ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

夢見:オシュコシュ

2017年02月16日 | 浅き夢見し

和食はほとんど食べないのに、誕生日に珍しく寿司を食べに。

美味しい食事を済ませ、帰って来た晩に見た短い夢です。


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和食店を経営する日本人の若夫婦に子どもができた
ということを耳にした「私」と夫。
初めてのお子さんで男の子。


「これはお祝いしなきゃねー
と2人で話し合いながらも、
「男の子だったら絶対オシュコシュだな。」
と心積もりをしている私。


買いに行ったかどうかは定かでないまま、場面暗転。


別の人の贈り物である、ギンガムチェックのシャツが見えます。
細かいチェックで、ベビー服ではなく子ども服の大きさでした。
半袖の袖の部分だけが目に入り、
「もうこんなに大きくなるのかー」
と思ったところで、記憶が途絶えます。



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若夫婦を見ただけで
「お子さんは
となっている思考回路に、自分のオバサン度を見るような(笑)


「予知夢なのかしら?」
と思う時点でオバサン度5割り増し


イメージが行ってきたばかりの店内そものもでしたが、
ご夫婦は登場せず、勝手に見ている押しかけ夢(笑)


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サンシャインコースト・ブリスベン行:ヌーサの食事情

2017年02月15日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ヌーサの外食は初日からビックリの連続でした


カフェの玉子は黄身が見たこともないレモン色
(※この写真を撮ったところまではよかったものの・・・・)

そういう種類の鶏がいるのでしょうが
とにかく不気味


夜は味もMSGも超濃厚で食べ終えられないほどのタイ料理店

大盛況


これぐらいの店でこれだけ混むということは
ヌーサの食事情、推して知るべしかも
と言っていた初日の予感はドンピシャでした


中心部ヌーサヘッズはイケイケで私たちは静かなヌーサビル滞在。

このトーマスコーナー・イーテリーはヌーサヘッズ風今ドキの店。


チラ見しておいた評価も高く

執筆時で、数字が甘く出やすいトリップアドバイザーで4.5点
数字が厳しく出やすいゾマトでも3.9点
という高評価


食では失敗続きだったので、ちょっと期待して出かけました。



席もバルコニーの突端の一番いい席をアレンジしてもらえました。
(※ちょっとオサレして行ったから?)

ほぼ満席ながらウェイトレスたちには余裕があり、好感度。


しーかーし

お料理は何かの間違いかと思われるほど塩辛く
普段から減塩気味の私には半分も食べられませんでした。


違う物を頼んだ夫も途中でほぼギブアップ



全ての感情をコーヒーで流し、言葉もなく帰りました。



あれこれ試した結果

外食はこの手のものに留めておくのが無難とみました。
(※それでも大きいだけで特に美味しい訳ではないそう←夫談)


揚げ物もビーフも食べない私はこれぐらいかな?

ごくごくフツーのカフェ飯です


でもこのヌーサマリーナにある



カフェ・ビンチーノ



外にペリカンがたくさんいて楽しく眺めも最高

ここは再訪ありそうです。


外食ではほぼ完敗でしたが

ベルモンドス・オーガニック・マーケットで挽回しました


マーケットと言っても常設店ですが

ここは食の質が高く


コーヒーの

クランデスティーノ・ロースターズ


デリのバニラフードがあれば



私としてはかなりイケちゃうかな?

日替わりメニューだし


ヌーサのソウルフードになりそう

という気持ちは今も変わりません。


それにヌーサや近隣ではたくさんのマーケットがあり



生産者が直接販売している美味しそうなものが目白押し!



こういうものを買い求めて、自分で作ればいいのかも



中国産でないガーリックなんて、存在自体が贅沢



休暇中の旅先では絶対料理をしない主義

を覆すような
マーケットの鮮度と外食の空振り度(笑)


なかなかイイ、こんな光景



スーパーの肉には

ホルモン無添加
なんてオソロしい表示もあり、無添加もあるということは
添加もあるってことですよね


またヌーサに行くときは

もっと部屋食にしよう


でもここも試してみようかな?(←懲りない



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サンシャインコースト・ブリスベン行:キンキン

2017年02月13日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ポモナを出て東に行けばヌーサビルに帰れるものの
ちょこっと北上してキンキンという小さな集落へ。


ポモナの人口2,500人対してキンキンは700人

村以下ですが、とりあえず行ってみよう

いきなり大きなホテル

カントリーライフ・ホテル
ってあまりにもまんまな名前(笑)
宿泊よりも村人の飲食の方が売上げがありそう


ちょっと意外な不動産屋

周辺に家が見当たらな~い(笑)
何を売ってるのか?


かなり古そうな戦前の家じゃないかな?



そしてその隣は驚きの大きさの

キンキン・スクール・オブ・アーツ
周囲に不釣合いな規模のアートスクール


でも、町がこれだけ



キンキンは1870年以降製材で栄えたものの

(※カウリもあったんですねぇ

NZのノースランド同様に採り尽くした後は産業がなく
大きな建物は過去の繁栄の名残というわけです。


今では周辺から観光客が集まり

カントリーライフに憧れる人が移り住んだりする場所らしいです。
サンデーマーケットもあるのね


レストラン兼雑貨屋キンキン・ゼネラルストアー

ここはアイアンワークが凝っていて


スゴいレベル



さすがすぐ隣にアートスクールがあるだけある?

外でピザが焼けるよう


次回はカフェに来てみようかな?

夕食には早すぎる中途半端な時間で残念


朝のユーマンディ・マーケットから始まって



歩いて歩いて歩き倒した1日でしたが



やっぱり歩くとクルマでは見えないものが見え

コーポレートボックス席のある家(笑)
ちゃんと犬がいるし~


こんなソーラーパネルも



看板もカンガルー(笑)

NZはやっぱりキウイでしょ!


こんなのも可愛いです



19世紀から20世紀にかけての時代の建物でも



NZとはまた違う



オーストラリアのコロニアル調の家々は



見ているだけでも興味深く



散策の楽しみが倍増しました。



NZ以上に道幅も歩道も広く

誰も歩いていないのがもったいない(笑)


ここは車庫だったり店舗だったりいろいろあった建物では?



見慣れない鳥や植物もた~くさんあって

もっと知りたいオーストラリア
という気持ちのまま、ひとまずヌーサビルに戻りました。


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サンシャインコースト・ブリスベン行:ポモナ歴史散策(後編)

2017年02月08日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ポモナ歴史散策もいよいよ最終編です。


実際はたいした距離ではないものの、一つ一つの建物に
ストーリーがあり、ついつい見入って時間がかかります。
それが古いものを訪ねる愉しみかと思いますが。


旧ポモナ駅舎

の後にやってきたのが


マジェスティック・シアター

名前も外観も古色蒼然
1921年に建設された社交場としてのホールでしたが、今は


ぬぁんと

世界で唯一の現役サイレント映画館
このデジタル時代に誰が無声映画を観るのか
しかも、村に普通の映画館はなかったんじゃないかな~
ポモナ、恐るべし(笑)


この辺にはかつて鉄道ホテルというホテルがあったそうで

1911年に建設され貨物関連の業務に携わる人たちに利用され
1965年に解体されたそうです。


これら3軒の店はその廃材で再建されたそうで

1軒はホテルの別棟だったキッチンをそのまま使っているそう。


おみやげ屋もありましたが

観光客が見当たらな~い


次にやってきたのがいわば工場地帯

製造業の国、日本のイメージからすれば可愛いものですが


製造業というものがおよそない国のさらに地方の村にしては

かなり大きな工場
歴史的建造物ですが(笑)


ペイジ家具

ペイジ一家は一帯の名家でポモナ最大企業


1919年にハーバート・ペイジが家具工房を始めたものの

1971年の火災で焼失、現在の建物に建て替えられたそう。
それさえ50年近く経っています。


確かこのガソリンスタンドもペイジだったんじゃないかな?

これも歴史的建造物(笑)


貨物の引込み線跡もあり、かつての繁栄がしのばれました。



そして工場の先はいきなり何もない森に



ここはヌーサ州博物館の真ん前

グルっと歩いて一周してきました。


博物館と隣の教会の間を抜けていくと



歴史散策の最後24番目の場所

和解のグビグビ島


博物館の展示では

この周辺の先住民族グビグビ族との和解の印に


2001年に川の中洲に記念の場所を造り



市長と部族の長老の立会いのもとヌーサ州住人とグビグビ族が

和解したそうです。
たった15年前のことなんですね


なんの予備知識もなくやってきたポモナ

ヌーサの繁華街からクルマで30分ほどなのに


人口2,500人ほどの歴史ある静かで美しい場所でした。

なかなか奥深く、ぜひまた訪れたいと思います。

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サンシャインコースト・ブリスベン行:ポモナ歴史散策(中編)

2017年02月07日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ポモナ歴史散策の中編です。



現役のポモナ地裁の後は



ポモナ・メモリアル・スクール・オブ・アーツ・ホール

第一次大戦の出兵兵士への慰霊ホールで1926年に建設された
村民の集会場


1934年にポモナ地裁ができるまでの裁判は

ここで行われていたそうです


1922年に建設のために300ポンドが調達されたものの
それでは足りず、女たちの手で不足分が調達され
ホールは借金なしの564ポンドで完成したそうです
スゴいわ、ポモナの女たち


消防署



NZの消防署はウェリントン以外、ほぼ消防団の延長だと思いますが

オーストラリは公共サービスなのね


これまたステキな建物

確か旧ANZ銀行だったはず
(※ウロ覚え


今は獣医

ペットがいたら絶対行っちゃいそうな建物
動物にも歴史的建造物にも弱い私


左手に今の小学校、右のキオスクも歴史的建造物



ここで突然列車の音



驚きの長さの貨物列車が通過中

大陸を感じる長さ
いつまでもいつまでも延々延々とコンテナが行きます。


ということは駅近し

旧駅長宿舎


今は地域の集会場になっているそうです。



駅があればホテルもある。

一帯で一番大きな建物では?


ポモナ・ホテル

地元の人たちで賑わっていました。


この可愛い家は

弁護士事務所
クイーンズランド州のコロニアル建築の典型なんだそうで


駅に付随した物流関連の事務所として使われ続け

今でも現役
持って帰りた~い


すぐ近くの小さな建物も今は土地管理の公共施設ですが



かつては学校として使われ、女性協会の本部だったそう。

ヌーサの女は強かったのか
入植者や移民の女たちはみんな強くないとねぇ
昔も今も生活を一から築くわけですから。
(※自分もか?)


旧ポモナ駅舎

1894年に建設され貨物輸送で賑わったそうです。


1980年に新しい駅舎が建設され

ここはギャラリーなどの施設に。


時間外で入れませんでしたが

映画の一コマのような佇まい


鍛冶屋



開いていたらおみやげ屋なのかな?



歴史散策もいよいよ後編へ


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サンシャインコースト・ブリスベン行:ポモナ歴史散策(前編)

2017年02月06日 | オーストラリア:ヌーサ・サンシャインコースト

ポモナのヌーサ州博物館をじっくり見学した後は



いよいよポモナ歴史散策

非常に簡単な地図ですが、実際も非常に簡単です(笑)


道路名だってこんな

学校通り
病院通り


20世紀初頭に造られた
旧ポモナ小学校



今は幼稚園になっていました。



園児募集中(笑)



公園の一角に位置していて

絶好のロケーション
建設当時に子どもの人数やどこに住んでいるかをきちんと調べた
結果が今に生きている
(※というか当時と村の規模が変わってない?)


旧病院

みな目と鼻の先


時代がしのばれる

ステキな窓


こちらは英国国教会

1923年に建てられた木造教会は1972年の台風で被害を受け
今のものに建て替えられたそうです。
今度はレンガだから大丈夫?


由緒ありそうなポモナ郵便局

なんとこれは歴史的建造物指定ではありませんでした


古色蒼然としていますが

立派な現役


真っ黒な私書箱

NZは真っ赤なのでなんだか新鮮


この民家風な建物は



警察署



留置所も併設されていて



こちらは歴史的建造物指定ながら
今でも現役です

悪いことしたら、中に入れる


すぐお隣のマレーシアにでもありそうな高床式の家屋は



な、なんと1934年に建設された

裁判所
ポモナ地裁


これも立派な現役



被告か原告か、傍聴人としてなら入れる



村が戦前の規模のままなのか、当時のもので事足りているよう。
NZの地方にもありがちな20世紀前半で時間が止まったような場所。


散策は中編へ

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2種類の夢

2017年02月03日 | 夢の周辺

夢の記録を意識し始めてから気がついたこと
私の夢には2種類あるということ。


ひとつは夢の中でも私は「私」で等身大の肉体を持ち
考え方も価値観も私と同じで必ず女性として登場します。


ときどき子どもも登場するのですが、子どもの年齢は
まちまちで、私の年齢もそのたびに若干違うのですが
逆に言えば、性格、考え方、価値観といったものは
いくつであってもそうは変わらないようです。


「私」は自分の足で歩き、自分の目で見、会話もすれば
周囲の人たちも「私」を1人の人間として扱い、話もします。



もうひとつは、肉体を持たない存在として登場する夢です。
「私」は見て、聞いて、その辺をさまようばかりで
肉体を持たないので会話がなく、周りの人には見えません。
ざっくり魂とか幽霊(笑)の状態なんでしょう。


その時は人の頭を斜め上から見下ろしているアングルが多く
家の中で言えば壁と天井が接触する角にいるようで
部屋全体を見渡していることが多いように思います。


数日前に見た夢は珍しく外で、私は見えない存在でした。
場所は日本のどこかの小さな集落で、漁村のようでした。
村人が集まって生活の大変さを誰かに淡々と語っていました。


女たちはスカーフを被っていましたが、チラリと見える
顔は長年の日焼けで深い色をしており、そこに刻まれた皺が
厳しい暮らしを物語るようでした。


主催者らしい人が
「他に何か言いたい人は?」
と意見を求めると、
小学校高学年らしい坊主刈りの太った少年が
床に座った人たちの間からすくっと立ち上がり、


「腹いっぱい食べたい!」
と大きな声で一言言って座りました。


あとには笑い声が上がったもののすぐに納まり、少年の訴えが
冗談ではないことが、静まった場から思い知らされました。


「私」は床に座った人たちを立っているよりもっと高い位置で
漂いながら見ていました。少年の一言の後も夢が続いたのか
思い出せませんが、肉体がないときはただの傍観者で夢に
「参加」していないため、記憶が薄いように感じます。


考えて動き、脳と身体の両方を使って物事に当たってこそ
いろいろな感情や記憶が深く刻まれるのだと思います。


今日は節分。
トラ年の私や猫にとり、試練の年だったサル年の七冲終了
(※この話は~七冲を超えて~でどうぞ)

飼い猫コロはお腹に大ケガをしてしまい、1週間で2度手術
なんとか切り抜けてくれました。


今夜はパーっと行きましょう、パーっと(笑)

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夢見:地震

2017年02月01日 | 浅き夢見し

そこはホテルということになっていました。
打ちっぱなしの殺風景なコンクリートの建物で床もコンクリ。
細長い建物の両脇にはドアがなく、抜けるような青空が見え
その先は常用なのか非常用なのか外階段になっていました。


見ようによっては造りかけのビルでしたが、「私」は廊下にいました。
壁に向かってアイロンがけをしているところでした。


左手の先には男が5、6人おり建設現場のように作業をしています。
木を切る電動ノコギリの音がしたり、冗談を言い合っては笑ったり
雰囲気は作業現場そのものでした。


廊下の先がドアのない吹き抜けなので、男の姿はみな逆光で
顔はわからず、姿がシルエットになって見えるばかりですが
一番手前の男性が夫だとわかっていました。


夫は「私」とではなく、仕事仲間と一緒に楽しそうに働いていました。
言葉を交わすにはうるさすぎ、距離も離れていました。


その時、
「地震だ
という大声がして、ハッとして男たちを見ると
みんな足元をすくわれてバタバタ倒れていきます。


その姿もやはり逆光で両手両足を大きく広げながら
いかにもバランスを失ったようにその場に倒れ、
誰も立っている者がおらず、夫も倒れてしまったようでした。
倒れたあと誰も立ち上がらず、動く気配がありません。


「私」は横揺れを感じるばかりで、倒れるような衝撃はなく
「こんなに近い場所でも、こんなに揺れが違うものなの
と驚いて男たちのいる左に行こうとした瞬間、


「そうだお客さん」
宿泊客のことを思い出し、右の客室へ走っていきました。
揺れは右へ行けば行くほど小さくなるような気がしました。


「お客様、お客様。地震ですので至急避難して下さい。」
客室のドアをドンドン叩きながら叫び、ドアノブを回すとドアが開き
中には4、5人のアイランダーに見える大柄の女性たちが
座るような寝そべるような姿で、こたつに入っていました。


「お客様。地震です。ご案内しますので至急避難して下さい。」
「私」は寝ぼけ眼の彼女たちをけしかけました。
「地震?あら、ホントだ。ちょっと揺れてる。」
と誰かが言い、全員が起き上がり「私」の後をついてきました。


「私」は右の外階段を小走りに降りていきました。
揺れはわずかで、お客には旅先の地震が不安よりも余興のようで
建物の外の階段を降りていくのが、なんだか楽しそうでした。


地上に着いてホッとしたときには揺れを感じなくなっていました。
建物にも被害は見当たらず、周りの人たちも落ち着いていました。


「私」は倒れたきり動かなかった夫たちが気になり、
自分がいた6階の左端を見上げながら戻るか、地上で夫を捜すか
迷っていました。



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毎月のことながら月末にかけて仕事が押せ押せで、
夫があれこれやってくれるのに、それに付き合えず、
申し訳ないと思いつつ、仕事を優先せざるをえないストレスが
とうとう夢に


左に行って夫を助けるところを、右に行ってお客を助ける
単純ながら明確なストーリーにうなりました(笑)


昨晩は晩ご飯を作る時間もなく一家で外食。

私は担担麺


夫はシイタケと鶏のあんかけ麺

息子はチャーハン
それもちゃちゃっと食べるだけで、とっとと帰宅


アイロンがけも仕事中、ずっとやりたいと思っていたこと!
今日は外出していてできなかったので、明日こそ


ここ最近は夢の移動手段がエレベーター続きだったのですが
今朝は珍しく階段、それも見晴らしのいい外階段でした。


より落ち着いて夢を見れるようになったとか(笑)

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