つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

布石

2014-10-22 16:24:48 | 日記
久しぶりに行ったクロマニヨンズのライブ。
いつが最後だったのか思い出せないけれど、結構久しぶりな感じがする。

熱気あふれる危険な会場のロックのライブ。
私は、ヒロトとマーシーについてや、ああいった形で表出されるロックンロールの表現について、一通り考え尽くした気がしている。
前回のライブのときに、私が彼らに対して本当に恍惚と感謝の念を抱いて以降、彼らだけをウォッチし、追いかけることはなくなった。
今回のライブは新アルバムのツアーなのだけれど、アルバムが出たことさえもつい最近知った始末である。

無論、ロックンロールというものが一体自分にとって何であったのか、自分の中の癒されない何かについて、もっと欲しいものは何なのか、私が私であることとはどういうことなのか、ということは今も考え続けている。
そして今でも、彼らや彼らのような形態で表出されるロッカーたちの表現物が大好きで大好きでたまらない。
ヒロトもマーシーも未だに大好きで大好きでたまらない。

そんなわけで、ライブは楽しみだけれど、他人の汗ミストサウナのような前列に行くことは最初からするつもりはなかった。
なので、お腹の大きくなった妊婦さんの友人を守る役目を自ら買って出たけれど、本当に前に行きたくなれば妊婦さんなどそっちのけで行ってしまうことを友人はよく知っている。
それに、彼女はおそらく私がそうしたいのに自分のせいでそれができない、ということを嫌がるだろうと思う。

新曲については「キスまでいける」以外は初めて聞いた。
ああいうライブ会場では歌詞が聞こえないこともよくあるけれど、ふと耳に入ってくる歌詞はやっぱりうっとさせられることがあって。

ライブ中に「今日初めての今日でした」というのはひっかかって聞こえてきて、それは後で友人が良いと言っていた「犬の夢」という曲だった。
「愛の意味なんざ愛の意味なんざよくわかりませんわかりません」とヒロトが力いっぱい歌うとなんだかすごく切なくて、それをマーシーが作っていたのを後から知って余計切なくなる。
この曲「突風野郎」の歌詞の続きで「言葉は後出しジャンケン成り立ちません」というのがあって、言葉だ言葉だと言ってきた私も最近“言葉でない何か”の方が“それ”のような気がしているので、すかさず拾ってしまう。

あと、新曲を結構まっさらな気持ちで聞いていて思ったのは、曲ごとの音楽の違いはほとんどないのだなということ。
ブルーハーツやハイロウズよりもクロマニヨンズの方が曲ごとの違いがなくなっている気がする。
細部を言えば当たり前に違うのだけれど、曲の構成やそれぞれのパートのやり方、風合い、醸したい雰囲気は大差がない。
そのパッケージがまさに売り物としての彼らなのだと思う。

友人と別れた帰り道、「キスまでいける」をアマゾンで注文して、「ガンボインフェルノ」は楽天レンタルで借りる。


ダイゴが「ウィッシュ」しているようなワットポー。

そして、今日も続いた一句。

パンダ号東京疾駆する秋思





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。