ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

旅行後に見る旅先の夢

2019年03月18日 | 夢の周辺

旅行後に、旅先だった場所の夢を見ることがあります。


帰宅してから数日にわたり、繰り返し旅先の夢を見ては、
起きた瞬間に、そこに戻っていたことに気づくのです。


今回の日本滞在はまさにそんな旅先になりました。
ここ数日、毎夜のように出てくる古い日本家屋。
2夜連続という長ーい夢もみました。

どこもほの暗く場所や時間が判然としません。


しかし、見まごうことのない日本の光景で、

夢の中でもどこにいるのかはっきりわかっています。
そのせいか、落ち着いていて夢の細部や経緯まで
リアルに覚えている気がします。


どこにいるのかがわかっても、見ず知らずの国ならば、
夢の中といえども多少は緊張するのかもしれませんが、
勝手知ったる日本となると、気が楽になるようです。


ある日の夢では、着物姿の女性たちがミシンをかけていて、
誰かが部屋に入ってくるや、
「蛇の目のソフトが直ったんだって
と言い、部屋に歓声が上がり安堵の空気が流れました。


どうも蛇の目ミシンのソフトウェアに不具合が生じ、
複雑なステッチ(なのか?)などソフトに頼る縫製に
問題が生じていたようなのです。
(※今のミシンが本当にそんなモノなのかはさておき)


「私」はその場に居合わせただけですが、
不具合での煩雑さ
裁縫の面倒さ
復旧の安堵感
を共有でき、一緒にため息をついていました。
寝ながら本当にため息をついていたのでしょう(笑)


2017年にオーストラリアのシドニーに行ったときも、その後、
現地で見たような場所や光景が何度も夢に出てきては、
起きてから自分がそこに戻っていた感じがしました。

よほど、この黄色攻めにインパクトがあったうよう(笑)


NZに戻って1週間ですが、まだ日本夢紀行が続くのか?





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この記事を書いたのは3月14日でした。
翌日に記事を上げる前に、NZ史上最悪の
クライストチャーチでのテロ事件が発生。
50人の尊い命が一瞬にして奪われ、
なおも約50人近くがケガに苦しんでいます。


その間、身も心も空っぽのような3日間を過ごし、
合同葬儀までは気もそぞろになりそうです。


帰国以来、毎晩毎晩いくつも見ていた日本の夢は、
あの日以来ふっつりと見なくなり、
夢そのものも見ていないのか、何も思い出せません。


犠牲者と残されたご家族に心からお悔やみ申し上げます。


西蘭みこと

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夢見:鹿児島の樽銀行

2019年03月14日 | 浅き夢見し

話を聞くだけの夢で、「私」は登場しません。
「私」は実妹と等身大の「妹」の話を聞いています。


ただし、彼女の姿は見えず声だけがして、
話に合わせてスライドの一コマのように
古ぼけた写真のような映像が映し出されます。


妹と父は父の故郷である鹿児島を訪ねてきました。
タクシーで先祖ゆかりの地を訪ねて回りました。


妹は、鹿児島はお金の代わりに味噌樽を使うと言います。
タクシーに乗ったら緑の樽をドライバーに渡す
といった具合で、買い物も樽で行われるそうです。
味噌樽を預かっている銀行のような場所もありました。


「私」には再び、漬物が入った化粧箱のある日本家屋の
ようなほの暗い建物の内部が見えてきて、
そこには大小さまざまな樽がびっしり並んでいます。

(※イメージとしてはこんな場所)


どの樽も上の方に緑や赤のタガがはまっており、
それが価値を示しているようでした。
同じ色なら同じ大きさの樽でした。


風情な習慣でしたが、父が樽を持ち歩くのは不便で、
妹は父とともに味噌樽の銀行に出向き、交渉しました。


「父は高齢で樽を持ち歩くことができず、鹿児島に来るのも
多分これが最後なので、樽をすべて現金化できないか。」
と訴えると、半纏を着た職員はちょっと戸惑った後、
(多分そんなことを申し出る人が他にいないので)
丁寧に換金に応じてくれたそうです。


父は現金を受け取り、全ての樽を失いました。
やや寂しそうながら、ホッとしていたそうです。



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鹿児島の人にも初耳の樽銀行(笑)
夢の創造なのでお許しください。


他人が読んだら荒唐無稽の意味不明。
ところが、これは現実と並行した
実に興味深い夢でした。


まず、今回日本に行った最大の目的は、
高齢の両親のためで父は今年90歳になります。
母が特養に入り、独り暮らしとなりました。


市内に住む妹が週1回様子を見に行っています。
なので父と妹の組み合わせは理に適っています。


さらに父の故郷の鹿児島に関して。
今回親族とも話し、父の母方が名家と知り、
ネットで「鹿児島、〇〇家」と検索すると、
維新以降の一族の話がいろいろ出てきました。


そこで、NZ帰国後いろいろ検索していたので、
そうした場所を父と妹が訪ねるという設定です。
(※実際にある銅像まで夢に出てきました


さらに味噌樽(爆)
これはもう化粧箱の話同様、岡崎市の八丁味噌まるやでの
感動体験の続きに他なりません。

何度も何度も夢に出てくる味噌樽。
これは6トンもある樽で石だけで3トンですが、


宣伝用の小さな樽も目にしていて

夢に出てきたのはまさにこんな樽で、
上の石がなくタガが着色されていました。



興味深いのは父と妹が味噌樽を換金すること。
前回の化粧箱の夢の中でも、
「この箱は現金の代わりなんだな」
と思っていたのと非常に似た状況です。


伝統や文化、人々の想いが込められた
金銭よりも大切な物の存在
実際にはあり得なくても、そんな物の存在を
夢の中では完全に信じることができました。

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夢見:化粧箱

2019年03月13日 | 浅き夢見し

ご無沙汰していました。


10日ほど13年ぶりの大風邪に苦しみ
快復後は10日ほど日本へ行っていました


今は仕事に追われていて、
さてどれぐらい更新できるか?



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記憶が確かなら、2晩続けて同じような夢を見ました。
1晩めの夢を2晩めの夢が上書きしてしまった部分もあり、
詳細は2晩のミックスです。


「私」は夫らしき人と日本にいました。
登場人物は行く先々で声を交わした地元の人々で、
みな親切で穏やかな、初めて会う人たちでした。


私たちは古い日本家屋を次々に訪れていました。
外からでは中の様子がほの暗くてわからない日本の家。

(※写真は伊勢のすし久)


私たちは間口に立ち、迎えてくれるのは家主たち。
そこで見せられたのは、さまざまな化粧箱でした。
どれも見事な箱で趣向を凝らした立派な物でした。
箱は家紋のように各家で異なる独自のものでした。


どこの家にも1メートル四方ほどの立派な木箱があり、
その中に15センチ四方ほどの箱がぎっしり詰まり、
大きさや高さが少し違ってもデザインは同じでした。


ほの暗い空間に次々に表れる華やかなたくさんの箱。
金銀をあしらった豪華なものに目を奪われましたが、
「私」が一番心を惹かれたのは、白地に細かい花柄の
陶器のような釉薬をかけたものでした。


素朴で可憐な小花に豪奢な独特の光沢の釉薬の妙。
春先の庭先を小箱に閉じ込めたような風情でした。


各家が大事にする小箱には、漬物が入っていました。
箱を開けたわけではないので、どんな漬物なのか
わかりませんが、刻んだ白菜漬けのようでした。


野菜の乏しい冬をこの漬物でしのぐ
というような理由があったようで、どの家も
漬物の箱をそれはそれは大切にしていました。


漬物のような庶民的な食品をここまで大切にし、
伝統工芸の域に達した小箱に入れて保存する――
箱作りの工夫や苦労、楽しみを訥々と語る家主たち。


自然に寄り添い、それを大切にする暮らしぶりと
心意気に、「私」は言葉を失う想いでした。



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2晩続けて見るぐらいですから、よほどの気に入りぶり(笑)
これには完全なモデルがあります。


岡崎市で老舗八丁味噌まるやの味噌工房を訪ねたからです。

巨大な味噌樽が小さな漬物箱に化けたよう


特に江戸時代からそのままのこの味噌蔵は

完全に何かが宿っているレベルの霊域に感じました(笑)
その前に立つだけで鳥肌が立つ想いでした。


1337年から700年近く続く伝統というよりも
文化というべき古の方法に忠実な味噌造り。

暖簾を守る
という言葉の重みが初めて理解できた気がしました。


夢では味噌が漬物になっていましたが、
どちらも庶民の発酵食品ということで(笑)

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