桃の枝と雪柳と菜の花の入った縦長のビニール袋を持って、友人とレストランに向かう。
桃の枝はたくさんのはじけそうな蕾をつけている。
ロックに心揺さぶられっぱなしの私たちは、こじゃれたレストランで、会話の8割を「ヒロトとマーシー」の話に費やした。
こじゃれたレストランの店員は、料理の説明をする隙を与えず二人の世界に行ってしまっているおかしなテーブルに困惑していた。
ブルーハーツのアルバムを貸してくれた彼女。
私はその後ハイロウズに進んで、彼女にハイロウズを猛烈に勧めた。
はっきり言って、ほとんど何を食べたのか記憶にない。
一緒にいた彼女が飲んでいたのはノンアルコールビールだったのに、私たちは傍から見ればひどく酩酊状態だったろうと思う。
ヒロトは私が一人のときも十分に楽しませてくれるけれど、同じように共鳴している誰かとそれを共有するのはハイレベルなエクスタシーだ。
「幸せを幸せだとそのときに認識して味わうことができる」ことは、あのときは幸せだったと振り返ってそう思うよりもずっと幸せだと思う。
自分のことは自分で負う、だから、興奮したい、笑いたい。
お酒のせいでもなく、体は発熱していて、熱い体のままカラオケにまで行ってしまう。
そこには成長した高校生の彼女がいた。
これはもう生のヒロトを見ておかなければならないと思って、私はクロマニヨンズに進んだ。
5月のライブのチケットが3月に販売開始する。
ライブチケットの取りづらさが想像できないが、とにもかくにも手に入れたい。
彼女は私に「死ぬ気でチケット取ってね」という。
人に「死ぬ気で」と頼んでいるところが面白い。
いつもずっと上から見下ろしているもう一人の私が、最近見当たらない。
いや、見当たらないわけでもないけれど、頻繁には見かけなくなった。
上から見下ろしている私は、感情が大きく振れているときによく見かける。
感情が大きく振れていることが少なくなった、ということではなくてむしろそれは逆。
冷めていて嘲笑するのが得意な、上から見下ろしているもう一人の私。
ちなみに上から見下ろしているだけあって客観的思考は地に足ついている私よりも優れている。
どちらが本当、ということはない。
どちらも本当。
たぶん上から見下ろしていた私が、私の肉体の中に降りてきて重なりつつある、ということのような気がする。
そして失いつつあるのは感情が振れたときの客観的思考。
そして、それを危惧してくれてセーフティネットを買って出てくれる優しい友人。
時々のわがままを貫く。
配慮に欠けたということを十分に知りつつ。
ごめんねもうしばらくしないから、と思いながら。
良くなりたい、気持ち良くなりたいだけ。
この詩、私は感じ入ったわけではない。
書き手のどうしようもなさややるせなさが面白い。
ただ、作品にするには長いし結構場違いな気もする。
しかし漢字と平仮名のバランスがちょうどよく、かっこつけやすい漢字も多い。
五行 谷川俊太郎
遠くで海が逆光に輝いている と書けるのは
私がホテルの二十五階にいるからだ
高みにいると細部はなかなかな見えないものだが
紙は高みにいたくせいにどうやって細部に宿れたんだ
悪魔の助けをかりなかったとは言わせないぞ
老眼鏡をかけて本を読む女の顔のあたりに
うるさい蠅のように言葉が群がっている
それらは事実も真実も語りはしない
かと言って面白い法螺を吹くわけでもないのだ
ただ蛆のうごめく暗がりにまた帰って行くだけ
黒いセーターを持ち上げている乳房のふくらみ
それを恨みに思うのはそれに焦がれているからだ
そんな心の仕組みが出来上がってしまった幼年期ははるか昔
いま記憶の中に乳房は影も形もなく
ただ羊歯類が茂っている夢の湿地がひろがっている
なにかもの静かなものを思い描こうとして
台所の棚に口の欠けた急須が残っていたのを思い出した
そこからの連想で昔の恋人のことが心に浮かんだが
その人に対する責任はもう時効になったと考えている私は
この詩の中なの私で現実の私ではない
あのときは口先だけで謝っただけだったと
涙ながらに詫びる男が今回は本気だと差し出すのは数枚の紙幣
確かに紙幣は偽札でない限り嘘をつかないし
ときには言葉以上に雄弁だとも思えるが
こめられた意味は荒々しく一義的で韻律にも欠ける
生々しい感情はときに互いに殺し合うしかないが
詩へと昇華した悲しみは喜びに似て
怒りは水の中でのように声を失う
そして嫉妬があまりにたやすく愛と和解するとき
詩は人々の怨嗟さえ音楽に変えてしまう
鬱の朝九時は鬱の夜九時とさして変わらず
通販で買った朝ではないから消費できない
太陽は生殺与奪の権を握っているくせに濃い笑顔
皿の上の塩鮭よ 急流を遡ったことを覚えているか
インク香る朝刊よ 偽善を定義せよ
たったいま死んでいい という言葉が思い浮かぶ瞬間があって
そう口に出さずにいられないほどの強い感情があったとしても
その言葉通りに本当にその場で死んだ者がいるかどうか
だが喃語にまで溶けていかずに意味にどんな意味があるというのか
言葉の死が人を活かすこともある という言葉が思い浮かぶ
昨日を忘れることが今日を新しくするとしても
忘れられた昨日は記憶に刻まれた生傷
私には癒しであるものが誰かには絶えない鈍痛
だがその誰かも私に思い出させてくれない
私の犯したのがどんな罪かを
その人の悲しみをどこまで知ることが出来るのだろう
目をそらしても耳をふさいでもその人の悲しみから逃れられないが
それが自分の悲しみではないという事実からもまた逃れることが出来ない
心身の洞穴にひそむ決して馴らすことの出来ない野生の生きもの
悲しみは涙以外の言葉を拒んでうずくまり こっちを窺っている
桃の枝はたくさんのはじけそうな蕾をつけている。
ロックに心揺さぶられっぱなしの私たちは、こじゃれたレストランで、会話の8割を「ヒロトとマーシー」の話に費やした。
こじゃれたレストランの店員は、料理の説明をする隙を与えず二人の世界に行ってしまっているおかしなテーブルに困惑していた。
ブルーハーツのアルバムを貸してくれた彼女。
私はその後ハイロウズに進んで、彼女にハイロウズを猛烈に勧めた。
はっきり言って、ほとんど何を食べたのか記憶にない。
一緒にいた彼女が飲んでいたのはノンアルコールビールだったのに、私たちは傍から見ればひどく酩酊状態だったろうと思う。
ヒロトは私が一人のときも十分に楽しませてくれるけれど、同じように共鳴している誰かとそれを共有するのはハイレベルなエクスタシーだ。
「幸せを幸せだとそのときに認識して味わうことができる」ことは、あのときは幸せだったと振り返ってそう思うよりもずっと幸せだと思う。
自分のことは自分で負う、だから、興奮したい、笑いたい。
お酒のせいでもなく、体は発熱していて、熱い体のままカラオケにまで行ってしまう。
そこには成長した高校生の彼女がいた。
これはもう生のヒロトを見ておかなければならないと思って、私はクロマニヨンズに進んだ。
5月のライブのチケットが3月に販売開始する。
ライブチケットの取りづらさが想像できないが、とにもかくにも手に入れたい。
彼女は私に「死ぬ気でチケット取ってね」という。
人に「死ぬ気で」と頼んでいるところが面白い。
いつもずっと上から見下ろしているもう一人の私が、最近見当たらない。
いや、見当たらないわけでもないけれど、頻繁には見かけなくなった。
上から見下ろしている私は、感情が大きく振れているときによく見かける。
感情が大きく振れていることが少なくなった、ということではなくてむしろそれは逆。
冷めていて嘲笑するのが得意な、上から見下ろしているもう一人の私。
ちなみに上から見下ろしているだけあって客観的思考は地に足ついている私よりも優れている。
どちらが本当、ということはない。
どちらも本当。
たぶん上から見下ろしていた私が、私の肉体の中に降りてきて重なりつつある、ということのような気がする。
そして失いつつあるのは感情が振れたときの客観的思考。
そして、それを危惧してくれてセーフティネットを買って出てくれる優しい友人。
時々のわがままを貫く。
配慮に欠けたということを十分に知りつつ。
ごめんねもうしばらくしないから、と思いながら。
良くなりたい、気持ち良くなりたいだけ。
この詩、私は感じ入ったわけではない。
書き手のどうしようもなさややるせなさが面白い。
ただ、作品にするには長いし結構場違いな気もする。
しかし漢字と平仮名のバランスがちょうどよく、かっこつけやすい漢字も多い。
五行 谷川俊太郎
遠くで海が逆光に輝いている と書けるのは
私がホテルの二十五階にいるからだ
高みにいると細部はなかなかな見えないものだが
紙は高みにいたくせいにどうやって細部に宿れたんだ
悪魔の助けをかりなかったとは言わせないぞ
老眼鏡をかけて本を読む女の顔のあたりに
うるさい蠅のように言葉が群がっている
それらは事実も真実も語りはしない
かと言って面白い法螺を吹くわけでもないのだ
ただ蛆のうごめく暗がりにまた帰って行くだけ
黒いセーターを持ち上げている乳房のふくらみ
それを恨みに思うのはそれに焦がれているからだ
そんな心の仕組みが出来上がってしまった幼年期ははるか昔
いま記憶の中に乳房は影も形もなく
ただ羊歯類が茂っている夢の湿地がひろがっている
なにかもの静かなものを思い描こうとして
台所の棚に口の欠けた急須が残っていたのを思い出した
そこからの連想で昔の恋人のことが心に浮かんだが
その人に対する責任はもう時効になったと考えている私は
この詩の中なの私で現実の私ではない
あのときは口先だけで謝っただけだったと
涙ながらに詫びる男が今回は本気だと差し出すのは数枚の紙幣
確かに紙幣は偽札でない限り嘘をつかないし
ときには言葉以上に雄弁だとも思えるが
こめられた意味は荒々しく一義的で韻律にも欠ける
生々しい感情はときに互いに殺し合うしかないが
詩へと昇華した悲しみは喜びに似て
怒りは水の中でのように声を失う
そして嫉妬があまりにたやすく愛と和解するとき
詩は人々の怨嗟さえ音楽に変えてしまう
鬱の朝九時は鬱の夜九時とさして変わらず
通販で買った朝ではないから消費できない
太陽は生殺与奪の権を握っているくせに濃い笑顔
皿の上の塩鮭よ 急流を遡ったことを覚えているか
インク香る朝刊よ 偽善を定義せよ
たったいま死んでいい という言葉が思い浮かぶ瞬間があって
そう口に出さずにいられないほどの強い感情があったとしても
その言葉通りに本当にその場で死んだ者がいるかどうか
だが喃語にまで溶けていかずに意味にどんな意味があるというのか
言葉の死が人を活かすこともある という言葉が思い浮かぶ
昨日を忘れることが今日を新しくするとしても
忘れられた昨日は記憶に刻まれた生傷
私には癒しであるものが誰かには絶えない鈍痛
だがその誰かも私に思い出させてくれない
私の犯したのがどんな罪かを
その人の悲しみをどこまで知ることが出来るのだろう
目をそらしても耳をふさいでもその人の悲しみから逃れられないが
それが自分の悲しみではないという事実からもまた逃れることが出来ない
心身の洞穴にひそむ決して馴らすことの出来ない野生の生きもの
悲しみは涙以外の言葉を拒んでうずくまり こっちを窺っている