=日の丸・君が代強制反対大阪ネット=
◆ 卒業式での2回目の不起立をめぐって
今年の卒業式は私にとって大事な意味がありました。
一つは、今年の卒業生に中学のときに不起立をし、私の不起立を知って話をしに来てくれたKさんがいたことです。是非、私も彼女たちを同じ卒業式で送り出したいと思ったのです。
また、私を支える会の事務局のMさんが、3年の担任であることももう一つの大きな理由でした。彼は校長から起立斉唱を強く迫られていました。校長は卑劣きわまりないやり方で圧力をかけ、結果的には会場での不起立を断念されましたが、共に今の状況を何とか変えたいと考えてきたからです。
今年も校長からは事前に卒業式の国歌斉唱にどのような態度で臨むのかとの確認を受けましたが、「誠意ある態度を示したいと思っています」とだけ答えました。最後までこの答え方で通した結果、起立斉唱の職務命令を前日に文書で手渡されたものの、式場内で卒業式を迎えることができました。
私のこの答え方を不審に感じていた校長が、なぜ式場内の役割を認めたのか、謎が残りますが、おかげで無事?に式場内で卒業生のKさんと共に不起立をすることができました。
Kさんはこの日、卒業式の前にお父さんと共に君が代の強制への自分の意見を書いたビラを登校してくる生徒達にまいていました。その様子や彼女へのインタビューがテレビで報道され、多くの人が目にしたことは大きな意味があったと思います。
式場で私もさすがに緊張しましたが、Kさん親子のビラまきに勇気づけられ、国歌のときには彼女の姿は直接見えなかったのですが、着席する彼女の動きを空気で感じながら、私も静かに座ることができました。
卒業式以降、事情聴取への弁護士の同席を求め、処分に関することがらについては弁護士を通して連絡するように校長と府教委に要望を出しました。
しかし、府教委はこれに全く返事をすることもなく、処分を進めました。弁護士からの要望に返事をするまでは、一切、校長との面談等に応じないとした私に対して、職員室の私の席にやってきた校長は、早口で事情聴取の日時を告げていきました。私が事情聴取を拒否したと言うつもりなのでしょう。
その後3月27日付けの「戒告」の処分が決まり、辞令交付の連絡をするために26日には出張に出ている私のところへ何度も電話をかけ、深夜に案で及んで何本ものメールを送りつけてきました。これらを無視していると27日には有給を出して休んでいる私の自宅にやってきて辞令をポストに投函していったようです。
まるでストーカーとしか言いようのない有様でした。
今回の不起立については、「懲戒処分の差止訴訟」を起こしました。
これは以前から弁蒲団会議の中で、2回目以上の処分を受けることになる者については有効ではないかと、弁護士の方たちから提案されていたものです。
実質的には減給以上の処分をさせないことを勝ち取り、それによって「同じ職務命令違反を3回繰り返せばクビ!」という職員基本条例の問題点を明らかにできるのではないかというようなねらいがありました。
本質的に思想・良心の自由を侵すのですべての処分が無効だという主張とはずれるところもあり、迷いもあったのですが、今できる抵抗は何でもやってみようという気持ちで、提訴に踏み切りました。
結果は全面的に却下という残念なものでした。
内容も処分者側の言い分をそのまま書いているようで憤りを感じるようなところも多く、即時抗告もしました。担当の弁護士の皆さんには、時間のない中、睡眠時間を削るような形で訴状の検討など進めていただき、本当に感謝しています。
結論が出る前に、府教委が処分を出してしまったので、即時抗告も棄却されてしまいましたが、訴訟を起こしたために「戒告」しか出すことができなかったのだと思います。
そういう意味で今回の提訴は不起立の繰り返しによる加重処分はさせないという道筋をはっきりつけたという意味で、重要なものであったと考えています。
これからの入学式や卒業式では、式場から排除されるであろうことが予想されます。
これにどう対抗していくのか。また、教科書や教育委員会の改悪など右傾化の進む教育にどう立ち向かっていけばよいのか。
難問山積ですが、皆さんと共に、また、保護者や生徒と一緒に考えていきたいと思います。
(「梅原さんを支援する会」ニュース第7号「脱調亭日常~梅ちゃん ほっつきある記」から)
◆ 卒業式での2回目の不起立をめぐって
梅原 聡
今年の卒業式は私にとって大事な意味がありました。
一つは、今年の卒業生に中学のときに不起立をし、私の不起立を知って話をしに来てくれたKさんがいたことです。是非、私も彼女たちを同じ卒業式で送り出したいと思ったのです。
また、私を支える会の事務局のMさんが、3年の担任であることももう一つの大きな理由でした。彼は校長から起立斉唱を強く迫られていました。校長は卑劣きわまりないやり方で圧力をかけ、結果的には会場での不起立を断念されましたが、共に今の状況を何とか変えたいと考えてきたからです。
今年も校長からは事前に卒業式の国歌斉唱にどのような態度で臨むのかとの確認を受けましたが、「誠意ある態度を示したいと思っています」とだけ答えました。最後までこの答え方で通した結果、起立斉唱の職務命令を前日に文書で手渡されたものの、式場内で卒業式を迎えることができました。
私のこの答え方を不審に感じていた校長が、なぜ式場内の役割を認めたのか、謎が残りますが、おかげで無事?に式場内で卒業生のKさんと共に不起立をすることができました。
Kさんはこの日、卒業式の前にお父さんと共に君が代の強制への自分の意見を書いたビラを登校してくる生徒達にまいていました。その様子や彼女へのインタビューがテレビで報道され、多くの人が目にしたことは大きな意味があったと思います。
式場で私もさすがに緊張しましたが、Kさん親子のビラまきに勇気づけられ、国歌のときには彼女の姿は直接見えなかったのですが、着席する彼女の動きを空気で感じながら、私も静かに座ることができました。
卒業式以降、事情聴取への弁護士の同席を求め、処分に関することがらについては弁護士を通して連絡するように校長と府教委に要望を出しました。
しかし、府教委はこれに全く返事をすることもなく、処分を進めました。弁護士からの要望に返事をするまでは、一切、校長との面談等に応じないとした私に対して、職員室の私の席にやってきた校長は、早口で事情聴取の日時を告げていきました。私が事情聴取を拒否したと言うつもりなのでしょう。
その後3月27日付けの「戒告」の処分が決まり、辞令交付の連絡をするために26日には出張に出ている私のところへ何度も電話をかけ、深夜に案で及んで何本ものメールを送りつけてきました。これらを無視していると27日には有給を出して休んでいる私の自宅にやってきて辞令をポストに投函していったようです。
まるでストーカーとしか言いようのない有様でした。
今回の不起立については、「懲戒処分の差止訴訟」を起こしました。
これは以前から弁蒲団会議の中で、2回目以上の処分を受けることになる者については有効ではないかと、弁護士の方たちから提案されていたものです。
実質的には減給以上の処分をさせないことを勝ち取り、それによって「同じ職務命令違反を3回繰り返せばクビ!」という職員基本条例の問題点を明らかにできるのではないかというようなねらいがありました。
本質的に思想・良心の自由を侵すのですべての処分が無効だという主張とはずれるところもあり、迷いもあったのですが、今できる抵抗は何でもやってみようという気持ちで、提訴に踏み切りました。
結果は全面的に却下という残念なものでした。
内容も処分者側の言い分をそのまま書いているようで憤りを感じるようなところも多く、即時抗告もしました。担当の弁護士の皆さんには、時間のない中、睡眠時間を削るような形で訴状の検討など進めていただき、本当に感謝しています。
結論が出る前に、府教委が処分を出してしまったので、即時抗告も棄却されてしまいましたが、訴訟を起こしたために「戒告」しか出すことができなかったのだと思います。
そういう意味で今回の提訴は不起立の繰り返しによる加重処分はさせないという道筋をはっきりつけたという意味で、重要なものであったと考えています。
これからの入学式や卒業式では、式場から排除されるであろうことが予想されます。
これにどう対抗していくのか。また、教科書や教育委員会の改悪など右傾化の進む教育にどう立ち向かっていけばよいのか。
難問山積ですが、皆さんと共に、また、保護者や生徒と一緒に考えていきたいと思います。
(「梅原さんを支援する会」ニュース第7号「脱調亭日常~梅ちゃん ほっつきある記」から)
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