(01)
A:それでは誰が行くのか。
B:私は行きます。
であるならば、
①(少なくとも)Bは行く。
ことになる。
(02)
A:それでは誰が行くのか。
B:私は行きます。
C:私も行きます。
であるならば、
②(少なくとも)BとCは行く。
ことになる。
然るに。
(03)
「(15)番目の記事」でも「確認」した通り、
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(03)により、
(04)
A:それでは誰が行くのか。
B:私が行きます。
であるならば、
③ Bは行くが(B以外は行かない)。
ことになる。
従って、
(01)(02)(04)により、
(05)
① 私は行きます=(少なくとも)私は行く。
② 私も行きます=私は行く(が、私以外も行く)。
③ 私が行きます=私は行く(が、私以外は行かない)。
従って、
(05)により、
(06)
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
② AもBである=AはBであって(A以外もBである)。
③ AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
従って、
(06)により、
(07)
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
に於ける、
① 「は」を、殊更に、「強調(大きな声で発音)」するならば、
① 「少なくとも」の「意味」が「強調」されるに、違ひない。
然るに、
(08)
A:それでは誰が行くのか。
B:私は行きます。
に於いて、
B:私は の、
B:「は」を、「強調(大きな声で発音)」するならば、確かに、尚のこと、
B:(少なくとも)私は
に於ける、
B:「少なくとも」
の意味を、「強める」ことになる。
然るに、
(09)
例へば、
① 三上章は日本人である。
の場合は、ただ単に、
① 三上章は日本人である。
といふ「意味」であって、
①(少なくとも)三上章は日本人である。
といふ「ニュアンス」はない。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
① 私は行きます。
① 三上章は日本人である。
に於いて、
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
① AはBである= AはBである。
といふ、ことになる。
然るに、
(11)
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
であるならば、その場合は、
①「A以外の、主語の候補」を、「前提」とする。
従って、
(11)により、
(12)
① AはBだ=(少なくとも)AはBである。
であるならば、その場合は、
①「A以外の、主語の候補」を、「積極的に暗示」する。
然るに、
(13)
「AがBだ」:主語候補を複数感じさせ、積極的に暗示する。
「AはBだ」:主語候補を積極的に暗示しない。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、173頁)
従って、
(10)(13)により、
(14)
① 三上章は日本人である。
であれば、
「AはBだ」:主語候補を積極的に暗示しない。
といふことは、「本当」であって、
① 私は行きます。
であれば、
「AはBだ」:主語候補を積極的に暗示しない。
といふことは、「本当」ではない。
A:それでは誰が行くのか。
B:私は行きます。
であるならば、
①(少なくとも)Bは行く。
ことになる。
(02)
A:それでは誰が行くのか。
B:私は行きます。
C:私も行きます。
であるならば、
②(少なくとも)BとCは行く。
ことになる。
然るに。
(03)
「(15)番目の記事」でも「確認」した通り、
③ AがBである。
④ A以外はBでない。
に於いて、
③=④ である。
従って、
(03)により、
(04)
A:それでは誰が行くのか。
B:私が行きます。
であるならば、
③ Bは行くが(B以外は行かない)。
ことになる。
従って、
(01)(02)(04)により、
(05)
① 私は行きます=(少なくとも)私は行く。
② 私も行きます=私は行く(が、私以外も行く)。
③ 私が行きます=私は行く(が、私以外は行かない)。
従って、
(05)により、
(06)
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
② AもBである=AはBであって(A以外もBである)。
③ AがBである=AはBであって(A以外はBでない)。
従って、
(06)により、
(07)
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
に於ける、
① 「は」を、殊更に、「強調(大きな声で発音)」するならば、
① 「少なくとも」の「意味」が「強調」されるに、違ひない。
然るに、
(08)
A:それでは誰が行くのか。
B:私は行きます。
に於いて、
B:私は の、
B:「は」を、「強調(大きな声で発音)」するならば、確かに、尚のこと、
B:(少なくとも)私は
に於ける、
B:「少なくとも」
の意味を、「強める」ことになる。
然るに、
(09)
例へば、
① 三上章は日本人である。
の場合は、ただ単に、
① 三上章は日本人である。
といふ「意味」であって、
①(少なくとも)三上章は日本人である。
といふ「ニュアンス」はない。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
① 私は行きます。
① 三上章は日本人である。
に於いて、
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
① AはBである= AはBである。
といふ、ことになる。
然るに、
(11)
① AはBである=(少なくとも)AはBである。
であるならば、その場合は、
①「A以外の、主語の候補」を、「前提」とする。
従って、
(11)により、
(12)
① AはBだ=(少なくとも)AはBである。
であるならば、その場合は、
①「A以外の、主語の候補」を、「積極的に暗示」する。
然るに、
(13)
「AがBだ」:主語候補を複数感じさせ、積極的に暗示する。
「AはBだ」:主語候補を積極的に暗示しない。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、173頁)
従って、
(10)(13)により、
(14)
① 三上章は日本人である。
であれば、
「AはBだ」:主語候補を積極的に暗示しない。
といふことは、「本当」であって、
① 私は行きます。
であれば、
「AはBだ」:主語候補を積極的に暗示しない。
といふことは、「本当」ではない。