―「記事(214・215・216)」を、「1つ」にまとめます。―
(01)
存在を表わす動詞として、古代語においても、「有」と「在」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、次のように全く反対である。
A式 場所語―有―存在物
例 机上有書(机上に書あり)
B式 存在物―在―場所語
例 書在机上(書、机上にあり)
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、346頁)
従って、
(01)により、
(02)
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
② 伯楽不常在=伯楽は常にはあらず。
であれば、
① は、「マチガイ」であって、
② が、「タダシイ」はずであるが、
「韓愈(雜説)」の「原文」では、何故か、
② ではなく、
① になってゐる。
然るに、
(03)
③ 臣弑其君者有之=臣にして其の君を弑する者、之有り。
のやうな「倒置」であるならば、
① 伯楽不常有 =伯楽は常にはあらず。
ではなく、
① 伯楽不常有之=伯楽は常には、之有らず。
になってゐても、ヲカシクはない。
然るに、
(04)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
等は、すべて、「名詞」である。
従って、
(04)により、
(05)
④ 常在、常住、常識、常勝、常備、・・・・・。
だけでなく、
④ 常有
の場合も、「名詞」なのかも知れない。
従って、
(05)により、
(06)
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
の場合も、
④ 千里馬常有=千里の馬は常有である。
といふ「名詞文」として、
④ 千里馬常有=千里(形容詞)+馬(名詞)+常有(名詞)。
といふ「語順」なのかも、知れないし、さうであれば、
④ 千里馬常有=千里馬は常有である。
といふ「語順」は、「漢文として、普通である」。
然るに、
(07)
「韓愈」自身は、
存在を表わす動詞として、古代語においても、「有」と「在」と常用されている。しかし、その存在するものと、存在する場所という単語の語順は、全く反対である。
といふことを、どうでも良いと思ってゐたのかも、知れない。
然るに、
(08)
仮に、さうであるならば、
① 伯楽不常有=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常有=千里の馬は常にあり。
といふ「それ」は、固より、
① 伯楽不常在=伯楽は常にはあらず。
④ 千里馬常在=千里の馬は常にあり。
である。といふことになる。
然るに、
(09)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有(伯楽)、然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有、然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
然るに、
(09)により、
(10)
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふことは、
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。
といふ、ことである。
然るに、
(11)
① 伯楽がゐなければ、千里の馬もゐない。⇔
① ~∃x(伯楽x)→~∃y(千里馬y)⇔
① 伯楽であるxが存在しないのであれば、千里馬であるyも存在しない。
然るに、
(12)
1 (1)~∃z(伯楽z)→ ~∃y(千里y&馬y) A
2 (2)~∃z(伯楽z) A
3(3) ∃y(千里y&馬y) A
3(4) ~~∃y(千里y&馬y) 3DN
12 (5) ~∃y(千里y&馬y) 12MPP
123(6)~~∃y(千里y&馬y)&~∃y(千里y&馬y) 45&I
1 3(7)~~∃z(伯楽z) 26RAA
1 3(8) ∃z(伯楽z) 7DN
1 (9) ∃y(千里y&馬y)→ ∃z(伯楽z) 38CP
(ⅱ)
1 (1) ∃y(千里y&馬y)→ ∃z(伯楽z) A
2 (2) ∃y(千里y&馬y) A
3(3) ~∃z(伯楽z) A
12 (4) ∃z(伯楽z) 12MPP
123(5) ~∃z(伯楽z)&∃z(伯楽z) 34&I
1 3(6) ~∃y(千里y&馬y) 25RAA
1 (7) ~∃z(伯楽z)→~∃y(千里y&馬y) 36CP
従って、
(12)により、
(13)
① ~∃z(伯楽z) →~∃y(千里y&馬y)=あるzが伯楽でないならば、あるyは千里の馬ではない。
② ∃y(千里y&馬y)→ ∃z(伯楽z) =千里の馬であるyが存在するならば、伯楽であるzも存在する。
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)~(13)により、
(14)
① 世有伯楽、然後有千里馬=
① 世有(伯楽)、然後有(千里馬)⇒
① 世(伯楽)有、然後(千里馬)有=
① 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里馬)有り=
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふ「漢文・訓読」は、
① ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)⇔
① あるyが千里であって、そのyが馬であるならば、あるzは伯楽である。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(15)
② 千里馬常有而⇔
② 千里の馬は常に有れども=
② 千里の馬は、常にゐるが、
然るに、
(16)
① 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。
といふことからすれば、
② 千里の馬は、常にゐる。
といふことは、
② 馬の中には、千里の馬がゐる。
といふ「意味」である。
従って。
(15)(16)により、
(17)
② 千里馬常有而⇔
② 千里の馬は常に有れども=
② 千里の馬は、常にゐるが、
といふ「漢文・訓読」は、
② ∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}⇔
② すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは千里であって、そのyは馬である。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(18)
③ 伯楽不常有=
③ 伯楽不(常有)⇔
③ 伯楽は(常には有ら)ず=
③ 伯楽は、常にゐるとは、限らない。
に関しては、
―「部分否定」と「全部否定」。―
然るに、
(19)
{a、b、c}が「変域(ドメイン)」であるとき、
① ~∀x( Fx)=~(Fa&Fb&Fc)
然るに、
(20)
「ド・モルガンの法則」により、
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(21)
② ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
従って、
(20)(21)により、
(22)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
② ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(23)
③ ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)
然るに、
(24)
「ド・モルガンの法則と、二重否定」により、
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
従って、
(23)(24)により、
(25)
③ ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=(~~Fa&~~Fb&~~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(25)により、
(26)
⑤ ∀x( ~Fx)= ( ~Fa& ~Fb& ~Fc)
⑥ ~∃x(~~Fx)=~(~~Fa∨~~Fb∨~~Fc)
に於いて、
⑤=⑥ である。
従って、
(27)
「二重否定」により、
⑤ ∀x( ~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x( Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
従って、
(22)(25)(27)により、
(28)
① ~∀x( Fx)=~( Fa& Fb& Fc)=(~Fa∨~Fb∨~Fc)
② ∃x(~Fx)= (~Fa∨~Fb∨~Fc)
③ ∀x( Fx)= ( Fa& Fb& Fc)
④ ~∃x(~Fx)=~(~Fa∨~Fb∨~Fc)=( Fa& Fb& Fc)
⑤ ∀x(~Fx)= (~Fa&~Fb&~Fc)
⑥ ~∃x( Fx)=~( Fa∨ Fb∨ Fc)
に於いて、
①=② であって、
③=④ であって、
⑤=⑥ であるものの、このこと他を、「量化子の関係」と言ふ。
然るに、
(29)
(ⅰ)
1 (1)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) A
1 (2)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 1量化子の関係
3(3) ~(馬喰a→ 伯楽a) A
3(4) ~(~馬喰a∨ 伯楽a) 3含意の定義
3(5) ~~馬喰a& ~伯楽a 4ド・モルガンの法則
3(6) 馬喰a& ~伯楽a 5DN
3(7)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 6EI
1 (8)∃x(馬喰x& ~伯楽x) 237EE
(ⅱ)
1 (1)∃x(馬喰x& ~伯楽x) A
2(2) 馬喰a& ~伯楽a A
2(3)~~(馬喰a& ~伯楽a) 2DN
2(4)~(~馬喰a∨~~伯楽a) 3ド・モルガンの法則
2(5)~(~馬喰a∨ 伯楽a) 4DN
2(6) ~ 馬喰a→ 伯楽a) 5含意の定義
2(7)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 6EI
1 (8)∃x~(馬喰x→ 伯楽x) 127EE
1 (9)~∀x(馬喰x→ 伯楽x) 8量化子の関係
(30)
(ⅲ)
1(1) ∀x(馬喰x→~伯楽x) A
1(2) 馬喰a→~伯楽a 1UE
1(3) ~馬喰a∨~伯楽a 2含意の定義
1(4) ~(馬喰a& 伯楽a) 3ド・モルガンの法則
1(5) ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 4UI
1(6)~∃x~~(馬喰x& 伯楽x) 4量化子の関係
1(7) ~∃x(馬喰x& 伯楽x) 6DN
(ⅳ)
1(1) ~∃x(馬喰x& 伯楽x) A
1(2) ∀x~(馬喰x& 伯楽x) 1量化子の関係
1(3) ~(馬喰a& 伯楽a) 2UE
1(4) ~馬喰a∨~伯楽a 3ド・モルガンの法則
1(5) 馬喰a→~伯楽a 4含意の定義
1(6) ∀x(馬喰x→~伯楽x) 5UI
従って、
(29)(30)により、
(31)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
③ ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
①=② であって、
③=④ である。
然るに、
(32)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)= (~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=~( 伯楽a∨ 伯楽b∨ 伯楽c)
である。
従って、
(32)により、
(33)
「ドモルガンの法則」により、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
然るに、
(34)
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、 ( 伯楽a& 伯楽b& 伯楽c) であれば、「偽」であるが、
( 伯楽a&~伯楽b&~伯楽c) であれば、「真」である。
従って、
(32)(34)により、
(35)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、例へば、
② 馬喰aは伯楽である。
② 馬喰bは伯楽ではない。
② 馬喰cも伯楽ではない。
といふ場合に於いて、「真」である。
従って、
(36)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
② 三人の内の、一人は伯楽であり、他の二人は伯楽でない。
のであれば、その場合は、「真」である。
従って、
(37)
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=(~伯楽a∨~伯楽b∨~伯楽c)
であれば、
②「部分否定」である。
従って、
(31)(37)により、
(38)
① ~∀x(馬喰x→ 伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
② ∃x(馬喰x&~伯楽x)=あるxは馬喰であって、伯楽でない(伯楽ではない、馬喰が存在する)。
に於いて、
①=② は、「部分否定」である。
然るに、
(33)により、
(39)
{a、b、c}を「馬喰の変域(ドメイン)」とするとき、
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=(~伯楽a&~伯楽b&~伯楽c)
であれば、
④ 三人の内の、三人とも伯楽でない。
ならば、そのときに限って、「真」である。
従って、
(31)(39)により、
(40)
③ ∀x(馬喰x→~伯楽x)=すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽ではない。
④ ~∃x(馬喰x& 伯楽x)=あるxが馬喰であって、伯楽である。といふことはない(伯楽である馬喰は、存在しない)。
に於いて、
③=④ は、「全部否定」である。
然るに、
(41)
「不二常~一」「常二ハ~ず」と読み、「いつも~とはかぎらない」の意を示す一部否定の形。全部否定は「常二不~一」の形で「常に~ず」と読み、「いつもからなず~ない」の意を表す。
(旺文社、漢文の基礎、1973年、155頁)
従って、
(18)(38)(41)により、
(42)
③ 伯楽不常有=
③ 伯楽不(常有)⇔
③ 伯楽は(常には有ら)ず=
③ 伯楽は、常にゐるとは、限らない。
といふ「漢文・訓読」は、
③ ~∀x(馬喰x→伯楽x)⇔
③ すべてのxについて、xが馬喰であるならば、xは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
従って、
(14)(17)(42)により、
(43)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有=
④ 世有(伯楽)、然後有(千里馬)。千里馬常有而伯楽不(常有)⇔
④ 世に(伯楽)有りて、然る後に(千里の馬)有り。千里馬は常に有れども伯楽は(常には有ら)ず=
④ 世の中に、伯楽(のやうな名人)がゐて、その後にはじめて、千里の馬(名馬)が見い出される。千里の馬は、常にゐるが、伯楽はさうではない。
といふ「漢文・訓読」は、
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)⇔
④ 千里の馬であるyが存在するならば、伯楽であるxも存在する。すべてのxについて、xが馬であるならば、あるyは、千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
といふ「述語論理・訓読」に、相当する。
然るに、
(44)
1 (1) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀x(馬喰z→伯楽z) A
1 (2) ∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)} 1&E
1 (3) 馬a→∃y(千里y&馬y) 2UE
4 (4) 馬a A
14 (5) ∃y(千里y&馬y) 34MPP
1 (6) ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z) 1&E
14 (7) ∃z(伯楽x) 56MPP
14 (8) ∃z(伯楽x)&∃y(千里y&馬y) 57&I
1 (9) ~∀z(馬喰z→伯楽z) 1&E
1 (ア) ~∀z(~馬喰z∨伯楽z) 1含意の定義
1 (イ) ∃z~(~馬喰z∨伯楽z) ア量化子の関係
ウ(ウ) ~(~馬喰a∨伯楽a) A
ウ(エ) ~~馬喰a&~伯楽a ウ、ド・モルガンの法則
ウ(オ) 馬喰a&~伯楽a エDN
ウ(カ) ∃z(馬喰a&~伯楽z) オEI
1 (キ) ∃z(馬喰z&~伯楽z) イウカEE
14 (ク) ∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y) 5キ&I
14 (ケ) [∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)] 8ク&I
1 (コ) 馬a→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)] 4ケCP
1 (サ)∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]} コUI
従って、
(44)により、
(45)
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
⑤ ∀x{馬x→[∃z(伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]&[∃z(馬喰z&~伯楽z)&∃y(千里y&馬y)]}
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(45)により、
(46)
④ あるyが千里の馬であるならば、あるzは伯楽であり、&すべてのxについて、xが馬ならば、あるyは千里の馬であり、&すべてのzについて、zが馬喰であるならば、zは伯楽である。といふわけではない。
⑤ すべてのxについて、xが馬ならば[あるzは伯楽であり、あるyは千里の馬であり」、&[あるzは馬喰であるが伯楽ではなく、あるyは千里の馬である]。
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
従って、
(46)により、
(47)
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
⑤ 馬がゐれば[伯楽と千里の馬の、ペア]が存在し[伯楽ではない馬喰と千里の馬の、ペア]が存在することになる。
に於いて、
④ ならば、⑤ である。
然るに、
(48)
〔原文〕
世有(伯楽)、然後有(千里馬)。
千里馬常有、而伯楽不(常有)。
故雖〔有(名馬)〕、祇辱(於奴隷人之手)、駢死(於槽櫪之間)、不〔以(千里称)〕也。
cf.
「原文」に「括弧」は無い。といふ人がゐるかも知れない。然るに、「括弧(スコープ・管到)が無い、言語」は、存在しない。
〔訓読〕
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りと雖も、祇だ奴隷人の手に辱められ、槽櫪の間に駢死、千里を以つて称せられざるなり。
〔口語〕
世の中に、伯楽がいてこそ初めて、千里の馬が存在する。
千里の馬は、常に世存在するが、伯楽は、常にいるわけではない。
そのため、千里の馬がいたとしても、卑しい人間の手で、粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
従って、
(48)により、
(49)
④[伯楽と千里の馬の、ペア]が存在し[伯楽ではない馬喰と千里の馬の、ペア]が存在する。からこそ、
④ 千里の馬の中の、ある馬は、(伯楽ではない)卑しい人間の手で、粗末に扱われ、馬小屋の中で(他の駄馬と)首を並べて死んでしまい、千里の馬であると、称せられないのだ。
といふ風に、韓愈は、言ってゐる。
従って、
(43)~(49)により、
(50)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有。
といふ「漢文」は、確かに、
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(51)
いっぽう、漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在できない(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁)。
然るに、
(52)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた述語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかもたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
従って、
(50)(51)(52)により、
(53)
④ 世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有而伯楽不常有。
といふ「漢文」にも、「ネイティブライター」は、存在しないし、
④ ∃y(千里y&馬y)→∃z(伯楽z)&∀x{馬x→∃y(千里y&馬y)}&~∀z(馬喰z→伯楽z)
といふ「述語論理」にも、「ネイティブライター」は、存在しない。
従って、
(54)
「中国語(白話)」を学んでも、「漢文」が書けるようにならないことは、
「英語や独語」を学んでも、「述語論理」が書けるようにならないことと、「同じこと」である。
然るに、
(55)
文言と白話といい、それは同じ中国語であって、元来は一つのものである、ただ単音節のつねとして原則的にひとつの音節をひとつの漢字でうつしたものが文言であり、それでは目で読めても、耳でききわけにくいため、ひとつの音節に別の音節を付属させたものば白話である(牛島徳次郎、中国古典の学び方、1977年、19頁)。
従って、
(56)
加藤徹先生の「説明」と、牛島徳次郎先生の「説明」は、「漢文は、耳で聞いても理解できない。」といふ点に於いて、「一致」し、「漢文は、中国語である。」といふ点に於いて、「矛盾」する。