つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

明太子おにぎり

2013-07-17 23:17:22 | 日記
奥田民生の曲を聴いてから、“圧倒的な男子力”が私にないことに悩んでいる。
悩んでいる、というよりは、嘆いている、だろうか。
ロックンロールは性別問わず人間のものであるけれど、ロックンロールの世界のほとんどは男性で構成されている事実がある。

もちろんヒロトとマーシーにも“男子力”があって、あとは真心ブラザーズのそれも結構強い。

私が最初に洋楽ロックを聞き始めた頃のパンクロックは、思えばこの“圧倒的な男子力”のようなものが顕著なものが多いように思う。
JETもハイヴスもセックス・ピストルズもザ・(インターナショナル)・ノイズ・コンスピラシィもオフ・スプリングもハスキング・ビーもダムドもハイスタも。
邦楽ロックも混じってしまった。

ブログにも何度か書いているけれど、私は別に自分の性について悩んでいるわけではない。
そして、全ての意味で男女平等だとも露程も思っていないし、それを全くもって望んでもいない。
明らかに、ないものねだりの範疇で、嘆いているのである。

ただ、その“圧倒的な男子力”の中には、あまりにも楽しくて、あまりにもバカらしくて、あまりにも気持ちの良くて、単純純粋にアホで、直接的な意味で性的に男子で、というようなことがある気がするのだ。
それは、ロックンロールの大きなおまけ、のようなこと。
それが、女子である私には本当に実体験できないことに嘆いているのである。

私は言動以外の趣味嗜好の部分は割と女子的であったりする。
花が好きなのは別に女性ならではでもないけれど、インテリアの方向性は完全に女子的であったりはする。
しかし、私の思うエレキギターは男子のもので、私は私の思うようにはエレキギターは弾けないのである。

ロックンロールの大きなおまけ。
欲しいなあ。


コミュニケーションとは難しいもので、私はどちらかと言うと人に対して押したり引いたりという駆け引きのようなことが苦手なタイプだ。
思っていることを、情報量を調整せずにそのまま全部出すか、もしくは全く言わないかどちらかしかできない。
自分が思っていることが、相手にとっても正しいとは毛頭思っていないけれど、相手がどう思っているかわからない状態では自分の正しさを適用してしまう。
それが相手にとって正しくなかったことを、相手もしくは第三者からの指摘がないと気づけない。

私は怖がりだから、人に噛み付いたりはしないけれど、相手のことが分からなければ分からないほど、全力で自分を守ろうとする。
それが裏目に出ていることもある。

ある程度受け入れたり飲み込んだり待ってみたりすることで、コミュニケーションは面白くなると思うよ、お前のコミュニケーションは唐突だと、そんなことを言われたことがあるけれど、そうかもしれないと想像もできるけれど、でもそれが私にきちんと根付いて実践するに至れない。
その方が円滑だと認識しながらも身体に拒否される。
割り切ることができない人間なのだと知る。

優秀なサラリーマンになりたいかと言われたら、別に本当になりたくないと思ってしまっているどうしようもない自分がいる。
興味のないことに主体性を全く持てなくなってしまった私は、申し訳なさこそ感じるけれど、こうして蝕まれることがあるのかもしれないと身体で思う。
自分では大して苦にしていないことも、身体が全力で自分を守っている場合がある。

人は勝手だ、私も勝手だ。

対価をもらっている以上、私はその対価分の割り切りを自分で決めなければいけない。
今の私の状態は、現状においては全く“優秀”にはなれないし、危険のように思われる。

こんな花と光に包まれることができるのであれば、私は小さな虫にでもなりたい。



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