《子どもと教科書全国ネット21ニュースから》
◆ 安倍・菅両政権と個人の価値の尊重
◆ 安倍政権の国家主義的教育政策
安倍晋三氏が内閣総理大臣を辞任した。安倍氏は2006年9月26日から2007年9月26日までと、2012年12月26日から2020年9月16日まで内閣総理大臣の職にあった。
その間、安倍政権は日本国憲法と教育基本法との一体的「改正」を目指し、2006年12月には教育基本法「改正」を強行した。さらに、2012年12月に政権に復帰すると、教育基本法「改正」にこめた政治的狙いを実現すべく、「教育再生」をキャッチフレーズに次々に教育制度改革を打ち出した。
安倍流教育「改革」は個人の自由な人格形成を根底から制限するものだ。
ここには、子ども・若者が迷いつつ自分の価値観を形成していく機会を奪い、国家の利益にかなう行為規範を内面化させようとする狙いがある。
安倍政権の教育政策には、個人の尊厳や価値よりも、国家の利益を重視する国家主義の思想が濃厚に流れている。
しかし、教育はほんらい、子ども・若者一人ひとりの個人としての価値を尊重し、それぞれの個性的な人格形成を支えるものでなければならないはずだ。
日本国憲法には、「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(申略)最大の尊重を必要とする。」(第一三条)と定め、国民一人ひとりの個性的な生き方や価値観を尊重し、国家によって特定の生き方を押し付けられることなく、自らが望む多様で個性的な人生を選択し、幸福を追求する権利を保障している。
これは、国家は国民各自の人格と自由を尊重しなければならないことを定めたものであり、国家の利益のために個人に犠牲を強いた戦前の国家主義からの決別であった。
ところが、安倍政権の教育政策は、第一三条をないがしろにして、国家優先の思想を教育に持ち込もうとしてきた。
2006年に「改正」された教育基本法では、旧第二条(教育の方法)が削除され、新たに新第二条(教育の目標)を加え、その目標の一つとして「我が国と郷土を愛する」態度の育成、すなわち愛国心の育成を書き込んだ。
これを受けるかたちで、2015年の学校教育法施行規則「改正」では、小中学校の道徳を教科化した。また、高校の「現代社会」を廃止し、公共科を新設した。
この新設科目では、「公共」という概念を批判的に検討することなく、国家への貢献を引き出そうとしている。
学習指導要領に書かれた「公共」の指導内容には、公共と国家を同一視させる仕掛けが潜んでいる。
さらに、2017年には、教育勅語が日本国憲法と旧・教育基本法の制定を通じて廃棄されたという事実を無視して、学校の授業で教育勅語の徳目を肯定的に扱うことを認める答弁が繰り返された。戦前の忠君愛国教育を連想した人も少なくないだろう。
これには、日本教育学会をはじめとする教育関係学会が「政府の教育勅語使用容認答弁に関する声明」(2017年7月31日)を発表するなどして抗議したこともあって、教育勅語を肯定的に教える教育の広がりは抑えられた。
◆ 新しい国家主義とその継承
2006年9月26日から2007年9月26日までの第一次安倍政権の教育政策が、愛国心教育など古い国家主義を柱とするものだとすれば、2012年12月26日から2020年9月16日までの第二次安倍政権の柱は、産業経済のための人材養成を優先する新しい国家主義だったと言ってもよいだろう。
第二次安倍政権は、
①「経済再生」の文脈で「教育再生」を強調し、
②教育を人材育成の装置に変えようとしただけでなく、
③学校教育を民間企業に開放し、とくに教育産業やIT企業に莫大な利益獲得の機会を提供した。
この傾向は多かれ少なかれ従来の自民党政権にも共通するものではあるが、安倍政権の教育政策は経済産業省が主導する方向に引き寄せられていくという特徴があった。
民間企業への市場開放ありきで進められた大学入学共通テストへの民間英語試験の導入は実施直前になって破綻した。これにより、経済産業省主導の改革の底の浅さと、政策実現手法の強引さが顕になった。
しかし、安倍退陣後に成立した菅政権は、安倍流「教育再生」を引き続き展開しようとしており、文部科学省は「未来の学び」構築パッケージを展開しようとしている。
文部科学省は、経済産業省の①学びと社会の連携促進(EdTechやSTEAM学習プログラム等の開発・実証を民間教育・学校・産業界等の参画によって進め、国際競争力ある教育サービスを創出)や、②EdTech導入(一人ひとりの理解度・特性に対して個別最適化され、居住地域による格差のない公平な学びの環境を構築し、プログラミング教育をはじめとするSTEAM学習の環境を構築)には消極的に対応しているように見える。
かわりに、文部科学省は、「クラウド活用」「高速大容量通信環境」「1人1台学習者用端末」の学校ICT基盤整備を中核として、新しい学習指導要領に基づき、公正に個別最適化され、未来社会を創造する力を育む「未来の学び」の環境整備を省庁横断的に支援することを目的・内容とする「未来の学び」構築パッケージを打ち出している。
一般には「GIGAスクール構想」の方が「未来の学び」構築パッケージよりよく知られていると思うが、「GIGAスクール構想」は、「クラウド活用」「高速大容量通信環境」「1人1台学習者用端末」の学校ICT基盤整備を目的とするもので、新しい学習指導要領に基づき、公正に個別最適化され、未来社会を創造する力を育む「未来の学び」を実現するための省庁横断的な政策構想と位置づけられている。
要するに、「GIGAスクール構想」は「未来の学び」構築パッケージの構成要素の一つであり、「未来の学び」を構築するために必要なICT環境の整備を内容とする政策群である。したがって、「未来の学び」に注目する必要がある。
◆ 人格形成を管理するしくみ
「未来の学び」構築パッケージは、ICTを活用して従来の学校教育を大きく変えていこうとするものだが、大きな危険性を孕んでいる。ここでは、そのうち三つだけ指摘しておこう。
第一に、生徒の学習履歴(スタディ・ログ)を収集蓄積して、当該生徒の指導や評価に活用したり、授業分析・研究にも利用したりしようとするものだ。
これを実現するためには、各学校が収集するデータを標準化する必要があると言う。さらに、その基礎として学習指導要領の記載事項をコード化する必要があるとして、すでにコード案が発表されている。
データの標準化には、各学校における教育課程編成や教師の授業をこれまで以上に画一化させる効果がある。
学習履歴の収集蓄積は、生徒個人の人格形成過程をまるごとデータ化するものであり、また人格形成自体をその「標準」の枠内に押し込めようとするものだ。
第二に、文部科学省は、「個別最適な学び」(「公正に個別最適化された学び」)の内実は「指導の個別化」と「学習の個性化」であり、「個に応じた指導」を生徒の視点からみたものにほかならないと説明している。
そして、基礎的・基本的事項の習得にはAIを用いたドリル学習を活用する一方、SINETを利用して大学・研究機関とネット接続しSTEAM教育を展開すると言う。これは、能力による学習機会の格差化であろう。
文部省・文部科学省が「個性重視の教育」という場合、その「個性」の意味は一般人の理解するところとは異なって、「知的能力」または「学力」という意味を含んでおり、しばしばそれらとほぼ同じ意味で使われている。
「個別最適な学び」、「個に応じた指導」、「指導の個別化」そして「学習の個性化」など、「個」の強調の背景にはこういった能力主義的教育観が潜んでいるのではないか。
第三に、文部科学省は、教師の授業活動と授業中の児童生徒の学習活動を、センシング技術を利用して収集し、蓄積されたビックデータを分析することで、優れた授業の可視化と共有が可能になると言う。
これは、上記のデータの標準化やスタディ・ログと密接に結びついている。
優れた教育実践や教材の共有と言えば聞こえが良いが、学校・教師に対して規格化された教育課程と教育実践、そして画一的な教材を押し付けることになりかねない。
学習指導要領のコード化とあいまって、教科書の多様性がますます失われてしまう可能性もある。
こんなことが進めば、複数の教科書が存在することの意義さえ否定され、新たな国定教科書制度を生み出すことになりかねない。
科学技術の進歩は、人間の自由を拡張する基盤となりうるが、その利用の仕方によっては人間を不自由にし、不幸に陥れる。
ICT技術の発展もその例外ではない。菅政権の下で、ICT技術を利用して、子ども・若者の入格形成を管理する仕組みが構築されつつあるのではないだろうか。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 135号』(2020.12)
◆ 安倍・菅両政権と個人の価値の尊重
中嶋哲彦(なかじまてつひこ・愛知工業大学教授)
◆ 安倍政権の国家主義的教育政策
安倍晋三氏が内閣総理大臣を辞任した。安倍氏は2006年9月26日から2007年9月26日までと、2012年12月26日から2020年9月16日まで内閣総理大臣の職にあった。
その間、安倍政権は日本国憲法と教育基本法との一体的「改正」を目指し、2006年12月には教育基本法「改正」を強行した。さらに、2012年12月に政権に復帰すると、教育基本法「改正」にこめた政治的狙いを実現すべく、「教育再生」をキャッチフレーズに次々に教育制度改革を打ち出した。
安倍流教育「改革」は個人の自由な人格形成を根底から制限するものだ。
ここには、子ども・若者が迷いつつ自分の価値観を形成していく機会を奪い、国家の利益にかなう行為規範を内面化させようとする狙いがある。
安倍政権の教育政策には、個人の尊厳や価値よりも、国家の利益を重視する国家主義の思想が濃厚に流れている。
しかし、教育はほんらい、子ども・若者一人ひとりの個人としての価値を尊重し、それぞれの個性的な人格形成を支えるものでなければならないはずだ。
日本国憲法には、「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(申略)最大の尊重を必要とする。」(第一三条)と定め、国民一人ひとりの個性的な生き方や価値観を尊重し、国家によって特定の生き方を押し付けられることなく、自らが望む多様で個性的な人生を選択し、幸福を追求する権利を保障している。
これは、国家は国民各自の人格と自由を尊重しなければならないことを定めたものであり、国家の利益のために個人に犠牲を強いた戦前の国家主義からの決別であった。
ところが、安倍政権の教育政策は、第一三条をないがしろにして、国家優先の思想を教育に持ち込もうとしてきた。
2006年に「改正」された教育基本法では、旧第二条(教育の方法)が削除され、新たに新第二条(教育の目標)を加え、その目標の一つとして「我が国と郷土を愛する」態度の育成、すなわち愛国心の育成を書き込んだ。
これを受けるかたちで、2015年の学校教育法施行規則「改正」では、小中学校の道徳を教科化した。また、高校の「現代社会」を廃止し、公共科を新設した。
この新設科目では、「公共」という概念を批判的に検討することなく、国家への貢献を引き出そうとしている。
学習指導要領に書かれた「公共」の指導内容には、公共と国家を同一視させる仕掛けが潜んでいる。
さらに、2017年には、教育勅語が日本国憲法と旧・教育基本法の制定を通じて廃棄されたという事実を無視して、学校の授業で教育勅語の徳目を肯定的に扱うことを認める答弁が繰り返された。戦前の忠君愛国教育を連想した人も少なくないだろう。
これには、日本教育学会をはじめとする教育関係学会が「政府の教育勅語使用容認答弁に関する声明」(2017年7月31日)を発表するなどして抗議したこともあって、教育勅語を肯定的に教える教育の広がりは抑えられた。
◆ 新しい国家主義とその継承
2006年9月26日から2007年9月26日までの第一次安倍政権の教育政策が、愛国心教育など古い国家主義を柱とするものだとすれば、2012年12月26日から2020年9月16日までの第二次安倍政権の柱は、産業経済のための人材養成を優先する新しい国家主義だったと言ってもよいだろう。
第二次安倍政権は、
①「経済再生」の文脈で「教育再生」を強調し、
②教育を人材育成の装置に変えようとしただけでなく、
③学校教育を民間企業に開放し、とくに教育産業やIT企業に莫大な利益獲得の機会を提供した。
この傾向は多かれ少なかれ従来の自民党政権にも共通するものではあるが、安倍政権の教育政策は経済産業省が主導する方向に引き寄せられていくという特徴があった。
民間企業への市場開放ありきで進められた大学入学共通テストへの民間英語試験の導入は実施直前になって破綻した。これにより、経済産業省主導の改革の底の浅さと、政策実現手法の強引さが顕になった。
しかし、安倍退陣後に成立した菅政権は、安倍流「教育再生」を引き続き展開しようとしており、文部科学省は「未来の学び」構築パッケージを展開しようとしている。
文部科学省は、経済産業省の①学びと社会の連携促進(EdTechやSTEAM学習プログラム等の開発・実証を民間教育・学校・産業界等の参画によって進め、国際競争力ある教育サービスを創出)や、②EdTech導入(一人ひとりの理解度・特性に対して個別最適化され、居住地域による格差のない公平な学びの環境を構築し、プログラミング教育をはじめとするSTEAM学習の環境を構築)には消極的に対応しているように見える。
かわりに、文部科学省は、「クラウド活用」「高速大容量通信環境」「1人1台学習者用端末」の学校ICT基盤整備を中核として、新しい学習指導要領に基づき、公正に個別最適化され、未来社会を創造する力を育む「未来の学び」の環境整備を省庁横断的に支援することを目的・内容とする「未来の学び」構築パッケージを打ち出している。
一般には「GIGAスクール構想」の方が「未来の学び」構築パッケージよりよく知られていると思うが、「GIGAスクール構想」は、「クラウド活用」「高速大容量通信環境」「1人1台学習者用端末」の学校ICT基盤整備を目的とするもので、新しい学習指導要領に基づき、公正に個別最適化され、未来社会を創造する力を育む「未来の学び」を実現するための省庁横断的な政策構想と位置づけられている。
要するに、「GIGAスクール構想」は「未来の学び」構築パッケージの構成要素の一つであり、「未来の学び」を構築するために必要なICT環境の整備を内容とする政策群である。したがって、「未来の学び」に注目する必要がある。
◆ 人格形成を管理するしくみ
「未来の学び」構築パッケージは、ICTを活用して従来の学校教育を大きく変えていこうとするものだが、大きな危険性を孕んでいる。ここでは、そのうち三つだけ指摘しておこう。
第一に、生徒の学習履歴(スタディ・ログ)を収集蓄積して、当該生徒の指導や評価に活用したり、授業分析・研究にも利用したりしようとするものだ。
これを実現するためには、各学校が収集するデータを標準化する必要があると言う。さらに、その基礎として学習指導要領の記載事項をコード化する必要があるとして、すでにコード案が発表されている。
データの標準化には、各学校における教育課程編成や教師の授業をこれまで以上に画一化させる効果がある。
学習履歴の収集蓄積は、生徒個人の人格形成過程をまるごとデータ化するものであり、また人格形成自体をその「標準」の枠内に押し込めようとするものだ。
第二に、文部科学省は、「個別最適な学び」(「公正に個別最適化された学び」)の内実は「指導の個別化」と「学習の個性化」であり、「個に応じた指導」を生徒の視点からみたものにほかならないと説明している。
そして、基礎的・基本的事項の習得にはAIを用いたドリル学習を活用する一方、SINETを利用して大学・研究機関とネット接続しSTEAM教育を展開すると言う。これは、能力による学習機会の格差化であろう。
文部省・文部科学省が「個性重視の教育」という場合、その「個性」の意味は一般人の理解するところとは異なって、「知的能力」または「学力」という意味を含んでおり、しばしばそれらとほぼ同じ意味で使われている。
「個別最適な学び」、「個に応じた指導」、「指導の個別化」そして「学習の個性化」など、「個」の強調の背景にはこういった能力主義的教育観が潜んでいるのではないか。
第三に、文部科学省は、教師の授業活動と授業中の児童生徒の学習活動を、センシング技術を利用して収集し、蓄積されたビックデータを分析することで、優れた授業の可視化と共有が可能になると言う。
これは、上記のデータの標準化やスタディ・ログと密接に結びついている。
優れた教育実践や教材の共有と言えば聞こえが良いが、学校・教師に対して規格化された教育課程と教育実践、そして画一的な教材を押し付けることになりかねない。
学習指導要領のコード化とあいまって、教科書の多様性がますます失われてしまう可能性もある。
こんなことが進めば、複数の教科書が存在することの意義さえ否定され、新たな国定教科書制度を生み出すことになりかねない。
科学技術の進歩は、人間の自由を拡張する基盤となりうるが、その利用の仕方によっては人間を不自由にし、不幸に陥れる。
ICT技術の発展もその例外ではない。菅政権の下で、ICT技術を利用して、子ども・若者の入格形成を管理する仕組みが構築されつつあるのではないだろうか。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 135号』(2020.12)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます