『東京新聞』に連載中の、都立小石川高校OBの岡野俊一郎氏(日本サッカー協会最高顧問)の自伝に、当時の卒業式の模様が出てくる。名物校長に抱腹絶倒。
◎ この道 (20) 「入部」
先生もユニークな方が多かった。たばこを吸いたくなると職員室へ行けばよいのだ。
「山川さん(数学担当)、すみませんが、たばこ一本下さい」
「岡野君、またですか。ここで吸ってゆきなさいよ」
職員室で吸うぶんにはしかられなかった。
終戦直後に赴任された第四代の沢登哲一校長はまさに名物校長だった。いつも復員の戦闘帽をかぶり、雑嚢というずた袋をぶら下げていた。
卒業式の時の沢登校長のあいさつ。
「てめえら、卒業できてよかったな。終わり」。
そう言って演壇を降りようとした。われわれも背後にいる保護者も唖然としていると、途中から戻ってきて、
「ちょっと短すぎた。これから、旧制二高の不良学生の歌を歌って踊ってやるから、てめえら手拍子で付き合えよ」。そして、講堂の壇上で「たばこ吸え、吸え。酒飲め、飲め」と歌いながら踊りだしたではないか。
われわれは一斉に拍手をし、ポケットからたばこを取り出してプカプカやりだした。保護者の驚きはいかばかりだったか。今なら、新聞にコテンパンにたたかれるに違いない。
卒業の年、同級生百二十五人のうち、東大ヘストレートで入ったのが八十三人いた。都立日比谷高校と並んで全国第一位だった。一浪を含めれば、百二十人ぐらいが東大へ入った。
私もクラスで五番ぐらいにはいた。当時の私は、人間がつくった法律や経済などを学ぶことに魅力を感じなかったので、理科Ⅱ類を受験した。発表を見に行くと、幸い、合格していた。
そのころ、谷中に住んでいたので、東大のキャンパスを抜けて帰る途中、御殿下のグラウンドで東大サッカー部が練習をしていた。まだ入学式も済んでいないのに、私はサッカー部のキャプテンに入部したいとお願いして許可を得た。東大生になる前に、私は東大サッカー部員になったわけである。
『東京新聞』(2008/9/25 夕刊)
◎ この道 (20) 「入部」
岡野 俊一郎
先生もユニークな方が多かった。たばこを吸いたくなると職員室へ行けばよいのだ。
「山川さん(数学担当)、すみませんが、たばこ一本下さい」
「岡野君、またですか。ここで吸ってゆきなさいよ」
職員室で吸うぶんにはしかられなかった。
終戦直後に赴任された第四代の沢登哲一校長はまさに名物校長だった。いつも復員の戦闘帽をかぶり、雑嚢というずた袋をぶら下げていた。
卒業式の時の沢登校長のあいさつ。
「てめえら、卒業できてよかったな。終わり」。
そう言って演壇を降りようとした。われわれも背後にいる保護者も唖然としていると、途中から戻ってきて、
「ちょっと短すぎた。これから、旧制二高の不良学生の歌を歌って踊ってやるから、てめえら手拍子で付き合えよ」。そして、講堂の壇上で「たばこ吸え、吸え。酒飲め、飲め」と歌いながら踊りだしたではないか。
われわれは一斉に拍手をし、ポケットからたばこを取り出してプカプカやりだした。保護者の驚きはいかばかりだったか。今なら、新聞にコテンパンにたたかれるに違いない。
卒業の年、同級生百二十五人のうち、東大ヘストレートで入ったのが八十三人いた。都立日比谷高校と並んで全国第一位だった。一浪を含めれば、百二十人ぐらいが東大へ入った。
私もクラスで五番ぐらいにはいた。当時の私は、人間がつくった法律や経済などを学ぶことに魅力を感じなかったので、理科Ⅱ類を受験した。発表を見に行くと、幸い、合格していた。
そのころ、谷中に住んでいたので、東大のキャンパスを抜けて帰る途中、御殿下のグラウンドで東大サッカー部が練習をしていた。まだ入学式も済んでいないのに、私はサッカー部のキャプテンに入部したいとお願いして許可を得た。東大生になる前に、私は東大サッカー部員になったわけである。
『東京新聞』(2008/9/25 夕刊)
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