日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(15)あらためて、「は」と「が」について。

2018-03-24 18:47:59 | 「は」と「が」
ブログを始めた理由:「教えて!goo」に、初めて行なった「質問(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10343276.html)」に対して、「文字数オーバー(400字)」を気にせず、「思ふ存分、補足」したいと、考へたからです。
(01)
① 私はします。
③ 私します。
に於いて、
① 「は」は「清音」であって、
③ 「」は「音」である。
然るに、
(02)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。
(03)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 私はします。
③ 私します。
に於いて、
①「私は」の「音量」よりも、
③「私」の「音量」の方が、「大きい」。
然るに、
(05)
(1)私は、それをします。
(2)それは、私します。
(1)では「私は」が題で、残りが解説です。(2)では、「それは」が題で、残りが解説になる。
(山崎紀美子、日本語基礎講座 三上文法入門、2003年、18頁)
(06)
なお、先ほどの例文、(1)と(2)に違いは、英語ではストレスによって表されます。
(1)I will do it.
(2) will do it.
(1)のように、ストレスのない「I」は、topic(題)になれますが、(2)にように、ストレスがある「」は、topicになれません。
(山崎紀美子、日本語基礎講座 三上文法入門、2003年、21頁)
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
① 私はします。
③ 私します。
に於いて、
③ の方は、
(2) will do it.
に、「相当」する。
然るに、
(08)
〔63〕a.TOM sent Mary flowers.
   b.Tom SENT Mary flowers.
   c.Tom sent MARY flowers.
   d.Tom sent Mary FLOWERS.
"Tom sent Mary flowers.”(トムはメアリーに花を送った)という文は、四つの単語からできていますが、どの単語を強調して発音するかによって少しずつ意味が違ってきます。
〔63〕では、強調して発音される単語は全部大文字で示してあります。
Tom を強調して発音すれば、「他の誰でもないトムメアリーに花を送った」という意味になります。つまり、主語として、
「トム」という人間が他の人間と対比されているということです(町田健、チョムスキー入門、2006年、150頁)。
(08)により、
(09)
③ I will do it.
に於いて、
③「」が「強調」されるならば、
③ Nobody but me will do it.
といふ、「意味」になる。
然るに、
(10)
① 私はします。
③ 私します。
に於いて、
① 私します。
であれば、
①(少なくとも)私はします。
といふ、「意味」である。
(11)
① 私はします。
③ 私します。
に於いて、
③ 私します。
であれば、
③ 私する(ので、私以外はしなくともよい)。
といふ、「意味」である。
然るに、
(12)
Definition of exclusive proposition
: a proposition in logic whose predicate is asserted to apply to its subject and no other “none but the brave deserves the fair” is a simple exclusive proposition(merriam-webster).
従って、
(09)(11)(12)により、
(13)
will do it(Nobody but me will do it).
③ 私するので(、私以外はしなくともよい)。
といふ「日・英語」は、
③ 排他的命題(Exclusive proposition)である。
従って、
(04)(09)(11)(13)により、
(14)
① 私はします。
③ 私します。
に於いて、
①「私は」に対する、
③「私」は、「強調形」であって、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
従って、
(14)により、
(15)
① AはBである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(16)
(a)
1  (1)A以外はBでない。   仮定
1  (2)AでないはBでない。  仮定
 3 (3)Bである。       仮定
  4(4)Aでない。       仮定
1 4(5)Bでない。       24前件肯定
134(6)BであってBでない。  35&導入
13 (7)Aでない、でない。   465背理法
13 (8)Aである。       7二重否定
1  (9)はAである。     38条件法
(b)
1  (1)はAである。     仮定
 2 (2)  Aでない。     仮定
  3(3)Bである        仮定
1 3(4)  Aである。     13前件肯定
123(5)AであってAでない。  42&導入
12 (6)Bでない。       35背理法
1  (7)Aでないは、Bでない。 26条件法
1  (8)A以外はBでない。   26条件法
従って、
(16)により、
(17)
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
はAである。
④ A以外はBでない
に於いて、
②=④ である。
従って、
(15)(17)により、
(18)
① AはBである。
はAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、
②=③=④ である。
然るに、
(19)
」には、
(1)真でないときと、
(2)真であるときがあります。
そこで(1)と(2)をひっくるめて、「逆は必ずしも真ならず」といいます(山下正男、論理的に考えること、1985年、13・14頁)。
(20)
① AはBである。
はAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、必ずしも、
①=② ではないが、必ず
  ②=③=④ である。
従って、
(20)により、
(21)
③ 私理事長です。
と言ふのであれば、
④ 私以外は理事長ではない
といふことになって、
④ 私以外は理事長ではない
と言ふのであれば、
理事長は私です。
といふことになる。
従って、
(20)(21)により、
(22)
はAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない
に於いて、必ず
②=③=④ である。が故に、
③ 私理事長です。
と言ひ得るのであれば、そのときに限って
理事長は私です。
といふことになる。
然るに、
(23)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。
(三上章、日本語の論理、1963年、40頁)
従って、
(22)(23)により、
(24)
はAである。
③ ABである。
に於いて、
②=③ である。
といふことは、「昔から、よく知られてゐて、三上章先生も、そのことを、知ってゐた」。
然るに、
(25)
(a)
1  (1) ~A→~B 仮定
 2 (2)     B 仮定
  3(3) ~A    仮定
1 3(4)    ~B 13前件肯定
123(5)  B&~B 24&導入
12 (6)~~A    35背理法
12 (7)  A    6二重否定
1  (8)  B→ A 27条件法
(b)
1  (1) B→ A 仮定
 2 (2)   ~A 仮定
  3(3) B    仮定
1 3(4)    A 13前件肯定
123(5) A&~A 42&導入
12 (6)~B    35背理法
1  (7)~A→~B 26条件法
であることを、知ってゐれば
(a)
1  (1)A以外はBでない。   仮定
1  (2)AでないはBでない   仮定
 3 (3)Bである。       仮定
  4(4)Aでない。       仮定
1 4(5)Bでない。       24前件肯定
134(6)BであってBでない。  35&導入
13 (7)Aでない、でない。   46背理法
13 (8)Aである。       7二重否定
1  (9)はAである。     38条件法
(b)
1  (1)はAである。     仮定
 2 (2)  Aでない。     仮定
  3(3)Bである        仮定
1 3(4)  Aである。     13前件肯定
123(5)AであってAでない。  42&導入
12 (6)Bでない。       35背理法
1  (7)Aでないは、Bでない。 26条件法
1  (8)A以外はBでない。   26条件法
であることに、気が付かない方が、ヲカシイ
従って、
(24)(25)により、
(26)
はAである。
③ ABである。
に於ける、
②=③ に加へて、
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
はAである。
④ A以外はBでない
に於いて、
②=④ である。
といふことに、気付くことが、出来れば、そのまま、直ぐに、
はAである。
③ ABである。
④ A以外はBでない。
に於いて、必ず、
②=③=④ である。
といふこと、すなはち、
理事長は私です。
③ 私理事長である。
④ 私以外は理事長ではない
②=③=④ である。
といふことに、「気付く」ことになる。
然るに、
(27)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念館は、私理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(26)(27)により、
(28)
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
理事長は私です。
④ 私以外は理事長ではない
に於いて、
②=④ である。
といふことに、三上章先生が、気付いてゐた。
といふ「形跡」はない。
(29)
対偶(Contraposition)」は「等しい」。が故に、
理事長は私です。
④ 私以外理事長ではない。
に於いて、
②=④ である。
といふことを指摘してゐる「研究書(論文)」を、少なくとも、私知らない。