移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
2023年6月のオーストラリア
ブルーマウンテンズの3日目
フェアモントリゾートはブル
ーマウンテンズが一望できる
素晴らしい立地でしたが、終
日出かけていて最終日になっ
てしみじみ感動しました(笑)
(※青い山脈ジブラルタル山)
ホテルのコーヒーショップで
朝の1杯☕
床のプリントが目くらまし
再訪する機会があればぜひま
た泊まりたいホテルでした。
チェックアウト後は町と反対
方向ながら、気になっていた
サブライムポイント見晴台へ
ジブラルタル山が目の前で、
スリーシスターズを裏から間
近かに見られる場所でした。
地表近くはかなりが絶壁で、
足元もこんな場所
(※柵があるものの)
ここではアブセイリング(懸
垂下降)ができるらしく、フ
ル装備の若い2人がサっと藪
の中に消えていきました。
ブルーマウンテンズはこの日
も青く。これを見納めに町へ
去る前に来たのはブルーマウ
ンテンズの中心カトゥーンバ
電車の駅もあり、シドニーか
ら気楽に日帰りで来られる町
初日の夜の
コレは
コレでした
ランチにしようとやって来た
ポメグラニットカフェ
挟み物系大好きの夫は迷わず
クラブサンドイッチ。実はNZ
やオーストラリアでは珍しい
私はアボカドのオープンサンド
店内の古のカトゥーンバの絵
中央にそびえる大きな建物が
キャリントンホテル
間違いなくこの町のアイコン
1882年にグレートウェスタン
ホテルとして開業しました。
公式サイトによれば国内最古
のリゾートホテルなんだとか
ホテルと言えばホテル。でも
病院か他の施設にも見え、何
とも広大な敷地の複雑な造り
歴史的建造物指定で外見は変
えられないにしてもこの劣化
65室やレストランは営業中💦
リゾート気分も吹き飛ぶ現実
正面は全面ステンドグラスで
20世紀以降の後付けのよう。
建物はホテルとして1882~
1913年まで断続的に30年か
けて建設されたものだそう。
開業当初1885年のホテル
(出所:
ウィキペディア)
1885年より大規模な増築に着
手し、1886年に当時のニュー
サウスウェールズ総督ロバー
ト・キャリントンの訪問を機
にキャリントン・ホテルに改
名したそうで今も昔も忖度
増築の中でも特筆すべきは、
1910年に火力発電所が併設さ
れたこと。ジャミソンバレー
の炭鉱跡で「石炭は発電所に
も運ばれた」とあり「発電所
って?」と思いましたが、ホ
テルの敷地内にあったとは
発電所建設によりこの地に初
めて電力が供給され、ホテル
だけでなくカトゥーンバや周
辺地区にも供給されたそう。
調べてみたら横浜の電力供給
開始が1890年からなので、石
炭産地としては遅い開始か?
カトゥーンバは石炭の枯渇や
大恐慌を経て、かつての活況
を失い、今や世界遺産として
変わらぬ姿をとどめる場所に
(※初日に食事したバーもキ
ャリントンの一部でした)
1年半前はコロナの痛手を実
感するような路面店の空室が
目立ちましたが、世界的なオ
ーバーツーリズムと高金利で
国内の生活防衛が拮抗する中
今頃はどうなっているのか
またいつか
2023年6月のオーストラリア
ブルーマウンテンズの2日目
シーニックワールドの面白い
ところは、ライドを終えたら
世界遺産の国立公園をそのま
ま散策できること。移動手段
だけを提供し「あとはご自由
にどうぞ」というコンセプト
(※ジブラルタル山)
そのまま周辺を自由に歩く。
@カトゥーンバカスケード
カスケードは段々の滝の意
ここはシドニーの水源です。
「シドニーの連中は毎朝この
水で歯を磨いてるんだ」とい
う説明に地元の意地を見た
@カトゥーンバ滝
過ぎゆくスカイウェイを見て
オーファンロック(孤児岩)と
いう世界一急勾配のレールウ
ェイが下っていく地点を見て
再びシーニックワールドに戻
り2回目のケーブルウェイへ
乗り放題の日だからできる業
谷底に沈んで行くようです。
下から見上げると本当に絶壁
こんな所を人力で
200kgの石
炭を持ち上げさせただなんて
人と同じ事をしていたら大金
持ちにはなれないという好例
別になれなくて構わない(笑)
さんざん歩いた日の夜はクル
マを出して、ブラックヒース
という町の地中海料理
アテス
いろいろググっているうちに
見つけた店。凝った料理に目
が釘付けで、遠くてもこれは
外せないとやって来ました。
誰かの家に招かれたような肩
の力が抜けたセッティングに
もう美味しい予感しかしない
地ビールのマウンテンカルチ
ャー。旅先の夫は地ビール派
シドニーロックオイスター
旬の冬場でぷっくぷく
ブラータ
前菜でこの凝りようです
ポテトボンボン(だったか?)
小さなタルトレット
こんなに手が込んだ品を1点
から注文できるのには感激
デギュスタシオンを逆指名し
ているような贅沢に感じる。
これだけ頼んでも余裕でメイ
ンにいける量なのが嬉しい
残念ながら名前失念。しかし
唸りそうな美味しさでした。
これは夫がぜひと選んだ、ポ
ークネック。真剣に味わうた
め思わず無言になる美味しさ
サイドはハモンと芽キャベツ
ここはトルコ系移民の地中海
料理の店でした。それ以上に
ユーカリの木を燃料にした、
150年前の薪オーブンで焼い
ているというストーリー性
オーブンを越えるオーブン料
理には、魔法がかかるよう
一見の観光客と馴染み客の分
け隔てもなく、非常に温かみ
あるもてなしの素晴らしい店
近かったらちょくちょく行っ
てしまいたくなる極上の食事
心からごちそうさまでした
帰国後にシドニー生まれの知
り合いと話したら「ブラック
ヒースはいいレストランや洒
落た店がいろいろあるのよ」
と言われぜひ再訪したい街に
日の短い冬場で何も見えず、
ただ行って帰ってきただけ。
ホテルに戻ったらこんな演出
2023年6月のブルーマウンテ
ンズ2日目。この地に炭鉱を
切り開いたジョン・ノースが
「カトゥーンバの父」なら、
この町にはもう1人の父がい
て、その名はハリー・ハモン
世界遺産の中の観光施設
シー
ニックワールド創設者です。
世界一急勾配の線路を走る石
炭トロッコを、この町随一の
観光の目玉に仕立て上げた男
それには戦前の伏線がありま
した。1928年より炭鉱夫たち
は週末の副業として観光向け
にトロッコを走らせました。
1933年には12席の観光トロ
ッコを導入し週末運行を開始
「ジェシー」と名付けました。
脇に名前が見えます。着飾っ
た観光客と日に焼けた炭鉱夫
どう見ても定員オーバー(笑)
ドライバーもネクタイとジャ
ケット着用に。女性はチャー
ルストンドレスで時代を反映
ぽつんと置いてあったこれが
ジェシーらしい
安全性を考えるとかなりラフ
今じゃ怖くて乗れない💦
でも石炭トロッコで真っ黒に
なるよりも、座席もあって格
段によくなったのでしょう。
ハリー・ハモンは長年、女き
ょうだいのイソベル・フェイ
ヒィとともに、カトゥーンバ
で運送会社を営み、石炭を炭
鉱から発電所などに運搬する
仕事も請け負っていました。
ある日、ジープに乗った大勢
の米兵が来て「急勾配の鉄道
はどこにあるんだ」と聞かれ
「週末しか運行してないよ」
と答えると、「なんだと?シ
ドニーからわざわざ運転して
来たのにやってないだと
」
と言われ、この経験からハリ
ーは「いつか機会が来たら」
と密かに夢を描きます。1945
年に炭鉱が持つレールウェイ
のリース契約が切れるや否や
即座に引き継いだのです
とはいえ、古い炭鉱を観光名
所に造り替えることは容易で
はなくハリーとイソベルは懸
命に新事業に取り組みます。
大型のアルミ製車両を新しく
導入し、炭鉱の小屋を拡張し
てランチやアフタヌーンティ
ーのサービスも開始するなど
2人のイノベーションは続き
それは次世代にも受け継がれ
ていきました。現在はハモン
家3代目が施設を引き継ぎ、
家族経営の観光アトラクショ
ンとしては国内最多の来場者
数を誇っており年間延べ100
万人以上が訪れるそうです。
3代目は過去20年間で設備投
資に9,000万豪ドル(約90億
円近く)を投じているそう。
その甲斐あっての新たなアト
ラクション、ケーブルウェイ
この収容人数でかなりの規模
なにはともあれ安全性優先
そしてジャミソンバレーを横
切るスカイウェイも導入され
見えなかった景色が見られる
谷を真上から見るという体験
目線の高さにジブラルタル山
眼前に迫るスリーシスターズ
大人だけでなく多くの子ども
たちの一生の記憶に残ってい
るであろう美しい世界遺産。
いつまでも変わらず安全に🙏
2023年6月のブルーマウンテ
ンズ2日目。ギネス認定
世界
一急勾配の鉄道レールウェイ
で、ジャミソンバレーの谷へ
岸壁の間の200mを降下
今でこそ観光アトラクション
ですが、この線路は19世紀に
鉱山のために造られました。
すべての始まりは「カトゥー
ンバの父」と称されるジョン
・ノースでした。鉱山経験の
あったノースはジャミソンバ
レーで640エーカーを手に入
れ、カトゥーンバ鉱山を設立
し1878年に試掘を始めます。
(※ジョン・B・ノース)
1879年には石炭200kgの塊
を高さ200mの絶壁の上まで
人力で運ばせ、同年のシドニ
ー万博に展示して、州政府か
らシドニーを中心とするニュ
ーサウスウェールズ鉄道への
石炭供給契約を獲得します
政府のお墨付きとなったら、
山師は資本家に大出世。銀行
がこぞって融資をしたのでし
ょう。ノースはすぐさま石炭
運搬用の貨物レールウェイ建
設に着手。シドニーの土木技
師ノーマン・セルフが設計に
あたり工事が始まりました。
元からあった自然のトンネル
を拡張し、平均の傾斜を44度
に保つために岩壁を爆破して
軌道を確保。谷の下から上に
向けて単線が建設されます。
(※拡張された今のトンネル)
1882年単線完成。下の矢印
の左がノース本人だそう。
蒸気で起動するトロッコを稼
働させ、地上から219m下の
炭鉱へのアクセスを確保して
1883年に炭鉱が創業開始。
(※今も残るノースの炭鉱跡)
1883年。周囲の木材を枕木
に複線化が進められました。
同年の年間石炭産出量4万㌧
1884年。複線化が完了し年間
産出量5万㌧に。従業員56人
1888年には半年で6.5万㌧を
産出。従業員は83人と当時
としては破竹の勢いだったの
でしょう。往時の再現があち
こちにあり判りやすいです。
炭鉱からレールウェイまでは
馬が大活躍し“仲間”として大
切にされたそう。御者も鉱夫
の大事な仕事の1つでした。
馬が亡くなると手厚く弔われ
たそうです。常に危険と隣り
合わせの過酷な仕事ゆえ、結
束は非常に強固だったよう。
町の少年たちは14歳になると
父について炭鉱に入り、1つ
ずつ仕事を覚えていったそう
です。しかし、トロッコの操
作は危険で指を失うことも。
坑道の空気の移動を確保する
ために火もたかれ(酸欠になら
ないものなのか
←理科音
痴)夏の苦しさはどれほどか
(※今も明かりを灯した坑道跡)
ジャミソンバレーが産出した
のは石炭だけでなく、さらに
下の地層に油頁岩があること
が判り、産出が始まります。
油頁岩とはオイルシェール。
現在はシェールガス採取の技
術が確立され、頁岩の間から
天然ガスを抜き取るそうです
が、当時はプラスチック状
の油頁岩そのものを採掘して
は運び出していたそうです。
そのためにジャミソンバレー
のあちこちをトロッコが走り
(※これも蒸気で起動??)
鉱物資源はレールウェイ下に
運ばれ絶壁を上がりました。
(※下から見るとこの角度
)
その後はトラムでカトゥーン
バ駅、そこからは貨物列車で
シドニーへと運ばれました。
最盛期1893年の年間産出量
は油頁岩2.7㌧、石炭4,263㌧
従業員165人に達したそう。
(※当時をしのぶこんな演出)
石炭産出量の激減と従業員の
多さにシェール産出の難しさ
が感じられ、これ以降は収益
性が低下していったもよう。
ジャミソンバレーでは計40ヶ
所の鉱山ができ、最後の炭鉱
の閉山は1930年代でした。
今は人工物も見当たらない、
見渡す限りのユーカリの樹海
取りつくせばそれで終わる、
鉱山の栄枯盛衰を感じます。
2023年6月のオーストラリア
ブルーマウンテンズの2日目
三姉妹岩スリーシスターズの
後に向かったのは世界遺産ブ
ルーマウンテンズの観光施設
シーニックワールド
その辺をうろうろしているだ
けでも目に入ってくるコレが
インパクト大
スカイウェイというのか
シーニックワールドではケー
ブルウェイ、レールウェイ、
スカイウェイという3種類の
ライドが楽しめ、オフシーズ
ンのせいかどれも乗り放題。
まずは1945年に開業した観光
用レールウェイ(鋼索鉄道、ケ
ーブルカー)に乗り込みます。
世界一急勾配の鉄道だそうで
すが、車両そのものが階段状
座席を調節することで傾斜を
調節できるよう。でも私の席
は動かずオリジナルの52度
64度ってどんな角度
64度
出発したとたんにトンネルに
天然のトンネルで全長80m
出たら今度は緑のトンネルで
車窓の外はこんなです
下りているより落ちている
もう何がなんだかというとこ
ろで最終駅に到着しました。
206mを一気に下ります。
乗降が左右で分かれており、
左で降りて右で乗って、出発
ドライバーガイドは最後尾
1日何往復するのやら?
これを上るんです。
自分は降りて来たけど
あっという間に加速して
上って行く姿が龍の如く🐉
まるで吊り下がっているよう
でケーブルのなせる業です。
これが世界一急勾配の根拠
香港のピークトラムにはよく
乗ったので、あれが1番下で
これが1番上かと思うと確か
に相当な勾配差に思えます。
ギネス認定の世界一だそう。
よくまぁこんなスゴい鉄道を
19世紀に造ったものです
2023年6月のブルーマウンテ
ンズ2日目。朝食の後はすぐ
ブルーマウンテンズ国立公園
ユネスコの世界自然遺産登録
ユーカリの樹海で埋め尽くさ
れた谷は、ジャミソンバレー
正面は標高863mのジブラル
タル山。つながって見える右
端の山は6km先ソリタリー山
この位置からだとソリタリー
(孤独)には見えず連山のよう
オーストラリアによくあるテ
ーブルランド(卓状地)。食卓
のように平らな大地。それが
悠久の浸食で削られた地形。
大地は4億7,000万年前に形
成されたというから、桁違い
眼下は緑の絨毯のようですが
1本1本は相当な高さのはず。
ブルーマウンテンズは一帯の
山域の総称で、無数のユーカ
リが大気中に放出する油滴が
埃や水滴と交じり合って細か
い粒子となり、それに光が当
たることでレイリー散乱とい
う青く見える散乱を起すため
全体が青く見えるのだとか。
写真がヘタすぎてこれで青い
のかどうか?青山なんて言葉
もあるように山は青いもの
そもそも空も青いものだし
AI先生によると、光が小さい
粒子に当たって散乱すると青
く見え(レイリー散乱)、空が
青く見える原因なんだそう。
しかし、大きい粒子に当たる
と白く見え(ミー散乱)、雲が
白く見える原因になるそう。
ということでブルーマウンテ
ンズのブルーを見て来た
と
理解しています。とにかく視
界全体がぼんやり青いです。
うん?中央に人工物がある
ルーインドキャッスル(荒城)
と名付けられた大きな岩の塊
太古の山の尾根が浸食されて
残った最後の部分だそうで、
なんと粋な名なんでしょう。
ここはエコーポイントという
場所の突端にあるエリザベス
女王見晴台。1954年の訪豪の
際ここから観光されたそう。
右手には木々の中に隠れるよ
うに建つ
シーニックワールド
左手にはスリーシスターズ
その昔、メイニー、ウィムラ
ー、ガナドゥという美しい3
姉妹がいて、違う種族の3兄
弟に恋をします。しかし、そ
れは許されぬ異種族間の恋。
3兄弟は3姉妹を力づくで連れ
出そうと種族間の争いに発展
してしまいます。長老は3姉
妹を守るため岩に変え、平和
が戻ったときに元に戻そうと
しますが、その前に長老が殺
され、姉妹は岩の姿のままに
というアボリジナルの哀しい
伝説に由来している岩です。
ひっそり立つ姿がいじましい
最初の岩まで橋がかかってる
と気が付き行ってみました。
クネクネとした遊歩道は年月
と人気を物語るかのように擦
り減っていて、それに合わせ
て手すりが設けてあります。
ここはジャイアントステアウ
ェイ(巨大階段)という千段か
らなる、ジャミソンバレーま
で下りられる急な階段の一部
上がって来たインド系中年夫
妻はご主人が涼しい顔。奥さ
んは上気した顔で真っ赤っか
「こんなにキツかったとは💦」
少し降りてみましたが、時間
が読めないのでまたの機会に
階段の擦り減り方がスゴい
ステアウェイの先にあるのが
ハネムーン橋と名付けられた
先ほど望遠で見た橋。通行止
めになっていたのは正解かと
岩を削って名前を書いたり、
史跡への損壊が痛々しいほど
クライミングやアブセイリン
グも禁止で違反者は罰金$200
守るべきものは守らないと
スリーシスターズとジブラルタル山
一夜明けて2023年6月のブル
ーマウンテンズ2日目です。
こういうところにいたのか
暗くなってから投宿し、どこ
にいるのかよくわからなかっ
たので、眺めの良さに感激
あれがブルーマウンテンズ
フェアモントリゾート・ブル
ーマウンテンズ泊。ここはア
コーホテルズのMギャラリー
前月のタイのプルマンといい
なにかとアコー率が高い夫婦
世界遺産の中に位置する高台
広々とした敷地でカンファレ
ンスでの利用も多そうな場所
前夜レストランを借り切って
いた人たちなのか、ジャケッ
ト姿のビジネス客風の人たち
が小さな荷物とともにクルマ
で1台ずつ帰っていきます。
大きなカラフルでチアフルな
絵が広い壁のアクセントに
昼
夜
ここならどちらも可能かな?
鳥好きにはたまらない絵も
クッカーブラ(ワライカワセミ)
かなり大きな室内・屋外プー
ルがあり、スケートリンクも
目の前はゴルフ場で地元のシ
ニアがプレーしていました。
ちらりと見に行った夫にまで
「一緒にやらないか?」
次回はクラブ持ってくる
すべてレトロでそれが似合う
世界遺産の中だと再開発の条
件も厳しく、このままずっと
補修だけして現状でいくのか
シドニーからのリタイア組が
かなりいるのではないかな?
朝ごはんは町に出てカフェへ
スパロウズ・ルーラ
鳥の中でも特にスズメが大好
きな私には見過ごせない店。
主役になることのない地味な
鳥。でもどこでも逞しく生き
抜いていく小さな姿が好き
まずはコーヒー
地元民の多さに支持の厚さを
感じる居心地のいい店です。
こういう朝ごはんがどこでも
普通にあるからNZとオース
トラリアのカフェは最高
朝から鮮度の高い野菜は本当
にありがたいし助かります。
これでエネルギーチャージ💪
2023年6月から長男との
11年
ぶりの同居が始まり、本人が
出張に行ったり、親が旅行に
出たり、3人一緒だったりと
実に便利で風通しのいい関係
が1年半続きました。終わっ
てみるとしみじみ貴重な時間
=============
同居後6月はオーストラリア
ニューサウスウェールズ州の
世界自然遺産ブルーマウンテ
ンズとシドニー行きを決行
着いたのはもちろんシドニー
ではなく、メルボルン
(※ビクトリア州)
ニュージーランド航空から出
発前日に連絡が入り、機材繰
りの関係で予約していたシド
ニー便はキャンセルに
しか
し、ホテルもレンタカーも予
約済で日程を変えられないた
め、経由便に変更しました。
メルボルン空港で一休み
@リトルジョンズ バー&カフェ
(※調べたらもう閉店してる
)
コーヒーとこういうものがあ
れば、なんとかなる私です。
カンタス空港の国内線に乗り
シドニー着。クルマを借りて
即高速へ。ブルーマウンテン
ズまではクルマで約2時間
オーストラリアは罰金が厳し
いのか、運転のマナーや制限
速度の順守が非常に良くNZ
もこうなってほしいと願う🙏
最も日が短い6月。到着した
頃には真っ暗。しかもホテル
のレストランは貸し切りのイ
ベント中で、クルマで町へ
ブルーマウンテンズ観光の拠
点となるカトゥーンバの町。
暗くてなにがなんだか
とりあえずググっておいた店
オールドシティーバンク・バ
ー&ブラッセリ―というバー
到着と長い1日の終了に乾杯
元銀行だった建物を当時の雰
囲気そのままにバーにした店
バンカーズランプのグリーン
のシェードの色が綺麗です。
林立するテーブル番号。でも
お客は地元の人を中心に数組
NZやオーストラリアでは客
と店員がよく話をするので地
元客かどうかすぐ判ります
(※ティファニーランプも
)
ブラッセリ―とはいうものの
食事は典型的バー飯(=パブ飯)
旅先のバーガーを楽しみにし
ている夫は大満足のはぴはぴ
遅い時間で、私はこれでOK
ビーツとフェタのサラダ
夫はデザートに突入🍦
私は歯がキーンとなり冷たい
ものは全般苦手
冬の6月だし
しかし、まぁホントに真っ暗
大都会シドニーから2時間だ
と、もうこうなるんですね
このメリハリもNZやオースト
ラリアの好きなところです。