つぼみな日々

いろんな花の蕾をもっていたい。たくさんの花を咲かせたい。
言葉を紡ぎたい私のブログです。

破られても、破られても

2014-06-04 19:11:54 | 日記
部屋の掃除をすると、ブログを書きたくなる。

というのは、本当に毎度よく起こる。
過去にも掃除に喚起されてブログに書いたことが何度もある。
毎度同じようなことを書くのも何だからと、ネタとして意識的に避けている節もあるくらいだ。

私が自分の部屋の掃除をするときは、広い床の水拭きを2回通りし、お風呂を磨き、トイレを磨き、目につく場所の埃などを拭き、洗濯機を2回くらい回し、雑巾がまだ余力を残しているようなら共用部の床まで拭く。
床と向き合いながら、普通にしていたら気付かないような小さな墨の汚れなどを一生懸命拭く。
私の体から出ている汚れもあるだろうし、布団などから出ている埃もあるだろうし、植物が出しているカスもあるだろうし、外から舞い込んでいる塵もあるだろう。
とにかくそれらをひと所に集めてゴミとする。

灰色の塊から髪の毛が何本も出ている雑巾からは、まだユーカリラディアータの香りがする。

要るものと要らないものを分けること、要らないものを捨てること。
きれいに整えること、見た目よく保つこと、すっきりすること。

そんなことが好きなのだと思う。

と同時に、とっ散らかすことができない、という面も知ることができる。
とっ散らかしたら片づければいいだけのことだけれど、合理的であることを良しとし、ええかっこしいをしてきた手前、とっ散らかした後の想像が先に立ってしまってそうすることができない。
その習慣は、体の髄まで染み付いていて表面を洗っただけでは簡単に取ることはできない。

物理的にとっ散らかしたいと言っているわけではないし、例えばコーヒーの粉をぶちまけてしまったらもちろんその場で片づける。
何か大きな自分の中のことのメタファーなのかもしれないと、掃除をする度に思考のきっかけを得る。
ただ、割と以前からしている思考なので、私にとって特段新しいメタファーでもないのだけれど。

掃除を終えて、飲むためではないコーヒー豆を焚いて、香ばしい香りが漂う。


非常に痛いところを突かれてなお、悲しいかな自分の行動が踏み出せずにいる。
ダメだ、これではダメだ、と最悪な行動を選んで恐れを薄めている。
というか、言えば言うほど、ダメである。


これも友人に依頼された「道」
書いているうちに色んな「道」ができたので全部あげることにした。
しかしこれにはいつもの少しの恥ずかしさが伴っている。





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