とあるスナックで
小林
コー
小林
宋 鴻兵 著<通貨戦争>のp-241にはこう書かれています。
1922年ドイツ中央銀行の<独立>
1922年から1923年に起きたドイツのハイパーインフレは、西側諸国の教科書では「政府の通貨システム支配の失敗による典型的な人災」として紹介されている。銀行家が通貨発行権を支配するということは「責任を課せられ」、「安全を保障する」ことである。しかし、その実、銀行家と彼らが支配する中央銀行は、ドイツにハイパーインフレを起こした黒幕であった。
ドイツ帝国銀行は、1876年に創設された民間所有のドイツの中央銀行であったが、ドイツ皇帝と時の政府の意向を大きく受けていた。帝国銀行の総裁と理事はすべて政府の要職が担当し、皇帝が直接に任命する終身制であった。中央銀行の収益は民間株主と政府に配当されるが、株主は中央銀行の政策決定権を有していなかった。
これはイングランド銀行や、フランス銀行、アメリカ連邦準備銀行と明らかに異なり、ドイツ特有の中央銀行制度であり、通貨発行権は最高統治者のドイツ皇帝にしっかりと握られていた。ドイツ帝国銀行創設後のマルクは非常に安定し、ドイツの経済成長を大いに推進し、金融制度が立ち遅れた国家が先進国を追い越す成功事例となった。
{コー注:このドイツの中央銀行制度を日本は戦争中、そして戦後高度成長期に取り入れたと思われる}
ドイツ敗戦後の1918年から1922年の間も、マルクの購買力は依然として堅調であり、インフレは英米仏などの戦勝国と比べてもさほど差はなかった。焦土と化した敗戦国でありながら、ドイツ帝国銀行の通貨政策がこれだけのレベルで維持され、効果を上げたことは称賛されるべきことであった。
敗戦後、戦勝国はドイツの中央銀行に対するドイツ政府の支配権を完全にはく奪した。1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の「独立性」を確保する法律が制定され、中央銀行はドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止された。ドイツの通貨発行権は、ウォーバーグなどの国際銀行家を含む個人銀行家に移譲された。
近代史上もっとも深刻なハイパーインフレが発生した要因はここにあった。ハイパーインフレの原因は、当時のドイツ首相ヴィルヘルム・クーノがフランスとベルギーによるルール地方の占領に対処するため、大量の紙幣を発行したからだ、というのが西側の多くの方であった。
しかし、この説ではどう考えてもうまく説明できないのである。
第一に、政府が限度を超えた紙幣を発行したのだろうか。そうではない。中央銀行が私有化されたのは1922年5月である。それに対し、ルール地方が占領されたのは1923年1月である。
すなわち、大量に紙幣を発行したのは国際銀行家に支配されてからの中央銀行であった。
第二に、財政危機救済のために大量の紙幣を発行したのだろうか。
それも違う。
ドイツの財政は確かにルール地方が占領されたことで大きな打撃を受けたが、中央銀行が「通貨自殺」をしてまで解決するほどのことはなく、それにこの方法では何の問題も解決できないのである。クーノ首相には多くの選択肢があったはずである。彼はかつてハパグ社の総裁を務めたことがあり、また中央銀行理事のマックス・ウォーバーグもハパグ社の理事であった。ウォーバーグ銀行はウォール街屈指のクーン・ローブ商会と良好な関係にあり、マックスとポール兄弟は商会のシニアパートナーであった。そのポールはアメリカ連邦準備銀行の実際の支配者でもあった。このような背景のなかで、ドイツ政府が国際銀行家にハイリターンの特殊国債を発行するか、あるいはマックスが代表するドイツ中央銀行から弟のポールが代表する連邦準備銀行に「国際援助」を申し入れれば、ルール地方問題による一年ほどの財政難は難なく乗り越えられるはずであった。
第三は、戦争賠償金支払いのために大量の本位通貨を発行して外債の償還負担の軽減と免除を狙ったのだろうか。
それも不可能である。
「ヴェルサイユ条約」では金、ポンドまたは米ドルで戦争賠償金を支払うことが明記されていた。となると、大量に本位通貨を発行してもまったく無意味なことであり、しかも本位通貨が多ければ多いほど外貨との両替は難しくなる。これはアジア金融危機の際に、タイが発行した本位通貨であるバーツでドル建て外債を返済することができなかったのと同じ理屈である。
ドイツ帝国銀行総裁シャハトは1927年に出版した著書「ドイツ・マルクの安定」の中で、次のような解釈を示した。伝統的な自由主義経済学者であったシャハトは、ハイパーインフレはドイツ政府が主導したもので、帝国銀行は権限範囲以内でインフレを抑制したが、解決することはできなかった。
当時の帝国銀行は、ルール地方がフランスに占領されている限り、外債総額は確定できず、一方のドイツ政府はじゅうぶんな歳入がないため、通貨を安定させるためのいかなる措置も役に立たない、と考えていた。そして、帝国銀行が狂ったように紙幣を発行したのはドイツ政府を救うためであり、政府のために新しいマルクを発行したのである。敗戦したドイツを存続させるためには帝国銀行の通貨発行権を借りざるを得なかった。当時のドイツは死活問題に直面していたため、中央銀行は独自の通貨政策を維持できなかった、というのがシャハトの解釈だった。
だが、シャハトの論旨は全くつじつまが合わない。
・・・続く・・・
1922年ドイツ中央銀行の<独立>
1922年から1923年に起きたドイツのハイパーインフレは、西側諸国の教科書では「政府の通貨システム支配の失敗による典型的な人災」として紹介されている。銀行家が通貨発行権を支配するということは「責任を課せられ」、「安全を保障する」ことである。しかし、その実、銀行家と彼らが支配する中央銀行は、ドイツにハイパーインフレを起こした黒幕であった。
ドイツ帝国銀行は、1876年に創設された民間所有のドイツの中央銀行であったが、ドイツ皇帝と時の政府の意向を大きく受けていた。帝国銀行の総裁と理事はすべて政府の要職が担当し、皇帝が直接に任命する終身制であった。中央銀行の収益は民間株主と政府に配当されるが、株主は中央銀行の政策決定権を有していなかった。
これはイングランド銀行や、フランス銀行、アメリカ連邦準備銀行と明らかに異なり、ドイツ特有の中央銀行制度であり、通貨発行権は最高統治者のドイツ皇帝にしっかりと握られていた。ドイツ帝国銀行創設後のマルクは非常に安定し、ドイツの経済成長を大いに推進し、金融制度が立ち遅れた国家が先進国を追い越す成功事例となった。
{コー注:このドイツの中央銀行制度を日本は戦争中、そして戦後高度成長期に取り入れたと思われる}
ドイツ敗戦後の1918年から1922年の間も、マルクの購買力は依然として堅調であり、インフレは英米仏などの戦勝国と比べてもさほど差はなかった。焦土と化した敗戦国でありながら、ドイツ帝国銀行の通貨政策がこれだけのレベルで維持され、効果を上げたことは称賛されるべきことであった。
敗戦後、戦勝国はドイツの中央銀行に対するドイツ政府の支配権を完全にはく奪した。1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の「独立性」を確保する法律が制定され、中央銀行はドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止された。ドイツの通貨発行権は、ウォーバーグなどの国際銀行家を含む個人銀行家に移譲された。
近代史上もっとも深刻なハイパーインフレが発生した要因はここにあった。ハイパーインフレの原因は、当時のドイツ首相ヴィルヘルム・クーノがフランスとベルギーによるルール地方の占領に対処するため、大量の紙幣を発行したからだ、というのが西側の多くの方であった。
しかし、この説ではどう考えてもうまく説明できないのである。
第一に、政府が限度を超えた紙幣を発行したのだろうか。そうではない。中央銀行が私有化されたのは1922年5月である。それに対し、ルール地方が占領されたのは1923年1月である。
すなわち、大量に紙幣を発行したのは国際銀行家に支配されてからの中央銀行であった。
第二に、財政危機救済のために大量の紙幣を発行したのだろうか。
それも違う。
ドイツの財政は確かにルール地方が占領されたことで大きな打撃を受けたが、中央銀行が「通貨自殺」をしてまで解決するほどのことはなく、それにこの方法では何の問題も解決できないのである。クーノ首相には多くの選択肢があったはずである。彼はかつてハパグ社の総裁を務めたことがあり、また中央銀行理事のマックス・ウォーバーグもハパグ社の理事であった。ウォーバーグ銀行はウォール街屈指のクーン・ローブ商会と良好な関係にあり、マックスとポール兄弟は商会のシニアパートナーであった。そのポールはアメリカ連邦準備銀行の実際の支配者でもあった。このような背景のなかで、ドイツ政府が国際銀行家にハイリターンの特殊国債を発行するか、あるいはマックスが代表するドイツ中央銀行から弟のポールが代表する連邦準備銀行に「国際援助」を申し入れれば、ルール地方問題による一年ほどの財政難は難なく乗り越えられるはずであった。
第三は、戦争賠償金支払いのために大量の本位通貨を発行して外債の償還負担の軽減と免除を狙ったのだろうか。
それも不可能である。
「ヴェルサイユ条約」では金、ポンドまたは米ドルで戦争賠償金を支払うことが明記されていた。となると、大量に本位通貨を発行してもまったく無意味なことであり、しかも本位通貨が多ければ多いほど外貨との両替は難しくなる。これはアジア金融危機の際に、タイが発行した本位通貨であるバーツでドル建て外債を返済することができなかったのと同じ理屈である。
ドイツ帝国銀行総裁シャハトは1927年に出版した著書「ドイツ・マルクの安定」の中で、次のような解釈を示した。伝統的な自由主義経済学者であったシャハトは、ハイパーインフレはドイツ政府が主導したもので、帝国銀行は権限範囲以内でインフレを抑制したが、解決することはできなかった。
当時の帝国銀行は、ルール地方がフランスに占領されている限り、外債総額は確定できず、一方のドイツ政府はじゅうぶんな歳入がないため、通貨を安定させるためのいかなる措置も役に立たない、と考えていた。そして、帝国銀行が狂ったように紙幣を発行したのはドイツ政府を救うためであり、政府のために新しいマルクを発行したのである。敗戦したドイツを存続させるためには帝国銀行の通貨発行権を借りざるを得なかった。当時のドイツは死活問題に直面していたため、中央銀行は独自の通貨政策を維持できなかった、というのがシャハトの解釈だった。
だが、シャハトの論旨は全くつじつまが合わない。
・・・続く・・・
コー
時々教科書で、あの時のドイツのハイパーインフレは多額の賠償金を払うために起きたという記述があるけど、常識で考えてほしんだ。戦勝国が敗戦国からその国の通貨で賠償金を受け取るのかい。物を売ってくれる人で、喜んで敗戦国の通貨で売ってくれる人がいるんだろうか。今にも潰れそうな国の通貨をだれが受け取るんだろうか、敗戦国以外で。