諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

254 幸福をどうするか #06 統計の輪郭(Unicefの諸環境)

2024年12月22日 | 幸福をどうするか
晩秋の日光白根山  溶岩ドームの頂上から見下ろすと、「カルデラ湖」五色沼が水をたたえています。

引き続きUnicefのレポートを読んでいきたい。
子どもの幸福度は子ども自身に内在するのだが、それは当然子どもを取巻く環境によるものも大きい。
前回の「子ども世界」の枠を拡げ、今回は「子どもを取巻く世界」へと移る。
子どもの幸福度と相関性の高い諸関係をUnicefは特定していく。

イノチェンティ レポート 16
子どもたちに影響する世界:
先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か

先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か
https://www.unicef.or.jp/library/pdf/labo_rc16j.pdf


第4章 子どもを取巻く世界



はじめにUnicefは保護者の立場を取り上げる。
図 19:家族、友人、サービス提供者の支援が得られる保護者の割合(資料参照)

では、日本のデータはないのだが、各国での状況はほぼ共通して、
 家族…約80%、友人…10%、サービス提供者…5%未満、誰もいない…5%前後
ということになる。子どもを養育する保護者は家族や友人によって支えられているのである。
それにしても、「誰もいない」や「サービス提供者」の率が低い国、友人によるサポートが得られやすいオランダ、トルコ、ドイツなども含めてこれらの国は地域社会が充実しているといえるのだろう。日本の統計が気になるところ。

次のその家族の置かれていいる状況を次の調査で象徴させている。

図 20:欧州諸国における仕事と家庭のバランスに苦労する労働者の割合と平均労働時間





保護者を支援するべき家族(保護者自身も含めて)の「家族の責務を果たすことに苦労している割合」は、明確に「本業の週平均労働時間」に比例しているのである。
これも当然であり、データのない日本においても同様であろう。レポートでも「非自発的失業により働いていないこと は経済的にも社会的にも損失だが、幸福度の観点からは働き過ぎも同様に問題である。働き過ぎは個人にとっても その周囲の人間関係にとっても有害な ものとなり得る。」と指摘する。

つづいて学習環境として、家庭に所有している本と読解力と数学のリテラシーとの相関を見る。

図 22:読解力および数学的リテラシーが基礎的習熟レベルに達している 15 歳の子どもの割合と家庭における勉強に役立つ本の有無



これも相関がみられる。「勉強に役立つ本が家にある」場合とない場合と相関がない国は1か国もない。
このことは本だけに及ばない。同じ傾向は家庭によって他の学習環境のにも共通する。
コンピュー タを所有しているか、自分専用の部屋があるかなど、その子ども個人の資源 を意味することもあれば、自家用車があるか、休暇を楽しむ経済的余裕があるかなど、より広く家族全体の資源を意味することもある。
そしてもちろん、
資源の不足はさまざまな経路を経て子どもに影響を与える可能性があり、例えば家庭の貧困状態は、入手できる食品の種類や運動 のパターンなど、さまざまな要因が働いて高い過体重・肥満率に繋がっていることが研究で示されている。
ということにもなる。

そして、地域の環境として「地域に十分な遊び場がある」と回答した子どもの割合を調査している。レポートでは「地域に十分な遊び場がある子どもの方が幸せ」としているが、この調査では幸福感との相関は顕著ではない。
ただ、日本のデータがなく残念だが、屋外遊びと幸福度が関係していることからして、遊び場の確保は環境として重要というのは当たり前である。

この章では、子どもを取巻く世界として、家族、家庭の教育環境、学校、地域を見てきた。
子どもを育む保護者や家族自身の幸福度が上がることが子どもの幸福度を上げるのは当然である。だとするとその家族に身近な仕事や学校との付き合い、地域の豊かな環境や人間関係が重要なことが改めて確認できる。

果たしてそれが政策のレベルでどこかまで達成できていて、課題は何なのか、次回は「より大きな世界」から考える。


《見だし写真の補足》
五色沼の沼畔?まで降りてドームを見え上げてみました。火山ならでは不思議な雰囲気



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253 ピン留めした「第九」の解説

2024年12月15日 | エンタメ
晩秋の日光白根山 ドームをよじ登ると秋の空気に映える大展望 遠くに富士山(標識の左上)

大掃除の傍ら、昔のプログラムや録画した画像を整理していると「第9」の資料がたくさんあることに気づいた。毎年感心をもっているとこんなことになるらしい。そういえば今年も年の瀬である。
そんな気がかりで、印象に残る指揮者のコメントを紹介したい。鑑賞の参考になれば幸いです。
NHK交響楽団のプログラムや録画からの抜粋

2011年 スクロヴァチェフスキ

歌詞がなくても音楽のメッセージが伝わる

第九」の素晴らしいところは、ただ曲想や響きが完璧で美しいことだけではなく、例え合唱や「歓喜に寄せて」の歌詞がなくても音楽のメッセージが伝わることです。
それはこの世ではないどこかに存在する抽象的で、完全な美そのものなのです。
「第九」は私たちの活力の源だと信じています。
この音楽のおかげで私たちは希望を持って人生を歩めるのです。
3月日本は大きな災害に襲われました。
そんな時こそ芸術、特に音楽は人の心を癒してくれます。
苦しむ人々に希望と再び立ち上がる力を与えてくれるのです。

2013年 ノリントン

インプットとアウトプットは演奏の両輪

「第九」の場合は、さて、どうなるでしょう。従来の演奏と大きく異なるのは、おそらく第3楽章でしょうね。本当に美しい音楽ですが、本来はそれほどゆっくりしたテンポで演奏されないのです。そう考えると、全4楽章の平均的な演奏時間が75分位だとして、私の「第9」はせいぜい65分といったところでしょう。
こうした演奏するにあたっては、正確な情報のインプットが何よりも大切です。おいしい料理を作るためには、材料が良質でなくてはいけません。音楽の場合は、当時の演奏がどういったものなのか、ベートーベンの意図を理解して、それに近づけるにはどうしたらいいか、といったことが重要な課題なのです。オーケストラや合唱団の楽器の配置、テンポや音の長さ、フレージング、アーティキュレーションといった情報が正しくインプットされているからこそ、良い演奏を実現できるでしょう。
こうした確信の上で、アウトプットについても気を配らなくてはなりません。お客様へ演奏を披露する際に、ある程度自由さを持って生き生きとした音楽になるよう心がけるのです。フレージングに少しだけ遊び心を反映させたり、ドラマ性を高めたりするようなそういう風があれば、聴衆にアピールすることができるでしょう。ベートーベンが即興演奏の名手であることを、もう一度思い出してみてください。インプットとアウトプットは演奏の両輪だといえます。決して相反するものではありません。

2016年 ブロムシュテッド

ベートーベンは幸福を切望し、次から次へと悲劇に見舞われたとしても幸せになる事はできると言う理念を、音楽を通して示したかったのです。

第一楽章は想像する喜びを表現していると言えるでしょう。地球創造のような神秘的な始まり。第一主題の決然とした音型は、ベートーベンにとっては神を象徴しているのだと思います。一方、第二主題は人間にあふれています。神を象徴する主題と、人間的な主題との対比と言うアイディアを使って、大きな建造物を建造するがごとくに作曲しているのです。
第二楽章は冒頭からドラマチックです。ベートーベンは意図的に、弾けるばかりの喜びを書きたかったのです。中間部はがらりと変わって、とてもなめらかで美しい半狂乱の喜びと穏やかな喜び、素晴らしいコントラストです。
第3楽章は歌心に溢れ、叙情的かつ心安らぐ楽章です。第一楽章、冒頭と同じ音程を使用しています。つまり、同じレンガを使って全く違う建造物を構築しています。第3楽章のエンディングは本当に穏やか、誰もが求める安らぎ、心の平和を得るのです。
(第4楽章)しかし、直後におぞましい不協和音が来ます。人生には過酷なことが起こると言うことを鮮明に思い出させるんです。しばらくすると、意外なことに、とても美しい、心和メロディーが聞こえてきます。やがて、バリトンの独唱が始まり、「私はこんな音楽を聴きたくは無い。もっと美しい、幸せな音楽が聞きたいのだ」と歌います。ベートーベン自身による歌詞です。この終楽章においても、ベートーベンは神を象徴する主題と人間を表す主題を組み合わせています。フィナーレではオーケストラが非常に早いテンポで、人間の主題を奏で、合唱が神の主題を歌い上げるのです。つまり、神と人間の共存が可能であると、ベートーベンは考え、音楽で見事に表しています。耳の不自由な天才音楽家の構造物です。ベートーベンは幸福を切望し、次から次へと悲劇に見舞われたとしても幸せになる事はできると言う理念を、音楽を通して示したかったのです。


2015年 パーヴォ・ヤルヴィ

ベートーベンの第九交響曲の捉え方に関しては、意見がかなり分かれています。
1つの見解として、第9は古典派からドイツロマン派への架け橋であると言う至って正当な見方があります。一方、ドイツロマン派と呼ばれるようになる様式には至っていないと言う味方もあります。私自身は真実は2つの考え方の間にあると考えています。私はクリアにかつ神秘的に演奏するべきだと考えています。ベートーベンらしい古典的なスタイルを取りながら同時に神秘性も追求したい。それでいて冷たい感じにならず、想像力をかき立てるような音楽にしていのです。
ベートーヴェン自身が記したメトロノーム記号は重要です。とにかく早いのです。これまではベートーベンのメトロノームが壊れていて、仕組みもよくわからず、既に耳が聞こえなくなっていたベートーベンは客観的にテンポを捉えることができなかったと考えられてきました。しかしそんな事はあり得ません。耳は不自由だったかもしれませんが、頭脳は明晰でした。ベートーベンが晩年にメトロノーム記号を記入したのは、自分の意思を後世に伝え、できるだけ正しいテンポで演奏してもらいたいと言う思いがあったからです。ですから、譜面が最優先なのです。文字通り熟読しなければなりません。
第3楽章はその後うつ出されるドイツロマン派の偉大なアダージョ作品の源となりました。19世紀末から20世紀の指揮者たちは、ワーグナーを始めとするドイツロマン派の壮大な作品に慣れていたので、ベートーベンの音楽にもワーグナー的なやり方を持ち込んでしまう傾向がありました。しかしワーグナーが活躍したのはベートーベンがなくなった後だと言うことを忘れてはなりません。ベートーベンはワーグナーの音楽を全く知らなかったのです。従来のたっぷりとしたワーグナー的なアプローチは、私はちょっと違うと考えています。
(第4楽章)第九のメッセージは、時代を超えて私たちの心に響きます。今の世界情勢とベートーベンの時代と比較すると、人間は過去からあまり学んでいないのではないかと思ってしまいます。人はずっと同じような過ちを繰り返しているのです。人は皆兄弟となると言う第9の歌詞には心から共感を覚えます。兄弟愛と平和へのメッセージが今ほど大切だった事はありません。正反対のものをいかに融合させるかこれは永遠の課題です。200年近くも前に書かれたこの作品が現代を生きる私たちの心にこれほどまでに強い共感を抱かせると言うのは考えてみると怖いくらいです。


200年近くも前に書かれたこの作品が現代を生きる私たちの心にこれほどまでに強い共感を抱かせると言うのは考えてみると怖いくらいです。



《見出し写真の補足》
お隣の男体山から見えた5月の日光白根山です。麓の草原が戦場ヶ原




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252 幸福をどうするか #05 統計の輪郭(Unicefの家族や友達)

2024年12月08日 | 幸福をどうするか
晩秋 日光白根山   忽然と表れたカルデラ湖と大きな溶岩ドーム。この上が頂上らしい

前々回から国内の統計、そして世界幸福度ランキングの統計を見てきた。
さすがに規模の大きな調査による統計で幸福という私的なことを浮かび上がらせるのに手が届きにくい面を感じた。
しかし、こうした統計は、各国の各地域の人々の公共的福祉を改善することが主たる目的であり、それはその意味では大変有効なものである。
ところが、である。これから見ていくユニセフのレポートではもっとリアリティがある。
読み取ろうとするとリアルに子どもたちの一人ひとりが想起させる優れたものである。

イノチェンティ レポート 16
子どもたちに影響する世界:
先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か

https://www.unicef.or.jp/library/pdf/labo_rc16j.pdf


第3章 子ども世界

前回は子どもたちの幸福感について、その実感を「結論」としてレポートした部分を見てきた。



今回はその外側の円として描かれる部分、つまり子どもの幸福の実感と密接する「行動」と「人間関係」とを見ていく。
子どもの幸福度を形成するものは何なのか、無数にあると思われる因子のうちこのレポートが何に注目していくのだろうか。

図:あまり外で遊ばない子どもと毎日外で遊ぶ子どもの平均幸福度



まずUnicefが注目したのが、子ども外遊びと幸福度との兼ね合いである。
日本のデータがなく、主に欧州諸国のデータだが、顕著な結果がみられる。
頻繁に外で遊ぶ子どもの方が、自分が幸せであると感じるのである。
注目したいのは、15か国の外遊びが多い子が「私の幸福度90点」以上なのである。
ギリシャやマルタでは97点!というのである。
あまり外で遊ばない子が80点程度であることをみると、圧倒的に外遊びと幸福度との相関がつよい。

野山で探検ごっこをしているのかもしれない、公園の遊具で遊んでいるのかもしれない、
いつもの集まる広場で鬼ごっこをしているのかもしれない、ストリートサッカーなのかもしれない、スケートボードなのかもしれい、昆虫や植物の採取なのかもしれない。
いずれにしても大人に干渉されない自分たちの世界を楽しんでいるに違いなく、そこに幸福度は高まるということであろう。

ところで、この中には室内遊びが含まれていないのはなぜだろう。これもまた特徴といえる。

図:9~16歳の一日当たりのインターネット平均利用時間(分)



対して、休日のインターネットの利用の時間の増加がある。「積極的にインターネットを利用している子」に特化した調査だが、予想どおりの結果でどの国でも(これも欧州諸国限定だが)10年前から1.5倍、休日に3時間もネット利用している。室内遊びの増加をインターネットが促進させているうように感じるし、学校でもネット環境が整えてこれを推奨している面がある。こうしたインターネット使用を含めて画面(テレビやゲームも含まれる)と対峙する時間を「スクリーンタイム」というらしいが、これと幸福度との関係がわかるのが次の調査である。

図:8種類の行動と若者の精神的幸福度の繋がり



8種類の行動のうち、精神的幸福度に一番マイナスなので「いじめられる」で、これが圧倒的である。そして、スクリーンタイムはやはりマイナスであるが、それほど顕著でないことがわかる。それにしてもプラスなのはすべて健康にかかわることだ。「自転車に乗る」が2番手なのは外遊びの代表として納得できる。(ただし、英国限定の調査のようだ)

つづいて、調査は「人間関係」に移る。

図:15歳の子どもの家族関係の質の違いと情緒的幸福度



これも欧州中心の統計であるが、家族関係と幸福度との普遍性がわかる。
情緒的幸福度は、気分の落ち込む頻度、苛立ったり不機嫌になったりする頻度、不安を覚える頻度、不眠の頻度の4つの質問での測定で、家族関係は、家族は本当に自分を助けようとしてくれる、必要とする精神的な支援やサポートを家族から得ている、家族に自分の問題を話すことができる、家族はすすんで意思決定の手助けをしてくれる、という4つの項目を平均して指標を作成したものという。
家庭環境に恵まれない子どもの孤独感が浮き彫りになっているようだ。
改めて、子どもの一番身近な人間関係は家族なのであり、幸福度にも直結する。

図:15歳の子どものいじめの頻度と生活満足



人間関係で幸福度を引き下げるのはいじめであることを示している。
この統計には日本を含めた欧州以外の国も調査されているようで、いじめは普遍的に議論の余地なく解消されるべきである。それにしても日本の低迷がさみしい。

人間関係の最後が学校である。

図:学校への帰属意識が高い子どもを低い子ども(15歳)の学力と生活満足度の差



これも興味深いデータである。
左が、学校が好きな子とあまり好きでない子での学力差(数学と読解力)で、右は、学校が好きな子とあまり好きでない子の幸福度(生活満足度)である。
学力の方ではどの国もあまり学校が好きでもない子がよく健闘していると言えるのではなか。現在の学校には満足していなが、未来に向けて努力している子もあるだろうし、逆に学校が居場所として機能しているが、学力は高くない子もあるだろう。
いずれにしてもそれぞれの学校の教師の頑張りが伺える。

一方、生活満足度でいうと開きが大きくなる。学校が好きな子の方が圧倒的に生活満足度が高い。学校の”主人公”になっていく実感を持てるか否かが重要である。
また、ここでも日本の低調が気になる。特に学校があまり好きでない子(学校への帰属意識が低い子ども)の生活満足度40%というのは世界のワースト1位である。だだし、日本の15歳は日々進路関係で悩んでいる時期である。

ここまで、第3章 子ども世界を見てきたわけだが、子ども活動も人間関係も社会とのかかわりの中にある。教育という枠ぐみだけでなく、より福祉的な視点が必要なことがわかる。

阿部 彩さん(東京都立大学 人文社会学部 教授 兼 子ども・若者貧困研究センター長)はレポートの中でこう解説している。

日本の子どもの幸福度を上げるために、必要なのは、最も幸福度が低い状況に置かれている格差の底辺にいる子どもたちとその家族の状況を改善することです。いじめに遭いやすい貧困世帯の子どもや、ワーク・ライフ・バランスなど考えることもできない非正規労働の保護者、子どもを保育所に預けることもできない家庭。一番底辺の人々の状況を改善し、格差を縮小することで、「すぐに友達ができる」子ども、困った時に頼れる人がいる大人、そして、生活に満足する子ども・大人が増えるのではないでしょうか。

次回は「子どもを取巻く世界」で地域が育む力について考えてたい。





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251 幸福をどうするか #04 統計の輪郭(Unicefの結論)

2024年11月24日 | 幸福をどうするか
晩秋 日光白根山🈟 以前に登った男体山から見えた日光白根山に向かいます。白根山は火山でカルデラ地形の中に溶岩ドームがそびえます。まずきれいな白樺やダケカンバの樹林帯を行きます。

前々回から国内の統計、そして世界幸福度ランキングの統計を見てきた。
さすがに規模の大きな調査による統計からは幸福という私的な部分が浮かび上がらない印象があった。
しかし、こうした統計は、各国の各地域の人々の公共的福祉を改善することが主たる目的であり、それはその意味では大変有効なものである。

ところが、である。これから見ていくユニセフの子どもたちの幸福についてのレポートは国際的な調査なのにもっとリアリティがある。
読み取ろうとするとリアルに子どもたちの一人ひとりが想起される気がする。

イノチェンティ レポート 16
子どもたちに影響する世界:
先進国の子どもの幸福度を形作るものは何か



第1章 序(調査の重層構造)

この調査の優れた点は下の図に見られるように、子どもたちを取り巻く諸環境を何重もの円で描き、1つの因子を短絡的な結論に導いていくことを警戒していることである。

図:分析の枠組み



子どもたちの今は、「精神的幸福度」、「スキル」、「身体的健康」の三要素で測るのだが、それは子どもを取り巻く「行動」や「人間関係」に左右されるだろうし、さらには、「ネットワーク」や「資源」より外側の条件にもつながりがあるだろう。そしてさらにもっと大きな「政策」や「社会状況」といったものにもつながっているかもしれない。
これを踏まえた上で子どもはそれぞれの幸福を感じていると見ているのである。

第2章 結果

レポートでは、まず「結果」として、円の1番内側の部分の統計を紹介している。

図:精神的幸福度、身体的健康、学力・社会的スキル



先程述べた子どもの幸福度の三要素がこれに国別にまとまっている。
これによると日本は総合順位として38カ国中20位と言うことがわかるが、次に目を引くのがアンバランスである。
真ん中の「身体的健康」は第1位なのに対して、「スキル」は27位、「精神的幸福度」は37位とほぼ最下位なのである。

国内調査でも若者の幸福度の低さが指摘されていたが、それを国際比較しても、特に「精神的幸福度」がここまで低いことがわかる。
またスキルについても27位と予想外に低い。学力調査では上位行くはずの日本としてはこのスキルの順位はどういうことなのだろう。

図を順に見ていこう。まず「精神的幸福度」の中の「生活満足度」である。

図:生活満足度の高い15歳の子どもの割合



はじめからネガティブな結果である。日本の15歳は高校受験の準備もあるだろう。

図:15から19歳の若者100,000人あたりの自殺率



これは事実ベースの調査である。これこそ数で比較するものではないと思うが、痛ましい結果である。
平和な日本で若い世代の自殺者数が多いとのは重大な問題と言わざる得ない。

図:高い肥満である5~19歳の子どもと若者の割合



一方、これについては、日本の子どもは世界一健康と言うことになっている。自殺率が高いことと相対して、ここにもアンバランスがある。
そして、「スキル」に関する図である。

図:読解力及び数学的リテラシーが基礎的習熟レベルに達している15歳の子供の割合
簡単に言うと学校の勉強の習熟度を言っている。



これは予想通りで上から5番目と優秀な成績である。
ところが、同じスキルでも、「すぐに友達ができると答えた15歳の子どもの割合」を見ると、ここにもアンバランスがある。

図:すぐに友達ができると答えた15歳の子どもの割合



なんと日本はほぼ最下位である。
およそ3分の1の15歳が、友達ができるか心配しているということである。
つまりこれも社会的スキルと見ると、学力の習熟度と合わせた結果、日本の子どもたちのスキルは世界27位になるのである。
以上がこのレポートで挙げられている「結果」の部分である。
ここを見ただけで日本の若い世代の「生きづらさ」を感じざるを得ない。若者の低調な幸福度の結果に結びついているとは容易に想像ができる。

このレポートには、専門家の方のコメントが寄せられていて、例えば尾木直樹さんは、次のように述べている。

今回の報告で注目すべきは、日本の子どもの「精神的幸福度」の低さです。その背景には、教育生活上の問題があると思います。日本では、15歳で迎える高校受験によって、子どもたちは偏差値という学力指標だけで割り振られてしまいます。競争原理に基づく一斉主義による序列化をするわけですから、子どもの自己肯定感がガタガタになり、肯定感が育たないのは必然だと思います。

この「結果」にはいろいろ見解があると思われるが、さらにこれらを深掘りしていくデータが紹介されていく、次回もユニセフのレポートを追いかけたい。

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250 幸福をどうするか #03 統計の輪郭(国際調査)

2024年11月17日 | 幸福をどうするか
のんびり八ケ岳🈡 赤岳鉱泉からの径を楽しみながら、美濃戸口登山口に到着。コスモスがバス停横で咲いていました。

目に見えない幸福が部分的な尺度で測って合算すると、それなりに「幸福」が見えてくる。
それを「幸福度」として数値で表す。
統計的に幸福が定義できうるのか、ということでもある。

今回は、幸福度の国際規格を見てみよう。

世界幸福度ランキング 2024

有名な「世界幸福度ランキング」である。
下の図が2024版である。(「rootus」さんHPから)



この調査での日本の「幸福度」の順位は143か国中51番目である。
年々下落していることが話題になったりする。
この印象が一人歩きしていて、これをどう理解するべきなのか。条件で違いの大きいフィンランドの人の幸せと日本人の幸せを比べられるのか?

内容に立ち入ると、幸福度を決定する因子は7項目である。
※印は客観値

1 一人あたりGDP:(※)
 〇 ただしドル換算のため為替ルートが関係する。主観は入らない。
2. 社会的支援・周囲のサポート
 〇「困ったことがあったら、必要なときにいつでも助けてくれる親戚や友人がいますか?、それともいませんか」という質問に対する回答の全国平均値による。
3.健康寿命:(※)
 〇 WHOの統計による客観値。
4.人生の自由度
 〇「あなた自身の人生における選択の自由について、満足ですか?」という問いに「yes」と答えた人の割合
5. 他人への寛容さ・ボランティア活動
 〇「過去1カ月にいくら募金しましか?」という問いを一人あたりGDPで調整した割合
6. 国への信頼度・腐敗の少なさ
〇「あなたの国の政府に汚職/腐敗が蔓延していますか?」「ビジネスに汚職/腐敗が蔓延していますか?」という問いに「yes」と答えた人の割合の平均
7.基準値・残差(カントリルラダー)
〇 上の6つの因子で表せなかった主観的な幸福度

これらによって、各国ので約1,000人のサンプルをとって行われるらしい。
評価は、10段階で、可能な限り最高の人生を10、最悪の人生を0とし、回答者に自分の人生が0から10のどの段階にあるかを評価してもらうという。

注)なお、日本語のオフィシャルなHPが見当たらす、英語の原典?のサイトからPDFの「Report」をダウンロードするらしい。

さて、この7つの因子でその国の「幸福」を示しているという。
そしてそのうち5因子は回答者の主観(感覚)が含まれている。特に7番目の「基準値・残差(カントリルラダー)」は今の実感としての幸福感を率直に聞くと言う因子である。

「51位」の実態
総ポイントで比較するとフィンランドが77点に対して、日本は61点である。
つまり、フィンランドの幸せ風船より2割程度日本の幸福風船は小さいことになる。

ところが、7つの因子ごとで見てい行くと様相が異なってくる。
上のグラフの色別の因子の幅を見ていただきたい。

《scoreの高い因子》
因子1~4までは統計的にも順位は低くない。
つまり、「GDP」、「社会的支援」、「健康寿命」、「人生の自由度」だけなら、なんのことはない20位のイギリスより日本は「幸福」な国ということになる。

《scoreの低く見える因子》
ところが因子5~7が低い。
しかし、そこには疑問を感じる面がある。
因子5の「他への寛容さ」は、質問項目が募金の頻度なのである。
そもそもキリスト教では教会への献金、イスラム圏では「喜捨」が半ば習慣化しているのである。
その点日本では、「お布施」といっても1カ月の間隔では行わないし、あるいは被災地への募金や共同募金もそれほどの頻度があるものではない。
飲多くの人の感覚として募金を他に「対する寛容」と解釈するのに違和感があるだろう。
また、因子6の「汚職/腐敗」指摘することが習慣であることが幸福かというと多くの日本人には感覚的に難しい。

このように、日本人の幸福度を下げている因子5と因子6について世界各国の共通の尺度になりにくい面があると言えるだろう。

そして同じように日本人は、「基準値・残差(カントリルラダー)」も同じように低いことに注目したい。
この調査では東アジアの国々では、国民性でこの因子を控え目に回答する傾向を認めらているらしい。
ただ、日本のこの因子の低調さを、単なる国民性と解釈するのは早計な気がする。
かえってそこに現在の日本人のリアルな問題を表しているように思う。

この国際調査は、不備を指摘することはたやすいのだが、国際比較の中で次の2点が問題としてまとめられるように思う。

日本人の平均的な幸福感は「60点」であること。
この国際調査のスコアーが「6.060」であるのに対し、前回紹介した内閣府の「生活の質に関する調査結果」の中の、「現在の幸福感」の平均値がやはり「6.1」ポイントだったのである。
2つの調査の調査因子は異なるのだが、いずれにしても幸福感は「60点」というのは偶然の一致ではないように思う。

若い世代にはポイントが低い
また、国際調査でも日本の若い世代の幸福感は低いらしく、同じく国内調査でも顕著に20代前半の幸福感が低いのである。(前回参照)
実際、不登校の増加や自死の問題など、若い世代の活力の足掛かりについて懸念されているわけだが、幸福感の観点からも、若い世代の展望の希薄さが現れているように思われる。

そこには若い世代中心に、幸福への手ごたえが想像以上に低いことが窺われるのである。

次回、ユニセフの子どもの幸せの調査を見に行くことにする。





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