とあるスナックで
小林
コー
小林
日銀の<窓口指導>というのが、どうも重要なポイントみたいですね。日銀は<窓口指導>を使って、景気を操る事が出来たといっていますね。
P-208
日銀が各銀行に次期の貸出増加割り当てを通知すると、銀行はそれを各支店に配分し、支店長は貸出担当者の貸出増加目標額を決める。こうして、日本の金融システム全体にたとえば15パーセントの増額が割り当てられ、それが業態別の銀行に、それから個別銀行に、そして個別支店、個別担当者へと細分されていく。この信用配分の命令系統の最先端では、日本全国の数千の支店の貸出担当者が貸出増加目標額を達成するという任務を負わされた。
はじめは、彼らの仕事もそう困難ではなかった。1985年の円高不況のあとで、資金需要が蓄積していたからだ。だが、<窓口指導>で示される貸出増加目標が大きくなり、いっぽう生産性の高い企業の資金需要が満たされてしまうと、貸出担当者はますます非生産的な資金の使い方をする企業をターゲットにするようになった。不動産向けの貸出を重点にしたのだ。不動産会社は楽に融資を受けられるとあって、不動産投資を増加させた。取引が増えれば、土地需要は増大する。地価は上昇しはじめ、投資家は巨大なキャピタルゲインを得た。儲かるとなると、模倣者が増える。ほかの不動産会社が、それから建設会社が、そして最後にはふつうの製造業企業までが借金をして不動産投資ゲームに参入したがった。地価が上がるほど、儲けは確実に見えた。個々の銀行も安全だと信じた。融資はもっとも安全なはずの土地を担保にしていた。しかし、全体を考えてみれば問題は明らかであった。貸出総額に占める不動産関連の投資の割合が急増していた。貸出総額の伸びと国内総生産の伸びを比較してみれば、創造された信用が非生産的な目標に使われていることは明白だった。地価には実体がなく、銀行融資によって押し上げられているだけであった。バブルがふくらんでいた。
P-208
日銀が各銀行に次期の貸出増加割り当てを通知すると、銀行はそれを各支店に配分し、支店長は貸出担当者の貸出増加目標額を決める。こうして、日本の金融システム全体にたとえば15パーセントの増額が割り当てられ、それが業態別の銀行に、それから個別銀行に、そして個別支店、個別担当者へと細分されていく。この信用配分の命令系統の最先端では、日本全国の数千の支店の貸出担当者が貸出増加目標額を達成するという任務を負わされた。
はじめは、彼らの仕事もそう困難ではなかった。1985年の円高不況のあとで、資金需要が蓄積していたからだ。だが、<窓口指導>で示される貸出増加目標が大きくなり、いっぽう生産性の高い企業の資金需要が満たされてしまうと、貸出担当者はますます非生産的な資金の使い方をする企業をターゲットにするようになった。不動産向けの貸出を重点にしたのだ。不動産会社は楽に融資を受けられるとあって、不動産投資を増加させた。取引が増えれば、土地需要は増大する。地価は上昇しはじめ、投資家は巨大なキャピタルゲインを得た。儲かるとなると、模倣者が増える。ほかの不動産会社が、それから建設会社が、そして最後にはふつうの製造業企業までが借金をして不動産投資ゲームに参入したがった。地価が上がるほど、儲けは確実に見えた。個々の銀行も安全だと信じた。融資はもっとも安全なはずの土地を担保にしていた。しかし、全体を考えてみれば問題は明らかであった。貸出総額に占める不動産関連の投資の割合が急増していた。貸出総額の伸びと国内総生産の伸びを比較してみれば、創造された信用が非生産的な目標に使われていることは明白だった。地価には実体がなく、銀行融資によって押し上げられているだけであった。バブルがふくらんでいた。
コー
日銀はこの<窓口指導>を通しての、<信用創造メカニズム>を伝家の宝刀として持っていたという事らしいな。 そして<信用創造>の量で、好景気になったり、不景気になったりするらしいな。 1990年代の大蔵省の役人もこのシステムの仕組みがよくわからなかったみたいだ。 P-187
政府の財政政策も同じ運命をたどった。1992年から94年まで、4回にわたって45兆円という多額の総合経済対策費が追加予算で支出された。90年代後半には、一連の景気対策でさらに60兆円以上が使われた。巨額の経済総合対策費は、大蔵省と政治家がどれほど必死で景気回復を望んでいたかをうかがわせる。しかし、このときも目的は達成できなかった。もちろん、問題は財政支出が国債発行でまかなわられ、そのために民間部門から資金を吸い上げたことだった。日銀の信用創造拡大という刺激がなければ、財政支出は民間部門の需要を低下させるだけだ。だが、日銀は厳しい信用引き締め政策を続けていた。したがって90年代の総合経済対策費は浪費で、政府債務を増加させただけだった。
これらの決定は、日銀のだれが、何の目的で、ということだ。 バブルを作り、そしてそれを、意図的に壊したのは。
政府の財政政策も同じ運命をたどった。1992年から94年まで、4回にわたって45兆円という多額の総合経済対策費が追加予算で支出された。90年代後半には、一連の景気対策でさらに60兆円以上が使われた。巨額の経済総合対策費は、大蔵省と政治家がどれほど必死で景気回復を望んでいたかをうかがわせる。しかし、このときも目的は達成できなかった。もちろん、問題は財政支出が国債発行でまかなわられ、そのために民間部門から資金を吸い上げたことだった。日銀の信用創造拡大という刺激がなければ、財政支出は民間部門の需要を低下させるだけだ。だが、日銀は厳しい信用引き締め政策を続けていた。したがって90年代の総合経済対策費は浪費で、政府債務を増加させただけだった。
これらの決定は、日銀のだれが、何の目的で、ということだ。 バブルを作り、そしてそれを、意図的に壊したのは。