じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

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2008年05月25日 | 急性骨髄性白血病

娘から、手編みの帽子を送ってきてくれたと妻が喜んでいた。

初めて編んだものらしい。薄いピンク色で若々しいのがすごく気に入っているようだ。

ちょっと明るいパジャマにその帽子姿だと、後からは20歳代に見えるよ、ちょっと猫背を直せばね、とからかった。

・・・・

娘は病状を聞いて居ても立ってもいられない気持ちだという。

ネット通販という手段でで日本国内の色々なものを送ってきてくれるが、「サクランボ」や高価な「ビワ」などなど・・・残念ながら生もの厳禁なので、お父さんが全部頂きました。

・・・

羽があったら飛んで帰りたいのだけど・・・子供達のこともあって動けないのが辛いと。

シンガポールからはやはり遠い。

・・

息子からは、一日も欠かさず定時に妻のところと私のところそれぞれに電話がかかってくる。

友人もまた気使ってくれている。みんな心配してくれているのだなあ。

抗生剤が効いて微熱で治まっている。この調子で乗り切って欲しいところ。

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厳しい治療

2008年05月25日 | 急性骨髄性白血病

かみさんというのは止めて、これからは妻と呼ぶことにしよう。

クリーンルームへ4日間付き添った。もちろん夜は近くのホテルで。

・・

妻はよく闘っている。「私は決して負けないわ、負けてたまりますか」

1回目の寛解導入治療で頭髪がほぼ抜けてしまった。それでも寛解に至ることが出来ず、白血球が回復しないまま、2回目の寛解導入治療を受けた。

この間一週間はさすがに厳しく、病院食を一切受け付けず、その後肺炎を引き起こし発熱を繰り返した。私は食べられるもの、欲しいものを求めて売店を探し、市内のデパートやスーパーを何度も往復した。味覚が普段と変わるのか、「じゃこ天」や「から揚げ」が食べたいと思えば次は蜜豆やアイスクリーム、長崎屋のカステラが、といったように嗜好がころころと変わる。すべてラップして熱を通してから(アイスは別)口にしなければならない。それでもそれらを美味しそうに食べるのでホッとする。そして熱が少し下がり食べ物を口にすることが出来ると、生来の明るさ取戻し、逆に私のことをねぎらい心配した。

「お父さんのほうこそ大丈夫?ごめんね我がままばかり言って・・」

「電話やメールもすることが出来るし、気分がいい時は友達にはがきも書ける、お父さんとこうして話も出来ることに感謝しなくちゃ」

・・・・P10500801

IVHを左右刺し替えたり、定期的なマルク(骨髄穿刺)、ほぼ毎日の採血、点滴は一度に5本ぶら下がっていたりして、見ていてもたまったものではない。

現在、白血球はほぼ0、赤血球と血小板も減少し続ける。血色素(Hb)が限界まで下がると血色は落ち顔色は白く、息苦しくなる。血小板が減ってくると手の甲がどす黒くなってうっ血してくる。2,3日ごとに輸血をすると、まるで生き返るように元気になり血色も戻る。限界で生命を維持しているようにさえ思われる。

肺炎を抑えるために抗生剤の点滴をし続けているが、耐性化が懸念されるという。

健康人は気にも留めないが、血液のとりわけ白血球の大事な役割を痛感させられる。

治るものならどんなことも我慢できると妻が言うと、医師からこれが一番きつい治療だといわれた。

今度こそ、寛解に到達してくれることを願うばかり・・・・・。

そして必ずクリーンルームから外界へ出してやりたいのだ。

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