(01)
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
といふ「述語論理」を、
① すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己(自分)であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
といふ「語順」で「読む」といふことを、
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
といふ「述語論理」を、「左から右へ」は、読んではゐない。
といふことに、他ならない、
然るに、
(02)
「白話文(中国語)」のあるものには、「返り点」を付けることは、出来ないものの、
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
といふ「述語論理」を、
① すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
といふ「語順」で「読む」のであれば、
① レ、レ、レ 二 一、レ レ、レ 二 一、レ
といふ、「返り点」が、付くことになる。
然るに、
(03)
① ∀x{人x→∃y[(己y&~知xy&~患y)&(~知yx→患y)]}
から、「括弧」を除き、
① ∀x人x→∃y己y&~知xy&~患y&~知yx→患y
とした上で、
① ∀x人(x)→∃y己(y)&~〔知(xy)〕&~〔患(y)〕&~〔知(yx)〕→患(y)
とするならば、
① すべてのxについて、xが人であるならば、あるyは己であって、xがyを知らなくとも、yは患へず、yがxを知らないならば、yは患ふ。
といふ、「語順」で読むことが、出来る。
然るに、
(04)
そこで述語論理では「人間」と「動物」のAのような関係を表わすのに、
動物(人間)
と表示する。そしてこれを記号化して、
F(a) または( )を省略して、Fa
というように書く(沢田允茂、現代論理学入門、1962年、116頁)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
人x=人(x)=人間(x)
といふ「3つ」は、「述語論理学」として、「三つ」とも、「正しい」。
然るに、
(06)
「~」=「¬」 であるため、
「~」=「不」 でも、構はない。
従って、
(06)により、
(07)
① ~〔知(yx)〕 は、
② 不〔知(yx)〕 であっても、構はない。
然るに、
(08)
② 不〔知(yx)〕 を、
② 不〔知(我彼)〕 に換へた上で、更に、
③ 我不〔知(彼)〕 とすならば、そのまま、「漢文」になる。
然るに、
(09)
③ 我不〔知(彼)〕。
に於いて、
③ 不〔 〕⇒〔 〕不
③ 知( )⇒( )知
といふ「移動」を行ふと、
③ 我不〔知(彼)〕⇒
③ 我〔(彼)知〕不=
③ 我〔(彼を)知ら〕ず=
③ 私は、彼を知らない。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(10)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(09)(10)により、
(11)
③ 我不知彼=
③ 我不〔知(彼)〕⇒
③ 我〔(彼)知〕不=
③ 我〔(彼を)知ら〕ず。
といふ「漢文訓読」に於ける。
③ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、ただ単に、「訓読の語順」を表してゐるのではなく、
③ 我不知彼。
といふ「漢文の、補足構造」を、表してゐる。
従って、
(11)により、
(12)
④ 我不知彼等=
④ 我不〔知(彼等)〕⇒
④ 我〔(彼等)知〕不=
④ 我〔(彼等を)知ら〕ず。
といふ「漢文訓読」に於ける。
④ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、ただ単に、「訓読の語順」を表してゐるのではなく、
④ 我不知彼等。
といふ「漢文の、補足構造」を、表してゐる。
然るに、
(13)
③ 我不〔知(彼)〕。
④ 我不〔知(彼等)〕。
に於いて、「返り点」は、
③ レ レ
③ レ 二 一
である。
然るに、
(14)
【彼】ヒ ① か。かれ。(イ)三人称の代名詞。あの人。あの人々。
(大修館、デジタル漢和辞典、2019年)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
③ 我不〔知(彼)〕。
④ 我不〔知(彼等)〕。
に於いて、「補足構造」だけでなく、「意味」も「同じ」である場合であっても、
③ レ レ
③ レ 二 一
といふ「返り点」は、「同じ」ではない。
従って、
(11)~(15)により、
(16)
③ 我不〔知(彼)〕。
④ 我不〔知(彼等)〕。
に於ける、
③ 〔 ( ) 〕
④ 〔 ( ) 〕
といふ「括弧」は、「補足構造」を表してゐる一方で、
③ 我不レ知レ彼。
④ 我不レ知二彼等一。
に於ける、
③ レ レ
③ レ 二 一
といふ「返り点」は、「補足構造」を、「不十分」にしか、表してゐない。
然るに、
(17)
しかし、これは簡単に解決できる。すべて一二点に変換すればいいのである。一二点は無限にあるから、どんなに複雑な構文が出現しても対応できる。実際、一二点しか施していないものも過去にはあった。
といふ風に、述べる人(漢文の、女性の先生?)がゐる。
然るに、
(18)
一二点しか施していないものも過去にはあった。
といふことは、本当かだうか、分からないものの、「一二点」だけでは、「読みにくい」。
(19)
例へば、
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
に於いて、
⑤ の「順番」は、「漢文訓読」の「語順」であっても、
⑥ の「順番」は、「漢文訓読」の「語順」では、有り得ない。
(20)
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
に於いて、
(ⅳ)の中に、(ⅲ)が入り、
(ⅲ)の中に、(ⅱ)が入り、
(ⅱ)の中に、(ⅰ)が入る。
然るに、
(21)
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
は、それぞれ、
⑤ 乙 下 二 一 中 三 二 一 上 甲
⑥ 乙 下 二 一 甲 三 二 一 中 上
であるものの、
⑤ 乙 下 中 上 甲
に対して、
⑥ 乙 下 甲 中 上
の場合は、
(ⅲ)の中に、(ⅱ)が入ると、同時に、
(ⅱ)の中に、(ⅲ)が入ってゐる。
従って、
(21)により、
(22)
⑤ 乙 下 二 一 中 三 二 一 上 甲
⑥ 乙 下 二 一 甲 三 二 一 中 上
を見れば、
⑥ が、ヲカシイことは、「一目瞭然」であるものの、
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
を見ても、
⑥ が、ヲカシイことは、「一目瞭然」ではない。
然るに、
(23)
「ヲカシナの順番」と「さうでない順番」を、「直ぐに見分ける」ことが出来る。
といふことは、
⑤ 十 八 二 一 七 五 四 三 六 九
⑥ 十 八 二 一 九 五 四 三 七 六
よりも、
⑤ 乙 下 二 一 中 三 二 一 上 甲
⑥ 乙 下 二 一 甲 三 二 一 中 上
の方が、「読み易い」といふことに、他ならない。
然るに、
(24)
ここでは、「説明」は、控へるものの、
⑤ 乙〈下{二(一)中[三〔二(一)〕上]}甲〉
⑥ 乙{下[二(一)甲}三〔二(一)〕中(上)]
に於いて、
⑤ は、「返り点」と「括弧」であるものの、
⑥ は、「返り点」ではないし、「括弧」でもない。
然るに、
(25)
通常の包含関係に従って甲乙点を打った後、その外側で四つの返り点が必要になったら、どうするのでしょうか。天地人点(の三つ)では足りません。その場合も、やはり、次のやうに、甲乙点と天地人点の順序を逆転させるしかないのです。そのような例を一つ示しましょう。根気のよい方は、訓読に従って字を逐ってみてください。あまりの複雑さゆえに嫌気のさす方は、読み飛ばしても結構です。
何ぞ人をして韓の公叔に謂ひて「秦の敢へて周を絶つて韓を伐たんとするは、東周を信ずればなり、公何ぞ周に地を与へ、質使を発して楚に之かしめざる、秦必ず楚を疑ひ、周を信ぜざらん、是れ韓伐たれざらん」と曰ひ、又秦に謂ひて「韓彊ひて周に地を与ふるは、将に以て周を秦に疑はしめんとするなり、周敢へて受けずんばあらず」と曰は令めざる。
何不レ令丁人謂二韓公叔一曰地秦之敢絶レ周而伐レ韓者、信二東周一也、公何不下与二周地一発二質使一之上レ楚、秦必疑レ楚、不レ信レ周、是韓不天レ伐也、又謂レ秦曰丙、韓彊与二周地一、将三以疑二周於秦一也、周不乙敢不甲レ受。
(これならわかる返り点、古田島洋介、九一頁改)
然るに、
(26)
何不〈令{人謂(韓公叔)曰[秦之敢絶(周)而伐(韓)者、信(東周)也、公何不〔与(周地)発(質使)之(楚)〕、秦必疑(楚)、不〔信(周)〕、是韓不(伐)也]、又謂(秦)曰、[韓彊与(周地)、将〔以疑(周於秦)〕也、周不〔敢不(受)〕]}〉⇒
何〈{人(韓公叔)謂[秦之敢(周)絶而(韓)伐者、(東周)信也、公何〔(周地)与(質使)発(楚)之〕不、秦必(楚)疑、〔(周)信〕不、是韓(伐)不也]曰、又(秦)謂、[韓彊(周地)与、将〔以(周於秦)疑〕也、周〔敢(受)不〕不]曰}令〉不=
何ぞ〈{人をして(韓の公叔に)謂ひて[秦之敢へて(周を)絶つ而(韓を)伐んとする者、(東周を)信ずれば也、公何ぞ〔(周に地を)与へ(質使を)発して(楚に)之かしめ〕不る、秦必ず(楚を)疑ひ、〔(周を)信ぜ〕不らん、是れ韓(伐たれ)不らん也と]曰ひ、又(秦に)謂ひて、[韓彊ひて(周に地を)与ふるは、将に〔以て(周を於秦に)疑はしめんとする〕也、周〔敢へて(受け)不んば〕不ずと]曰は}令め〉 不る。
従って、
(25)(26)により、
(27)
何不令人謂韓公叔曰秦之敢絶周而伐韓者信東周也公何不与周地発質使之楚秦必疑楚不信周是韓不伐也又謂秦曰韓彊与周地将以疑周於秦也周不敢不受。
のやうに、「極端に長い、ワンセンテンスの漢文」であっても、
〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ、「五組の、括弧」があれば、「十分」である。
然るに、
(28)
「括弧」が、
(ⅰ)〈 { [ 〔 ( ) 〕 ] } 〉
だけであるのに対して、
「返り点」は、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
(ⅴ)レ 一レ 上レ 甲レ 天レ
といふ風に、「種類」だけで、「五種類」もあるし、
(ⅴ)レ は、
(ⅰ)一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 ・・・・・
(ⅱ)上 中 下
(ⅲ)甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
(ⅳ)天 地 人
の、それぞれの「中」にも、「上」にも、「現れる」。
加へて、
(29)
漢文の返り点は大体の標準があったが、細かいところには違いがあった。
例えば、
(A) 欲三 取二捨 之一。
(B) 欲 レ 取二捨 之一。
(C) 我将二 任 レ 彼而不一レ 用二 吾力一 焉。
(D) 我将下 任 レ 彼而不上レ 用二 吾力一 焉。
これをどちらにするか協議したが、私が明治四十五年三月二十九日の
官報に掲載された「漢文の句読・返点・添仮名・読方法」に従って、(A)に
従うのがよいとし、(C)(D)はそれに記載がないが、「上・下」「上・中・下」
は「一・二・三」などをまたいで読むときに用いるものであるから(C)を用いるのがよいと決めた。
(原田種成、漢文のすすめ、一九九二年、一一二頁改)
然るに、
(30)
「括弧」の場合は、
(A)欲取‐捨之
(B)我将任彼而不用吾力焉。
であれば、固より、
(A)欲〔取‐捨(之)〕。
(B)我将[任(彼)而不〔用(吾力)〕]焉。
といふ風に、それぞれが、「一通り」しかない。
加へて、
(31)
(D)我将下 任 レ 彼而不上レ 用二 吾力一 焉。
(E)我将下 任二 彼等一 而不上レ 用二 吾力一 焉。
(F)知下不レ羞二小節一 而恥中 功名不上レ 顕二 于天下一 也。
(G)使下 學者皍二 凡天下之物一、莫上レ 不下 因二 其已知之理一、益々極レ 之、以求上レ 至二 乎其極一
のやうな「返り点」は、すなはち、
(D)下 レ 上レ 二 一
(E)下 二 一 上レ 二 一
(F)下 レ 二 一 中 上レ 二 一
(G)下 二 一 上レ 下 二 一 レ 上レ 二 一
のやうな「返り点」は、「読み易い」とは、言へない。
加へて、
(32)
「ユニコード(Unicode)」にも、「一レ、上レ、甲レ、天レ」他が無い。
加へて、
(33)
「括弧」は、「横書き」だけなく、「縦書き」でも、「同じやうに、見やすい」。
従って、
(01)~(33)により、
(34)
「括弧」の方が「返り点」よりも「簡単」で「優れてゐる」。
(35)
「括弧の、唯一の弱点」は、「テストには、出ないため、漢文をいやいや学んでゐる生徒にとっては、それに習熟しようとする、インセンティブが、働かない」ことである。