<平家落人伝説>子孫、829年ぶり再会へ 椎葉村向山と大分・九重町野倉、28日に初の交流会 /宮崎
2014年9月24日(水)12:55
「平家落人伝説」の子孫が住むことから交流話が持ち上がっていた椎葉村向山地区と大分県九重町野倉地区の住民が28日、初めての交流会を九重町で開くことになった。壇ノ浦の戦い(1185年)で全滅した平家。逃げ延びた両地区の子孫の一部が829年ぶりに相まみえ、交流を深める。【楢原義則】
乙津輝夫・野倉活性化協議会長(69)や世話役の藤原三治・九重宝夢工房事務局長(63)によると、来訪するのは地域おこし団体「焼畑蕎麦(そば)苦楽部(くらぶ)」の椎葉勝代表(61)ら数人。
野倉地区は、竜門の滝がある松木川上流約2キロの山里集落で、農業者など10軒27人が暮らす。平家山(1023メートル)入り口まで約1キロ。かつて落ち延びた平家の一族が住みついたといわれ、この10年で6軒が立ち退いた典型的な過疎地だ。
交流計画によると、28日は秋祭りの日。地区の権現様や下流の宝八幡宮で神事の後、交流施設(大分県と九重町が計150万円補助、建設中)でかまどの火入れ式。清流で栽培した甘く粘りのあるご飯や地元料理に取りかかる。午後は、「神話の語り部」の藤井みゆきさん=福岡市=に平家の落人物語などを紹介してもらい、交流会では酒も入って“旧交”を温める。
交流のきっかけは、「歴史の悲哀とロマンを通じて活性化を」と2012年夏に乙津会長や藤原さんらが「鶴富姫伝説」に彩られる椎葉村を訪れ、「親戚付き合いを」と意気投合。同村に伝わる史料「椎葉村由来」には、「平家山での暮らしが鎌倉(源氏)に知られることを恐れた落人の一部が、阿蘇を経て椎葉に至った」と記されている。
「同じような文化をもつ山深い村同士。付き合いを深め、村おこしの知恵でも語り合いたい」と椎葉さん。藤原さんは「まず顔合わせし、交流の第一歩を歩み出したい」と話し、今後の交流深化と拡大を視野に入れる方針だ。