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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

沖縄戦問題のいま

2008年07月26日 | 平和憲法
 ▲ 沖縄戦問題のいま

 急に蒸し暑くなった7月5日(土曜)夕刻、石神井公園区民交流センターで「なぜ、それでも国は歴史をねじ曲げたいのか?――沖縄戦教科書検定問題に地域で取り組んで」が開催された(主催 沖縄戦教科書検定の撤回を求める練馬の会、参加93人)。
     
 集会に先立ち、6月20日に完成したばかりのドキュメンタリー映画「未決・沖縄戦」(制作:じんぶん企画)の一部が上映された。これはあまり知られていない北部・山原での沖縄戦をテーマとしたもので、逃げまどう人々、伊江島の22人の「強制集団死」などを、体験者の絵や証言により描いた作品である。
 集会は「練馬の会・市民の会の運動経過報告」から始まり、山口剛史さん、岡本厚さんの2人の講師が講演を行った。

●2007年教科書検定撤回運動の成果と課題――今子どもたちに沖縄戦をどう教えるか
        山口剛史さん(沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会事務局長、琉球大学准教授)


 暮れも押し詰まった昨年12月26日、教科書用図書検定審議会が文科大臣に訂正申請承認を報告した。翌日、全国紙は「軍の関与認める」と報道したが、沖縄の新聞には「『軍強制』認めず」の大見出しが躍った。同時に発表された「基本的なとらえ方」には「様々な背景・要因によって自決せざるを得ないような状況に追い込まれた」という文言があった。

 手榴弾の配布や壕からの追い出しは、軍の命令を意味していることが沖縄戦研究の到達点である。沖縄以外でも根室、対馬など全国各地に要塞が構築され、「要塞地帯法」という法律によって住民は要塞から排除された。しかし座間味・渡嘉敷島はじめ沖縄では、根こそぎ動員態勢による陣地構築のなか、島は軍民雑居状態で、近隣の島に渡るにも軍の許可を要する厳しい管理体制が敷かれていた。こんな状況での手榴弾配布は、軍命と考えざるをえない。
 歴史的に教科書の中に「集団自決」が記述されてきたのは、住民虐殺と同根の住民犠牲の例示である。軍が住民に死を強いたことが沖縄戦の教訓であり「集団自決」の本質なのに、「様々な背景・要因」で追い込まれたと書いたのでは本質がみえなくなる。また県議会議長の「80点評価」が報じられたが、その背景には、文科大臣の謝罪会見と総理の談話とセットで政治決着(手打ち)する取決めがあったようだ。しかしそれも果たされなかった。
 だから、とうてい納得できない沖縄では27日に700人で抗議集会を開催した。この集会開催が実行委員会解散を阻止する世論をつくるきっかけとなった。
 この半年、新聞や雑誌報道から、藤岡信勝らが安倍首相サイドに働きかけを行った政治運動の結果であったこと、文部官僚が安倍らに配慮したこと、など真相が明らかになった。
 現在、教科書検定制度の見直しが進行している。ただ「密室検定」を打開するのは容易ではない。教科書発行会社でつくる教科書協会が6月16日の検定審議会の事情聴取に「現状どおり非公開で審議し、執筆者にも守秘義務を課すことを求めた」と報じられている。これに対しても取組みを行うことが重要である。

 今年度の沖縄の平和教育の状況の一部を紹介する。6月20日に宜野湾の志真志小学校で「集団自決」をテーマにした平和劇が上演された。ところが事前に上演中止を求めるメールが10通以上寄せられた。大半は県外からのものだったが、なかには地元沖縄からの匿名の攻撃も含まれていた。このように教育現場への攻撃が起こるようになっている。
 琉球大学は、6月23日の「慰霊の日」を休講にしている。翌日小学校教職課程を取っている学生84人にアンケート調査をした。20%の学生は「追悼式に参加する」「黙祷した」などなんらかの慰霊活動をしていた。「集団自決」の内容については、「強要された死」であったことを知っている学生は多かったが、その内容は断片的で「なぜ起こったか」ということころまで踏み込んだ理解をしている学生は少なかった。私自身、どう教えていくのかが今後の課題である。
 最後に今回の運動の成果を挙げてみたい。第一に、沖縄県民だけでなく、全国的に沖縄戦の実相が深められ「軍隊は住民を守らない」ことをもう一度問い直せたことである。第二に、95年以来の県民運動となり、日本政府を揺るがすものとなったこと、第三に、高校生をはじめ若い世代が沖縄戦の実相を学ぶきっかけになったこと、最後に、教科書検定制度の矛盾を露呈させ、制度を揺るがしていること、とくに「基本的とらえ方」など、審議会の資料を出させたことは、教科書検定運動のなかで画期的であること、などである。

●沖縄戦「集団自決」裁判の本質は何か
             岡本厚さん(岩波書店編集局部長)


 「集団自決」裁判(大江・岩波裁判)は、2005年に提訴された。昨年3月、まだ証人尋問すら行われていない段階で、文科省が高校歴史教科書の検定で「集団自決」から軍の関与・強制を削除させ、その根拠のひとつにこの裁判での原告梅澤の陳述書を挙げたことは驚くべきことだった。今年3月の大阪地裁判決では、その梅澤証言は信用できないとされた。文科省の責任は大きい。
 なぜ63年もたったいま沖縄戦が問題になるのだろうか。相手方は隊長の命令の有無に問題を矮小化し、沖縄戦の教訓を「反転」させようとしている。これは、「慰安婦」問題で狭義の強制の有無を問題にしたのと同じ構図であり、南京大虐殺での人数の問題を云々したことと同様である。
 沖縄戦は本土決戦の準備のための捨石作戦であり、もともと「勝つことができない戦争」と運命づけられていた。そして中国を侵略した軍隊が沖縄に移動し、司令官もまた中国侵略を指揮していた。そうした軍が住民をどう見ていたか、推測するに難くない。沖縄の民衆に強い不信感をもち、スパイ視し、捕虜になることを禁じた。投降しようとして、後ろから(日本軍に)撃たれたり、方言を使っただけでスパイとして殺された住民は多い。こうした中で「集団自決」は起きた。住民虐殺と「集団自決」を切り離すことはできない
 今年3月28日の大阪地裁判決には「集団自決については日本軍が深く関わったものと認められ」「原告梅澤及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できる」と書かれている。
 この裁判で問われている問題は何だろうか。軍の行動、方針、命令、住民への対応を「当時は仕方がなかった、当然だ」と認めるのか否か、国家の立場に立つのか民衆(住民)の立場に立つのか、さらに戦時中の反省に立ち、平和・平等・自由を標榜する憲法体制を肯定し、それを推進するのか否か、という問題である。
 次に沖縄と本土の関係をどうとらえるのかという問題である。年間500万人の観光客が訪れているが、なお米軍基地の島であり、普天間を辺野古にタライ回しにし、少女暴行が頻発する現実を自分の問題として考える本土の人はどれほどいるか。「沖縄ノート」が自己批判した「日本人」は、40年たってどれほど変わったのか、という問題である。また教科書検定制度はこのままでよいのかという問題でもある控訴審は、早ければ9月9日に結審し年内にも判決が出る見通しである。

●ディスカッション
 2人の講師に練馬の会・柏木美恵子さんが加わり、会場からの質問をベースに3人のパネリストが討論した。11のテーマからいくつか紹介する。

1 6月30日に文科省は新学習指導要領の小学社会科の解説書で「沖縄戦」を明記することを発表した。文科省のねらいは何か。
山口:解説書を詳しく読んだわけではないが、空襲、広島・長崎への原爆投下と並んで教えるということから、被害の側面に重点が置かれているようだ。これは「日本軍による強制された死」という沖縄戦の本質をとらえたものではないと考える。

2 沖縄戦の報道を通して、本土のマスコミ記者はどう変わったか。
山口:沖縄支社の記者は両極端に分かれた。非常に熱心な社とまったく取材に来ない社である。たとえば沖縄タイムスに出向していた朝日の記者は30代前半と若かったが、非常に頑張っていた。沖縄で、自分が何を発信するかが問われていると自分の問題として考えてくれる記者もいた。一方、本土では左右のバランスを考えて書く傾向があると感じる。
岡本:記者個人にもよるし、世代でも違う。一般に若い世代の記者は、問題意識が希薄だと感じる。もちろんそうでない記者が多くいることも知っているが・・・・

3 地域の運動で一番しんどかったことは何か。
柏木:報道が少なく、一般の人が「知らない」「わからない」ことだ。しかし昨年9月10日、金城重明さんの出張法廷での証言がNHKテレビのニュースで報道されたときは違った。その直後、街頭で署名を集めたが、「テレビでみた。こんなひどいことをやったのね」と足を止める人が多かった。テレビの力はすごいと思った。知らない人が多いなか、とにかくいろんな人に知ってもらいたいと考えて始めた地域での運動でもあった。

4 若い世代に魅力のある運動にする工夫はあるか。
柏木:非常に難しい。署名に応じてくれる人は50代以上が中心。20代から40代、とくに子育て世代は「お子さんの教科書の問題」とアピールしても悲しいほど対応が冷ややかだった。ただ高校生は三線(さんしん)の音楽に足を止め熱心に訴えを聞いてくれた。若い世代とつながり合う関係をつくっていきたい。

 その他「右傾化する若者にどう向き合えばよいか」「練馬の区議会はどんなところか」「教科書検定をどうすべきか」「大江岩波裁判のマスコミ報道について」など、テーマは多岐にわたった。
 ディスカッションの最後に、山口さんから平和教育の課題として「授業で悲惨な写真をみせ、自決の様子を話すだけでは限界がある。歴史修正主義がはびこり若者が同調する背景には、そういう授業への不満や嫌悪感を上手にすくいとっているところがある。どうして戦争が起こったか、どうして止められなかったかというところまで実証的に、構造の問題と結び付けないと、戦争を止める力にはならないと思う。今後の課題である」とのコメントがあった。

 最後に、練馬の会・林明雄さんから「この集会で学んだことをもとに、歴史を歪曲する人たちの真のねらいを見極め、それに対抗するため、地域で歴史の真実を学び・伝え・考える場を設け、具体的な行動を展開していきたい」とのあいさつがあり、会を閉じた。

『多面体F』より(集会報告 / 2008年07月15日)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/

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