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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

天は人の上に人を造らず

2004年11月25日 | 平和憲法
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 投稿者:T.k.  投稿日: 9月 7日(火)16時36分36秒

笑い話。「校長交渉」の時、「あなたは『日の丸』『君が代』についてどう考えておられますか」と質問した時、「校長に対して『あなた』とは何か。失礼な。」と怒鳴り出しました。こちらはごく普通に使ったつもり、ビックリ!ビックリ!
昔東大の卒業式で、大河内総長が、「ただ酒を飲むな」と話したことがあります。肩書きに寄りかかり、ただ酒を振舞われ、チヤホヤされて大抵の官僚は腐敗堕落していくのです。何故ただ酒が飲めるのか。誰がその費用を負担するのか。みな肩書きに頭を下げてもうけようと群がるのです。歯科医師会がそうです。校長達も肩書きで仕事をしているから、頭の中が空っぽになるのです。官僚を見ればよい。「通達」でことたれり。通達に違反する人間は取り締まればよい。処分すればよい。「通達」について誠実に真摯に吟味したことがあるのでしょうか。後はただ酒に群がるだけ。

「すべての国民は個人として尊重される」(第13条)「全ての国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」(第14条)という、新しい憲法の民主的理念は彼らの頭の片隅にもありませんね。

校長の頭の中あるのは「上下」の関係 目下・目上の関係のみが存在するだけのようです。

皮肉半分に「あなたは僕より年下ではありませんか。『長幼の序』を弁えないとは失礼ではありませんか。」と話したことがあります。最近若い校長が多くって。若い校長を軽蔑する気はありませんが、それなりに識見と徳望が備わっているならば。実にくだらない笑い話。

「個人の尊厳」の原理は、彼らの頭の中には全く存在しません。個人と個人との接触は、人間たる資格において対等の、市民と市民との接触ということを彼らは理解できないようです。

彼等、個人はカサかぶった月のように、常に肩書の「校長」という枠の中に入っており、この枠越しにでなければ、他の個人との接触できないようです。そしてカサのかぶった月のように、肩書きの中に隠れてしかものが言えないようです。
しかもその枠には、都教委が決めた「等級」による差別があります。

ですから、そもそも校長交渉はお互いが、共通の平等の土俵の上に乗り、対等の関係において話し合うという大原則すら理解できないのです。職員会議でもある先生が、貴方と呼びかけたら怒鳴りまくったほど愚かな人でした。英語のように「YOU」でよろしいではありませんか。
「校長」という肩書きで呼ばれないといって怒鳴りつけるほど愚かな事はないです。
肩書きがなければ、何にも語りえない愚かな人間なのです。
渡辺恒雄という愚かな読売新聞社の人。渡辺恒雄が、古田選手会会長に対し「たかが野球選手が・・話し合う、分を弁えたまえ」と怒鳴った人間観と全く同じようです。
どうしてこんな人達ばかりなってしまったのか。
封建社会以下。封建社会でも「長幼の序、識見・徳望」は尊重されたものです。
教育者としての「識見・徳望」のある校長が今、いますか。
「あなた」と呼ばれて怒鳴りつけるようではどうしようもありませんね。『貴方』貴い方ではございませんか。丁寧な呼び方ではございませんか。校長よりずっとよろしいではございませんか。
馬鹿げた話ですいません。「我も人なり、彼も人なり」こんな簡単な事もわからない差別主義者が校長ということでは、日本の教育はダメですね。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」人はもともと平等なものだ。基本的人権を踏みにじっておきながら、人権に関する小冊子、今日配布。何じゃこりゃ。

○長の頭を叩いてみれば 空っぽ空っぽの音がする
△幹の頭を叩いてみれば、□□長になりたいなりたいと音がする
□□長の頭を叩いて見れば、書類判子書類判子の音がする
組×長の頭を叩いてみれば、K1 K1・・・・の音がする
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