移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
メルボルン旅行記の続きに
戻るはずが、夢日記からの
脱線脱線また脱線ついでに
また連載
天国の知り合いとして
夢日記の中で2回は登場している
白いネグリジェの高齢で白髪の
リアルの友人スー
彼女は私より2回り年上なので
同じ干支で寅年
です。
そのせいか私たちは共通点が多く、
民族や年齢を超えた理解と共感が
ありました。
その中でも一番の共通点は
本当の孤独を知っている
ということだったと思います。
彼女はNZの地方の出身で
近くに学校がなかったため、
ホームスクールと呼ばれる
両親が家で勉強を教えることで
小学生レベルを終え、その後は
オークランドの私立の女子校の
寄宿舎に入りました。
学校生活を送ったことがない
彼女はそこでいじめに遭い、
孤立してしまったそうです。
寄宿生活では逃げ場もなく、
辛い学生生活を送ったそうです。
その孤独の中で多くのことを
学び、強くなり、賢くなり、
優秀なリケジョとなって
生涯の伴侶となるご主人と
大学時代に知り合いました。
私は学校でいじめられた経験は
ないものの、家で母親から
執拗に追い詰められる子ども時代
を送っていたので、逃げ場のない
本当の孤独を知っている
という点で彼女と似ていました。
お互い基本的に1人か夫婦で行動し、
友だち付き合いは最小限にとどめ
その辺の感覚もよく似ていたのに、
一時は固い友情のようなもの(笑)
で結ばれるほど意気投合しました。
しかし、ほんの些細な誤解から
疎遠になってしまったのです。
(つづく)
「私」はついて来る黒豹とともに
古い木造の宿泊所に到着します。
それ以上高いところがない
木造の家
というのは、
私の夢の中での「天国」の象徴
のようです。
行き先を誤らないよう、
「天国」は自分が好む姿に
描かれる気がします。
入り口でチェックインのような
簡単な本人確認をするのも
以前の夢で経験しました。
本当の天国でもそうなのか
先に入居している人たちが
黒豹の姿にやや驚いても
怖がらないのは合点がいきます。
「天国」の住人に怖いものなど
もはやないのでしょう(笑)
慣れない場所と自分の部屋が
見つからない「私」の緊張を
ほぐしたのは、白いネグリジェの
高齢で白髪の女性でした。
「私」は彼女を知っています。
実の友人で名前はスーと言います。
かつてのボランティア仲間でした。
彼女は2年前の夢
「マオリの子」
にも登場して、
「あらー、みこと」
と言いながらベッドにいました。
その時も白いコットンの
ネグリジェを着ていました。
彼女は私より2回り年上なので
あちらの世界で先輩として
再会することになるのか?
ペットが待っていてくれて、
「天国」にも知り合いが
いるというのはホッとする、
ということを実感しました。
当の本人は今年81歳ですが、
別のボランティアで日々
元気に飛び回っています。
今回の夢でも、「マオリの子」でも
今年の誕生日に見た夢でも、
「部屋が見つからない」
という状況はよくあります。
建物まではたどり着けても、
自分が入るべき部屋がない
それこそ自分が生きている証左で
死後の下見たる所以なのでは
部屋が見つかるときは
下見ではないのでしょう。
まだまだ生きそうですわ(笑)
下見の話はまたいつか
「天国」はあっても「地獄」はない
というところまで来ましたが、
では黒豹は何だったのか?
(※再び登場するこの写真)
これはもう飼い猫のクロ
以外の何物でもないでしょう。
夢の中で、
「コレって〇〇みたい」
と思うことは、だいたいが
本物の〇〇の気がします。
本物を思い出せるように
シンボライズされた象徴として
登場するようなのです。
なので、「〇〇みたい」と
思ったらそれを信じればいい
のですが、さすがに相手が
黒豹となると、死んだ身でも
緊張するものです(笑)
真っ黒な艶々した毛並みに
夢の中の「私」はもちろん、
「クロみたいだな」
と思っていました。
クロを何十倍にもした大きさは
クロだけでなく、私が生前に
かかわり大切にしてきた生き物の
代表としての存在だったのです。
ここまで読んだらペットのいる方は
ピンと来るかもしれませんが、
黒豹がいた場所こそ、先に逝った
ペットが待っているという
虹の橋だったのではないか
と思っています。
黒豹は岩しかない殺風景な場所で
「私」を待っていてくれたようで、
およそ虹の橋という名称とは
ほど遠い光景で、夢の中では
気が付きませんでした。
気が付かないで、ゴメンね。
待っていてくれてありがとう。
クロちゃん
死後の下見はもう少し続きます。
「天国」があるということは、
「地獄」もあるのでしょうか?
黒豹の夢の中での「地獄」は、
山道の下、底が見えない
垂直の谷のことでした。
「私」はそこへ行っては
いけないことを理解しており、
谷をのぞかないよう落ちないよう
細い山道を上っていきました。
これもまた便宜的な「地獄」で、
死んだ後の魂が帰っていく場所を
「天国」と呼ぶならば、
成仏できなかった魂の行き先を
「地獄」と呼んでいるだけです。
なので煮え湯に沈められたり、
阿鼻叫喚の中で無限に苦しんだり
する場所ではありません。
谷底に待ち受けているのは、
現世ではないかと思っています。
そう、死んだ後に転生することです。
これは夢での下見で感じた持論です。
「自殺してはいけない。同じ次元に
生まれ変わり、また同じ苦しみに
直面しなくてはならないから。」
とよく言われるのは、このことを
指すのではないかと思っています。
多くの人は何度も何度も転生する
ようですが、きちんと成仏しないと
生まれ変わっても上の次元に行けず
何度も何度も苦しい思いをする。
生き地獄という言葉がありますが、
個人的に「地獄」とはその状況を指し、
宗教者が唱えるような罰を受ける
特別な場所があるとは思いません。
宗教的には「天国」と「地獄」が
厳格に存在した方が、信者への
マーケティング効果が高いので、
あたかも地獄というものが存在し
そこに落ちないよう信仰を続ける
よう消費者心理を煽るのでしょう。
それで数千年も「商売」ができる
のですから、「天国」と「地獄」は
素晴らしいビジネスモデルなのかも
と、無宗教の身には感じられます。
「天国」があるということは、
「地獄」もあるのか、という自問に
私はこんな風に自答しています。
地獄との対比ではなく
魂が帰る場所としての
「天国」の存在は信じます。
そこはこんなに質素で素朴な
建物なのかもしれません。
(※ハワイ島の小さな小さな
聖ベネディクト・ペインテッド教会)
黒豹の夢の中の「私」は
自分がすでに死んでいて、
ゴツゴツした岩の山道を
「天国」に向かって歩いて
いることを知っていました。
なので連れもなく荷物もなく、
ただ1人で歩いて行くことに、
矛盾はありませんでした。
逆に言えば、黒豹がいても
後戻りができなかったのです。
逃げるとか引き返すという選択は
思い浮かびもしませんでした。
天国という名称は便宜的なもので
死んだ後の魂が帰っていく場所を
何と呼べばいいのかわからないので、
「天国」としているだけです。
山頂には
粗末な古い木造の家が
あるだけでしたが、そういう場所が
「私」にとって心のふるさとらしく、
そんな姿に描かれたようです。
(※なぜ女子寮だったのかは不明
)
一番高い所に向かうというのが
唯一「天国」らしく感じます。
「天国への階段」はなく、
「私」は山道で行きました。
(※ウェリントンにあった
天国への階段)
歩いていくという設定が
実に自分らしいと思います。
坂道を上って「天国」へ行く
という設定の夢を見たのは
これが初めてではありません。
これが下見になっているのかは
定かではないものの、いつか本当に
死んだときに上り坂があったら
迷わずそっちへ行きそうです(笑)
「天国」があるということは、
「地獄」もあるのでしょうか?
夢は幽体離脱
と、よく言われることを、
私はさまざまな夢を通じて
徐々に確信していきました。
その件に関してはかつて
メルマガにしているので、
ご興味があればご覧ください。
Vol.0688
~夢日記:夢かうつつか~
Vol.0694
~夢日記:夢の中のうつつ うつつの中の夢
夢の正体
がわかったことで、
今度は身体を離れたスピリットの
行き先が気になってきました。
東日本大震災の被災地には
何度も出かけたようです(笑)
それ以上に興味深いのが
何度も何度も死後の世界を
訪れていることでした。
まるで死後の下見です
実は今回の黒豹の話もそうです。
連載を読んだだけでは、
「なんのこっちゃ」
でしょうが、夢見スト歴も
10年近くなってきたせいか、
目覚めたときにわかります。
まず、夢の「私」は自分がすでに
死んでいることを知っています。
なので、黒豹に殺されたらしい
男たちを見て緊張はしても、
逃げたり取り乱したりはしません。
慎重に行動しても、
心のどこかで、
「2度は死なない」
と冷静に考えていた節があります。
そして、山道を歩いて向かう先が
「天国」であることも知っていました。
(つづく)
40代になるかならないかの
今から20年ほど前より、折に触れ
「夢日記をつけた方がいい。」
と本で読んだり、アドバイスを
受けたりするようになりました。
「荒唐無稽の夢なんか記録しても」
と正直、乗り気ではなかったものの
夢日記には何か効用があるのかも
と漠然と意識するようになりました。
そんな私が心を入れ替えたのは、
2011年の東日本大震災でした。
夢とは思えないリアルな体験、
報道でも見なかった状況を目にし、
粉塵で息ができない苦しさなど
想像の範疇を超えたリアルさに
夢は幽体離脱
という、多くの人の主張に
納得することができました。
魂は間違いなく現地に飛んでいた
と、自分の中で確信できました。
その頃から夢を意識し出し、
メルマガ「西蘭花通信」や
別ブログ
「さいらん日和」で
ぽつぽつ記録するようになり、
この「みたび」を立ち上げました。
今回、初の試みとして黒豹の話を
3話連続で書いてみました。夢という
動画体験であればあっという間でも
文字にすると状況描写だけで長くなり
1話では書ききれませんでした。
(※連日出てくるこの写真
)
しかし、文字にするためにできるだけ
正確に細部を思い出そうとすることで、
夢といううたかたの経験が形を持ち、
記憶として、記録として固定します。
夢日記をつけることで、この作業が
段々上達してくるのを感じています。
夢を覚えていられるようになります。
例え部分的であっても、そここそが
感情を伴った重要な部分なのです。
今回の黒豹の話では、男が絶命して
いるのを目した時の緊張や恐怖、
自分が襲われない安心や安堵など
感情が激しく入れ替わりました。
そのため契機となった些細な事を
鮮明に思い出すことができます。
特に黒豹に触ったときの硬い感触は
しばらく指先に残っていました。
緊張が安堵に替わった瞬間を
指先が記憶していたのです。
夢日記をつける愉しみは、
夢を覚えていられるだけでなく、
意味するところを察し、
別の夢と比較できることです。
一見まったく違う夢が似ていたり、
同じ状況を示唆しているのに気づき、
「なぜ同じ夢を見るのだろう」
と考えたとき、夢の意味を知ります。
その夢を見たがったのは
自分自身であることに思いを馳せ、
なぜ自分がそれを見たかったのか
という点を理解すると驚愕します。
そして後から感動が湧いてきます
(多分、つづく)
メルボルン旅行記が延び延びですみませ~ん
「なでて」と言っている
夢の中の「私」は直感を信じ
つぶらな瞳を見据えながら、
左手をゆっくり黒豹に伸ばし
小さな耳の周りに触れました。
指を喰いちぎられるどころか
黒豹は大人しくしています。
身の安全を確認したので、
猫にするように爪を立てて
耳の周りを掻き始めました。
ゴワゴワした短毛は非常に硬く、
猫よりも短毛の犬のようでした。
毛がびっしり詰まっているので
指に力を入れないと掻けません。
腰をかがめ真剣にやり出すと、
爪の間になんとも言えない
野生の獣脂が溜まってきました。
しばらく掻いたところで、
「私」は立ち上がりました。
その先まで行かなければならず、
岩だらけの山道を歩き始めました。
黒豹は後をついてきました。
しばらく行くと、山の頂上らしき
それ以上先には道がない場所に
木造の古い建物が見えてきました。
そここそ「私」が目指していた
宿泊所のような場所でした。
黒豹を追い払うこともできず、
そのまま建物に入っていきました。
誰かに「部屋は2階」と告げられ
古い木の階段を上っていきました。
中は寮のように小部屋に分かれ、
女子寮なのかいるのは女性ばかり。
「あら、黒豹だわ。」
「黒豹を連れて来てる。」
そんな囁きが耳に入ってきましたが、
誰も叫んだり怖がったりしておらず、
新入りと猛獣を遠巻きに見ています。
「私」は曖昧に微笑みながら、
自分の部屋を探していました。
「早く部屋に入って落ち着きたい」
という一心でしたが見当たりません。
その時、白い木綿のネグリジェ姿の
高齢で白髪の女性が通りかかり、
「ハロー、ハロー、ハロー」
と言いながら、黒豹の頭を
ゴリゴリ揉むようになで、
廊下を通りすぎていきました。
女性は黒豹を知っているようで、
黒豹も大人しく座っています。
見知らぬ場所での緊張がやや解れ
ぎしぎし鳴る古い廊下を歩きつつ
「私」は部屋を探していました。
(完)
探検家の服装をした男2人が
絶命している岩だらけの山道。
Tシャツにジーンズ、スニーカーを
履いただけの手ぶらの「私」。
そして男たちを襲ったらしい黒豹。
「私」が通り過ぎると、黒豹は
山道から枝のように突き出た岩
から道に飛び移ってきました。
背後でドンっと音がした瞬間、
「私」は身も心も固まってしまい
さすがに歩けなくなりました。
その時、左の腿の裏に何かがそっと、
しかしはっきりと当たりました。
猫だったらふくらはぎに感じるアレ
そう頭を突きつけてきた感覚です。
恐る恐る振り返ると、うつむきつつ
頭をこすりつけている黒豹がいます。
「私」を押し倒してしまわないよう、
遠慮がちに触れているようでした。
黒豹が顔を挙げ、目が合いました。
大きな身体とたくましい足に比べ
頭は小さく、さらに耳の小ささは
周囲に注意を払わなくてもいい
天敵のいない生き物の象徴でした。
金色の目は小さくつぶらで、
「クロ
みたいだな。」
と、「私」は飼い猫のことを
思い出していました。
(※飼い猫のクロ)
黒豹の目は、
「〇〇して」
と何かを訴えていました。
その辺の以心伝心は猫と同じです。
〇〇がわかりませんでしたが、
「なでて」
と言っている気がしました。
(つづく)
「私」は岩がゴツゴツした
細い山道を登っています。
1人で、手ぶらで、
家着のような軽装です。
右側は岩が切り立った崖で
道を作るために削ったのか
縦に無数の傷ができています。
左側は底が見えないほど
垂直の深い深い谷でした。
周囲は木の1本すらなく
人工的なものもありません。
相当標高の高いところに
感じられました。
見上げても見下ろしても
視界いっぱいが茶色の岩で
恐ろしく殺風景な場所で、
人気(ひとけ)はありません。
一歩でも踏み外せば命はない
道でしたが、幅が3、4mあり
「私」は気持ち右に寄りながら
左の谷をのぞかないように
ゆっくり上っていきました。
突然、行く手に男が倒れて
いるのに気づきました。
同時に左の谷に浮かぶように
突き出た岩の上に、大きな
黒豹がいるのが見えました。
「黒豹にやられたんだ」
状況からそう判断しました。
岩は木の枝のように道の下から
宙に突き出ており、表面が平らで
黒豹のための舞台のようです。
黒豹はそこに寝そべり
こちらをうかがっている
はずでしたが、通り抜けなければ
ならない「私」は平静を装い
「目を合わせてはいけない」
「走ってはいけない」
と自分に言い聞かせながら、
黒豹も男も目に入らないかのように
それまで同様に歩いていきました。
まず、男の横を通り過ぎました。
男はポケットのたくさんついた
カーキ色のベスト、半ズボンに
厚手のソックスと登山靴という
典型的な探検家の服装をしており
帽子を被ったまま絶命していました。
体格のいい大柄な西洋人で
遺体のそばにメモがあり
英語ではなかったものの、
policieだかpoliciaだったかの
文字があり、
「すでに通報済み」
と書いてある気がしました。
黒豹は「私」がどう反応するか
じっと見つめているようでした。
視線を感じ続けていましたが、
「私」は前だけを見ていました。
その時、前方にもう1人の男が
倒れているのが見えました。
手前の男と同じような服装で
2人とも探検家のようでした。
「私」は緊張していましたが、
逆に腹が座ってしまったのか、
怖くはありませんでした。
「豹といっても所詮はネコ科だし」
30年近く猫を飼ってきた経験が
「私」を落ち着かせていました。
とうとう突き出た島のような岩
まで来ました。岩は道から2、3m
離れており、人間には渡れませんが
黒豹なら軽々飛べるのでしょう。
前を見たまま通り過ぎたとたん、
後ろでドンっと鈍い音がして
黒豹が道に飛び移ってきました。
(つづく)
「私」はミャンマー人の友人と
ビルマ料理の店にいました。
リアルではミャンマー人の
知り合いが何人かいますが
夢の中では彼らは登場せず
「私」は招待されていました。
ビルマ料理の美味しさは
友人宅でご馳走になって
知ってはいても、外食は
初めてで「私」は興味津々。
中華料理のように7、8人で
円卓を囲んでいました。
言葉が通じず、話せないのが
残念でしたが、美味しい食事で
小柄な女将さんの笑顔は
引き込まれるようでした。
食事の途中に女将さんが、
お麩をくれました。
それは固く細長い薄茶色で、
「私」には湯葉を巻いたものに
見えましたが、誰かが
「グルテン、グルテン」
と言っていました。
長いお麩をハサミで7ミリ
ぐらいの幅で切っていくと、
切り口が五角形になり、
それをスープに入れて戻すと
星型に膨らみました。
口に含むと何とも言えない
美味しさでスープを二重に
愉しむことができました。
=============
オークランドにはビルマ料理の
店がないと聞いていましたが、
クライストチャーチでは
ビルマ料理の店を見ました。
プリンスズ橋を渡って
サウスバンクに出るや
右手は広々とした公園地帯
キングスドメイン公園
最初はビクトリア女王像が建つ
バラが有名なクイーンビクトリア庭園
日の沈まぬ大英帝国の象徴だった
ビクトリア女王
初代インド皇帝(女帝)でもあります。
英連邦のあちこちで像を見ますが
これが一番おっかない
さすが州の名に冠するだけあり
迫力が違います(笑)
公園内で見かけた
ポップアップグローブ劇場
丹精された公園が一段と華やかに
その先はガバメントハウスと呼ばれる
州総督の公邸
通常は非公開。
すぐ近くにあった藤棚
まさに見頃だったようで、
見惚れる美しさでした。
見えてきた国会議事堂のような建物は
シュライン・オブ・リメンブランス
と呼ばれる戦没者を祀る
ビクトリア州戦争慰霊館
ギリシャ神殿のような造り。
国旗を降納しているところで
慌てて中へ。
塔の内側と戦場を描いたレリーフ
オーストラリアだけでなく
英連邦の国旗が掲げられ
ニュージーランドもありました。
こういう所で見かけると
ひと際、胸を打ちます。
丁寧に記帳された戦没者名
手厚く弔われています。
外は美しい庭園で
ここで毎年の記念式典が
行われるのでしょう。
戦没者の象徴
真っ赤なポピー
若い人がたくさんいました。
どんな理由であっても
こういう場所に若い人が
いることは望ましい
と感じました。
その先にも王立植物園など
いろいろあったのですが、
なにせ広いわ時間が遅いわで
今回はここまで
また出直しましょう。
ヤラ川沿いをママチャリで帰宅する男性
スケボーパークの子どもたち
小さい子も見よう見真似で
がんばってます
西日に輝くプリンスズ橋
再びここに戻りました。
デグレーブスストリートで
一息ついた後はプリンスズ橋へ。
このプリンスとはエドワード王子
アーチの赤が
すぐ隣にある
フリンダースストリート駅の
赤い駅舎とよく合っています。
橋の上とは思えない道幅
路面電車も走っています。
その向こうの鉄塔は
アートセンターメルボルン
今回は行きませんでした。
橋の欄干にあった紋章
メルボルンのコートオブアームズ
と思ったら、
違いました
「でもコートオブアームズって
よく変わるし」と調べてみると、
現在のコートオブアームズが
制定されたのは1970年でした。
初代のコートオブアームズが
制定されたのは1940年で、
欄干にあったのは1843~1940年
まで使われていたエンブレムの
ようなものだったそうです。
プリンスズ橋の完成が1888年なので
まさにこのエンブレムの時代
イングランドの旗でもある
レッドクロスで仕切られた
4つの区切りに描かれた絵は
右上から反時計回りで
市の重要経済の順で描かれて
いるんだそうです
エンブレムは
クジラ⇒羊⇒牛⇒船
コートオブアームズは
牛⇒羊⇒クジラ⇒船
船はこれらの一次産品を運ぶ
輸送手段という意味だそう。
18世紀から19世紀初頭にかけ
捕鯨がいかに重要だったかが
わかります。そして19世紀の
ゴールドラッシュがいかに
短命だったかも
シンボルとしてクジラは残っても
金はどこにも残りませんでした。
2017年10月のメルボルン旅行記も
11本目に入ってきました。
さすがにリバークルーズ2本の
連続でお腹もすいてきたので、
「落ち着かない」
と言っておきながら、
再びやってきた(笑)
デグレーブスストリート
一等地の裏路地という
観光客には何かと助かる
駆け込み寺的存在
駆け込んで初めてわかる
その実力
界隈をウロウロしている
時間が長いので
土地勘がない身には便利
こんなニャンコに
同じアーティストかな?
まずは腹ごしらえ。
行き当たりばったりで
イルテンポというピザ屋
道を挟んだ反対側も同じ店
店員が行ったり来たりしています。
基本のキなメニュー(笑)
マルゲリータ
基本がよければそれでよし
コーヒーでホッと一息
このドーナツ屋は有名らしく
行列ができていました。
私たちは見るだけで(笑)
甘党の夫もたじろぐ
盛りに盛ったボリューム
実はこの後、夕食前に再び
舞い戻っていた私たち(爆)
夕方は仕事終わりらしい地元民も
交えて、混み合っていました。
お見それしました、
デグレーブスストリートの実力
下りがあれば上りもある
ということで、今度は
ヤラ川リバークルーズ上り編
ここにもあるビクトリア大学
NZはウェリントンにありますが、
ただ今、校名の変更を検討中。
世界中にいくつもありそう
ひと際目立つオブジェ
水辺に葦がぎっしり生えていて
水質管理のためのよう。
浮遊するゴミを取り込む装置
地道な努力が続いています。
AAMIパーク
ラグビーのメルボルン
レベルスの本拠地
美しいアーチ橋はモレル橋
1899年に完成し
1998年以降は歩行者と
自転車専用橋に。
こうして歴史的建造物を
守るってすばらしい
すぐ近くにあるホドゥル橋
1939年に完成した道路橋
またまた美しい橋が見えてきました。
チャーチストリート橋
1923年完成
クルーズからだと一瞬でも
間近に見られるのがいいところ。
メタリックなビルとのこの対比
水辺の目立った住宅
4階建てだけれど、中が2階の
メゾネットになっている?
川の両側が長い遊歩道になっていて
自転車や徒歩での通勤圏が
グッと広がりそう。
ランニングやウォーキングにも
もってこいな場所
ここから支流と分かれ
川幅もぐっと狭くなり
中洲もあって
川が蛇行し始めます。
さっき見た海辺のような
コンテナヤードから
ほんの5、6キロ、歩ける距離
なのが信じがたい変わりよう
手前は川の浚渫をしているところで
(↑うろ覚え)
後ろは橋の補強中だったような
再びプリンスズ橋に戻って
クルーズ終了
橋の上ではこんな展開(笑)
車道だから馬も大変そう
慣れれば大丈夫なのかな?