諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

234 保育の歩(ほ)#26願いの表現 悩みからの遊び

2024年06月23日 | 保育の歩
北アルプスの花畑 朝日岳を下って登り返した先に朝日小屋が見えてきました。遠いところまできた実感。ここでテント泊します。

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。

第5章 願いや悩みを表現する遊び ―保育者9・10年目— から

《この頃の日記から》
子どもが心の中を表現する遊びを生み出すことは、保育実践の最大の課題であることを、私はいまや憚ることなくいえる。その遊びの中で子どもは癒され、教育される。具体的な場面は限りない。

《歩き回る》
歩きはじめた幼い子どもが、都会のマンションの一室だけの生活を強いられるとき、自分が思うところに歩いてゆくという人間の基本的欲求すら満たされない。現代の子どもが、幼稚園や保育所にゆくようになったとき、まず関の中を歩き回ることから始めるのは自然なことである。
三歳のR子は、一階から階段を上がって二階へ、ベランダから外階段を下りて庭へと、海暗い廊下や広い通路を通り、いくつもの部屋に立ち寄って、学校の中の空間をめぐって歩いた。もとの保育室にもどると、また階段へと何度も循環する。都市の真ん中に住んで、自分の思うところに自分で歩いてゆくことが許されないこの子どもにとって、自分の足で歩くこと、また、いろいろの空間や通路を、次から次へと開拓してゆくことに、生きているよろこびを感じるのだろう。R子と一緒に、何回も同じ所を歩きながら、私には同じことの繰り返しなのだが、この子にはそのことがうれしいのが分かる。そう思うと一緒に歩くこと自体がたのしくなる。R子はときどき私を見上げて笑う。
歩くことは、新たな空間を眼前に展開させる。自分が歩くことによって次の空間が広がることは、未来が開ける感覚をつくり出す。自由に歩き回ることが許されない都会の環境の中で、この子どもには未来も閉ざされたように感じられたであろう。この子はたえずきげんが悪く泣きわめいていたのだが、それは十分に発動できなかった生命性の歪曲だったのだと思う。
五月末の天気のよい一日、登園してすぐに庭でしゃがんだR子と出会った私は、一緒に地面に腰を下ろして砂をさわっていた。何をしなければと思うのではなく、いまこの時を静まって一緒に過ごすことを快く感じていた。快く吹く風と太陽と土と、自然の物質に恵まれたとき、大人と子どもとの間に快さが通いあう。他の子どものことが気がかりなのだが、その類いのためにこの静かな時をこわしたら、すべてがだめになってしまう。
実際、このあと、何人かの子どもたちと、久しぶりに庭にたらいをいくつも出して、一緒に水遊びをすることができた。あのひとときの静けさがなかったら、一緒に集まったその場は、もっと葛藤を生む場になったのではないかと思う。
それから一週間後、R子はピアノの音と共に、ホールの空間をぐるぐる歩き回り、バレエの踊り子のように回転し、四十分程も踊り回って過ごした。ことばを話さないこの子どもが、大声を出して笑った。こういう子どもの生命的躍動に誘われて、まわりの子どもも大人も、それぞれに手足を動かして踊った。


《この頃の日記から》
あるとき、私は子どもの行動を表現として見ることを発見した。
行動は子どもの願望や悩みの表現であるが、それはだれかに向けての表現である。それは、答える人があって意味をもつ。私か、あるいはだれかに。解釈は応答の一部である。解釈がずれているときには、子どもはさらに別の表現を向けてくる。
このことを私はこの八年間の実践の生活の中で確かめた。表現として見ることは、子どもと私との保育的関係を作り上げるのに欠くことはできない。
私は実にいろいろの子どもたちからそれを学んだ。またいろいろの保育者たちからそれを学んだ。子どもは保育者によって向ける表現が異なる。その話を聞くことにより、私はその子の別の側面を知る。
表現は子どもの心の根底にある永続的課題の表現でもある。それを発見するのには時間を要する。
 


☆見出し写真のほそく
テント場もこの通り広大で、後立山もここまでくると優しく牧歌的な感じがしました。
ちなみにこの山小屋のご飯は評判が高いらしです。テントの私はいつものレトルトカレーですが。


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233 保育の歩(ほ)#25 行動の理由

2024年06月16日 | 保育の歩
北アルプスの花畑  朝日岳山頂ですが、視界なく残念 。猛暑の中の登山だったこともあり、「いい時ばかりにあらず」と独り言。

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。

第4章 保育の中で発達を考える ―保育者7・8年目— から

《B夫とA子のこと》
B夫がはじめて来たところに私は出会い、その子の後についてトイレにいった。B夫はトイレットペーパーをちぎって流した。一巻き流すと、隣のトイレで同じことをした。便器の中をのぞきこみじっと見る。床に耳をつけて水の流れる音を聞く。裏庭に行き土の塊をドライエリアに何度も落とす。庭で石を拾い、水たまりに落とす。ふと気がつくと母親が傍らにいることが何度もあった。
この日からはじまって、同じことが何カ月もつづいた。あまり長くつづくので、私も不安を感じ、B夫とのつきあいが次第に薄くなるのを感じていた。
学校の建物に沿ってドライエリアがあり、土手になっている。その斜面で土の団子をつくって投げるのもB夫の好む活動で、日によっては私は何時間もドライエリアの下の暗い空間でこの子と過ごすことがあった。
そんなある日、母親が言った。B夫は石を水に投げるのが好きで、人は波紋を見ていると言うが、そんなものではない。石が落ちてゆく不思議さを見ているので、物理学者みたいだ。ことばを話す子どもだったら、どうして?とたずねるが、この子はそんなことはたずねないで自分で考えていると、私が長い時間ドライエリアでB夫と過ごしていると、母親がよくこんな話をしてくれた。
私もこんな日々を過ごすうちに、いつも同じことばかりしていて困ったという見方から脱し、少し違う見方をして波紋を見ているのだというふうに考え、さらにその見方から脱し、母親が言うように子どもはもっと深く見ていると考えるようになった。母親は、この子とつきあっていると、「ぞくっとするような」ことがあるという。私自身の考えがそのように脱却してゆくと、B夫は私を見て笑いかけることが多くなった。
子どもがゆきつまったとき、つまり、私と子どもとの関係が停滞したように思えるとき、一時、他のすべてをわきにおいても、その子と本気に向かいあう覚悟をする必要がある。そのことを過去にも何度か体験してきた。今度も覚悟を新たにしてこの子と向きあおうと心に決めて朝を迎えた。
その朝、B夫がトイレから走り出てくるところに出会った。ホールに出してあった巧技台の上をB夫は渡りはじめた。冬の寒い朝で、この子の靴下が濡れていたので、母親は靴下を取り替えようとしたがB夫は抵抗した。それでジャンパーを着せて温かくした。私はB夫が巧技台をあちらからこちらへと渡るときに手をかしたり、一緒に歩いたりつきあっているうちに、彼は洋服も靴下もジャンパーも全部脱いで素裸になり、にこにこしてトランポリンをとんだ。そして裸のまま、ホールで運動具にのぼったり走ったりして半日遊んだ。この子が遊んだと言えるはじめての日だった。

その数日を境にして、その日の前と後とでは変化がある。石や土を投げることはボールに代わった。大人を困らせるトイレットベーバーの遊びをトイレに閉じこもってするのではなく、皆の中で動き回って遊ぶ。その行動は社会常識にかなうように変化した。「こんなに良い方向に変化した」というのは、大人の側からの外的視点である。
実践の中で保育者に気づかれている変化は、外的視点からの行動変化だけではない。子ども自身の側に生じている変化があるので、保育者にとって発達として印象づけられるのである。
このことの中で子ども自身が変化している。B夫はトイレットペーパーを自分からしりぞけて他の遊びを選んだ。
もはやトイレットペーパーや石にこだわるのではなく、それから解放され、自分が選択する主体になっている。これは個人の内的発達の視点である。

六歳のA子は、何年も遊びなれたクラスルームで遊ぶことを好む。A子はこの部屋ではいまわり、立ち上がり、歩くようになった。庭や他の部屋に連れ出そうとすると声を上げていやがる。それでも私共担任は、空間をひろげることが発達上望ましいことと考えて、一日に一度は他の部屋に連れてゆこうと話しあったこともあった。けれども、その話はその時かぎりで二日とつづいたことはない。A子はいつも過ごしているクラスルームの中で満ち足りている。自分からその空間の外にゆこうと思わない限り、むりに連れ出してもこの子の世界が広がったことにはならないだろう。この子の眼が外に向いたとき、たとえ部屋から出なくともその世界は広がったといえるだろう。

《外から見た発達》
子どもの行動が社会常識に近づく方向に変化するのを見るとき、これは社会常識という側面から外的に子どもを見る見方である。直線軸の上に同種の行動を並べて、低い段階から高い段階への変化を見るのも外的視点からの発達の見方である。このような特定の側面と規準を定めた外的観察は研究的興味の対象となるが、保育の実践にはそぐわない。この見方をとるとき、大人は外に立つ者となり、保育実践から離れてしまう。

《個人の内的発達の視点》
外的変化に目を奪われるのではなく、それをしている子どもに目をとめるとき、子ども自身が変化していることに気がつく。子どもがトイレットペーパーの遊びをしなくなったと見るだけでなく、子ども自身がトイレットペーパーをしりぞけてボールを選んでいるのを見て、選択する自由を得た子どもの内的変化を知る。子どもは何かにとらわれ、支配されているのではなく、自分が外界を支配する主体となっている。これが個人の内的発達の見方であ
る。保育的関係の中で見る発達
保育の実践の最中に子どもを見るとき、その場の子どもを見ているのであるが、しばしば、過去における保育的関係の中で見た記憶と重なる。前にはあんなふうだったのがこんなに変化したという思いをもつとき、はっきり意識されているのは一つの側面でも、半分無意識のまま保育者自身を含めた全体像が同時に記憶されている。こんなことができるようになったという保育者の驚きは、子ども自身の内的発達への視線を含んでいる。
保育関係においては、具体的状況を通してその子どもの理解が保育者自身の中で常に新たにされている。
子どもの側に育ちつつあるものについても、保育的関係の中で知覚されるのは、行動上の発達だけではない。自分が、自分で、自分からという自我が育っているかどうかが保育者の関心である。そこが育てられていなければ、ある能力だけが向上しても、保育者にとっては不満足である。


《個人の内的発達と社会》
子どもが自分の意志で自由に選択し、自分から発動して何かをなしえたとき、その子どもは堂々として自信があり、幼くとも一人前の成熟した人間の風格がある。それぞれの時期に小さな世界に、それなりの成熟があり、将来に開いてゆく小さな核がある。大人の世界ならば、自由、男気、忍耐などという語で表現するような、人間の内部のものでありながら、社会をつくるのにたいせつな価値である。内部にそれを育てられている人は、社会を展開させうる人である。個人の自我の発達と社会とはここにおいて結びあう。
社会は、身近なところでいえば学校であり、保育の場である。個人の自我が育てられ、子どもたちが自分で遊べるようになるとき、その社会は力動的に展開する。その力動的な保育の場が、また、個人の内部を強め育てる。 保育の場の小さな世界のできごとは、大きな社会につながっている。
A子はまだ自分から部屋の外に出ようとしないけれども、外から入ってくる大人たちがA子に笑いかけ、話しかけ、しばらく遊んでゆく。こうして過ごすうちに、部屋の中にとどまりながらも、外側の世界に対する関心はA子の中に準備されつつあるにちがいない。
B夫がトイレットペーパーにとらわれ、こだわっていたときにも、保育者はその最中の子どもの世界を感受していた。吸いこまれ流れ去る水の音、次つぎに紙片を手放す体感など。B夫が保育者とともにそれらを確認する日々があった。そのときにはその子どもと保育者は共同の場から孤立しているようにみえる。不思議なことに、その積み重ねの中で、子ども自身がそこから解放され自分で選択して遊ぶ日がくる。そうなると、子どもも保育者も共同の場のダイナミズムの中に加えられる。共同の場は、常に、孤立したようにみえる部分を内に含んでいる。自分で遊べない子ども、とらわれた自我、弱い自我の者を、共同社会はいつも自らの内にかかえている。そこに保育的配慮が生まれる。自分たちの中にひきこもうと外から力を加えるのではなく、弱い自我の者が自分自身となって生きられるように、守り、共にあり、育てる機能をもっているのが人間の共同体である。


《この頃の日記より》
学校の場は人生そのものである。実社会で起こることは、学校の中でも起こる。傷つけられたり、のけものにされたり、誤解されたり。それを大人が一緒になって生きて、子どもが堂々と生きられるようにすること。また、親も一緒になって。学校は学校で、親は親で、たがいに防衛的になってはならない。このところ、親のあいだに緊張感があるようだ。
職員の中にも同時に緊張感があって、学校の在り方を考え直してきたことを親にも知ってもらいたい。そして皆が子ども中心に考えるようにしたい。
この学校は、
1 実社会で傷ついたり、受け入れられなかった子どもが癒され、自分を取り戻すところ。
2 どの子どもも、楽しみを見出し、生きがいをもって生活するところ。
3 たがいの間で、また社会との接点で傷つき、傷つけ、誤解される。職員がかかわることによって、その中で子どもが生き抜く力をつけ、また、堂々と生きられるように。親も同様である。つまり、学校は人生の場そのものである。
親と学校がそれぞれ自己防衛的になったら、表面はとりつくろうが、人の力がダイナミックにはたらかない。それにチャレンジしたい。
4 それが私が願うところだが、これがうまく動かなくなっている。



《見出し写真の補足》
翌日の朝、朝日岳山頂を見上げたところ





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232 保育の歩(ほ)#24 子どもが成長する一日

2024年06月02日 | 保育の歩
北アルプスの花畑  稜線に出ると標識があり、 左は目指す朝日岳  右はあの?栂海(つがみ)新道 、日本海まで続きます。

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。

第3章 今を充実させる ―保育者5・6年目— から

子どもが成長する一日

《自分で歩く》
保育室から庭に出たところに、私が立っていたとき、ふと気がつくと、背後からA夫が私の手にさわっていた。
母親のひざから下りて、奥の部屋から保育室を横切って、庭の出口まで一人で出てきたのだった。その日、この子は、一人で部屋の中を歩き回り、隅の櫓の上に登り、櫓と壁との間の狭いすきまを歩くなど、いつもだと母親と私の手を引いてしか行かない場所を、一人で手を振って歩いた。
A夫が私の手にさわっていたとき、私がそれに気がついて驚いたのは、その行為の中に、この子どもの心の思いがこめられているのを見たからであった。自分で独力で歩きたいという日頃の思いは、この日のいろいろの条件に支えられて、この意志的な行為となった。
庭に出てゆく私のあとを追って、母親のひざから下りて部屋を横切って歩いてきたとき、この子はこれを一人であえてしたのだった。私はその気持ちを受けとめた。思い切ってそうした子どもの気持ちに気づけば、それを受けとめるのはあたりまえであろうが、しばしば子どもたちの中で忙しさに追われて、傍に寄ってきた子どもの思いに気づかないことがあるに違いないことを、私はこの日あらためて考えさせられた。
A夫は、このあと、一人であちこちを歩き回った。これは能動性をもって歩くという、長い間にわたってこの子が問いつづけてきたテーマである。この日、私のあとを追って思い切って歩くという一つの行為がおとずれたとき、それがきっかけとなって、このテーマは展開した。
子どもは、刺激‐反応の鎖の一つではなく、自らの内なる課題をになって行為する存在である。保育者も、反応を期待して刺数を与える一つの点ではなく、他者と自分の存在の本質に接して現実に生きる者である。子どもの内なる課題に気づき、それにこたえて行為するとき、大人と子どもとの関係は創造的に変容しはじめる。私が床にひっくり返って、「助けてー」と言うとA夫は私の手を引いて起こそうとする。そうしている間に、一人で彼方に自由に歩いてゆく。私にもこの子にも、一瞬先の未来は冒険と試みであるけれども、存在の本質にふれつつ、前途は着実に開かれてゆく。保育の一日の歩みはこうして進められる。


《揺れ動く心》
朝、M夫が門から入ってきたとき、庭の途中で母親にまつわり、何かだだをこねている様子だった。私はそれに気づいていたのだが、傍らで私を頼りにしている子どもから離れられず、M夫とつきあいの深いF先生を見つけたので、そのことを告げた。
その次に私がM夫と出会ったのは、しばらく後に彼が三輪車に乗って、F先生と声を上げて庭を走っているところだった。その日、保育が終わってから、どのようにしてこの子は元気になったのかをたずねた。
入ろうか、出ようかといつも迷いの中にあり、デリケートで、いまにもこわれそうなM夫とつきあってF先生は一日を過ごしたという。元気にしていると見えたのは、見えないところで保育者に支えられている子どもの一側面である。その子の本質をあらわにしているような遊びも、そのような保育者との関係の中に生まれる。午後になって、ホールのトランポリンで、リズミカルにとんでは小刻みに足踏みをし、自分で倒れるのを繰り返しているその子を見て、私はその動きに合わせてリズムを口ずさんだ。この子はまたそれに合わせて何度も自分で転んでは起き上がる遊びを繰り返した。他の子どもに倒されるのは我慢がならず、そのくらいならば、自分から先に転んでしまう。倒されても自分から起き上がるというこの子どものテーマである。そのテーマをM夫はたのしんでためしている。
弁当のとき、音楽が響くと、耳に手をあて食べるのをやめてしまう。ようやく、トメテクダサイ、と小さな声で言う。おそれながら、しかし思い切って、この子どもは表現する。帰るころには、トランポリンに他の子どもがのってきても、おそれず、自分からその動きに合わせ、二人でとんでいた。
迷いの中にある子どもをうけとめられるのは、子どもの内なるテーマを承知して、その微妙な心の動きに沿って応答することのできる保育者である。それはただ一人の人に限られるのではないが、そのような人と一日を過ごすときに、子どもは安心して揺れ動き、成長への一歩を踏み出すことが可能になるのだろう。
M夫は、夏休みには、ああでもない、こうでもないとだだをこねることが多かったという。だだをこねるというのは、出ようか入ろうかとの心の動揺があることだろう。ねまきに着がえるのがいやで、赤ちゃんのときの小さなパジャマを着るといい、一度着ると、今度は脱がないとがんばるのだという。成長の前進をしようか、するまいかと揺れ動く心がここにもある。
後退と前進を繰り返しながら、ほんの少しずつ、子どもは前進する。子どもの心の内なるテーマを理解する保育者との関係の中で、子どもは成長する。

《普遍的意味と独自の意味》
保育者は、子どもの行為に驚かされたり、困惑させられたりする。そこで気づかされる子どもの行為は、「一人で歩いてきて」とか「母親にまつわり、だだをこね」とか記述することができる。さらに、子どもはどのように感じてそれをしているのかを、大人は見てとることができるし、それを記述することも可能である。子どもは「あえて」「思い切って」「意志をもって」誇らしくそれをしたのであり、また「迷いつつ」「おそれながら、しかし思い切って」それをしたのである。
一つの行為には、普遍的意味と、特定の子どもの、その場面の独自の意味との両方がある。両者を考えて、その子どもの行為の本質に近づき、大人が応答するとき、子どもは自分自身の内なる課題と、とりくむことができる。
その大人との間で、子どもは安心して一人で歩きまわることを試み、また、自分で転んでは起き上がる遊びを繰り返す。
こうして、保育の場は、子どもが成長する一日となる。

《コラムとしての補足》
人がある行為をするとき、そこには思いが込められている。私は行為から思いを読み取る。人がある言葉を語るとき、そこには思いが込められている。私は言葉から思いを読み取る。行為から読み取るときには、それを一度私の言葉にするから、彼が言葉にするときとは違う。言葉から読み取るときには、思いは彼の言葉になっている。私は彼の言葉から、彼の思いをさらに読み取る。
一人の実習生がK夫のパンツをはき替えさせる大変さについて語るとき、そこにはその実習生の思いがある。別の人が、K夫が他人から見られるときの恥ずかしさを語るとき、両者の思いが重ねられて、聞く私共の理解が創造的に展開する。世界は表現に満ちており、創造的に展開するときを待っている。


(行為と思いについて ‐ 保育後の話し合いから)

《見出し写真の補足》
足元はいつの間にか高山の花々。冬は積雪5㍍を超す豪雪地帯にして可憐な花々。






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231 保育の歩(ほ)#23 K夫と生きること

2024年05月26日 | 保育の歩
北アルプスの花畑  翌日目指す予定の雪倉岳 有名な白馬岳の隣で控え目に見えます

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

なお、文章そのものの中に津守さんの保育者としての視点や、微妙な感じ取り方が物語られており、自然に長い引用になる。

第2章 普通の日々 子どもの思いを追って ―保育者3・4年目— から

《K夫と生きること》
Aある日、K夫は、私のわきを通り過ぎて、実習生と一緒に、職員室に通じるドアのノブに手をかけた。その実習生は、ドアをあけて、K夫と一緒に廊下の方に出ていった。
自分のまわりに、自由と静けさと親しみの空間を作りたい。
この場面で、私は、子どもがドアのノブに手をかけたことをたしかに知ることができる。これだけでは、単に外的行動の観察にとどまるのだが、さらに加えて、私は、この子はドアの向こう側にゆきたいと思っていることが分かる。外的行動と内的世界とはあわせて一つの行為である。だが、私はそこまでしか言う資格はないのだろうか。
これまで、私はK夫とのつきあいも多く、ドアから廊下に出て、階段をのぼり、二階の廊下を通り抜け、反対側のドアから庭に出て学校を一回りすることを何度も繰り返したことがある。このような体験から、この子にとって、薄暗い廊下を抜けてもとの場所にもどることは、学校の生活に習熟するのに精神的な支えになっているのだろうと考えてきた。それだから、いま、ドアのノブに手をかけて廊下に出ようとする子どもの行為に、とくべつな意味を見ることができる。この場合、その体験を思い起こすことは、この行為の理解を助けている。
この日、保育のあと、話し合いのときに、その実習生は、K夫の一日の生活を追って、くわしく話してくれた。
ドアをあけて廊下に出たあと、階段から二階へと通り抜けるのを何度も繰り返したこと、実習生の腕の中にくるまるようにして抱かれたこと、モップをふりまわして追いかけてよろこんだことなど、その実習生と一日中一緒に過ごした話は次つぎとつづいた。保育のあとの話は、行動の羅列と思えるほどに、具体的なことがつづくのだが、私は、こうして語られる一連の行為に子どもの世界があるのだと思う。その中の一つの行為だけにとどまるのでなく、一日を通してつづいてゆくその行為の全体が子どもの世界だと言ってよい。
少しだけ説明を補足する。最初は、K夫は私のわきを通りすぎて、実習生と一緒にドアの方に向かった。いつもだったら、私に声をかけたり、私の手を引くことも多いのである。そして、私が予想したように、階段から二階へと通り抜けた。このことは、かなり以前に何度もやっていたが、最近はほとんどしていなかった。また、腕の中にくるまるように抱かれたり、モップで追いかけたりすることも、ずっと以前によくやっていた行為である。いまは、
ある時間をしっかりと相手をすると、自分で遊びを見つけることが多くなっている。つまり、この日のようなことは久しぶりである。

また、K夫は、私に対するのと、女の実習生に対するのと振る舞い方を変えている。このことは、他の人に対しても同様であって、この子どもは相手に対して気を使い、相手に合わせて行為する。女の先生の「ああ疲れた」という一言で、トランポリンからさっと降りたりもする。
この日に、実習生をつかまえて、ふだんより幼い仕方で一日を過ごしたのには、それなりの意味があったのだと思う。積極的で活発な日がつづいた後、もっと幼かった日にもどりたいと思ったのだろう。


K夫は相手に気を使い、人によって応対の仕方を変える。気を使うというのは、相手がどういう状態にあるかを認識し、それを肯定し、尊重して自分の行動を決めることである。相手を傷つけまいとして自分を抑制することである。気を使いすぎると、自分を十分に出せなくなる。これは愛の問題であるが、ある限界をこすと、自分自身の真実を表現しないことにもなる。
この実習生が語ってくれたこの日の子どもの一連の行為に、この子どもの世界はあらわれている。つまり、保育者は、子どもの一連の行為をともに過ごすことにより、子どもの世界をともに生きている。あとになって話をするときに、大人の意識に残るのは、行為の結果として記憶にとどまりやすい部分である。子どもがドアのノプに手をかけるところは、意識にとどまりやすい部分であるが、その以前に、私の傍を通りすぎて歩いてゆくところで、すでに、より幼い時期の行動様式にもどろうとする心が彼の心に動いていたと言ってよいであろう。その部分は、あとの話し合いのときには省略されてしまう。だが、保育の実践の最中に重要なのは、その部分を子どもとともに過ごすことだろう。そのときに、未来の展開はまだ分かっていない。この実習生は、この一日を過ごすのに、未来は未知のままに、子どもの世界をともに生きることによって、ここに叙述したような行為が、結果として生まれたのである。
こう考えると、保育の実践は、まだ形にならない子どもの世界をともに生きることだといってよいだろう。
後になってふりかえるとき、そのある部分が意味を与えられて、大人の意識の中に位置づけられる。



《見出し写真の補足》
見上げるとアルプスの稜線が見えてきて、足元には高地のあやめが時期ズレで咲いています。


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230 保育の歩(ほ)#22 見上げる先

2024年05月19日 | 保育の歩
北アルプスの花畑   沢は雪渓から流れでてきいて、橋は冬は雪崩れにも耐える堅固な鉄製です。

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

第1章 保育の中に身を置いて ―保育者の最初の2年— から

《V夫 滑り台 プロペラ》
十月のある日、V夫は登校すると私と手をつないだ。庭に歩いて行き、庭の片隅でうずくまり、うーと低くうなるような声を出していた。私は何かすることがありそうに思いながら、一緒にじっとしていた。V夫が三輪車に関心をもっているのが分かったので、それを近寄せた。V夫は自分の手で車輪をいじりはじめた。そうするうちに彼の心が解放されて、上方に向かうゆとりができたのだろう。急に滑り台の下から上を見上げて登ろうとした。私はお尻を支えて上がった。V夫はしっかりと手すりにつかまって上がる。上までゆき、滑り下りようとしたが一人ではこわいらしく、私の身体の向きをあちこちにかえて、どうやったら私にうまくつかまって滑れるかを試みた。私は先に滑り、V夫は私の首にしっかりつかまってゆっくり滑り下りた。それを十数回も繰り返した。終わり頃には、もう私の首につかまらないで、足の先が私の背中に触れるだけでよかった。手には登園したときから持っていた小さなプロペラをしっかりと握っていた。何度目か上がったときに、そのブロベラを滑り台の上から下に放り投げた。
彼は手を放すのにも、意志的に強く放すのである。
プロベラはドライエリアの溝の中に落ちた。自分では取りにいかれない遥か下の空間である。するとV夫はウーとうなって動かなくなった。私が下からそれを取ってくるとまた動きはじめた。この日の午後、ミニカーや電車を他の子が持っていっても怒らなかった。


《このことについて》
この場面で子どもは自発的に動きはじめた。そこにあらわれた結果としての行動は小さなものだが、この保育の過程の中にこの子ども自身の成長の姿があらわれている。子どもが低い声でうなっているときには、目は下を向いている。おそらく子どもは何に手を出して良いかも分からず、閉じ込められた空間の中にいて、目を上に向ける余裕もなかったのだろう。三輪車の車輪を回しているうちに―この子は回るものが好きである―子どもの心は解放されて上方に目を向ける余裕ができた。子どもは外に向かって広がりゆく空間があることに気がついた。
子どもが滑り台を下から上に登ることに関心を示したとき、上方の空間を発見し、未来の時間を希望をもってみるようになったといえよう。
人間の空間は身体と深く関係している。前、後、上、下、左、右は、直立した身体を基準にしている。そのことは時間とも関係するし、人の感情とも関連する。前進する方向は未来を指し示し、前の上は、希望の感情を伴う。
前の下は墜落する淵であり、前進に伴う不安である。後は自分が歩んできた道であり、過去のさまざまな感情を伴っている。

赤ん坊はいつ上を仰ぎ見るようになるだろうか。子どもが寝ている状態からひざまづいて、そして立ち上がるようになったとき、子どもは自分の体を基準にして上と下の空間を分化して認識する。赤ん坊が立ち上がった時に、自分の頭のあるほうが上で、しりもちをついて倒れる方向が下である。これは体の動きと一緒にできあがる上下である。歩いては転び転んでは立ち上がるときに、子どもは一生懸命に上と下を勉強している。そして二歳くらいになると、すっかりそれは自分の身についたものになる。
二歳くらいになると、子どもは滑り台の下から上に登ろうと思う。そう思うときには登る前から子どもには上方空間が観念の中にできている。「うえ」「した」という言葉はまだ意味をなさなくとも、上に登ろうと思う気持ちは明瞭で、子どもの中には身体の水準で上下のイメージができている。三、四歳になると、限られた平面で上下の空間のイメージが生じる。子どもは画用紙の縁を基準にして上と下を認識するようになる。上に太陽を描き、下方には地面を描き、その中間に人間を描く。明らかに視覚の面で、上と下とその中間が子どもに認識されたことが分かる

子どもは小さなミニアチャーへままごと、人形、小さな自動車など)で遊ぶとき、大きな世界を想像し思考してし)いる。ミニアチャーの世界は単に幾何学的縮小の再現ではない。その小さな空間の中に大きな世界がある。保育者は子どもと一緒にその世界で動く。

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