おせっちゃんの今日2

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透明マスク

2021-09-18 14:57:36 | ニュースから

17日の朝日新聞生活面に、透明マスクのことが報じられていました。
耳の聞こえない人は相手の口の動きを見て、その他の動作などと総合的に類推して言っていることを理解するのだそうです。それがマスクで隠れてしまうのですから、不便この上ないことでしょう。
この大学生Kさんは友人のツイッターで顔全体が見える透明マスクのあることを知りました。このマスクを耳の聞こえない人に届けたら、言葉のキャッチボールができるのではないか、と思い、その運動を起こす資金をクラウドファンディングを募ることから始めたというのです。
若い人の行動の早さ、に感心して新聞を読んだのでした。

このマスクが、コロナウイルスを効果的に防ぐことができれば、難聴の大学生だけでなく、多くの人が恩恵にあずかることになると思います。顔半分を隠してマスク美人で過ごせるわ、などとやけくそになっている私でも使いたくなりそう。

まあ私はどうでもいいのですが、このブログのどこかで書いたおぼえがあるのですが・・・見つかりません。簡単に書くと、離乳食を食べる練習中の子供が、親から食べ物を与えられるとき、口を開けないという記事です。スプーンが近づいてきたらお口を開けてパクリ、もぐもぐを親や保育士のお手本を見る機会がなく、出来ないのだという新聞記事の報告です。それに続いて私の取り越し苦労、食べる動作だけではなく、言葉を発することも遅れるのではないか、その心配はないか、と続けたのでした。

このニュースは、幸いにも、どちらも取り越し苦労だったのかその後報じられませんのでほっとしているのですが。
でも母子が、保育園の教師と子供たちが、小学生が教室で、・・・あらゆる生活の場で、顔全体の表情が見えるということは、コロナ禍の中、ずいぶんの救いになることでしょう。

明るい話題です。


南こうせつ 父母を語る

2021-09-17 14:21:22 | 徹子の部屋出演者

先日、徹子の部屋に南こうせつが出演していました。子どもを広い自然の中で育てたくて、ふるさとに居を定めた。若者がワイワイ集まっていた広い家は広すぎるようになり、思い切って大整理。こじんまりした家に建て替えた。

いろいろなことを話していたけれど、私に強く印象深く感じられたのは、ご両親の話でした。
父は、家族団らんしていても、どこかなじまず、おとうさん置いてけぼりの話になると、口笛とも言えないため息のような息を吐いて、すっと立って畑に出てしまう人だったとのこと。
お母さんは、おとうさんが亡くなって、お骨になって祭壇に安置してある前で、小さく身をかがめて、何か考えていらっしゃった、その姿を声もかけられず見ていた。その内みている子供に気が付いて、小さな声で「私はお父さん、好きではなかった」とおっしゃったとのこと。

「家族の中で浮いてしまっていた人と、夫が好きではなかったという人。愛の結晶と思う子供はどうすればいいのかと思いましたよ」
「う~ん、そうですよね」。徹子さんも一瞬声を失ったようでした。
こうせつさんが言います。

「わが家は寺なんですよ。それを継いで保って行かなければならなかった母、そんな母の元へ養子に入って寺を守っていた父。愛だの恋だのという結びつきではなかったのでしょう。父も住職になるより都会に出たかったでしょうし、母も田舎で暮らすより、都会に出たかったのではないかなあ」。

こうせつさんはつくづくお二人の立場を思い偲んでいらっしゃいました。

今なら、何が何でもいやなら他の道も選べるのかなあ。

私が嫁いで、姑として仕えた人がありました。夫の母ですよね。継母でしたが。
晩年、時々「私は結婚に失敗した」と私達息子二人、嫁二人の所為のように愚痴っていました。「私たちの所為にされてもねえ」と私たちも愚痴っていました。

舅は軍人でした。元のお母ちゃん(夫はこう呼んでいました)との間に4人の子供がいました。結核でなくなりました。夫は5年生だったと言います。戦争の末期でした。職業柄、待ったなしで戦場に行かなくてはならない立場でした。急遽新しいお母ちゃん探しで、候補者に上がったのが姑だったのです。
姑は当時の適齢期はとうに過ぎていましたが、女学校の英語の先生として勤めていたのです。半分無理やりに、嫁いだと姑は言うのです。結婚して幾日も経たないうちに、4人の子の母としての責任が課せられ、夫は戦地に赴いたということです。

「私は軍人は嫌いでした。結婚は大失敗でした」。私達子供と嫁はどうしようもなく黙って聞いているだけでしたけど。

 


化粧まわし…びっくりお値段

2021-09-16 16:06:39 | いろいろ

コロナ禍の中、ウイルスに対しての万全の対策の中、大相撲が催されています。制限数を守っての観客、拍手のみの応援など、注意に注意をしての開催です。それでも感染者が出て休場のやむなきになった部屋も。
相撲好きのじじばば、テレビ桟敷で楽しんでいます。

つい先日の実況放送の、解説の合間に面白い話がありました。
外国の観光客が訪ねてきて「エプロンはどうすれば手に入るか」という質問。え?エプロン?。皆さまお分かりでしょうか。
化粧まわしのことを言っているらしい。確かにエプロンと言えば言えないことはないなあ。
「どうしても欲しいのなら、お世話しますけれど、値段は高いですよ」
「お金はある」
「誂えだから、日にちもかかるよ」
「それでも欲しい」
「値段はいろいろだけれど、一番安くても100万円以上かかるよ」
びっくり目を向いた外国人。苦笑いしながら、手を横に振って帰って行った。と。

何しろシルクだし、刺繍仕上げだし、う~ん、その位はするのかな。飛び込みの外国のお客さんにはびっくり値段だろう。

今朝の朝日新聞「角界余話」に詳しく解説がありました。

化粧まわしは幅約80センチ、長さ8~9メートルの長大な帯状のものである。この「台」の一方の端に、刺繍が施され、「馬簾」という房が下がっている。

この台・刺繍・馬簾の質によって、値段は10倍ほども差が出てくる。
力士の出身学校の校章をあしらったものが一番安価で、それでも100万を超えるという。
今土俵で見ることのできる最も高価なものは、西新井薬師が白鵬に送った化粧まわしが最高だろう。一本一千万円はする。横綱の化粧まわしは3本セット。横綱と、太刀持ち、露払い、三人分である。つづれ織りという西陣織最高級品。手刺繍。三本セットで三千万円。これに刺繍の絵を文化勲章受章者に頼んでいるから、それがプラスされる。

過去には一本7千万円のものもあったという。

日本伝統の国技、華やかな、文化ですね。
  


「親ガチャ」という言葉

2021-09-15 13:47:18 | テレビから

朝のながら見のテレビで、また分からない言葉に出会いました。
「親ガチャ」という言葉です。スマホに打ち込みやすくするために、短く詰めてしまう言葉ではなさそうだし・・・と暫くテレビの前で足を止め見入ってしまいました。終わりかけたテレビでは良く分からなかったので今ネットで調べてみました。

「ガチャ」は、ゲームのキャラクター入手方法で使う「ガチャ」。と言われても良くは分からないんですけれど。

子供の立場から。親は自分では選べない、
どういう境遇に生まれるかはすべて運任せ。自分ではどうしようもない。

という考えのようです。
ヘ~エ、それを言うならば、親から言えば

どんな子供が生まれて来るかは出たとこ勝負、選べない。ではないのか。あいこだよね。親もふてくさるか。

格差社会という言葉も言われます。社会的地位に恵まれ、経済的にも余裕のある親の元に生まれた子供。逆に貧しく、世の中から見捨てられているような親の元に生まれた子。確かに、自分では決められない親子の縁で、生きる世界を異にして生き始める。これは確かですよね。

私が物心ついていきはじめた頃は、日本のなにもかもが戦争でひっくり返り、全てが貧しい世間でした。みんな貧しい世間では、努力すれば一段上に、2段上に上がっていける希望があったような気がします。
それに反して、今、その当時より格段富裕な暮らしではありながら、少々の満足では喜べない、満足が得られない焦りの社会であるような気がします。

その焦りの不満を親の所為にせざるを得ない若者なのか。

お隣の韓国では「寝転び族」(これもテレビから得た言葉。違っているかもしれない)という若者が発生していると言います。厳しい学歴社会。学歴獲得の入学という出発点で、ふるい落とされたものは、その後の努力はほとんど認められない。住処すら求められない低収入の生活に沈むほかないという仕組みと言います。
ええい、どうせだめなら努力はやめた、何もしないで寝転んで暮らそう族になるのだそうです。

淋しいではありませんか。


マスク生活

2021-09-14 13:35:52 | コロナウイルス

ワクチンがだんだん行き渡り、治療薬も使える日が近く、コロナ対策も少し見通しができるようです。でも油断大敵、コロナは絶滅はしないようで、マスクは必需品のようです。

コロナとの戦いのごく初め、マスクの大切さが言われました。我が家は夫と二人、インフルエンザの予防注射こそしますが、あとは嗽もマスクもしないで何年も引いたことがありませんでした。二人ともマスク嫌い、マスクで喉を庇ってばかりいるから咽喉が弱ってくるのだと逆説的な意見を嘯いていました。
予防のためというよりも、周りの人の目を気にしてしなければいけないな、と思いました。日頃、マスクは敵だと言っていた私どもには、マスクのストックはありませんでした。

求めようと思っても、既に、賢い主婦の方々に買い占められて、マスクは姿を消していました。救急引き出しに5枚あったのが我が家のマスクのすべてでした。

思案投げ首をしてもマスクは湧いて出てきはしません。パソコン教室になけなしのマスクをして行ったところ、Kさんが、テレビでやっていたよ~と、ガーゼのハンカチをひだを付けて折って、耳ゴムを付けて使う代用品の作り方を教えてくださいました。ご親切にガーゼのハンカチ、やわらかゴムひも付きの講習会でした。
使ったら、元のハンカチに戻して、合成洗剤でつけ置き洗いをする、ウイルスはこれで死に絶えるという優れモノでした。
当分これで凌ぎました。

一緒に町会の委員をしているSさんに会ったら、「おせっちゃん、マスクどうしてる?私、籠り生活のつれづれに縫ったのよ。掛け心地いいわよ、いる?上げるわよ」。普段用の無地の物2枚と、余所行き用のレース生地の物1枚と頂きました。先ほど書いた洗濯法で、洗っては使いました。口紅で汚れますからガーゼを折って中に重ねました。
都知事の小池さんが洋服と合わせたものなど素敵にして登場なさって、皆それなりにコロナとの戦いプラスおしゃれという、非常時でありながら楽しみもしたのでした。

日本の家庭全部にマスク5枚を配る作戦が、安倍首相先導でおこなわれました。配る手段でもたもた。いざ受け取って見たら、小さすぎるなど「アベノマスク」と揶揄され、首相一人意地のように小さなマスクをしているのが笑いを呼びました。我が家では、自作の代用品で間に合うと、子供さんのいる家庭に差し上げました。

その後、延々と続くマスク生活。私は友人からいただいた洗えるお手製マスクでずっと凌いでおりました。特におしゃれマスクをとも思いませんでしたが、押しつぶされそうな不安感の生活に、せめて潤いをと思うのでしょうか、手作りマスク、刺繍マスク、とうとうセリーヌだか何だか、ブランド物のマスク迄売りに出されました。
人間は、どんな環境でも、創造力を駆使し、得意を活かし、工夫して楽しむものだなと、感心したものでした。

収まるかに思えたコロナが、変異ウイルスと形を変え、またはびこってきました。このウイルスは、ウレタンマスク、普通の布地マスクでは防げないのだと言います。不織布のものを顔と隙間がないようにぴったりつけることが肝要とか。
私の使い古した友人お手製のものはだめだということで、不織布マスクを求めました。幸い、品不足現象は起こっていないようです。洗濯の代わりに、頻繁に取り換え、密封して捨てる作業をしています。