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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

壊れていく先生の急増

2005年01月23日 | 暴走する都教委
10/26都議会文教委員会の記録から(2)
〇木村委員 これは、足立区の教員組合が、昨年、ある中学校、十九人の教員が回答したんですが、勤務時間の実態調査をやりました。去年の二月下旬から三月上旬にかけて一月やったそうです。十九人の先生方の回答を調べてみますと、一月で平均一週間九百九十四分、一人当たり超過勤務ということになった。約一千分ですね。時間に直すと十六時間ですか。
 足立区の組合だけじゃなくて、全教、全日本教職員組合が全体的に、これはおととしの調査ですが、土日の出勤、部活のために出てくるというのも勤務だということで、時間を全部含めてやって、全教の調査は、月平均一人八十時間十分というふうに出ました。
 さっきの文科省の研究所の調査は月六十時間というふうに出ましたが、全教がやったら八十時間、部活の活動も入れたというふうになっています。足立の場合は中学校ですが、月六十四時間というふうに平均で出ました。だから、六十時間から八十時間というふうになるわけです。
 月八十時間超過勤務というのは、厚生労働省が通達している、働き過ぎで過労死にならないように、過重労働による健康障害防止の総合対策という通知を出していますが、正式にいうと、過重労働による健康障害防止のための総合施策という通知が厚生省からおととし、二〇〇二年四月に出ているんですが、そこでうたわれている時間に、月八十時間を超える超勤だと、その疲労が業務上の過労死の原因としてつながっていく、そういう期間だ。したがって、事業者は、健康管理のために、産業医、自分のところの医療機関にきちっと対応させるように、診断も受けるようにという指導をすべきだというのが、厚生労働省の一昨年の総合通知の中身なんですね。
 ですから、定年前にやめる人がどんどんふえていくということとこういうことの因果関係があるんじゃないか。そういう問題意識をお持ちか。そして、こういう事態を改善しなきゃいけない、是正しなきゃいけないんじゃないかという問題意識をお持ちか、そのことを聞いているんです。
〇江連人事部長 先ほど申し上げましたように、定年前で退職する教員がふえているということについては、いわゆる働き過ぎとか、そういうことではないというふうに思っております。
 それから、先ほど先生ご指摘の通達の件ですが、私の方としても、この通達につきましては承知しておりますし、この通達そのものは、事業主に対して、時間外労働の削減の対策として、労働基準法第三十六条によるいわゆる三六協定の限度基準等に適合したものとする、あるいは労働時間を適正に把握すること、あるいは年次有給休暇の取得を促進するということを求めているものでございます。
 また、教職員の超過勤務の縮減、あるいは教員の勤務時間等につきましては、服務監督権者であります学校長が取り組むべき課題であるというふうに考えておりますし、東京都教育委員会としてもその指導に努めているところでございます。
〇木村委員 教員は三六協定は結べないんですね。それは私も知っています。だから、調整額が四%出ているでしょう。この四%の調整額が法令で決められたときに、当時、国会で、政府は、四%という数字は週平均一時間四十八分の超過勤務の実態に見合ったものだという説明をしています。一時間四十八分ですよ。週十五時間、十六時間、月に六十時間から八十時間。全然実態に合ってないわけですね。しかし、法的には三六協定を結ぶわけにもいかない。校長が超勤をさせるのは四つに限定されていて、限定四項目。緊急を要する職員会議とか、宿泊を伴う学校行事とか、災害時における出動とか、実習等における緊急の場合とかいうことが、校長が超勤を命ずることができる項目として限定されている。
 しかし、実態はどうか。実態は、仕事せざるを得ない。しかも、年々ますます忙しくなってきている。建前として決められている公的な仕組みや認められている調整額などという実質的な裏づけと現実とは全く乖離しているというのが実態ですね。これは本当に今、是正すべき重要な課題じゃないんでしょうか。端的に伺います。
〇江連人事部長 教職調整額のご質問でございますが、教職調整額は、教育職員の超過勤務の実態を踏まえまして、昭和四十六年の人事院の意見を受けまして、義務教育諸学校の教育職員に対し、教育職員の給与特別措置法、いわゆる給特法が制定、適用されているというところにその経緯がございます。
〇木村委員 月八十時間を超える実際の長時間労働というのは過労死につながるということで、国も通達を出さざるを得ないという実態ですね。現に、それではどうかというと、最近でも足立区で三十一歳の若い先生が勤務中に倒れて、亡くなりました。これは過労死ではないかということで、足立区議会でも問題にされている。八王子でも労災認定を受けた人がたしか一人いましたね。ことしの一月ですが、小学校の先生の過労死認定を、一審では過労死ではないとなっていたのを、遺族が頑張って、高裁で判断が逆転しまして、過労死だというふうに認められたケースがあります。これも三十代の学校の先生ですね。脳梗塞になったんです。
 この判決が注目されたのは、この先生が、親から虐待されたり、いじめを受けたりした子どもの多い五年生のクラスの担任で、倒れる前の一週間、体育祭、運動会の準備や社会見学などが重なったということもあって、執務時間内に校務が終わらなかったという状態を認めて、一審では労働時間に算入されていなかった持ち帰り時間を労働時間と認定した。給食の時間、授業の休み時間も、教育の現場に照らして、労働時間と認めるという判断を下した。そのために高裁で過労死を認定するという裁判があったんですね
 私は、人ごとじゃないというふうに感じる先生方というのはやっぱり多いと思うんです。だから、聞いているんです。こういうのを緊急に是正していくという立場に都教委は立つべきだ。一番先に引用した、私がお話を先生に聞いたら、退職する人もいるけれども、それよりも病気になる人の方がもっと数が多いですよ、病気休職の人も結構多いんですよというふうにつけ加えていました。
 なぜそうなるのか。つまり、先生の過重労働というのは、時間が長いだけじゃないんですね。長い時間の労働の実態、中身ですね、これがまた、そういっちゃ何だけど、いろいろな仕事がたくさんあって、つらい仕事もたくさんあるけれども、働いている者にとってみれば、非常に過酷な、ストレスのたまる、そういう労働時間なんですね。
 今、病気休職している人の中で、精神疾患で休職しているという人はどのぐらいの割合になっていますでしょうか。
〇江連人事部長 最近、三年間の病気の休職者数は約三百人弱で推移しております。そのうち、精神疾患の数でございますが、平成十二年度が百七十八人、平成十三年度が百六十三人、平成十四年度百七十一人でございます。
〇木村委員 病気休職の半分以上、六割ぐらいは精神疾患ですね。私は、「先生が壊れていく」という、三楽病院の精神神経科部長の中島先生という人が書いた本を読みました。自分の病院の精神神経科の外来を受診する教師は、平成十年、一九九八年ごろから急増するようになった。平成に入ってからも微増して、平成九年ごろまでは年間百七十人から二百人程度だったけれども、平成十年になると二百五十人を超え、その後もふえ続け、平成十三年から三百人をはるかに超えた。十五年余りで倍増した。それは反応性うつ病といいますか、精神医学用語でいうと、適応障害というふうに呼ぶべきなんだけど、この割合は一般の勤労者に比べて明らかに大きくて、教師の仕事の関連ストレスのレベルの高さをあらわすというふうにいっています。
 要するに、この先生のいうには、燃え尽き症候群というのが非常に多い、三十代から四十代のベテラン教師によく見られて、性格的にはまじめで責任感があって、さまざまな問題を一人で囲い込みやすいタイプの教師ほどそういう症候群に陥ると。それはなぜかというと、一つは、人間を相手にした専門的な仕事についている。人間を相手にするということは、物やパソコンに向かう仕事とは違って、業務の目標が数字であらわしにくくて、ここまでやればこれでいいということがない仕事。もう一つは、精力的に取り組んだにもかかわらず、期待したほどの成果が上がらなかった場合の挫折体験というのがそういう場合は非常に大きいということで、そういうふうなことになるんだという説明が三楽病院の先生の説明でした。
 私、非常に深刻だなと思うんですが、定年退職前に退職するという人が一貫してふえているということの原因を都教委はそれなりによくつかんで、退職するときに一身上の都合と書いてあるから、理由はわからないなんていっているのじゃなくて、やっぱりしっかり学校の先生の身になって考えていくということが必要じゃないかと思うんです。
 こういう超過勤務の実態を把握して、そして、超過勤務の軽減、解消を図るためにあらゆる措置をとる。教育委員会への提出書類を必要最小限のものに精選する。学校においても、不要不急の書類の作成など整理合理化するということが大事ですね。何よりもやはり教員の配置、一時間の授業に一時間の準備ができるだけの教員の配置を実現するということが大事だというふうに思います。そのことは、先ほど来からの議論で、聞かないで、強く要求しておくことにします。

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1 コメント

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Unknown (大山洋一)
2005-02-24 13:43:01
小学生時代優秀な成績の生徒が、中学での競争勉強の壁にぶつかり、無気力に陥ることが多いことにもっともっと注意を払うべきです。不登校の生徒の多くはここにあります。
他者との競争が強調される中で育つ子どもは、自分が努力したことに「満足」するのではなく、自分の能力の高さや幸運から来ると思うのです。さらに競争的場面にあっては、自分や相手の「能力」を評価することにももっぱら関心が向けられます。相手と比べてどのくらい「頭がよいか」のみに関心を持ちます。
競争を煽ることなく育てられた子どもは、満足感は、自分がどれほど努力したかということ満足します。不満足だったと思った者は、自分の努力が不十分だった感じることができます。競争主義の中で育てられた子どもは、満足感と努力の自己評価との間には大きな差があります。そして自分を見失っていきます。
競争主義の中で育てられた子どもたちは、勝てば必要以上に自分は偉いと思い、負ければ必要以上に自己を卑下します。競争が強調される中での子どもは、子どもは結果思考的になり、しかもこの結果は自分の意志では変えることの難しい「能力」「運」によって決まると思うのです。
競争主義を強調する中で育てられた子どもは効力感より無力感に陥りやすくなります。競争主義教育は「一将功成りて万骨つ枯る」で、それは「基本的に失敗思考のシステム」です。
勝者は勝つことにより、自分の偉さに酔い、敗者は一層自己を卑下することになります。小学時代の優等生が中学生なって失敗に出会ったとき、自分自身を見失い、無気力な状態に陥り、自分は「落ちこぼれだ」と思ったとたんに何もできなくなるのです。
教育の自由の名の下に競争を煽り立て、教育の場は荒廃に拍車をかけています。自由とはジャングルの掟「弱肉強食」を強いる。生徒に深い人間不信を積み重ねているだけです。
 学力ばかりが今云々されている。知識の量がいくら多く詰め込まれていても何の役にも立ちません。知識というものは、日常生活にいかにも有用なものであろうが、個人の人間としての存在が問題にされた瞬間には、いかに頭が良かろうといかに知識があろうと、そんなことは役に立たないのです。生き生きとした人間的感性を持ち、肝心なのは、あえて人間的な力を他者のために尽くしうる力をもっているかどうかにあります。


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