《尾形修一の教員免許更新制反対日記から》
◆ 燃え尽き症候群?~無理なことは無理という方がいい
ちょっと前になるが、6月25日にOECD(経済協力開発機構)が中学教員の勤務環境に関する国際調査結果を発表したというニュースがあった。その結果によると、日本の教員は指導への自信が参加国中で一番低いにもかかわらず、勤務時間は最も長かった。この勤務時間の長さは予想されたことだけど、数字で見ると週当たり53.9時間となり、異常ぶりが際立っている。2位のカナダ・アルバータ州が48.2時間、3位のシンガポールが47.6時間、4位のイングランドが45.9時間…といった具合である。平均は38.3時間となるというから、日本の異常さはダントツとしか言いようがない。この深刻な実態をどう考えるか、数回にわたって考えておきたい。これが実は一番重要な教育問題であって、他の様々な問題はすべてここから派生しているとさえ言えるのではないか。
まず、タテマエを書いておかないといけないが、これは実は「超過勤務」ではない。「超過勤務」というのは、雇われて契約関係のもとで働く労働者が勤務時間内で終わらない仕事を、上司に命じられて時間後に労働する(その代り超過勤務手当をもらう)というものだろう。だけど、教員の場合、「校長の命令」もないし、「超勤手当(残業手当)」もない。生徒の中には、遅くまで働いて残業手当がすごいでしょなどと知ったかぶりでからかう者が時々いる。しかし、いくら遅くまで残業していても、受給金額は(通常は)変わらない。
今カッコ内に(通常)と書いたけど、これは意味がある。あの2011年3月11日、電車はすべて停まり生徒ともに朝まで学校内で待機せざるを得なかったが、その間も交代で見回りや警備、保護者対応、外部からの来訪者対応などを行っている。この時は、その時の手当が後ほど支給された。その他、生徒指導で遅くなった場合や休日の部活指導などでは手当が出る場合もある。しかし、原則として、教師には「時間外勤務手当」はない。その代り、全員に「教職調整額」が4%加算されているのである。
文科省内のサイトに「教職調整額の経緯等について」があるので、その問題の経緯はそれで判る。1971年に「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)が成立して、この4%加算が決まった。何で4%かというと、当時の小中の勤務実態を調べたところ、小学校は1時間20分、中学校は2時間30分、平均1時間48分だったという。これを夏休み4週、年末年始2週、学年末始2週の長期休業時8週分を除く年間44週ずっと上記の時間に超勤したとして、超勤手当を払うとすれば4%になるというのである。
一方、特に校長が超過勤務を命じることができる場合もあって、それを「超勤4項目」という。
そうすると、部活で遅くなるというのはどういうことか。生徒の提出物を見たり、明日の教材を作っていたりして遅くなるというのはどういうことか。校長は残業を命じていない(命じられるケースではない)ので、「教師が勝手に残っている」のである。(まあ、ボランティアというか、サービス残業というか。)
何でそんなことをするのだろうか。生徒や親との関係、勤務成績をよくするなどの目的もあるかもしれないけど、一番大きいのは「職人的感性」ではないかと思う。労働者というより、「自分で納得できるような教材を作るためなら時間は二の次」といった感性である。もちろん、自分にもそういう部分はあったから、納得できるものを仕上げるまで大分残ったこともある。(一番遅くまでいたのは、中学の学年主任として進路説明会資料を作っていた時で、夜の10時半になってしまったので警備員(がいた時代)に呆れられた。)
朝日新聞6月26日付の紙面には「朝練、授業、生徒会…学校に15時間半」という記事が掲載されている。私立を経て、千葉県の公立中に勤務する7年目の女性40歳。国語、2年担任、ソフトテニス部顧問。朝はほぼ6時40分に出勤、7時20分から朝練、授業、給食指導、生徒会指導、放課後の部活指導、7時に長欠の親と生徒が来た、その後提出物の点検等を続けて10時過ぎまで残っていた。このケースなど、外部から見れば想像を接した勤務実態というしかないと思う。
この学校の管理職は何をしているんだと思う。職員の健康管理も管理職の重大な任務だろう。本人も善意と頑張りの人なんだと思う。朝練と午後錬と両方きちんと出ているのは立派だけど、無理なことは無理という方がいい。提出物に全員返信するというのも無理である。というか、「毎日提出させる生活ノート」そのものがいらない。むしろ中二ともなれば止めた方がいい。教師に毎日生活を報告するようでは成長できない。担任にたいして「秘密」が出てくる年代で、僕の時代にもあったけど中学2年になったらどんなに怒られても提出しなくなった。このような「過剰な学校囲い込み」がますます仕事量を増やしていくのである。
以上の事例を見ても、教育現場の実情は、今までのタテマエではもはや処理が不可能というべきだろう。20世紀のころは、「夏休みさえあれば」「職場のまとまりさえあれば」、皆で何とか頑張ろうということも不可能ではなかった。
どっちもなくなり、ただ多忙の中にいるなら、「いつか切れてしまう」という「バーンアウト」(燃え尽き)が起きるに違いない。前回書いた「教員の大量退職」は、教師のバーンアウトがついに大量に起こり始めたことを示すのではないか。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2014年08月25日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/fb243d4bee8fa42411cb7555bd3e7ed1
◆ 燃え尽き症候群?~無理なことは無理という方がいい
ちょっと前になるが、6月25日にOECD(経済協力開発機構)が中学教員の勤務環境に関する国際調査結果を発表したというニュースがあった。その結果によると、日本の教員は指導への自信が参加国中で一番低いにもかかわらず、勤務時間は最も長かった。この勤務時間の長さは予想されたことだけど、数字で見ると週当たり53.9時間となり、異常ぶりが際立っている。2位のカナダ・アルバータ州が48.2時間、3位のシンガポールが47.6時間、4位のイングランドが45.9時間…といった具合である。平均は38.3時間となるというから、日本の異常さはダントツとしか言いようがない。この深刻な実態をどう考えるか、数回にわたって考えておきたい。これが実は一番重要な教育問題であって、他の様々な問題はすべてここから派生しているとさえ言えるのではないか。
まず、タテマエを書いておかないといけないが、これは実は「超過勤務」ではない。「超過勤務」というのは、雇われて契約関係のもとで働く労働者が勤務時間内で終わらない仕事を、上司に命じられて時間後に労働する(その代り超過勤務手当をもらう)というものだろう。だけど、教員の場合、「校長の命令」もないし、「超勤手当(残業手当)」もない。生徒の中には、遅くまで働いて残業手当がすごいでしょなどと知ったかぶりでからかう者が時々いる。しかし、いくら遅くまで残業していても、受給金額は(通常は)変わらない。
今カッコ内に(通常)と書いたけど、これは意味がある。あの2011年3月11日、電車はすべて停まり生徒ともに朝まで学校内で待機せざるを得なかったが、その間も交代で見回りや警備、保護者対応、外部からの来訪者対応などを行っている。この時は、その時の手当が後ほど支給された。その他、生徒指導で遅くなった場合や休日の部活指導などでは手当が出る場合もある。しかし、原則として、教師には「時間外勤務手当」はない。その代り、全員に「教職調整額」が4%加算されているのである。
文科省内のサイトに「教職調整額の経緯等について」があるので、その問題の経緯はそれで判る。1971年に「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」(給特法)が成立して、この4%加算が決まった。何で4%かというと、当時の小中の勤務実態を調べたところ、小学校は1時間20分、中学校は2時間30分、平均1時間48分だったという。これを夏休み4週、年末年始2週、学年末始2週の長期休業時8週分を除く年間44週ずっと上記の時間に超勤したとして、超勤手当を払うとすれば4%になるというのである。
一方、特に校長が超過勤務を命じることができる場合もあって、それを「超勤4項目」という。
イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務あれ、「部活動指導」はないのか。そう、ないのである。「教材研究」もない。「生活指導」さえない。しかし、部活や行事ならまだしも、クラスの生徒が問題行動を起こした時に担任が帰るということは事実上できないだろう。(また部活も終わり、雑務も処理して帰ろうかという時に限って、生徒がタバコを吸っているとか万引きした生徒を捕まえているなどの電話がかかってくるのである。)
ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務
ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務
ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務
そうすると、部活で遅くなるというのはどういうことか。生徒の提出物を見たり、明日の教材を作っていたりして遅くなるというのはどういうことか。校長は残業を命じていない(命じられるケースではない)ので、「教師が勝手に残っている」のである。(まあ、ボランティアというか、サービス残業というか。)
何でそんなことをするのだろうか。生徒や親との関係、勤務成績をよくするなどの目的もあるかもしれないけど、一番大きいのは「職人的感性」ではないかと思う。労働者というより、「自分で納得できるような教材を作るためなら時間は二の次」といった感性である。もちろん、自分にもそういう部分はあったから、納得できるものを仕上げるまで大分残ったこともある。(一番遅くまでいたのは、中学の学年主任として進路説明会資料を作っていた時で、夜の10時半になってしまったので警備員(がいた時代)に呆れられた。)
朝日新聞6月26日付の紙面には「朝練、授業、生徒会…学校に15時間半」という記事が掲載されている。私立を経て、千葉県の公立中に勤務する7年目の女性40歳。国語、2年担任、ソフトテニス部顧問。朝はほぼ6時40分に出勤、7時20分から朝練、授業、給食指導、生徒会指導、放課後の部活指導、7時に長欠の親と生徒が来た、その後提出物の点検等を続けて10時過ぎまで残っていた。このケースなど、外部から見れば想像を接した勤務実態というしかないと思う。
この学校の管理職は何をしているんだと思う。職員の健康管理も管理職の重大な任務だろう。本人も善意と頑張りの人なんだと思う。朝練と午後錬と両方きちんと出ているのは立派だけど、無理なことは無理という方がいい。提出物に全員返信するというのも無理である。というか、「毎日提出させる生活ノート」そのものがいらない。むしろ中二ともなれば止めた方がいい。教師に毎日生活を報告するようでは成長できない。担任にたいして「秘密」が出てくる年代で、僕の時代にもあったけど中学2年になったらどんなに怒られても提出しなくなった。このような「過剰な学校囲い込み」がますます仕事量を増やしていくのである。
以上の事例を見ても、教育現場の実情は、今までのタテマエではもはや処理が不可能というべきだろう。20世紀のころは、「夏休みさえあれば」「職場のまとまりさえあれば」、皆で何とか頑張ろうということも不可能ではなかった。
どっちもなくなり、ただ多忙の中にいるなら、「いつか切れてしまう」という「バーンアウト」(燃え尽き)が起きるに違いない。前回書いた「教員の大量退職」は、教師のバーンアウトがついに大量に起こり始めたことを示すのではないか。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2014年08月25日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/fb243d4bee8fa42411cb7555bd3e7ed1
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