★ 河合弘之(脱原発テントといのちを守る裁判弁護団団長)
~亡国の役所・経産省の責任を糺す
2011年3月11日の福島第一原発でいかに深刻な事故が発生したか、ということをまず強調したいと思います。
第一に、あの事故の展開のしようによっては、霞が関のこの裁判所も含めて、わが国の主要な機能が喪失する恐れがあった。原子力安全委員会委員長の近藤俊介氏に、当時の菅直人首相は、「事故がこのまま進展して、最悪の場合はどんな事態が想定されるか」と諮問しました。
近藤氏は、福島第一の1、2、3、4号機が爆発し、全員が撤退し、放射能が全て放出される、そしてわずか10キロしか離れていない福島第二原発でも過酷事故が発生し、その場合は首都圏にも放射能は及び、2000万から3000万の人々が避難せざるをえなくなり、かつそこに戻れないという恐れがあると言及しています。
私どもが言っていることではない、当時の原子力行政のトップが、しかも周りのブレーンの意見も集めてレポートに書いていることです。
福島原発事故は、国家の消滅をも招来しかねなかったという極めて深刻な事態だったのです。
このような事態を引き起こしたのはどこか。役所でいえば経済産業省および科学技術庁であります。
科技庁はいま文部科学省になっており、経産省の下に資源エネルギー庁がありますが、ここが、原発の運転を推進し、管理し、指導してきたのです。このような責任をこれらの役所の人たちは果たして自覚しているのだろうか。
まさに私たちは、このことを呼び覚ますために、あの経産省前にテントを張って、経産省に対する批判の声を上げている。
経産省はまさに亡国の役所であります。少なくとも戦後50年にわたって、原発推進を絶対にやめない、福島の事故のあとも止めない。このような亡国の役所の目の前で、被告たちは警告を発し、世論に訴えているのだということです。
次にこのような国家存亡の危機にならんで、あの事故によって福島に住む16万人の人々が県内外に避難を強いられました。
その人たちのほとんどがまだ故郷に戻れていません。家族や学校や地域のコミュニティは分断され、みなさんたいへん苦しんでいる。
子どもをもつ母親は、子どもは被曝で将来病気になるんじゃないか、後遺障害が出るんじやないかと心配しながら暮らしています。
政府や御用学者と呼ばれる人たちは、「いや、この程度なら大丈夫だ」と言っています。何か障害が見つかっても、「事故との因果関係が分からない」と言っている。
しかし肝心なことは、現にそうしたことを本当に不安に思って暮らしている子どもや母親や父親がいることです。もう怖いから故郷には戻れないと、泣く泣く故郷を離れた人たちがいっぱいいるということです。
人の心の問題はコントロールできません。人を怖がらせること自体が放射能の害なのです。そのような結果をもたらしているのは誰か。役所でいえば、あなた方経産省なんです。そこをよく考えて下さい。人ごとのような顔をして聞いていますが、そうじゃないでしよ。
福島の被害についてはいろいろありますが除染の問題について一言触れます。
いわゆる除染が大量のお金を使って、ゼネコンを巻き込んで行われています。しかし除染はしょせん移染です。
事故がまき散らした放射能を福島から、この世界からなくすことはできない。汚染された土などをはぎ取って、流して、それをフレコンパッグに入れて、山のように積んでいる。そしてそれは大熊町や双葉町に中間貯蔵施設として集約されようとしています。
この二つの町を原発事故で生まれた核廃棄物の最終的なゴミ捨て場にする可能性が大いにあると思います。その責任は誰にあるのか、なぜこんなことになったのか。
事故発生にいたるまで経産省は原発をひたすら推進してきた。資源小国・日本の起死回生のエネルギー政策として、「自己完結型永久工ネルギー構想」といって、アラブやアメリカの石油資源に頼らないでエネルギーを確保する道は原発しかない、ウランを輸入し、それを軽水炉で燃やし、使用済み核燃料を再処理し、そこからとったMOX燃料を燃やし、そこから出た使用済み燃料をまた再々処理し、そうするとプルトニウムがどんどん増えて、燃やせば燃やすほど燃料が増えていって、私たちは永久燃料を手にすることができるんだ。これが経産省の50年前の発想であり、いまもその発想を変えていません。
しかし六ヶ所村の再処理工場が絶対に完成せず、さらに高速増殖炉もんじゅも完全に失敗し、この二つの要で破綻している構想をいまも捨てていない役所はどこですか。経産省でしょう。あなた方なんです。
そんなことをやっていていいんですか。私はあなた方の責任を追及したいと思います。あの悲惨な事故が起きていまも福島の人たちは苦しんでいる。日本も、経済的にも社会的にも大きなダメージを受けている。にもかかわらず、電力会社のお先棒をかついで原発を再稼働させようとしているのが経産省なんですよ。
過去も亡国の役所であったけれど、これからも亡国の役所になろうとしている。福島原発事故のようなことがもう一度起きたら、あなた方はどういう責任をとるんですか。
浜岡原発も再稼働させようと言っている。しかし浜岡で事故が起きたら、東名高速も東海道新幹線も切断され、この首都圏も人が住めなくなるかもしれない。そんなリスクをなぜとろうとするんですか。止めて下さい。
そういう動きのなかで、私たちにも少しは望みがあります。最近の司法の動きです。今年5月21日の大飯原発の福井地裁差止め判決が出ました。
ここでは、この10年の間に5回も基準地震動、耐震設計の基礎をオーバーする地震が発生していることを指摘しています。論より証拠、百の説法屍ひとつ。こんな状況で日本の原発が運転されているなら、危なくてしようがない、だから原発など止めなさい、という極めて科学的であるが、科学論争の迷路に入らない素晴らしい内容です。
そして検察審査会でいうと、私たちは東京電力の役員を業務上過失致死傷で告発しました。
それに対し東京検察庁は「予測されていなかった」などという極めて平凡な見解に基づいて不起訴とした。
しかし東京第5検察審査会は、市民感覚からいって、こんな事故を起こしておいて、予測できなかった、責任がないなんてありえない。東電役員3人は起訴すべきであると突き返しました。大飯の判決に踏まえた極めて良心的な判断です。
また福島地裁では、渡辺はま子さんの自死に関わる訴訟で、4700万円の損害賠償を認定しました。いままで東京電力は、自殺した方が悪いんだ、事故の影響は1割しかないと言っていた。射能漏れの可能性があるかそれを裁判所は逆転させて9割の責任は東電にある、と被害者に寄り添う判決を出しました。
私たちは司法に大きな望みを再び持てるようになりました。私は最近『日本と原発』という映画をつくりました。ここでも福島原発事故をめぐる経産省の責任を厳しく追及しています。
証拠として裁判所に提出します。ぜひ裁判官におかれては詳細にご覧いただきたいと思います。
最後になりますが、この経産省前テントが何のためにあるのか。それは日本の原発は危険だから止めよう、福島の被害を忘れずに、国民や政治にアピールを続けよう、ということであります。先ほど申し上げました、亡国の役所である経産省の喉元において、その反省を求める、国を原発事故、放射能被害から救うための救国の訴えであります。ここにテントの正当性はあるのであります。以上です。
~亡国の役所・経産省の責任を糺す
2011年3月11日の福島第一原発でいかに深刻な事故が発生したか、ということをまず強調したいと思います。
第一に、あの事故の展開のしようによっては、霞が関のこの裁判所も含めて、わが国の主要な機能が喪失する恐れがあった。原子力安全委員会委員長の近藤俊介氏に、当時の菅直人首相は、「事故がこのまま進展して、最悪の場合はどんな事態が想定されるか」と諮問しました。
近藤氏は、福島第一の1、2、3、4号機が爆発し、全員が撤退し、放射能が全て放出される、そしてわずか10キロしか離れていない福島第二原発でも過酷事故が発生し、その場合は首都圏にも放射能は及び、2000万から3000万の人々が避難せざるをえなくなり、かつそこに戻れないという恐れがあると言及しています。
私どもが言っていることではない、当時の原子力行政のトップが、しかも周りのブレーンの意見も集めてレポートに書いていることです。
福島原発事故は、国家の消滅をも招来しかねなかったという極めて深刻な事態だったのです。
このような事態を引き起こしたのはどこか。役所でいえば経済産業省および科学技術庁であります。
科技庁はいま文部科学省になっており、経産省の下に資源エネルギー庁がありますが、ここが、原発の運転を推進し、管理し、指導してきたのです。このような責任をこれらの役所の人たちは果たして自覚しているのだろうか。
まさに私たちは、このことを呼び覚ますために、あの経産省前にテントを張って、経産省に対する批判の声を上げている。
経産省はまさに亡国の役所であります。少なくとも戦後50年にわたって、原発推進を絶対にやめない、福島の事故のあとも止めない。このような亡国の役所の目の前で、被告たちは警告を発し、世論に訴えているのだということです。
次にこのような国家存亡の危機にならんで、あの事故によって福島に住む16万人の人々が県内外に避難を強いられました。
その人たちのほとんどがまだ故郷に戻れていません。家族や学校や地域のコミュニティは分断され、みなさんたいへん苦しんでいる。
子どもをもつ母親は、子どもは被曝で将来病気になるんじゃないか、後遺障害が出るんじやないかと心配しながら暮らしています。
政府や御用学者と呼ばれる人たちは、「いや、この程度なら大丈夫だ」と言っています。何か障害が見つかっても、「事故との因果関係が分からない」と言っている。
しかし肝心なことは、現にそうしたことを本当に不安に思って暮らしている子どもや母親や父親がいることです。もう怖いから故郷には戻れないと、泣く泣く故郷を離れた人たちがいっぱいいるということです。
人の心の問題はコントロールできません。人を怖がらせること自体が放射能の害なのです。そのような結果をもたらしているのは誰か。役所でいえば、あなた方経産省なんです。そこをよく考えて下さい。人ごとのような顔をして聞いていますが、そうじゃないでしよ。
福島の被害についてはいろいろありますが除染の問題について一言触れます。
いわゆる除染が大量のお金を使って、ゼネコンを巻き込んで行われています。しかし除染はしょせん移染です。
事故がまき散らした放射能を福島から、この世界からなくすことはできない。汚染された土などをはぎ取って、流して、それをフレコンパッグに入れて、山のように積んでいる。そしてそれは大熊町や双葉町に中間貯蔵施設として集約されようとしています。
この二つの町を原発事故で生まれた核廃棄物の最終的なゴミ捨て場にする可能性が大いにあると思います。その責任は誰にあるのか、なぜこんなことになったのか。
事故発生にいたるまで経産省は原発をひたすら推進してきた。資源小国・日本の起死回生のエネルギー政策として、「自己完結型永久工ネルギー構想」といって、アラブやアメリカの石油資源に頼らないでエネルギーを確保する道は原発しかない、ウランを輸入し、それを軽水炉で燃やし、使用済み核燃料を再処理し、そこからとったMOX燃料を燃やし、そこから出た使用済み燃料をまた再々処理し、そうするとプルトニウムがどんどん増えて、燃やせば燃やすほど燃料が増えていって、私たちは永久燃料を手にすることができるんだ。これが経産省の50年前の発想であり、いまもその発想を変えていません。
しかし六ヶ所村の再処理工場が絶対に完成せず、さらに高速増殖炉もんじゅも完全に失敗し、この二つの要で破綻している構想をいまも捨てていない役所はどこですか。経産省でしょう。あなた方なんです。
そんなことをやっていていいんですか。私はあなた方の責任を追及したいと思います。あの悲惨な事故が起きていまも福島の人たちは苦しんでいる。日本も、経済的にも社会的にも大きなダメージを受けている。にもかかわらず、電力会社のお先棒をかついで原発を再稼働させようとしているのが経産省なんですよ。
過去も亡国の役所であったけれど、これからも亡国の役所になろうとしている。福島原発事故のようなことがもう一度起きたら、あなた方はどういう責任をとるんですか。
浜岡原発も再稼働させようと言っている。しかし浜岡で事故が起きたら、東名高速も東海道新幹線も切断され、この首都圏も人が住めなくなるかもしれない。そんなリスクをなぜとろうとするんですか。止めて下さい。
そういう動きのなかで、私たちにも少しは望みがあります。最近の司法の動きです。今年5月21日の大飯原発の福井地裁差止め判決が出ました。
ここでは、この10年の間に5回も基準地震動、耐震設計の基礎をオーバーする地震が発生していることを指摘しています。論より証拠、百の説法屍ひとつ。こんな状況で日本の原発が運転されているなら、危なくてしようがない、だから原発など止めなさい、という極めて科学的であるが、科学論争の迷路に入らない素晴らしい内容です。
そして検察審査会でいうと、私たちは東京電力の役員を業務上過失致死傷で告発しました。
それに対し東京検察庁は「予測されていなかった」などという極めて平凡な見解に基づいて不起訴とした。
しかし東京第5検察審査会は、市民感覚からいって、こんな事故を起こしておいて、予測できなかった、責任がないなんてありえない。東電役員3人は起訴すべきであると突き返しました。大飯の判決に踏まえた極めて良心的な判断です。
また福島地裁では、渡辺はま子さんの自死に関わる訴訟で、4700万円の損害賠償を認定しました。いままで東京電力は、自殺した方が悪いんだ、事故の影響は1割しかないと言っていた。射能漏れの可能性があるかそれを裁判所は逆転させて9割の責任は東電にある、と被害者に寄り添う判決を出しました。
私たちは司法に大きな望みを再び持てるようになりました。私は最近『日本と原発』という映画をつくりました。ここでも福島原発事故をめぐる経産省の責任を厳しく追及しています。
証拠として裁判所に提出します。ぜひ裁判官におかれては詳細にご覧いただきたいと思います。
最後になりますが、この経産省前テントが何のためにあるのか。それは日本の原発は危険だから止めよう、福島の被害を忘れずに、国民や政治にアピールを続けよう、ということであります。先ほど申し上げました、亡国の役所である経産省の喉元において、その反省を求める、国を原発事故、放射能被害から救うための救国の訴えであります。ここにテントの正当性はあるのであります。以上です。
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