▲ 三鷹高校・土肥校長は訴える
「9.27集会」 《撮影:平田 泉》
9月27日(土)夜、吉祥寺の武蔵野公会堂で「学校に言論の自由を求めて!」という集会が開催された(主催:「土肥校長と共に、学校に言論の自由を求める」保護者&市民の会)。
都立三鷹高校・土肥信雄校長は都教委の「職員会議での挙手・採決禁止」を批判している。この日の集会は自分の意見を広く一般の人にも聞いてほしいという趣旨のものだった。
土肥さんの大学時代は学園紛争の時期に当たり、商社勤務を経て高校教員になった。教員として最初に赴任したのは町田の小学校で、障害児との統合教育を行った。自分の体験から基本的人権の尊重、とりわけ言論の自由、そして平和主義を信条にしている。
2年前に三鷹高校を卒業した卒業生は「生徒の名前を覚え100m向こうから『○○君!』と声をかけ、一人ひとりの生徒と向き合うのが得意な先生だった」と語った。現在2年生の生徒の保護者は「土肥校長は入学式で平和と人権の重要性を語り、遅刻指導については権利放棄になるので許さないと述べた」と語った。このように、生徒にも保護者にも身近な先生と慕われている校長だ。
ぜひ話を聞きたいという人で開会20分前に会場は満席となり、入場できなかった人が300人にも達する熱気あふれる集会となった。
1部 今までの経過と都教委の実態
土肥信雄さん(都立三鷹高校校長)
都教委は2006年4月「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」という通知を出した。
職員会議は、これ以前の1998年10月の「管理運営規程」ですでに補助機関化していた。これで十分うまく学校運営ができていたにもかかわらず、この通知だった。そこで昨年11月の校長会で「挙手採決禁止」の撤回を求めた。理由は「この通知により、教員のなかに何をいっても意見が反映されないなら言っても意味がないという空気が広がった。将来の日本を担う子どもたちに民主主義を教える教育現場で言論の自由は何より重要だ」と考えたからだ。しかし撤回されず、納得いく理由も示されなかった。
そこで公開討論を求め、それができないなら記者会見を行う、それでも応じてもらえなければ自分の意見を一方的に表明する記者会見を行う、という要請を7月10日に提出した。急な要請は好きではないので段階を踏んだつもりだ。7月18日に公開討論には応じられないという連絡があったので記者会見を開き、再度、公開討論を求める要請を8月4日に提出した。こちらは文書での回答を求めた。都教委はなんでも文書主義だからだ。すると8月19日に電話があり「口頭で返事をするので書き留めてください」という。長文を書き留めさせられたが、結果は公開討論拒否の内容だった。
こうした都教委とのやりとりには、いくつもの前段があった。前任校の神津高校の卒業式で都教委から2人の監視役が出張した際1人は20分遅刻してきたこと、三鷹高校の卒業式で、自分は包括的職務命令(口頭で全員に命令するもの)で十分と考えたのに個別的職務命令(文書で個人に命令するもの)を「出せ出せ」と6回もいってきたこと、文化祭で生徒が書いた掲示物にある都民がクレームをつけ都教委が指導したこと、定時制の研究会の報告書である教員の原稿を差し替えさせたこと、などだ。
都教委は、校長はなんでもいうことを聞くと考えているのではないか。一方では「校長の責任と権限」を強調するが、そういうものはほとんどないに等しい。
2006年度から教員の業務評価で成績の悪いC・Dを20%くらいにすることになった。業績評価実施要領では絶対評価と定められているのに、パーセントを決めれば相対評価になってしまう。またオール都庁のC・Dは5~6%なので教員だけ突出している。これは問題だと考え校長会などでそういう発言もしたが、9月4日に都教委の事情聴取を受けた。理由は守秘義務違反による服務事故とのことだ。しかしわたしは逆に都教委こそ法令遵守義務違反であり、それこそ服務事故だと考え、9月19日に「公益通報者保護法」に基づき中部学校経営支援センター宛てに内部告発(リンク)した。
事情聴取はすでに20回も体験した。最初は自分一人でやろうと思っていたが、保護者、生徒、市民などわたしには多くの味方がいる。言論の自由はたいせつだ。守らなければ、子どもを含め社会的弱者が悲しい思いをすることになる。おかしいことはおかしいと言いたい。だれかがストップをかけないと恐ろしい社会になる。教育の社会をオープンにすることが日本の将来を決定する。
2部 パネルディスカッション「都の教育の現在を考える」
パネラー:石坂啓さん(漫画家)
尾木直樹さん(教育評論家)
藤田英典さん(国際基督教大学教授)
西原博史さん(早稲田大学教授)
土肥信雄さん(都立三鷹高校校長)
コーディネーター:岡本 厚さん(雑誌『世界』編集長)
以下、印象に残った発言のみ掲載する。
石坂啓さん●2年前子どもの中学卒業式に出席した。日の丸起立がいやだったので、泣き崩れて立ち上がれないふりをしようかと思った。ところが開式と同時に「起立、国歌斉唱」という式次第だったのでそのチャンスはなかった。土肥校長の話をお聞きしても、いじめて追い込んでいけにえにしようとしているようだ。都教委は「そこまでするか」という絵に描いたような悪役に思える。阻止するには味方を増やすしかない。
尾木直樹さん●都教委には友人もおり、いい人も多い。しかし密室のなかでヒエラルキーが確立するとこれほど非人間的なことができてしまう。業績評価については、一方通行でなく校長にも都教委を評価する権限を与えないといけない。また1956年までは教育委員会が市民に開かれていた。神津島まで卒業式の監視に2人も出張したとのことだが、これこそ税金のムダづかいだ。都民が都を評価すべきだ。
藤田英典さん●都教委はなぜ姑息で度量のないことをするのだろう。挙手による採決禁止や業績主義的評価で管理統制を強めている。教師や看護師は協働性を求められる。それなのに使命感をズタズタにしてしまう。都教委は、公の場で公明正大に決着を図るべきだ。
西原博史さん●1970年代には国や行政は教育の大綱的基準しかつくってはいけないことになっていた。ところが東京都はいま裁判のなかで「教育の地方分権により、小さいことも一つ一つ命令してもよい」ととんでもないことを言い始めた。しかし実際にはそんなことをする能力はないので「校長の権限と責任」と使い分けせざるをえない。ただ60年前の戦前との違いは民主主義の社会になっていることだ。こういう状況を許しているのは都民なのだから、都教委に「根拠はあるのか」と説明責任を求めるべきだ。市民から発信することで「よい教育」に変えることができる。
土肥信雄さん●都教委は、職員会議をなくし企画調整会議だけでよいと考えているようだ。しかし退学を含む生徒指導などで職員の意向を聞きたいことはよくある。職員のなかには意見を言いにくい人もいる。都教委は職員の意向を聞くことを恐れているのだろうか。
『多面体F』より(2008年09月29日)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/
「9.27集会」 《撮影:平田 泉》
9月27日(土)夜、吉祥寺の武蔵野公会堂で「学校に言論の自由を求めて!」という集会が開催された(主催:「土肥校長と共に、学校に言論の自由を求める」保護者&市民の会)。
都立三鷹高校・土肥信雄校長は都教委の「職員会議での挙手・採決禁止」を批判している。この日の集会は自分の意見を広く一般の人にも聞いてほしいという趣旨のものだった。
土肥さんの大学時代は学園紛争の時期に当たり、商社勤務を経て高校教員になった。教員として最初に赴任したのは町田の小学校で、障害児との統合教育を行った。自分の体験から基本的人権の尊重、とりわけ言論の自由、そして平和主義を信条にしている。
2年前に三鷹高校を卒業した卒業生は「生徒の名前を覚え100m向こうから『○○君!』と声をかけ、一人ひとりの生徒と向き合うのが得意な先生だった」と語った。現在2年生の生徒の保護者は「土肥校長は入学式で平和と人権の重要性を語り、遅刻指導については権利放棄になるので許さないと述べた」と語った。このように、生徒にも保護者にも身近な先生と慕われている校長だ。
ぜひ話を聞きたいという人で開会20分前に会場は満席となり、入場できなかった人が300人にも達する熱気あふれる集会となった。
1部 今までの経過と都教委の実態
土肥信雄さん(都立三鷹高校校長)
都教委は2006年4月「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」という通知を出した。
職員会議は、これ以前の1998年10月の「管理運営規程」ですでに補助機関化していた。これで十分うまく学校運営ができていたにもかかわらず、この通知だった。そこで昨年11月の校長会で「挙手採決禁止」の撤回を求めた。理由は「この通知により、教員のなかに何をいっても意見が反映されないなら言っても意味がないという空気が広がった。将来の日本を担う子どもたちに民主主義を教える教育現場で言論の自由は何より重要だ」と考えたからだ。しかし撤回されず、納得いく理由も示されなかった。
そこで公開討論を求め、それができないなら記者会見を行う、それでも応じてもらえなければ自分の意見を一方的に表明する記者会見を行う、という要請を7月10日に提出した。急な要請は好きではないので段階を踏んだつもりだ。7月18日に公開討論には応じられないという連絡があったので記者会見を開き、再度、公開討論を求める要請を8月4日に提出した。こちらは文書での回答を求めた。都教委はなんでも文書主義だからだ。すると8月19日に電話があり「口頭で返事をするので書き留めてください」という。長文を書き留めさせられたが、結果は公開討論拒否の内容だった。
こうした都教委とのやりとりには、いくつもの前段があった。前任校の神津高校の卒業式で都教委から2人の監視役が出張した際1人は20分遅刻してきたこと、三鷹高校の卒業式で、自分は包括的職務命令(口頭で全員に命令するもの)で十分と考えたのに個別的職務命令(文書で個人に命令するもの)を「出せ出せ」と6回もいってきたこと、文化祭で生徒が書いた掲示物にある都民がクレームをつけ都教委が指導したこと、定時制の研究会の報告書である教員の原稿を差し替えさせたこと、などだ。
都教委は、校長はなんでもいうことを聞くと考えているのではないか。一方では「校長の責任と権限」を強調するが、そういうものはほとんどないに等しい。
2006年度から教員の業務評価で成績の悪いC・Dを20%くらいにすることになった。業績評価実施要領では絶対評価と定められているのに、パーセントを決めれば相対評価になってしまう。またオール都庁のC・Dは5~6%なので教員だけ突出している。これは問題だと考え校長会などでそういう発言もしたが、9月4日に都教委の事情聴取を受けた。理由は守秘義務違反による服務事故とのことだ。しかしわたしは逆に都教委こそ法令遵守義務違反であり、それこそ服務事故だと考え、9月19日に「公益通報者保護法」に基づき中部学校経営支援センター宛てに内部告発(リンク)した。
事情聴取はすでに20回も体験した。最初は自分一人でやろうと思っていたが、保護者、生徒、市民などわたしには多くの味方がいる。言論の自由はたいせつだ。守らなければ、子どもを含め社会的弱者が悲しい思いをすることになる。おかしいことはおかしいと言いたい。だれかがストップをかけないと恐ろしい社会になる。教育の社会をオープンにすることが日本の将来を決定する。
2部 パネルディスカッション「都の教育の現在を考える」
パネラー:石坂啓さん(漫画家)
尾木直樹さん(教育評論家)
藤田英典さん(国際基督教大学教授)
西原博史さん(早稲田大学教授)
土肥信雄さん(都立三鷹高校校長)
コーディネーター:岡本 厚さん(雑誌『世界』編集長)
以下、印象に残った発言のみ掲載する。
石坂啓さん●2年前子どもの中学卒業式に出席した。日の丸起立がいやだったので、泣き崩れて立ち上がれないふりをしようかと思った。ところが開式と同時に「起立、国歌斉唱」という式次第だったのでそのチャンスはなかった。土肥校長の話をお聞きしても、いじめて追い込んでいけにえにしようとしているようだ。都教委は「そこまでするか」という絵に描いたような悪役に思える。阻止するには味方を増やすしかない。
尾木直樹さん●都教委には友人もおり、いい人も多い。しかし密室のなかでヒエラルキーが確立するとこれほど非人間的なことができてしまう。業績評価については、一方通行でなく校長にも都教委を評価する権限を与えないといけない。また1956年までは教育委員会が市民に開かれていた。神津島まで卒業式の監視に2人も出張したとのことだが、これこそ税金のムダづかいだ。都民が都を評価すべきだ。
藤田英典さん●都教委はなぜ姑息で度量のないことをするのだろう。挙手による採決禁止や業績主義的評価で管理統制を強めている。教師や看護師は協働性を求められる。それなのに使命感をズタズタにしてしまう。都教委は、公の場で公明正大に決着を図るべきだ。
西原博史さん●1970年代には国や行政は教育の大綱的基準しかつくってはいけないことになっていた。ところが東京都はいま裁判のなかで「教育の地方分権により、小さいことも一つ一つ命令してもよい」ととんでもないことを言い始めた。しかし実際にはそんなことをする能力はないので「校長の権限と責任」と使い分けせざるをえない。ただ60年前の戦前との違いは民主主義の社会になっていることだ。こういう状況を許しているのは都民なのだから、都教委に「根拠はあるのか」と説明責任を求めるべきだ。市民から発信することで「よい教育」に変えることができる。
土肥信雄さん●都教委は、職員会議をなくし企画調整会議だけでよいと考えているようだ。しかし退学を含む生徒指導などで職員の意向を聞きたいことはよくある。職員のなかには意見を言いにくい人もいる。都教委は職員の意向を聞くことを恐れているのだろうか。
『多面体F』より(2008年09月29日)
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