◎ 「言論の自由」をめぐる裁判、教育委員会の体質が明らかに
2009年6月に三鷹高校前校長・土肥信雄氏が東京都教育委員会(以下、都教委と略す)による教育行政(言論統制などの教育現場への不当な介入)を訴えた裁判の、第4回口頭弁論が、東京地裁606号法廷にて開かれた(1月14日、午前10時~)。
前回の第3回弁論では、土肥氏や吉峯主任弁護士の陳述があったが、14日は都教委側からの準備書面の確認で、ものの2、3分で閉廷となった。
なお、次回期日は、3月11日(木)午前10時~606号法廷に決まった。
閉廷後、午前中を使って報告会が開かれ、代理人の吉峯弁護士及び土肥氏から、おもに2009年12月24日付で都教委側から出された「準備書面(2)」について概要説明があった。
「都教委は、『必要かつ合理的な関与・介入については、教育基本法は禁止していない』と言うが、こちらは都教委のやっていることが、まさに不当な支配に当たることを、具体的な事実に基づいて論証している」
冒頭、吉峯弁護士は、都教委側の準備書面について、自信に満ちた口調で切り出し、都教委側の反論も特に意に介さぬ様子であった。
例えば、非常勤教員への不採用についても、「どのように考えても、土肥氏が教育者として適性を持っていないというのは無理がある。たとえ、10人に1人程度の選考であっても、土肥氏を落とすことは難しいだろう。資料を見ると、土肥氏をはじめからC評価(=不採用)にしようとした様子がうかがえる」と説明し「今後は、この訴訟を手がかりに教育をめぐる裁判の法律的な枠組みをしっかりとしたものにしていきたいという意欲もある」と心中を明かした。
今後は、教育を専門とする研究者、大学教授などの意見書も提出しながら、都教委を論破していく予定だという。
前回の報告会でも出た〈不都合なこと・カットの原則〉を紹介しつつ都教委からの反論を切り捨てる吉峯弁護士に対して、土肥氏からは、率直に心情も吐露された。
「都教委からの書面を読んで『よくこんな嘘が言えるな』と呆れました」
「生徒たちに『ウソをつくな』と言っている側のおとなたちが、こんなことでよいのでしょうか」
「こんな人たちと論争をしなくてはいけないのか…と、怒り、絶望、…そして悲しい思いもします」
そのあとで、土肥氏から4点、都教委からの準備書面をもとに、いかに都教委の言うことが滅茶苦茶かが順を追って参加者に紹介されたが、会場からは失笑とため息が漏れるほど、都教委からの反論は「お粗末」なものであった。
〔例1〕
原告・土肥氏は、民放番組で自分への論客として選ばれた高橋史朗明星大学教授の投稿(産経新聞、2008年12月24日付)を証拠(甲18号証)として提出している。
そこには、都教委が禁止しているはずの「意思表示としての挙手」について、次のような表現が見える。
「意思決定のための挙手ではなく、意思表示のための挙手は問題ないと私は考える。(略)校長が意思決定をするに当たって、より多くの職員から意見を聞くことが望ましく、校長の意思決定を下す際に必要と認める場合には、職員の意向を把握するための一つの方法として挙手させること自体に問題はない。しかし、意思決定のための挙手は校長の最終決定の権限を侵害するおそれがあり、問題があると考える。」(注)
ここには、はっきりと「職員の意向を把握するための一つの方法として挙手させること自体に問題はない」と都教委の通知に異を唱える趣旨が書かれているが、都教委の準備書面では「高橋教授の見解は、職員会議において挙手による採決を行うことを否定するものである」となり、肝心の「意思表示のための挙手ならよい」とする高橋教授の意見はものの見事に歪曲されて、準備書面に引用されている。
(注)すでに法律が改正され(2000年、学校教育法施行規則、第48条)「職員会議は、校長が主宰する」との文言がつけ加えられているから、本当は「一般の教員が挙手をして意思決定する」というようなこと自体が法律上ありえない。職員会議での決定は、校長が行うのであって、法改正以降、挙手は多数決による採決(意思決定)ではなく、すべて校長が自ら判断を下すための一つの材料に過ぎなくなっている。2000年の学校教育法施行規則の改正について、おそらく高橋氏は知らなかったか、失念していたのではないかと思われる。
〔例2〕
土肥氏は、自らの発言に端を発する都教委からの呼び出しについても、「3回あったところを『2回しか無い』という等、事実そのものをねじ曲げている」と語気を強める。
土肥氏によれば、都教委の言い回しは、「…これこれの記録が無い」という言い方を織り交ぜて、「記録が無い」から「事実は無かった」と読み手に錯覚させるような手法をたくみに用いているという。実際、「原告は、事実確認の際、教育庁担当者から『発言の内容は全て米長氏及び都議にも知られており、これ以上発言すると大変なことになる』と言われたと主張するが、このような発言については記録にもなく、事実と異なる」(P17)、「いずれも原告の憶測に過ぎず、しかも偏見に満ちた主張と言わざるを得ない」(同頁)のような表現が、準備書面(2)の随所に見られる。
〔例3〕
教員への業績評価(A、B、C、Dの4段階)で都教委が「C、Dの評価が20%以下の場合は受け取らない(=必ず、CやDの“ダメ教員”を作ること)」と校長らに指導したことも、都教委は「一切していない」と言い切っている(準備書面(2)のP19)。これなどについても、土肥氏は「本当に信じられない」「詭弁としか言いようが無い」と、都教委の姿勢を厳しく批判した。
〔例4〕
それ以外にも、都教委の方針に対して、土肥氏がその場その場で質問したことについても、都教委にすれば不都合だからであろうか、ことごとく準備書面(2)では「…そのような質問はなかった」と質問そのものを〈無かった〉とする等、まさに吉峯弁護士の言う〈不都合なこと・カットの原則〉に満ち溢れる都教委側の準備書面であった。
◇
報告会では、都教委の体質(=本質)について、他にも極めて核心をつく意見が出された。土肥氏に近い、ある人物は次のように言う。
「もし東京都の校長が、すべて土肥氏のような校長であれば、そもそも職員会議における〈挙手・採決の禁止〉通知などまったく必要ないのです。教員からも信頼され、望ましい人間関係が築かれていれば、職員会議で挙手をめぐってもめることもありません。ある意味で、そういう通知を出さなければ、うまく現場がまとまらないのではないかという都教委の自信の無さや不安が、あの〈挙手・採決の禁止〉通知に表れているのではないでしょうか」
「逆に言えば、そういう“腰ぬけ”の校長しか育ててこなかったツケが、今こういう形で現れているとも言えるでしょう」
また、都教委側が「都教委の職員が式典に遅刻して行っても、式の運営には支障がなかった」ことを理由に原告の主張は事実に反すると主張している箇所(準備書面(2)P16)では、「『遅れても支障が無い』と言うなら『式典のピアノ伴奏もテープでやったって支障は無いだろう』『式典で、一人ぐらい起立しなくても支障は無いだろう』ということになりはしないか」との意見も出され、「自分たちの命令したことに、一人でも従わないと処分する――それが都教委の本質だ」との発言に、参加者たちはおおいにうなずいていた。
報告会では、教科書検定をめぐる裁判でも知られる浪本勝年立正大学教授からも「法律があって教育があるのではなく、子どもたちのための教育がまずあり、それを補助し、教育を実り豊かにするための手段として法律がある。だから裁判所も、単なる形式的な法律判断だけをするのではなく、きちんとした教育観を持ってもらいたい」との注文もつけられた。
土肥氏は、裁判の傍ら、昨年7月から12月までで、岩手、福島、新潟、長野、千葉、山梨、神奈川、神戸、大阪、そして沖縄と、全国各地に招かれて講演をしたという。首都圏の大学だけでも、東京大学、国際基督教大学、立正大学といくつかの大学で若い世代に向かって、教育の理想と現実について話している。
「反応はどうでしたか」と水を向けると、「いやぁ~、いいねぇ。どこに行っても、みんなわかってくれるし、賛同してくれますよぉ」と、その時ばかりは笑顔で返事がかえって来た。
※関連記事
「学校教育法施行規則の改正について」
http://www.news.janjan.jp/culture/0905/0904302430/1.php
「第3回口頭弁論」
http://www.news.janjan.jp/living/0911/0911062762/1.php
※関連サイト
「土肥校長を支援する会」
http://dohisaibansien.blogspot.com/
『JANJANニュース』(2010年01月16日)
http://www.janjannews.jp/archives/2305890.html
三上英次
2009年6月に三鷹高校前校長・土肥信雄氏が東京都教育委員会(以下、都教委と略す)による教育行政(言論統制などの教育現場への不当な介入)を訴えた裁判の、第4回口頭弁論が、東京地裁606号法廷にて開かれた(1月14日、午前10時~)。
前回の第3回弁論では、土肥氏や吉峯主任弁護士の陳述があったが、14日は都教委側からの準備書面の確認で、ものの2、3分で閉廷となった。
なお、次回期日は、3月11日(木)午前10時~606号法廷に決まった。
閉廷後、午前中を使って報告会が開かれ、代理人の吉峯弁護士及び土肥氏から、おもに2009年12月24日付で都教委側から出された「準備書面(2)」について概要説明があった。
「都教委は、『必要かつ合理的な関与・介入については、教育基本法は禁止していない』と言うが、こちらは都教委のやっていることが、まさに不当な支配に当たることを、具体的な事実に基づいて論証している」
冒頭、吉峯弁護士は、都教委側の準備書面について、自信に満ちた口調で切り出し、都教委側の反論も特に意に介さぬ様子であった。
例えば、非常勤教員への不採用についても、「どのように考えても、土肥氏が教育者として適性を持っていないというのは無理がある。たとえ、10人に1人程度の選考であっても、土肥氏を落とすことは難しいだろう。資料を見ると、土肥氏をはじめからC評価(=不採用)にしようとした様子がうかがえる」と説明し「今後は、この訴訟を手がかりに教育をめぐる裁判の法律的な枠組みをしっかりとしたものにしていきたいという意欲もある」と心中を明かした。
今後は、教育を専門とする研究者、大学教授などの意見書も提出しながら、都教委を論破していく予定だという。
前回の報告会でも出た〈不都合なこと・カットの原則〉を紹介しつつ都教委からの反論を切り捨てる吉峯弁護士に対して、土肥氏からは、率直に心情も吐露された。
「都教委からの書面を読んで『よくこんな嘘が言えるな』と呆れました」
「生徒たちに『ウソをつくな』と言っている側のおとなたちが、こんなことでよいのでしょうか」
「こんな人たちと論争をしなくてはいけないのか…と、怒り、絶望、…そして悲しい思いもします」
そのあとで、土肥氏から4点、都教委からの準備書面をもとに、いかに都教委の言うことが滅茶苦茶かが順を追って参加者に紹介されたが、会場からは失笑とため息が漏れるほど、都教委からの反論は「お粗末」なものであった。
〔例1〕
原告・土肥氏は、民放番組で自分への論客として選ばれた高橋史朗明星大学教授の投稿(産経新聞、2008年12月24日付)を証拠(甲18号証)として提出している。
そこには、都教委が禁止しているはずの「意思表示としての挙手」について、次のような表現が見える。
「意思決定のための挙手ではなく、意思表示のための挙手は問題ないと私は考える。(略)校長が意思決定をするに当たって、より多くの職員から意見を聞くことが望ましく、校長の意思決定を下す際に必要と認める場合には、職員の意向を把握するための一つの方法として挙手させること自体に問題はない。しかし、意思決定のための挙手は校長の最終決定の権限を侵害するおそれがあり、問題があると考える。」(注)
ここには、はっきりと「職員の意向を把握するための一つの方法として挙手させること自体に問題はない」と都教委の通知に異を唱える趣旨が書かれているが、都教委の準備書面では「高橋教授の見解は、職員会議において挙手による採決を行うことを否定するものである」となり、肝心の「意思表示のための挙手ならよい」とする高橋教授の意見はものの見事に歪曲されて、準備書面に引用されている。
(注)すでに法律が改正され(2000年、学校教育法施行規則、第48条)「職員会議は、校長が主宰する」との文言がつけ加えられているから、本当は「一般の教員が挙手をして意思決定する」というようなこと自体が法律上ありえない。職員会議での決定は、校長が行うのであって、法改正以降、挙手は多数決による採決(意思決定)ではなく、すべて校長が自ら判断を下すための一つの材料に過ぎなくなっている。2000年の学校教育法施行規則の改正について、おそらく高橋氏は知らなかったか、失念していたのではないかと思われる。
〔例2〕
土肥氏は、自らの発言に端を発する都教委からの呼び出しについても、「3回あったところを『2回しか無い』という等、事実そのものをねじ曲げている」と語気を強める。
土肥氏によれば、都教委の言い回しは、「…これこれの記録が無い」という言い方を織り交ぜて、「記録が無い」から「事実は無かった」と読み手に錯覚させるような手法をたくみに用いているという。実際、「原告は、事実確認の際、教育庁担当者から『発言の内容は全て米長氏及び都議にも知られており、これ以上発言すると大変なことになる』と言われたと主張するが、このような発言については記録にもなく、事実と異なる」(P17)、「いずれも原告の憶測に過ぎず、しかも偏見に満ちた主張と言わざるを得ない」(同頁)のような表現が、準備書面(2)の随所に見られる。
〔例3〕
教員への業績評価(A、B、C、Dの4段階)で都教委が「C、Dの評価が20%以下の場合は受け取らない(=必ず、CやDの“ダメ教員”を作ること)」と校長らに指導したことも、都教委は「一切していない」と言い切っている(準備書面(2)のP19)。これなどについても、土肥氏は「本当に信じられない」「詭弁としか言いようが無い」と、都教委の姿勢を厳しく批判した。
〔例4〕
それ以外にも、都教委の方針に対して、土肥氏がその場その場で質問したことについても、都教委にすれば不都合だからであろうか、ことごとく準備書面(2)では「…そのような質問はなかった」と質問そのものを〈無かった〉とする等、まさに吉峯弁護士の言う〈不都合なこと・カットの原則〉に満ち溢れる都教委側の準備書面であった。
◇
報告会では、都教委の体質(=本質)について、他にも極めて核心をつく意見が出された。土肥氏に近い、ある人物は次のように言う。
「もし東京都の校長が、すべて土肥氏のような校長であれば、そもそも職員会議における〈挙手・採決の禁止〉通知などまったく必要ないのです。教員からも信頼され、望ましい人間関係が築かれていれば、職員会議で挙手をめぐってもめることもありません。ある意味で、そういう通知を出さなければ、うまく現場がまとまらないのではないかという都教委の自信の無さや不安が、あの〈挙手・採決の禁止〉通知に表れているのではないでしょうか」
「逆に言えば、そういう“腰ぬけ”の校長しか育ててこなかったツケが、今こういう形で現れているとも言えるでしょう」
また、都教委側が「都教委の職員が式典に遅刻して行っても、式の運営には支障がなかった」ことを理由に原告の主張は事実に反すると主張している箇所(準備書面(2)P16)では、「『遅れても支障が無い』と言うなら『式典のピアノ伴奏もテープでやったって支障は無いだろう』『式典で、一人ぐらい起立しなくても支障は無いだろう』ということになりはしないか」との意見も出され、「自分たちの命令したことに、一人でも従わないと処分する――それが都教委の本質だ」との発言に、参加者たちはおおいにうなずいていた。
報告会では、教科書検定をめぐる裁判でも知られる浪本勝年立正大学教授からも「法律があって教育があるのではなく、子どもたちのための教育がまずあり、それを補助し、教育を実り豊かにするための手段として法律がある。だから裁判所も、単なる形式的な法律判断だけをするのではなく、きちんとした教育観を持ってもらいたい」との注文もつけられた。
土肥氏は、裁判の傍ら、昨年7月から12月までで、岩手、福島、新潟、長野、千葉、山梨、神奈川、神戸、大阪、そして沖縄と、全国各地に招かれて講演をしたという。首都圏の大学だけでも、東京大学、国際基督教大学、立正大学といくつかの大学で若い世代に向かって、教育の理想と現実について話している。
「反応はどうでしたか」と水を向けると、「いやぁ~、いいねぇ。どこに行っても、みんなわかってくれるし、賛同してくれますよぉ」と、その時ばかりは笑顔で返事がかえって来た。
※関連記事
「学校教育法施行規則の改正について」
http://www.news.janjan.jp/culture/0905/0904302430/1.php
「第3回口頭弁論」
http://www.news.janjan.jp/living/0911/0911062762/1.php
※関連サイト
「土肥校長を支援する会」
http://dohisaibansien.blogspot.com/
『JANJANニュース』(2010年01月16日)
http://www.janjannews.jp/archives/2305890.html
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