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2005年5月17日(火曜日) 所属
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絵描きにしろ、フリーのライターにしろたった一人で生計を立てている人は立派である。酪農も漁業も百姓にしても、商売にしても一人の才覚と労働でやっている人、或いは零細企業と言われる人々、いずれも立派である。頼るべきは己のみである。
所属がないということで酷い目にあったことがある。高校を出て浪人していた時、ハガチーが来ると言うので羽田に見に行った。アイゼンハワーの先駆けとして来た彼は、デモ隊の集団に行く手を阻まれ弁天橋近くで立ち往生する。その模様を見物していた。
学生でないから所属がない。デモ隊の脇に立っていた。突然、警官隊が学生の占拠する橋に突っ込んできた。急を知らされて闇雲に現場目指して突っ込んできたのだ。
狭い橋上、人がぶつかり合う。あまりにも危ないので、隊長らしき人に「もっとゆっくり進んでくれ、危険だ」と言いに行った。これがよくなかった。デモの学生の隊列から指弾された。「あいつ、警官と話してた。スパイだ。」「スパイだ、スパイだ。」知っている顔はない。まいった。帰り道、一人とぼとぼと歩いた。
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2005年5月18日(水曜日) ケイテイ
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「・・・父母ニ孝ニ」までは良かったのだが、その次を弁護士が読み間違った。ケイテイというべきところ、キョウダイと読んだ。「兄弟ニ友ニ」である。
教科書裁判の一幕という。家永三郎氏が法廷で痛く慨嘆した。昭和も遠くなりにけりだ。
教育勅語が読めないとは何と素晴らしいことではないか。無理矢理暗誦させられた世代が消えていく。国民学校に昭和20年までに入った世代ということになれば、現在、67歳以上となるか。
「朕思ウニワガコウソコウソウクニヲタツルコトコウエンニ、トクヲタツルコトシンコウナリ・・・・」
果たして70歳以上で何人が今でも暗誦できるのであろうか。
「イッタンカンキュウアレバギユウコウニホウジ」
すっかり過去の遺物となった「教育勅語」、復活の兆しがあるという。まさかのまあちゃんである。新たな装いで登場するらしい。
「一旦戦争の危機あれば、命を棄てて郷土を守り・・・」とか、学校で暗誦させられるのであろうか。
あのファシズムの時代、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は学校でどう扱われたのであろうか。「北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ、ツマラナイカラヤメロトイイ・・・」
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2005年5月19日(木曜日) 削減
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石原慎太郎都知事は、週3日ほどしか登庁しないという。他の日は小説でも書いているのであろうか。
そう言えば昔、高校の同期に電話したことがあった。当時の通産省である。朝の十時ころ、「会議中」と言われた。あとで電話して、「さっき、会議中と言われたよ」と言ったら、「そういうことにしてんだよ、そんな早くに出るわけないだろ」と威張られた。なるほど、そういうことなのかと得心したのを思い出した。
高給官僚、否高級官僚や特別職の出勤状況というのはどうなっているのか。
都の監査委員の秘書に、「監査委員っていうのは、日頃どんな仕事をしてるのか」と聞いたら、「新聞読んでる」とのたまわれた。「若い頃扱き使われるから、出世したらその分取り返してるんだ」とでも言うのであろうか。
時給、600円とか、800円とかで働いている人が世の中にはいっぱいる。遅刻したら当然のこと引かれる。
公務員等の給与削減は、年収1000万以上を1割、2割といった具合にしたらどうか。辞めるの続出して人員の削減にもなる。若返りが図られる。戦後の発展の要因の一つは旧指導層の追放にあったのではないか。
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2005年5月20日(金曜日) ラジカル
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都庁が壊れている。知事側近の浜渦の専横である。やっと新聞が書くようになった。
まずは「東京新聞」である。この新聞は安いし鋭敏な感覚をもって臆するところがない。今や最良の新聞である。
「朝日」がおずおずと追随している。「朝日」は大企業病に陥ったか。どうも最近、右顧左眄している。
戦後、60年、日本の大企業、官僚組織あらゆるところが腐朽してきた。毎日のようにその腐朽状況が露呈している。事故であり、汚職であり、犯罪である。
この腐朽状況を打破するプロジェクトを早急に立ち上げなければならない。既成の審議会とかのお偉方が入った委員会では全く意味がない。世界50カ国位から人間を招聘し、国内50人位の若手の研究者を集わせて、日本という国家の在り方、構造改革のプランを作るべきである。革新的な根源的、ラジカルな法律の整備をすべきである。
言うなれば第二の「明治維新」とでも、或いは第二の8・15とでも言うべきか。世界に冠たる「第九条」を作ったときのように、民衆の雇用と労働、それに見合う賃金の確保のための公正な社会とは何かの提言と実行が急務である。
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2005年5月21日(土曜日) デビュー
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「蓮池薫さんが、翻訳家デビュー」なる記事があった。在日の韓国人からメールをもらった。
「複雑な気持ちだな いつも感じるんだけど 何処となくあの人は朝鮮の香りを持っている 他の拉致の人からは感じない独特なもの なんかそれがかなしい 何か自分たちと重なるものを感じるの 言葉に言うに言えない」と。
帰還した時の彼の言動を思い出す。北の権力の壮絶なる真髄を骨身に知っている彼にとって、言葉の一つが我が身だけでなく家族もろともに滅ぼすことになるということを。二十数年も何らの救済をなさなかった日本政府が果たして信頼に値するのか。彼の焦燥と苦悩はいかばかりであったことか。
そこにまた兄貴が登場する。兄弟の確執である。「洗脳されてんのか」と兄が言う。そうではないのだ。事の真相を知る故にこそ弟は自由に語れないのだ。彼の日本残留は恐ろしい賭けであった。その苦悩を思うとき今においても暗澹たる感がある。子どもが帰還してほんとに良かった。
金薫の「刀の歌」である。主人公、「李舜臣」は、「党派を捨て、人生の全くの苦しみを包み込んだ人物」であるという。
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