先日朝日新聞「声」に大学生の声が載っていました。そのタイトルを今日の記事のタイトルにそのまま使いました。その声のあらましを書いてみます。
私は約束の5分前には待ち合わせの場所にいるタイプ。だから大抵待ち合わせの人を待つ立場になる。たまたま少々遅れた時に限って、相手が待っている。相手は遅れても平気な顔をしているが、私は非常に申し訳なく、落ち込む。
先の戦争が終わって、平和が戻った時も、「隣組」という制度は健在でした。戦時中国民の心を一つにするためのものだったと聞いたことがありますが、ふるさとでは隣近所で何か事をしようとする時、回り持ちで場所を提供し、会合が開かれていました。昼間は農業仕事がありますので、夕食を済ませて夜の会合でした。氏神様のお祭りについて。田んぼの灌漑用水路の整備のうちあわせ、いろいろあるのです。
この開始時間が大変なのです。始まりの時間が全くあってないようなものなのです。
「お母ちゃん、7時よ。遅れるよ」
「いいの、どうせN村時間だからまだ始まらん」
どの家でも同じような会話がなされるのです。
半分娯楽でもあったのでしょうか、集まるのに時間がかかり、集まってから話し合いに入るのに、またまた時間が過ぎていくのでした。何度も「○○時間は止そう」と意見は出るのですが直る気配もなかったのです。のんびりしたルーズな時間感覚でした。
わが家はサラリマンの夫の転勤について、家族で引っ越しをしていました。娘Maが中1を、息子Kが小学校を終えるのを待って、北九州小倉に越しました。3年経ってKは小倉高校に入学しました。入学式に、親として私が出席しました。入学式開始は9時だったかな、体育館に整列していました。シ~ンと静まり返った体育館にラジオの声が聞こえます。???なにこれ?
ぽ・ぽ・ぽ・ぽ~ん。時報です。と同時に教頭先生の「これより入学式を開始します」。ここまでやるか。
○○時間感覚の尻尾が残っている私は唖然としていました。
この時間感覚の時代による違いを思い知らされたのが、若者がみんな携帯(後にスマホ)を持ちだした後に、取り残された婆さんでした。他人との待ち合わせ。会うべき日時、場所、これを間違えたらこの大都会では会う術がないと考える化石人間。「そうかあ。おばあちゃんたちはそうなんだ。今そんなに細かく決めてないよ。おおよそ会おうと言っていたら、あとは携帯で連絡すればいいの」。
そう言われて、若者観察。「あ、いまどこ?」「一寸寝坊したまだ家、もうちょっと後で連絡する」「ああいいよ。時間つぶしてる」。
なんとまあ。