とあるスナックで
コー
コー
そのつづき、P-188
実はここからが興味をそそられるのです。バビロニアを滅ぼしたたペルシャのキュロス王によってユダヤ人たちは故郷に帰ることが許されたのですが、故郷に帰る者は少なく、おおくのユダヤ人は自らの意思でペルシャ王の支配するバビロンの地に留まったのです。これも離散なのです。
つまり、離散ユダヤ人とは故郷のユダヤの国には帰らずに外国の地で生活するユダヤ人のことです。ユダヤ帰還を許されたひとびとはユダヤ王国を再建しますが、またしてもローマ帝国に滅亡させられます。紀元70年のことでした。以後1948年のイスラエル国家建設までの約2000年間、ユダヤ人は国家を持たず世界に放浪する状態が続きました。狭義には、この時期のユダヤ人の置かれた状況を指してディアスポラ・ユダヤ人(離散ユダヤ人)といいます。
このようなユダヤ国家の興亡の歴史を見て見ますと、ユダヤ民族にとって切実な問題は、祖国が滅んだ状況の中、いかにして民族として生き延びるかという点にあったのです。この視点からわかりやすく解説したのが、ユダヤ人の歴史家マックス・ディモントの<ユダヤ人の歴史ーー世界史の潮流のなかで>(ミルトス 1994年)です。ディモントはユダヤの預言者の言葉を引いて、ユダヤ民族の生き残りの方法としてユダヤ思想の二面性に焦点を当てました。すなわち、民族主義と普遍主義です。
民族主義とはユダヤ民族の選民思想であるのですが、選民思想はユダヤ教に基づいており、神のメッセンジャーとしてのユダヤ人のアイデンティティを保持することが、ユダヤ民族の生存に必要だというのです。普遍主義とは、人類に普遍的なメッセージを世界に伝えることであって、そのために世界の数々の中心地にユダヤ人が存在することが必要だとする主張なのです。
実はここからが興味をそそられるのです。バビロニアを滅ぼしたたペルシャのキュロス王によってユダヤ人たちは故郷に帰ることが許されたのですが、故郷に帰る者は少なく、おおくのユダヤ人は自らの意思でペルシャ王の支配するバビロンの地に留まったのです。これも離散なのです。
つまり、離散ユダヤ人とは故郷のユダヤの国には帰らずに外国の地で生活するユダヤ人のことです。ユダヤ帰還を許されたひとびとはユダヤ王国を再建しますが、またしてもローマ帝国に滅亡させられます。紀元70年のことでした。以後1948年のイスラエル国家建設までの約2000年間、ユダヤ人は国家を持たず世界に放浪する状態が続きました。狭義には、この時期のユダヤ人の置かれた状況を指してディアスポラ・ユダヤ人(離散ユダヤ人)といいます。
このようなユダヤ国家の興亡の歴史を見て見ますと、ユダヤ民族にとって切実な問題は、祖国が滅んだ状況の中、いかにして民族として生き延びるかという点にあったのです。この視点からわかりやすく解説したのが、ユダヤ人の歴史家マックス・ディモントの<ユダヤ人の歴史ーー世界史の潮流のなかで>(ミルトス 1994年)です。ディモントはユダヤの預言者の言葉を引いて、ユダヤ民族の生き残りの方法としてユダヤ思想の二面性に焦点を当てました。すなわち、民族主義と普遍主義です。
民族主義とはユダヤ民族の選民思想であるのですが、選民思想はユダヤ教に基づいており、神のメッセンジャーとしてのユダヤ人のアイデンティティを保持することが、ユダヤ民族の生存に必要だというのです。普遍主義とは、人類に普遍的なメッセージを世界に伝えることであって、そのために世界の数々の中心地にユダヤ人が存在することが必要だとする主張なのです。