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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

裁判官様

2004年11月25日 | 人権
最高裁判所裁判官様 投稿者:石頭  投稿日: 9月10日(金)21時53分12秒

意見募集の締切に滑り込みで私も送信しました。法律のプロ最高裁へもの申すというのであれこれ考えた結果、中学生の歴史の授業みたいな意見になってしまいました。まあ最高裁も基本に立ち返って考えて下さいと言うことで。
To: mieko.n@lily.ocn.ne.jp

 ピアノ伴奏を拒んだだけで、懲戒を受けた先生がいることに心を痛めています。卒業式は毎年のことなので、懲戒を重ねていって、自らの良心に忠実であろうとする一人の音楽教師が、首を切られてしまいかねないことを深く憂慮しています。本人の能力・適性以外の要因で、職を剥奪されることがあれば、明らかに「職業選択の自由」に反することです。
 思想や良心を理由として、公職を追われる例は、過去にどれほどあったでしょうか。
 イギリス1673年の「審査法」は、市民革命で成立したばかりの議会による、非国教徒の公職就任を禁止した法令で、信仰による就職差別の事例です。この差別立法は1828年に廃止されました。二十世紀にも、1935年ナチスドイツが制定した「ニュルンベルグ法」がありました。ユダヤ人を公職から追放し市民権まで剥奪した、民族による差別立法です。いずれも、前近代の歴史的遺産として記録に留められる、本人の能力・適性以外の要因で生活権を奪った事例です。
 旧憲法下の日本でも、森戸事件(1920)、滝川事件(1923)、天皇機関説事件(1935)、矢内原事件(1937)、河合事件(1938)、津田左右吉事件(1940)と、思想で差別された事件は枚挙にいとまがありません。でもそれらは、「思想良心の自由」「学問の自由」が確立されていない旧憲法下での出来事でした。
 このようなことは、基本的人権を定めた新憲法下の日本では起こらないことと確信していました。
 戦後の教育理念に触れた旭川学テ裁判の最高裁判決文は、それが戦前のどんな反省の上に成り立ったかを端的に表現しています。
「これ(教育基本法)は戦前のわが国の教育が、国家による強い支配の下で形式的・画一的に流れ、時に軍国主義的又は極端な国家主義的傾向を帯びる面があったことに対する反省によるものであり、右の理念は、これを更に具体化した同法の各規定を解釈するに当たっても、強く念頭に置かれるべきものであることはいうまでもない。」(最高裁大判昭51・5・21)
 すなわち、戦前の教育の問題点は、形式的・画一的で軍国主義や国家主義的傾向を帯びることにあったとしています。同じ轍を二度と踏むまいとの痛切な反省から生まれたのが教育基本法でした。よもや再び教育が形式的・画一的になる日が来ようとは。
 もし、年に一~二回40数秒のピアノ伴奏を拒むことが、職を失うことにつながるなら、日本は基本的人権のない前近代的封建社会に逆戻りすることになります。
 憲法第97条は、基本的人権の歴史からその永久性を説いた格調高い条文です。
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 もし今その、人類の努力の成果であり、過去の試練にも堪えてきた権利が奪われようとしているなら、それを守る最後の砦は、憲法第81条に定められた最高裁判所の違憲立法審査権でしかありません。司法の独立は、旧憲法下における大津事件(1891)においても貫かれ、三権分立の模範として、歴史に刻まれて来ました。最高裁におかれては、外圧に惑わされることなく、敗戦の痛切な反省の上に成立した、いや人類の自由獲得の歴史の結実である基本的人権を固守すべく、独立した司法権を行使されて、歴史に残る名判決を書かれますよう、衷心より願っております。

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