家の前の銀杏の木が緑を芽吹いてきた。
「芽吹く」という言葉が私は好きである。
花粉の季節を乗り越えて、久しぶりに窓を開けた。
すっかり根を生やしたミントがぐんぐんと茎を伸ばし、透明な力強い光を受けてキラキラと輝いている。
外の空気で深呼吸できる季節がやってきたのだ。
私は春の花粉以降のこの部屋が好きだったなと、極寒の季節忘れていたことを思い出した。
といっても大通りに面しているので、おおっぴらに開けることができる窓は一つしかない。
あと、ベランダがないので、洗濯物は天気に関わらず部屋干しで、冬の間、掃除のほんの少しの間以外窓を開けることがほぼなかった。
あと、網戸もないので、招かれざる客を招かないように目の届く範囲でしか開けないことにしている。
ないとは思うけれど、私の大嫌いなアレが万に一でも侵入したら夜も眠れないので、私が把握できる侵入経路は塞いでおきたい。
まあ、目の届く範囲で窓を開けていて、もしアレが侵入してくるようなことがあっても、私は悲鳴をあげて逃げてしまうので侵入は防げないとは思うけれども。
そうなったら本気で引っ越すだろうなと思う。
ノエルギャラガーのライブ。
私は初めて日本武道館に行った。
東京ドームのライブも、武道館のライブも自転車で行く。
私がよく使う自慢話である。
日が落ちて間もない時刻、あたりは人がたくさんいたけれど、九段下のどこか厳粛な雰囲気と相俟って、懐かしいような、自分のものではないような心持ちがした。
私自身が特別に興奮していたということは全然なく、一緒に見に行く人を待ちながら、私は夕暮れ時の菜の花と、9分葉っぱとなった桜の木を撮影していた。
武道館の入り口の巨大な石壁と門は不自然なくらいに大きくて、普通の会話をしているにも関わらず、私は体のバランスを崩しそうで、刻一刻と進む夜と一緒に飲みこまれそうだった。
オアシスを聴いたのも、ノエルギャラガーを少し追ってみたのも、当然ながら3年ほど前からで。
「whatever」を、当時勤務中に自分の席で、和訳付きの動画を見たとき、私は「リンダリンダ」を聴いたときのような衝撃があった。
あわわわわわ、となって気持ちが耐え切れなくなって、胸のあたりを抑えながら席を離れて外の空気を吸いに行った。
ノエルギャラガーとリアムギャラガーが兄弟で、仲違いしていまやオアシスが存在しないことも、フジロックでノエルギャラガーを実は既に見ていたことも、そのときは知らなかった。
ただ、よくわからないけれど、私はこのとき、他人における愛の意味を知った気がしたのだった。
それから「whatever」を私は何度聴いたかわからない。
私を打ちのめしてくれたノエルギャラガーも、あのとき打ちのめされた私も、今はもういない。
ノエルギャラガーズハイフライングバーズのアルバム名が『チェイシング・イエスタデイ』であるとライブ後に知ったとき、未だに私は自分が何か外に対して求めていることを思い知った。
後で見た「The Masterplan」の詞も、切なくも情けなくもあった、もちろん私自身に対して。
私は私をただ観測することしかできない。
本物と必死で尋ねる桜貝

「芽吹く」という言葉が私は好きである。
花粉の季節を乗り越えて、久しぶりに窓を開けた。
すっかり根を生やしたミントがぐんぐんと茎を伸ばし、透明な力強い光を受けてキラキラと輝いている。
外の空気で深呼吸できる季節がやってきたのだ。
私は春の花粉以降のこの部屋が好きだったなと、極寒の季節忘れていたことを思い出した。
といっても大通りに面しているので、おおっぴらに開けることができる窓は一つしかない。
あと、ベランダがないので、洗濯物は天気に関わらず部屋干しで、冬の間、掃除のほんの少しの間以外窓を開けることがほぼなかった。
あと、網戸もないので、招かれざる客を招かないように目の届く範囲でしか開けないことにしている。
ないとは思うけれど、私の大嫌いなアレが万に一でも侵入したら夜も眠れないので、私が把握できる侵入経路は塞いでおきたい。
まあ、目の届く範囲で窓を開けていて、もしアレが侵入してくるようなことがあっても、私は悲鳴をあげて逃げてしまうので侵入は防げないとは思うけれども。
そうなったら本気で引っ越すだろうなと思う。
ノエルギャラガーのライブ。
私は初めて日本武道館に行った。
東京ドームのライブも、武道館のライブも自転車で行く。
私がよく使う自慢話である。
日が落ちて間もない時刻、あたりは人がたくさんいたけれど、九段下のどこか厳粛な雰囲気と相俟って、懐かしいような、自分のものではないような心持ちがした。
私自身が特別に興奮していたということは全然なく、一緒に見に行く人を待ちながら、私は夕暮れ時の菜の花と、9分葉っぱとなった桜の木を撮影していた。
武道館の入り口の巨大な石壁と門は不自然なくらいに大きくて、普通の会話をしているにも関わらず、私は体のバランスを崩しそうで、刻一刻と進む夜と一緒に飲みこまれそうだった。
オアシスを聴いたのも、ノエルギャラガーを少し追ってみたのも、当然ながら3年ほど前からで。
「whatever」を、当時勤務中に自分の席で、和訳付きの動画を見たとき、私は「リンダリンダ」を聴いたときのような衝撃があった。
あわわわわわ、となって気持ちが耐え切れなくなって、胸のあたりを抑えながら席を離れて外の空気を吸いに行った。
ノエルギャラガーとリアムギャラガーが兄弟で、仲違いしていまやオアシスが存在しないことも、フジロックでノエルギャラガーを実は既に見ていたことも、そのときは知らなかった。
ただ、よくわからないけれど、私はこのとき、他人における愛の意味を知った気がしたのだった。
それから「whatever」を私は何度聴いたかわからない。
私を打ちのめしてくれたノエルギャラガーも、あのとき打ちのめされた私も、今はもういない。
ノエルギャラガーズハイフライングバーズのアルバム名が『チェイシング・イエスタデイ』であるとライブ後に知ったとき、未だに私は自分が何か外に対して求めていることを思い知った。
後で見た「The Masterplan」の詞も、切なくも情けなくもあった、もちろん私自身に対して。
私は私をただ観測することしかできない。
本物と必死で尋ねる桜貝

