日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(1)「は」と「が」について、最初の記事。

2018-03-10 13:09:16 | 「は」と「が」

ブログを始めた理由:「教えて!goo」に、初めて行なった「質問(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10343276.html)」に対して、「文字数オーバー(400字)」を気にせず、「思ふ存分、補足」したいと、考へたからです。(01)~(11)が、「質問」であって、(12)~(41)が「補足」です。

日本語の「は」と「が」について、質問します。
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質問者:kannbunnkunn質問日時:2018/03/07 13:52回答数:22件
(01)
① 中野区は東京都である。
② 東京都は中野区である。
③ 中野区が東京都である。
④ 中野区以外は東京都ではない。
において、
① は、「本当」である。
② は、「ウソ」である。
③ も、「ウソ」である。
④ も、「ウソ」である。
(02)
① 東京都は日本の首都である。
② 日本の首都は東京都である。
③ 東京都が日本の首都である。
④ 東京都以外は日本の首都ではない。
において、
① は、「本当」である。
② も、「本当」である。
③ も、「本当」である。
④ も、「本当」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① AはBである。
② BはAである。
③ AがBである。
④ A以外Bでない。
において、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
(04)
① AはBである。
② BはAである。
の場合は、「逆」であって、
② BはAである。
④ A以外Bでない。
の場合は、「対偶」です。
そのため、
(05)
② BはAである。
④ A以外Bでない。
の場合(対偶)は、「論理学の教科書」が正しい限り、必ず、
②=④ です。
従って、
(05)により、
(06)
日本語を話す日本人の「直観」として、
② BはAである。
③ AがBである。
において、
②=③ が成り立つか、
日本語を話す日本人の「直観」として、
③ AがBである。
④ A以外Bでない。
において、
③=④ が成り立てば、必然的に、
  ②=③=④ という「等式」が、成立します。
(07)
そこで皆さんに、お尋ねしたいのですが、皆さんの「直観」としては、
② BはAである。 
③ AがBである。
において、
②=③ は、「正しい」でしょうか(質問1)。
(08)
皆さんの「直観」としては、
③ AがBである。
④ A以外Bでない。
において、
③=④ は、「正しい」でしょうか(質問2)。
(09)
「私自身の、直感」としては、「質問1」については、ともかく、「質問2」であれば、明らかに、「YES」です。
というわけで、
(10)
「私以外」の、「皆さんの直感」ではどうなのか。ということが、大変、気になります。
(11)
日本語のネイティブではなくとも、日本に住む、日本語が得意な方であれば、あなたの意見も、お聞かせ下さい。

― ここ迄が、「教えて!goo」に、初めて行なった「質問」で、以下が、「補足」です。―
(12)
「結論」から先に言ふと、「は・が」の「問題」は、本質的には、「論理学(対偶)」と「(音声)心理学」の「問題」であって、「主語・主題・主格」云々といふ「問題」ではない。
(13)
② AならばBである。
④ BでないならばAでない。
に於ける、両者の「関係」を、「対偶(Contraposition)」と言ひ、尚且つ、「対偶」は「等しく」、それ故、
②=④ である。
然るに、
(14)
(a)
1  (1) B→ A 仮定
 2 (2)   ~A 仮定
  3(3) B    仮定
1 3(4)    A 13前件肯定
123(5) A&~A 42&導入
12 (6)~B    35背理法
1  (7)~A→~B 26条件法
(b)
1  (1) ~A→~B 仮定
 2 (2)     B 仮定
  3(3) ~A    仮定
1 3(4)    ~B 13前件肯定
123(5)  B&~B 24&導入
12 (6)~~A    35背理法
12 (7)  A    6二重否定
1  (8)  B→ A 27条件法
従って、
(13)(14)により、
(15)
② BならばAである。
④ AでないならばBでない。
に於ける、両者の「関係」も、当然、「対偶(Contraposition)」であって、
②=④ である。
然るに、
(15)により、
(16)
② BならばAである。
④ AでないならばBでない。
が、「対偶」である以上、当然、
② BはAである。
④ A以外Bでない。
も、「対偶」である。
従って、
(15)(16)により、
(17)
② BはAである。
④ A以外Bでない。
といふ「対偶」に於いて、
②=④ である。
然るに、
(18)
③ A is B.
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ であるかも知れないし、
③=④ でないかも知れない。
といふ風に、「仮定」する。
然るに、
(19)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
   b.Tom SENT Mary flowers.
   c.Tom sent MARY flowers.
   d.Tom sent Mary FLOWERS.
"Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom強調して発音すれば、「他の誰でもないトムメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、
「トム」という人間が他の人間と対比されているということです(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)。
従って、
(18)(19)により、
(20)
③ A is B.
④ A以外はBでない
に於いて、
③=④ である。
といふ風に、「仮定」すると、
③ A is B.
に於ける、
は、「大きな声で発音される」。
然るに、
(21)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(22)
もし音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① AはBである。
③ AがBである。
に於いて、
① Aは〔清音〕 の「(心理的な)音量」よりも、
③ A音〕 の「(心理的な)音量」の方が、「大きい」。
従って、
(20)(23)により、
(24)
③ A is B.
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
といふ風に、「仮定」すると、
③ A is B.
に於ける、
③ A は、「大きな声で発音され」、尚且つ、
① AはBである。
③ AがBである。
に於いて、
① Aは〔清音〕 の「音量」よりも、
③ A音〕 の「音量」の方が、「大きい」。
従って、
(24)により、
(25)
③ A( )Bである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
といふ風に、「仮定」すると、
③ A( )Bである。
に於ける、
③ A( ) は、「大きな声で発音され」、尚且つ、
① Aは〔清音〕 の「音量」よりも、
③ A音〕 の「音量」の方が、「大きい」。
従って、
(25)により、
(26)
③ A( )Bである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
といふ風に、「仮定」すると、
③ A( )Bである。
に於ける、
③  ( )の中に「入る」のは、
③   は ではなく、
③   も でもなく、
③    である。
然るに、
(27)
③ A( )Bである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
といふ風に、「仮定」すると、
③ A( )Bである。
に於ける、
③  ( )の中に「入る」のは、
③   は ではなく、
③   も でもなく、
③    である。
といふことは、「論理的」には、
③ A()Bである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
といふことに、他ならない。
すなはち、
(28)
③ A()Bである。
とき、そのとき限って、
④ A以外はBでない。
といふことは、
③ A()Bである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
といふことに、他ならない。
従って、
(28)により、
(29)
③ ABである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(17)(29)により、
(30)
② BはAである。
④ A以外はBでない。
といふ「対偶」に於いて、
②=④ であって、尚且つ、
③ ABである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(30)により、
(31)
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(32)
逆には、(1)真でないときと、(2)真であるときがあります。そこで(1)と(2)をひっくるめて、「逆は必ずしも真ならず」といいます(山下正男、論理的に考えること、1985年、13・14頁)。
従って、
(32)により、
(33)
① AはBである。
② BはAである。
に於いては、
①=② であることも、あって、
①=② でないことも、ある。
従って、
(31)(33)により、
(34)
① AはBである。
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
(証明終了)
然るに、
(35)
① AはBである。
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない。
といふ風に、書いたとしても、
  A自体 は、「何も、特定」してゐないし、
  B自体 も、「何も、特定」してゐないし、その上、
① AはBである。
② BはAである。
は、「形式」的には、
①=② である。としか、言ひようが無い
従って、
(35)により、
(36)
回答者: miraioldnihi 回答日時:2018/03/07 14:16
1は正しくない、正しい
回答者: hakobulu 回答日時:2018/03/09 16:02
直感の仕組みについて妄想してみました。
②=③について、個人的には、シチュエーション次第で、どちらの直感が働くかは不明である、と申し上げるしか無さそうです。
といふ、 miraioldnihiさんやhakobuluさんの回答は、極めて「当然」であって、私が期待してゐたのは、まさに「さうした回答」である
従って、
(35)(36)により、
(37)
① AはBである。
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
に於ける、特に
  ②=③
に関する「真偽」は、「例文」で「確認」するしかない。
然るに、
(38)
① 中野区は東京都である。
② 東京都は中野区である。
③ 中野区東京都である。
④ 中野区以外は東京都ではない。
において、
① は、「本当」である。
② は、「ウソ」である。
③ も、「ウソ」である。
④ も、「ウソ」である。
(39)
① 東京都は日本の首都である。
② 日本の首都は東京都である。
③ 東京都日本の首都である。
④ 東京都以外は日本の首都ではない。
において、
① は、「本当」である。
② も、「本当」である。
③ も、「本当」である。
④ も、「本当」である。
従って、
(37)(38)(39)により、
(40)
① AはBである。
② BはAである。
③ ABである。
④ A以外Bでない。
において、必ずしも、
①=② ではないが、必ず、
  ②=③=④ である。
といふ「それ」は、「反例」が、見つからない限り、「正しい」。
従って、
(12)~(40)により、
(41)
「結論」として、「は・が」の「問題」は、本質的には、「論理学(対偶)」と「(音声)心理学」の「問題」なのであって、「文法学者」が云々する、「主語・主題・主格」といふ「問題」ではない。