2023年3月のタスマニア2日目
世界遺産ポートアーサー史跡
でのハーバークルーズを終え
再び史跡内の散策を再開。な
にせ広い場所なので歩け歩け
海から広々とした高台に続く
刑務所の左側にあたる場所は
かつては今や想像もつかない
ほど、建物が密集していまし
た。その規模はどんなに丁寧
な解説や逞しい想像力をもっ
てしても追いつかないほど。
(※写真は1860年頃)
それらは刑務所を管理する司
令官を頂点とした軍人たちの
執務室や宿泊棟でした。囚人
が増えるにつけ、こうした施
設も増え続けていきました。
立派な石造りの司令部の入口
石とレンガの司令官執務室
大きな窓から刑務所が見え
出入港する船、続々とやって
来る囚人、兵站所に荷揚げさ
れる物資が良く見えたはず。
流刑地ポートアーサーの礎を
築いたチャールズ・オハラ・
ブース司令官。在任は1833~
44年の11年間に渡りました。
ブースは厳格さと公平さで知
られ、すべての囚人を罪状に
かかわらず平等に扱い、制度
に一定の透明性を導入したこ
とは、当時としては画期的で
した。同時に例外を認めない
硬直した管理体制でもあり、
良くも悪くも軍隊的でした。
ブースが建設を急いだ監視塔
19世紀にあっても「中世的」
と揶揄された装飾的な外観
1年間かけて1836年に完成
司令部や兵舎の警備が目的
監視塔の後ろ高台にして最後
部に兵舎3棟がありました。
当初は軍曹1名、兵士15名用
の木造1棟でしたが、1844年
には将校3名、兵士249名に
なり、48年には3棟目が完成
塔から続く階段の先が兵舎跡
この2軒からなるコテージは
タワーコテージと名付けられ
(※監視塔の右後ろにあった)
1854年に完成した現存の営舎
妻帯者の将校向けでした。
模型でもちゃんと黄色い建物
(※左側)
増築を繰り返したのが見て取
れる小さな建物群は司令官の
使用人部屋、洗濯部屋、厩等
1877年に刑務所が閉鎖され、
民間に払い下げられると、建
物の大半は取り壊されたり森
林火災で焼失したりし、レン
ガが持ち出され荒廃した姿に
元はどれだけの量があったか
レンガは官民の建物に再利用
され、今もホバートのどこか
に残っていることでしょう。
多くは建物の擁壁を残すのみ
監視塔は払い下げ後は博物館
になり森林火災も免れたもの
の、タワーコテージは1897
年の火災で半焼。再建後は養
鶏場として利用されたそう。