ
ても守られ、愛されるべき
蔑まれるような姿の自分に注
がれる愛は尊いものでした。
この夢には伏線がありました。
(つづく)
昨日の夢日記
の続きです。
なぜ古い色褪せた
薄ピンクの
コテージの夢が不思議だった
かというと、何日も何回も同
じような夢を見たからです。
最悪の寝覚めとなった一昨日
の前にも数日にわたり、湖を
背景にした絵のようなコテー
ジが夢に出てきていました。
(※立地と色は違っても、小さ
くて簡素な、こんな家でした)
内容は思い出せませんが画像
だけが思い出せ、「あれ
同
じ夢を見た?」と思っていた
ら、確か3日目ぐらいで慌て
ふためく状況に陥りました💦
その夢日記を記した昨日4日
目も、静止画のようなコテー
ジが再び夢に出てきました。
内容は不明ですが、前日とは
異なる穏やかな状況の中で、
姿はなくとも、「私」はコテ
ージに越して来る次男やガー
ルフレンド、夫と一緒に立ち
話をしているところでした。
私には『薄ピンク』が幸先が
いいものに感じられました。
6年前のピンクが登場する夢
ピンクのブッダ
洗いざらしの薄ピンクの服に
包まれた、丸く大きな布袋様
のようなお腹になんとも言え
ない安らぎを覚えました
ピンクは胸の中心、心臓辺り
にある第4チャクラ、ハート
チャクラの色でもあり、人を
思いやる愛の色とされます。
また、質素な木造の家は、私
の夢の中で繰り返し魂が帰っ
ていく
『天国』のような場所
として登場し、私には最も心
が落ち着く場所のようです。
(※いつかこんな家に住める?)
夢の真意はいざ知らず、子を
想う親として夜な夜な彼らの
新居を思い描いていたよう。
NZに残るという彼らの決意と
(👆2人は渡豪する予定でした)
新生活が吉と出ますように🙏
旅行記に戻ろうと思ったら、
私も夢を見たのでもう1本
長い複雑な夢でしたが、かろ
うじて思い出せる最後の場面
「私」は古い町並みが続くオ
ーストラリアのような場所に
いましたが、一緒にいたのは
先日、
膝枕の夢を見たばかり
の中小企業経営者の奥さん、
つまり若い社長夫人でした。
彼女は19世紀の重厚な石造り
の2階建ての建物の前におり
傍らの数人と真剣に話しなが
ら厳しい表情をしています。
(※こんなイメージの建物)
ご主人の膝枕のときと同様、
「私」はそこにいるのに、彼
女には見えない存在のようで
私たちに会話はなく、「私」
は見守っているばかりです。
厳しい表情なのは一大決心を
迫られていたからです。彼女
は石造りの建物を買うかどう
か迷っていました。購入の目
的が社員寮のためと知って、
「私」は安堵していました。
膝枕の夢の中で、ご主人の深
い苦悩を知ったところだった
ので、社員寮が要るほど人手
不足が解消されたことを、夢
の中でもともに喜びました。
奥さんは決心できかね、夢の
中では物件購入には至りませ
んでしたが、社員寮という事
実(夢でも?)に「私」はホッ
として、目を覚ましました。
これが採用再開の予知夢にな
ることを祈りつつ、クイーン
ズタウン旅行記に戻ります。
夫が夢という幽体離脱の中で
死後の下見を始めたと感じ、
非常に興味深く思いました。
(※たった1人で向かう一本道)
人は物心がついてからは、先
の事を漠然と考えるのが自然
なのではないでしょうか
大人になったら
結婚したら
子どもができたら
家を買ったら
起業したら
・・・・・たら
・・・・・たら
・・・・・たら
と、生きて行く方向性のよう
なものを個々に定め、そちら
に向かって行くのでは
そ
れが一定の年齢に達すると、
子どもが巣立ったら
仕事をリタイアしたら
健康ではなくなったら
と方向性が健康や老後という
特定のものに絞られ、思いつ
くことが、生き方よりも老い
方になり、さらに時が経ると
死に方に変わる気がします。
私にとって生き方が老い方に
変わったのは、50歳でした。
長年50歳でセミリタイアする
ことを心に決めていて、その
歳で老後に向けた不動産投資
を開始したとたん、日々の生
活は一緒でも、見えてくる風
景が違ってくるようでした。
それが数年で、さらに死に方
にまで変わってきたのです。
夢の中で繰り返し
『天国』ら
しい場所を訪ね始めました。
『天国』というのは便宜的な
名称で、死んだ後の魂が帰っ
ていく場所を指しています。
夫が夢の中で同じような経験
をしたことは、先の見通しが
老い方から死に方に成熟して
きたのでしょうか。4歳年上
の私が見てきたものを、夫も
見始めたのかもしれません。
死後の世界をのぞくことは不
吉でも哀しいことでもなく、
生き方や老い方を考え続けて
きた自然な延長に思えます。
夫は昨夜も夢を見たそうで、
遠いどこかに1人でいて、そ
ろそろ帰らなくてはと思い、
「そういえばパスポートがな
い。どうやって取るのかな」
と思ったところで夢が終了。
スーツケースだのパスポート
だの、旅の
シンボルが散りば
められているのが興味深い
ちょうど
膝枕の夢を見たとこ
ろなので夢の中のシンボルに
ついて再び取り上げます。今
回は『象徴』についてです。
(※前回の話は
コチラで)
「私」は最初から膝の上の男
性が知人であることを判って
いました。彼は「私」にとり
身近な企業経営者で『象徴』
としては打ってつけでした。
シンボルは夢のようなあやふ
やで瞬間的な体験を記憶とし
て留めるためには重要です。
「彼だ!」と認識したとたん
本人を取り巻く状況(経営者、
家族持ちなど)が実際と同よう
に認識され、傍観者の自分が
見ていたぼんやりとした状況
に焦点が定まるようでした。
瞬時の状況把握による夢の記
憶の固定化が、象徴の果たす
役割ではないかと思います。
象徴の重要性をはっきりと理
解したのは、2年前に見た夢
コロナは背中からやってくる
でした。NZの新型コロナ対策
を率いて国民的英雄となった
医務技監が出てきたことで、
「コロナは背中からやってくる」
というメッセージをしっかり
受け止め、覚えていました。
別の誰かが同じことを言って
も、特に注意も喚起されず、
メッセージどころか、夢その
ものを覚えていたかどうか
夢を見た後に知ったことに、
医務技監が示していたのは東
洋医学で風門と呼ばれる風邪
を引き起こす邪気の進入路で
した。私は背中の冷えに敏感
で、以前から体調を崩しそう
になると、肩にショールをか
けて背中を温めていました。
なので医務技監のメッセージ
にも、コロナがそこから入っ
て来るという説明にも、夢の
中でさえ大いに納得し、それ
ゆえ起きてからも思い出せる
鮮明な記憶となったらしく、
夢の中の『象徴』の重要性
に気づく一件となりました。
夢の中にはシンボルが散りば
められている、と気づいたの
も夢日記をつけた効用です。
さすがに夢の自覚がない中で
シンボルやその意味するとこ
ろに気づくのは難しいですが
後で判ることもあります。
シンボルで判りやすいのが、
『財布』『鍵』『家』など実
生活でも大切と認識されてい
る物ではないかと思います。
財布の夢では、
知らない場所
にしまった財布が見つかる夢
や、夫が見て私が解説した、
財布のカードがなくなってい
る夢などがあります。興味深
いのは夢の描写としては財布
の中身より、財布そのものが
象徴的に登場することです。
鍵の夢では、最近見た仮住ま
いの
借家のスペアキーの夢🔑
自宅と一時的な仮住まいで、
鍵の重要性に自分で強弱をつ
けているのが興味深いです。
家の夢は、もうそれこそたく
さん見ています。家は『あの
世』と対局にある、生きてい
る現世の象徴であることに気
づき、
夢は見るべくして見て
いるという話を書きました。
家はさらに、夢を見ている間
の幽体離脱で抜け出してきた
自分の身体の象徴でもあり、
「家」🏡は自分自身である
ことを今は確信しています。
(※
穴が開いた家のイメージ)
そう考えると、他人の家を訪
ねる夢の意味の深さが推し測
られます。「他人の家は他人
自身」かもしれないのです。
2つの対照的な他人の家の夢
夢日記:夢の教訓
と
夢見:反省文
現世の不信と信頼という人間
関係が夢の中でもそのまま再
現され、それをしっかり覚え
ている事に意味があるのか。
この件は
夢に出てくる実在の
人物:「この世」編でも取り
上げました。夢の中の『家』
はなかなか奥深いようです。
夢日記をつけるようになって
起きている時と同様、壮大な
夢を見るには気力と体力がい
るので心身の健やかさが重要
という事を感じ始めました。
病気で熱にうなされていても
夢は見ますが、体調が優れず
心身に余裕がないと、夢のス
ケールが小さい気がします。
夢は寝ている間の幽体離脱体
験だと感じており、体調不良
だと魂が身体を離れても遠く
まで飛び立てないようです。
急に自宅の床の研磨をするこ
とになり、2日前に引っ越し
同様に家の中の家具家電をす
べて撤去し、仮住まい開始
転居した最初の夜に見たのは
無数の鍵🔑が袋に入っている
という引っ越しがらみの夢。
袋を差し出した誰か(夫?)が
「この中にスペアキーがある」
と教えてくれました。鍵はい
くつあってもいいしと思い、
鍵の山に手を伸ばしますが、
「そんなに長く居ないしなー」
と思い、手を引っ込めます。
自分の鍵は持っていました。
夢の中でも仮住まい中である
ことを漠然と理解しており、
現実と紙一重のような夢です。
引っ越しでぐったりしていた
上、慣れない場所に居ること
もあって、一昨晩の魂は身体
を抜け出すのがやっとで、距
離で言えば庭先🏡に出たぐら
いだったのかもしれません。
しかし、紙一重は瞼一重とも
言え、心身に余裕がない時の
夢は目が覚めた後も目を閉じ
るとすぐにまた同じ夢に戻る
という傾向がありそうですが
これについてはまたいつか
夢見:競馬場の盗人(前編)
夢見:競馬場の盗人(後編)
の夢を自分なりに考えます。
まず目覚めた瞬間にわかった
あの少女は自分だ
という夢見歴10年選手の発見
(👆経験値がものを言うかも)
私は夢の中で子ども時代の自
分に会いに行っていました。
私は日本で生まれ育ち、おカ
ネを盗んで周る子どもではあ
りませんでしたが(笑)、ナゼ
か自分だとわかったのです。
少女の年齢である6、7歳の頃
私は人生で最も辛い時期を送
っていました。母から執拗に
「出て行け出て行け」
と言われ、それは私の存在を
否定し、消そうとしている言
葉なのだということを、母本
人以上に理解していました。
口にしている母は心の底から
「これは躾」
と信じており、自分のメンタ
ルを疑ったことは一度もなか
ったと思われます。それゆえ
に言葉の暴力が虐待のレベル
にまで達していたことを、私
は40年かけて理解しました。
当時の私がなによりも求めて
いたのが「第3の人」でした。
親でも学校の先生でもない、
大人の誰か。ただ、自分の存
在を認めてくれる誰か。何も
言わず何も聞かず、ただそば
に居て私を否定しない誰か。
競馬場の高齢の男たちが、夢
の中の私の「第3の人」でし
た。小さな子どもが盗人にな
らなければならない切羽詰ま
った事情を問わず、ただ黙っ
て受け入れてくれる人たち。
7歳でも過酷な状況に置かれ
れば、自分の身を守るために
急速に成長し「大人になる」
ことを私は知っていました。
母が何よりも恐れたのが、私
の成長でした。強く、賢くな
ることは唯一の防衛でした。
その中で息を抜ける場所、心
を開ける人がどれほどほしか
ったことか。家が主戦場だっ
た以上、眠る以外私に心休ま
るときはありませんでした。
夢の中の競馬場では善悪より
も、愛が優先していました。
第3の人たちから、水浴の水
のようにたっぷりと愛を注が
れて育った小さな私は、しっ
かりとグラウンディングし、
自力で善悪を見極め、切羽詰
まった事情を脱し次第、悪事
から手を引き、堂々と正道を
歩んでいったことでしょう。
救いのなかった7歳の自分を
還暦の自分が夢で癒している
かと思うと人生は深淵です。
夢周りの話が続きますが、旅
行記に戻る前にもう1回。
「あ
の世」編があるということは
「この世」編もある
というの
が、夢という幽体離脱体験に
はちょうどいいバランスかと
興味深い共通点があった約10
年前の夢と最近見た夢の2本
かつての友人の“招かざる客”
になり気まずい思いをする話
夢日記:夢の教訓
遠慮なくじろじろ見る日本人
の中年男性に警戒している夢
夢見:エレベーターと同乗者
どちらも実在の人物でかつて
の知り合いでした。会えば自
動的に警戒モードに入ってい
たのであろうことを、夢日記
を綴りつつ思い知りました。
「会わなければよかった💦」
と、後からよく思う人たち。
後者のS氏は、ある日ランチ
に誘われ、食事をした後に、
「コーポレートカード持って
んだろ?」
つまり会社につけて、俺に飯
を奢れと要求してきました。
私たちは個人的な知り合いで
「御社と弊社は取引ないし」
ときっぱり断ると、チェッと
驚くほど大きく舌打ちして、
自分のコーポレートカードで
支払ったのには口あんぐり。
結果的に奢られても、なにが
なんでもタダ飯という彼の態
度に、何にお礼を言うべきだ
ったのか。ランチは最悪の後
味となり、それ以降2度と一
緒に食事をしませんでした。
夢の中で彼らを認識したとた
ん、かつてと同じ警戒モード
に入ったのがわかりました
かと思えば顔がほころぶよう
な夢もあります。登場する夫
婦は長年の友人で、お世話に
なるばかりで逆がほとんどな
い申し訳なさが夢になった
夢見:反省文
束の間とはいえ「あの世」ま
での冒険譚をともにする勇ま
しく活発な女性は、なんと次
男のガールフレンドのママ
夢見:バーバラ
夢を見る数日前に再会してい
ました。ボランティア先のマ
ネージャーという設定でした
が、夢の中でもすぐにママと
判って嬉しく思い、コーヒー
の焙煎器に滑り込んでいくス
パイ並み
の行動力に感服
(彼女はコレに入っていった👆)
すぐに真似ましたが、小柄な
白人の彼女より背が高い「私」
は入れなかったというオチ💦
さすが「この世」編は登場人
物もストーリーも多彩です。
次回は旅行記に戻りま~す